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87話 へパス

 


 思考が濁っている。彼、近藤正国と会話をしてからずっと。


「そろそろ到着する」

「……どこへ?」

「地上に繋がる連絡通路だ。俺達の方が早く着く。待ち伏せするぞ」

「リョーカイ」


 リーダーさんは復讐心を隠しもせずにそう言って、小型ライフルにマガジンを叩き込んだ。

 当然だ。六十七人もの仲間を殺されたのだから。


 ――どうか、仇を討ってください。


 近藤正国の言葉が聴こえた。穏やかで、しかし、隠しきれない残虐性を滲ませた声が。


「お前を戦力計上して良いんだろうな? 俺の背後へはまわるなよ」

「リョーカイ」

「連絡通路は身を隠す場所が多い。俺から離れて隠れろ」

「リョーカイ」

「通路に出たら右側に扉がある。そこから奴等は来る」

「リョーカイ」

「構造的に強度はそれなりにある筈だが、あの魔法を乱発するのはやめてくれ。崩れたら元も子もない」

「リョーカイ」

「その、ふざけた返答をいちいち言うのはやめろ。苛立つ!」


 言葉の通りに苛立ちを見せるリーダーさん。彼と話していると落ち着く。とてもとても人間らしいから。少なくとも怪物と主導権を取り合うよりもずっと楽だ。


「行くぞ!」

「リョーカイ」


 ぼんやりとした頭で考えていた。色んな事をだ。

 この施設とか。情報を与えず、なのに情報を求め、そのくせ脅迫まがいとも言える彼等のやり口とか。チャンスをみすみす棒に振った自分の愚かさとか。


 他には、あの五人の目的とか。


「帰りたい、か」


 近藤正国はそう言っていた。

 正しい予想かもしれない。気付いたら囚われていて、尋問され、銃を突き付けられて恐怖した。現実であると気付き、この施設こそが諸悪の根源だと考え、戦闘に至り、仕方なく殺したのかもしれない。

 何故、俺はその可能性を端から排除していたのだろうか。思考の辿り方としては至極当たり前の道にどうして進まなかったのか。


 そして俺自身が、此処が現実だと断定しているのに、逃げたいと思わない理由は何なのだろうか。


「来るぞ。……おい、どうした⁉︎ 武器を出せ!」


 神。亜凛はそう言っていた。

 これまで神の存在を信じたことは一度もない。存在を感じたことだって。

 だが、今は信じてしまっている。岩谷さんと魚見さんから聞いた話も原因の一つだが、俺自身が肌で感じているんだ。


 この施設は、そういった超常の相手と戦うことを想定しているのではないか? だからこその異常さではないのか? ミサイルや戦車がそれだ。そして、大量の化学薬品や毒としか思えない液体が入れられたプール、巨大な牢獄は奴等を閉じ込めるための設備ではないのか?


「いったい、此処は、何なんだ?」

「おい!」


 神だって? たとえ本物だとしても知ったことじゃあない。先に邪魔をしてきたのはあいつ等だ。敵意を向けてきたのも、殺意を向けてきたのも。

 何をするつもりかは知らないが、思い通りになどさせるものか。敵は全部殺してやる。


「――来たぞ!」


 エレベーターの扉が開く。そこに居るのは、水香をはじめとしたナイトメアの元幹部達。

 防具はボロボロだった。しかし怪我はない。治癒魔法かアイテムを使用したのかは分からないが、銃弾を受けてもすぐに癒えてしまうのがプレイヤーと人間の違いであり、また、厄介なところでもある。


「やあ。こんな所で何をしている?」


 彼等は答えなかった。虚ろな瞳、だらしなく開いた口、うつむき気味の顔。どれを見ても正常には見えない。


「水香さん、俺を覚えているだろう?」


 そう呼び掛ければ、彼女の肩が小さく小さく跳ねた。


「――して」

「あ? なんだって? ……おい、止まれ」


 五人が揃って前進し始める。その挙動は不気味だった。上から垂れ下がった糸に操られるような、まるでマリオネットを思わせる動きだった。


「もう一度だけ言う。止まれ」


 二刀を装備し、抜く。その身に染みつけた筈の恐怖で止めるために。


 だが。


「――ろ、――てぇええ!」


 水香が叫ぶと同時に、五人が一斉に向かって来る。武器をこちらに向けて走る様は、やはりマリオネットじみた挙動だった。


「へぇ? 俺と戦うわけ?」


 前へ。その最中に五人から詠唱が聴こえた。ひどく無感情で、ただ声帯を震わせただけの発声。どこか機械じみたそれ。


 ――ここで魔法を使うつもりか!


