88話 隠し部屋での考察
意識がひどく濁っていた。暗闇の中にいて、もう少しだけ進めば光に届く。そうした感覚だった。
それは例えば、母親の子宮から産まれ出る瞬間だったり、目前に迫っていた死からの生還だったり。
けど今体験しているのは、それほど大げさなものではなく、もっと日常的な感覚だ。
ああ、これは目覚めだ。今は眠っていて、目の前にある見えない膜を破れば意識が覚醒する。
そんな当たり前の、しかし、通常であれば無意識のうちに起こる現象を、やけにはっきりと知覚していた。
「――、……ここは」
亜凛の、隠し部屋。戻って来たのか。
「痛い」
最悪の目覚めだった。全身に走る突き刺すような、焼けるような痛みは、おそらくへパスが放った青い炎によるものだ。
魔法もポーションも、薬草すらも効かない。どうやら特殊な継続ダメージらしい。火傷、なんて状態異常があるかは知らないが、これはまさしく重度の火傷である。
しかも放っておくと死に至る。HPゲージが急速に減っていくことからも間違いないだろう。
天から降り注ぎ、一瞬で駆け抜けていった青い炎。
記憶はあやふやだが、しかし恐るべき攻撃である事は覚えている。直撃を避けたにも関わらず肉体の一部が消滅し、今もなお全身を蝕んでいる。
何なんだ、これ。
「呪いだよ、それは。きみのステータスに“呪縛”と記されている」
「……居たのか」
その言葉を聴いても、少しだって危機感は湧かなかった。死んでも消えない呪いのことなんて、考えるだけ無駄だ。
そう、俺は、死んだ筈だ。殺された筈だ。
「……亜凛。俺はあんたを……」
殺そうとした。明確に覚えている。
すまない。そう言えば、亜凛は、気にしないでくれと言った。
「あの時のきみは、……どこかおかしかった」
ずいぶんと優しい表現だ。殺しに取り憑かれて、殺意に呑まれて、俺は亜凛が誰かも分からなくなって。
「殺してくれたのか?」
「……やむを得ず」
助かったよ、と亜凛は言った。きみらしからず、弱かった、とも。ただ暴れるだけだったから何とか倒せたと。
死に戻ったんだな、俺は。亜凛が止めてくれなきゃどうなっていたのだろう。
「いったいどうしたんだ? あれも呪いの影響か?」
「……スキルの……竜人特化の反動だ」
「あれだけのスキルだからね。しかし以前は……」
そうして口を噤んだ亜凛は、何かを深く考えているようでもあり、ただ呆けているようでもあった。
こちらを探る視線から目を逸らしてしまうのは後めたい気持ちがあるからだろうか。
死に戻っても目覚めないから心配したよ。そんな亜凛の言葉を聞き流す。聞き流して、違和感を覚え、少しだけ思考する。
眠っていた、だって?
「眠っていたんだよ、きみは。ゴッドレスから此処に連れて来るのは一人じゃ無理でね。人目につかない方が良いと思って――」
「待て。俺は死に戻った後も眠ったままだったのか?」
「ああ。眠ったままだった。半日もね」
眠っていたらしい。へパスから受けた呪いの影響か、殺意に呑まれたからなのか。分からないが、眠る、というのは久しぶりだ。
きみは普段、眠っていないのか? と尋ねる亜凛に、眠ったことはないなぁと答える。
あ。一度あったか? ルナさんとシークレットイベントを攻略した時。
と、そんな事よりも。
「亜凛、言わなきゃならない事がある。あの五人についてだ」
「……会えたのか?」
話す事は多かった。だが、どこまで話すべきか迷う。
五人が生きていたこと。
いたのはおそらく現実だったこと。
なのにアバターのままだったこと。
謎の施設のこと。
そこにいた集団のこと。
外に逃れたこと。
それ等を様子見として伝える。どこまで信じるかは分からなかったが、事実のままに、言える範囲の全てを伝えた。
亜凛は今度こそ深く考え込む様子を見せ、しばらくそうした後、希望を灯した瞳で真っ直ぐに見つめてきた。
「ありがとう! 五人は生きていた。それが知れただけでも満足だ!」
アバターのままなんだぜ? 良い事かどうか判断できない。そう言ってみても亜凛の瞳は希望の光を灯したままだった。
「良い事だ! その集団に追われるかもしれないが、あの五人ならそう簡単には捕まらないさ」
……やはり伝えるべきだ。理屈や道徳心からではなく、これは亜凛の今後にも関わることだから。
「亜凛、話はこれで全てじゃない。この後、お前は身を隠せ」
「……なぜ?」
「それは――」
「だーれだっ!」
突然、背後から目を覆われた。
その掌は男にしては小さく、女性にしてはとても硬かった。
聴こえた声は快活にして美しく、不思議と勇気付けられる響きがあった。
「……おい、亜凛」
なんだい、と言う亜凛を睨み付ける。面被りがあるし掌で覆われているけれど。しかし“空間掌握”を展開してみれば、亜凛が気まずそうに顔を逸らしたのが分かった。
「彼女がいる事をなんで言わなかったんだよ」
「気付いているかと……ヘラ、本当に大丈夫なのか?」
そう言われても仕方ない。だって彼女の存在にすら気付いていなかったのだから。
そもそも、亜凛はこう言っていた。ゴッドレスから此処に連れて来るのは一人じゃ無理だったと。だからこの場に他の誰かが居たって不思議じゃないし、亜凛がいま頼れるのは彼女くらいのものだろう。
「そろそろ手をどけてくれるかな、誰かさん」
「良いけど、ちゃんと歯を食いしばってね?」
「え?」
ガツンと頭に衝撃が走る。視界がブレて、HPも減った。馬鹿力である。
「え、ウソ。当たっちゃった」
困惑した様子を隠しもしない彼女――ルナさんは、信じられないとばかりに握った拳を見つめている。
信じられないのは俺の方だ。相棒との再会がこんなに暴力的だとは考えていなかった。
「痛いよ。いきなり何さ」
「ごめんねラーさん! じゃ、なくって! あの後どれだけ連絡したと思ってるの⁉︎ だいたい――」
長くなりそうなので口を押さえて止める。モガモガ言ってるけど気にしない。
それに、ルナさんも知っておいた方が良いだろう。
「あの五人は殺人を犯した。銃を持ち、それを迷いなく撃つ集団を、いとも容易く」
「……なに?」
「……え?」
「六十七。それが彼等によって奪われた命の数だ」
室内の空気が一瞬で変わった。重く、冷たく、まとわりつくように。
そんな空気の中で亜凛が搾り出すように呻いた。小刻みに動き続ける唇に反して言葉はなかなか出てこない。
「な、なんだって? それはっ、攻撃されたからだろう⁉︎」
やっと絞り出された言葉には、現実から目を背ける者特有の、嘲けるような響きがあった。
「五人はまともじゃなかった。操られていた、と俺は考えている」
「なぜ、そんな……」
理由か。それに関しては俺にも分からない。正確には、紐解くためのヒントは幾つか得ているがまとめられていない。
「なぜだろうねぇ」
だから、そんなふうに、否定も肯定もせず、相槌を打つように当たり障りのない適当なことを言った。
そうして、吐き出した言葉が室内に溶け切るのを待って、思考を再起動することにした。
これまで止まっていた思考を働かせ始めた。
動き始めてしまえば、溜め込んだ疑問と謎が一気に溢れ出した。それ等を整理するには時間と根気、そして道理が必要になる。あまり得意ではないから、俺なりに得意な方法で。
つまり、口に出しながらの考察。
「彼等が殺人を犯した、もしくは犯してしまった理由を知りたければ、亜凛、お前が出会った存在を明確にしなきゃならない」
語り出しはそんなふうな、誰もが予想する面白みに欠ける内容だった。
しかし亜凛は間髪入れず、あのお方について? と相槌を打つように言った。
「ああ、ソイツのことだ」
だから、流れるように俺も続けた。
神。お前はそう言ったね? 今もそう信じているね? ああ、否定しているわけでも馬鹿にしているわけでもない。今では俺も、けっこう信じ始めているんだぜ。
そんなふうに、話を展開させた。
「神だと、俺がそうと思える存在は三つだ」
謎の女性ヘスさん。自らが神を名乗ったデーメ。俺に付きまとうへパス。