 方向転換。五人に背を向け、二刀をおさめ、全力で駆ける。

 彼等が選択したのは俺と戦うことではない。破壊だ。


「来い!」

「うおっ!」


 柱に隠れていたリーダーさんを抱え上げる。同時に、後方から閃光が奔る。轟音と振動も。


「な、何が起きた⁉︎」

「伏せてろ!」


 立ち込める煙が視界を奪う。その中に五人が居ないことは“空間掌握”で分かっている。

 やられた。彼等は最初からこれが狙いだった。連絡通路の壁を破壊し、そこから外部へと飛び出すつもりだったのだ。腹立たしいが、まんまと成功してしまった。


「あ、あいつ等は⁉︎」

「外です。逃げられました」

「なっ――」


 全身が冷たい危機感で満たされていく。五人が外に出た事実に、肉体の全てが焦りの叫びを上げている。

 本当に逃げたのなら良い。ゲームから脱出し、現実へ戻りたい一心での強行だったのならば焦る必要はない。

 だが、五人の、あの表情。そう、あれはまるで――操られているかのようだった。


「リーダーさん、近藤さんに連絡を――ぁ?」


 ズブリ、と背中から胸に何かが突き抜けた。

 すぐ後ろに超大な存在感があった。

 血を吐いていた。

 肉体の中心が焼かれていた。

 意識がついて行けずにバラバラになっていた。


「お、おまえ、それ……」


 リーダーさんの顔が赤く染まっている。染めているのは俺の血だ、と思うがはっきりとは見えない。

 だって、掌が視界を遮ぎっている。やはり赤く染まり、それは、俺の胸から生えている。正確には、背中から胸を貫かれている。


「異分子ヘラ」


 その声は背後から聴こえた。痛みで散らばった意識を集めるほどに力強く、どこか己を卑下するような声だ。


「貴様はここで滅する。もはや逃れられんぞ」

「へ、パス!」


 ここで登場か。いつも嫌なタイミングで現れる奴だ。


「貴様には礼を言わなければな。あれを殺してくれたおかげで、私はある程度の自由を得た」


 クソ野郎。いつまで体の中に腕を突っ込んでいるつもりだ?


 だったら、貰ってやるよ。


 二刀を抜く。狙うは、胸から生えたクソ野郎の腕。


「むっ!」


 あっけなく切断される腕。反応が鈍いぜ。

 なら、首も置いていけ。


「おっと」

「――グヒッ!」


 体内を異物が通り抜ける感覚。さすがに躱された。ついでに腕を抜いてくれたから、まあ良しとしようか。


「狂獣のような男だな」


 引き抜いた腕を押さえて、へパスはケタケタと笑いながら言った。

 相変わらず防具の一つも見当たらず、腰に巻かれた白い布が存在を主張している。足を庇うような立ち姿が負傷を思わせ、“空間掌握”もそうだと言っている。


「ふむ。胸に大穴を開けてよく生きていられるものだ。さぞ風通しが良く快適だろう」


 確かに、即死していてもおかしくはなかった。生きていられる理由は幾つかある。

 魔竜の加護によって得たスキル“死闘”。

 スタミナを喰わせている“竜咆”。

 これまで得てきたスキルや称号。

 どれか一つでも欠けていたら死んでいただろう。


「……ほお? 素晴らしい。見る間に癒えてゆく」

「あんたみたいに貧弱じゃないんでね」

「もう話せるのか。やはり、貴様は危険だ」


 話しつつ、背後のリーダーさんにハンドサインを送る。タイミングを合わせて逃げろ、と。


「なあ、へパス。あんたと遊んでる暇はないんだ」

「取り込み中だったか」

「知り合いと追いかけっこをしていてね」

「察するに、貴様が鬼役だな?」

「よく知ってるじゃないか、人間の文化を」

「なぜあの五人を気にかける? かつては敵だった奴らを気にする理由は何だ?」

「俺が、そう決めたからだ」


 言って、前進。


「行け!」

「――ッ!」

「薄刃伸刀!」


 リーダーさんが駆ける。彼がエレベーターに乗り込むまで時間を稼ぐのが俺の役割だ。


「あくまでも五人を追うつもりか。だとしたら尚のこと此処で滅んでもらう」

「待ってたぜ、アンタとこうして向き合う瞬間を」

「殺されるとしてもかね?」


 だが、へパスはリーダーさんに見向きもしなかった。それどころか振るった二刀を躱そうともしない。

 とは言えノーダメージってわけでもない。腰に巻かれた白い布が赤に染まっている。何だよ。あるじゃないか、血。


「やはり強いな。危険だ」


 ケタケタと笑うへパス。余裕かましてろよ、すぐに口をきけなくしてやる。

 やる事は変えない。そうして勝ってきた。相手が神でも。


「アハハハッ! 頑張るではないか!」


 の、筈なんだけれど。


「どうなってんだよっ、アンタ!」


 白い布がボロきれに変わり、その下にある肉体が露わになる。()()を見て、本気の怖気が走った。

 傷つけた筈の肉体には、なんの損傷も見られない。切断した腕も癒えている。詠唱も薬の類いもなく、ただ自然と癒えている。その速度は霊鳥や神獣の比ではない。


 なら、赤く染まった布は何なんだ?