奴等の名前はどこかありきたりで、しかし、強烈に結びつく対象がある。
「ヘスティア、デーメーテール、ヘーパイストス。そんな名前に聞き覚えはないか?」
ギリシャ神話の神々。
ヘスティア。家庭生活を護る女神。一説には炎を模すと言われている。
デーメーテール。大地と豊穣の女神。その怒りに触れると餓死をもたらすという伝説がある。
ヘーパイストス。炎と鍛治の男神。生まれつき両脚が曲がった奇形児だったとか。
「神話に合致するのさ、奴等の色々が」
神だと断定するわけじゃない。しかし納得してしまうだけの異質さと不気味さがあるという話。
そして、ルナさんも出会っている。エルフから神と崇められる存在に。
「えっと、名前は確かアミスって」
「アルテミスか」
アルテミス。狩猟、森林、純潔の女神。
こうしてみると、なるほど、その名を語るに相応しい力や立場を得ている。
「もちろんこれは仮説だ。だが、ここからさらに仮説を重ねてみようじゃないか」
提案するような問い掛けをしていながらも、話を辞めることなく繋いでいく。同意を得ることなく話を進めていく。
二人は何を言えば良いか分からないという表情をし、それでも何かを言おうとし、勝手に喋るから聞いていてと伝えれば頷いて黙った。
「では。神は存在し、そして奴等が神だいう前提のもとで話を進めよう」
改めて宣言して、思考をゲームに向ける。
このゲーム、もしくはゲームだった物の立ち位置と言うか、必要性の話。
神に対するイメージは、天候を自由に操ったり、新たな生物を創り出したり、もっと言えば世界を創造したり。まあ、そんな、現代の科学ですら到底不可能な現象や事象を簡単にやってのける超常の存在なのだが。
「当然、奴等には何かしら目的がある」
それは幾らでも考えつくが、あまりに材料が少ないので無視してしまおう。
では、なぜその目的とやらを達せられないのか。
神ともあろう存在が、どうしてまわりくどい手段と方法を選ぶのか。
選ばざるを得ない理由がある。その答えに行き着くのは自然な思考で、こちらにとっては付け込むべき隙だ。
「不可能な理由はともかく、だから奴等はこのゲームを乗っ取った。それもまた自然な思考の流れだと言えるだろう」
さらに深掘りすれば、なぜこのゲームを乗っ取ったのか、という疑問が生まれる。そこで登場するのがプレイヤーの存在だ。
ゴッドレス防衛戦で狙われたのがプレイヤーである事は間違いない。だって結果がそうだと告げている。その為のイベントであったのだ。
あの五人がまともじゃなかった理由もそこに含まれている。正確には、アバターを自らの意思でコントロールできていなかった理由になる。
虚ろな瞳、だらしなく開いた口、マリオネットじみた動き、そんな状態で、水香が俺に向けて放った言葉。
「――殺して! と、彼女は叫んでいたよ」
感情が乗らない顔と、意思が感じられない動きで。しかし強い意志を感じさせる声で。
皮肉かつ悲惨なことに、操られている事実は理解していたわけだ。
そして、へパスはこう言っていた。
――あくまでも五人を追うつもりか。
――だとしたら尚のこと此処で滅んでもらう。
ここまでの仮説から考えると、奴等の目的を達成する為にはプレイヤー……正確には現実でのアバターが必要。そう言っているに等しい。
だからこの世界で死に戻りを封じてアバターを殺した。奴等の操り人形にするために。
「これで謎が一つ解けたね。死に戻りポイントを失って死んだらどうなるか」
どうやって可能としているのかは分からないけどね、と付け加える。そんなものは重要ではない。現実に戻されて操られてしまうという事実が分かっていれば良い。
「……神の操り人形に……チェスの駒にされると言うのか?」
亜凛の瞳からは光が消えていた。絶望というものを分かりやすく表した表情だった。
自らのせいで仲間を失ったのだ。彼が引き込んだ社員達は、彼が信奉する存在によって利用されたのだ。さぞ己を呪っている事だろう。
「駒にする条件が、アバターの消失。つまりこのゲームは鳥籠さ、プレイヤーを狩るための。これは間違いない」
では何をさせるのか。駒をどう動かし、どう使うのか。
アバターのまま現実に帰還させる。結果はあの五人が示した通り。
優れた身体能力とスキル、そして魔法類やアイテムを所持した存在は恐ろしい事態を引き起こす。小型ライフルやサブマシンガンで武装する練磨された部隊を蹂躙できてしまう。こちらで手にした力は、現実においては超常の力に等しいのだから。
日本の転覆が狙いか。亜凛がそんな事を呟く。
「世界だって征服できるかもな?」
「……さすがにムリじゃない?」
「そうかな? 一万ものアバターがあり、俺達三人のような化け物がいても?」
二人の深く考え込む雰囲気が室内を重く満たした。その空気に耐えかねたようにルナさんが不器用な笑みを浮かべる。
「えっと、まとめるよ? 本物の神様が私達のアバターを使って悪い事をたくらんでる。でもこっちの世界でアバターを消失させないと操れない」
言いつつ、自らの言葉に疑問顔を浮かべるルナさん。亜凛も同じく。ああ、それは俺も気になっている。
「あれ? アバターが現実にいるってことは……」
「本体は……生身はどうなってるんだ?」
「すぐに分かるさ」
あの五人の存在が明るみになり、身元が判明すれば謎は解ける。
ルナさんは戸惑いながら頷いた。
亜凛は諦めを乗せて笑った。
気持ちは理解できるが何もできない事に変わりはない。彼等は遠からず世間を騒がし、殺されるだろう。アバターと言えども無敵ではない。物量押しにはいずれ屈する。多くの日本人が平和にボケていると言っても、日本という国家自体が鈍っているわけでもない。
「ヘラ、なんで僕は身を隠す必要があるんだ?」
無気力感を隠しもしない亜凛は、ひどく事務的に尋ねた。投げやりになるのは勝手だが自暴自棄になられちゃ厄介だ。
「操られる可能性が高いからだよ、あんたは」
何せ、真っ先に神と対面し、見初められ、力を与えられた。特殊なアバターも。
「水香も同じだろ?」
以前に彼女を拷問した時に排泄をしていた。他の誰も可能としていないのに。
「そのアバターは奴等の何かが込められているかもしれない。力が浸透しやすいと考えるのは自然なことだろ?」
「だから身を隠せと? そうして、何をしろと?」
「知るかよ。事態をややこしくするなと言ってるんだ」
でも、もしも何かを為したいと考えるのなら。
「牙と意志を研ぎ澄ませろ。来るべき時に向けて」
小さく頷く亜凛を横目に立ち上がる。此処でやるべき事はもうない。
「ラーさん、私は?」
「俺達がやるべき事は今までと同じだよ」
あえて一つの可能性について黙殺する。
――プレイヤーが強くなればなるほど、操られた時に厄介なのでは?
そんな可能性に、ルナさんが気付かない内に話を終わらせた。正確には、それについて問われる前に。
理由は幾つかある。俺自身の欲求を満たすため。混乱を避けるため。矛盾を孕みつつも強くなる事こそがプレイヤーを守るという手段になるため。
いずれも本心であり事実だ。
じゃあ、さよなら。そう言って隠し部屋を出る。
外には希望を感じさせる朝日が満ち、それが心を無性に苛立たせる。どうにも煮え切らない感情が全身を支配していた。
さて。謎は減りもしたし増えもした。二人に伝えていない事もある。その最たるものは、聖域の存在。
解放しろと言ったのは神だ。理由は分からないが、奴等に必要なのは間違いない。だからと言ってプレイヤー達は止まらないだろう。現実への帰還という餌はあまりにも魅力的に過ぎる。
だが、それこそが奴等の助けになっているのだとしたら。
「まったく。面倒な立場になったものだねぇ」
だと言うのに分からない事が多すぎて嫌になる。
それ等を知る手っ取り早い方法も、あるにはある。知ってる奴に訊けば良い。
フレンドリストから一人を選び、コールを選択。
さあ、どこまで知れるかな。