「――知るかっ!」


 構わずに斬り付けて、抉り取って、ひたすらに繰り返す。


 ああ、これ、勝てない。だって――、


「テメェ、へパス、お前っ、本物の神なのか?」

「どう考えるね?」


 違うとでも言うのか? なら、その回復速度は何なんだ。どうして、傷つけたそばから肉体が治癒されていくんだ。


 だったら仕方ない。


「やる事を、変えようかァアアアッ!」


 ――竜人特化!


 視界が赤に染まって、胸に欲求が広がっていく。

 それは破壊衝動だ。誰でも、何でも良い。とにかく壊したくて壊したくて仕方がない。

 遅行した世界の中で、俺だけが解放されている。俺だけが別の次元に生きている。

 だから当然、俺の声も音としては伝わらない。だから、まあ、これは俺の独り言で、願望だ。



「アンタ、どれだけ耐えてくれる?」



 この衝動に。



「うはっ」



 壊れてくれるなよ。なるだけ長く。



「うははははっ!」



 満たしてくれよ。この渇求を。



「ウハハハァアアアア!」



 二刀、閃く。血、飛ぶ。肉、舞う。


「うははっ、おいっ、へパス! アンタ最高だっ!」


 どれだけ斬っても、どれだけ傷つけても――壊れない!


「あぁ、あぁぁ、ああああっ! アンタ良いっ、良いよ! 何その肉体っ! こんなに斬ってるのにっ、こんなに傷つけてるのにっ!」


 肉体が即座に再生する。

 舞い飛んだ血肉がゆっくりと落ちて行く最中に、減らした分だけ回復して行く。


「ヤバい、ヤバいヤバいヤバいっ! 気持ち良いっ! 最っ高に気持ち良いぃいい! もっとくれっ、くれくれくれくれっ!」


 斬る。斬って斬って斬って斬って。

 治る。治って治って治って治って。


「ああぁぁああ、きもっ、チイィィィ」


 削る。削って削って削って削って。

 戻る。戻って戻って戻って戻って。


 続け。続け。続け。もっと長く。延々と。永遠に。


 なのに、あれぇ?


「ゔぇええ!」


 吐血。“竜人特化”が強制解除される。いくら何でも早すぎる。


「……貴様は、いったい、何なのだ」


 クソ! クソ、クソ、クソ、クソ!

 なんで死なない⁉︎ どうして生きている⁉︎


 殺してやる。絶対にだ!


『そうだ! 殺せ! 全てをだ!」


 ああ、全部、殺してやる!


「ヴァあああ!」

「む? 遅いぞ」


 振れ、振れ、振れ! 殺すために! 壊すために!


「先程の……奇妙な速さはどうした?」

「――ぐが⁉︎」


 殴りやがったな?


「うへ、ウヘヘ。は、腹に、穴が……あれぇ?」

「壊れているのか、貴様。ならば終わらせてやろう――“真なる炎”」


 なんだこれ? 炎? 天から一直線に?

 これはダメだ、死ぬ。全てが消える。


 嫌だ。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!


 ――()()()に戻れ!


 戻る? あっち? どうやって?


「――っ!」


 あ、“流魂(るこん)の衝突”。


「うう!」


 取り出し、握り潰す。


 一瞬の浮遊感。その後に、大きな嫌悪感。

 全身がバラバラになりかけ、しかし無理矢理に繋ぎ止め、縫い合わせ、元に戻される。それを繰り返す。


「貴様っ! またもや逃げるつもりか!」

「……は?」


 逃げる? 俺が? こんな奴から? ふざけるな。


「ふざけるなぁああ!」


 壊してやる。終わらせてやる。目につく全てを。


「ヘラ! おい、どうした!」


 うるさい。何も言うな。黙って死ね。


「その怪我は⁉︎ おいやめろ!」


 うるさい。逃げるな。ただ死ね。


「僕だ! 亜凛だ! 分からないのか⁉︎」

「黙れぇええ!」

「――ッ、悪いが攻撃させてもらうぞ!」


 痛い痛い痛い痛い、なんだこのナイフの群れは! なんで動けないんだ!

 こんな、こんなもので俺を止められるものか!


『殺せ! はやく殺せ!』


 そうだ。早く殺さないと。


 けど、ああ、もう力が入らない。


「すまない、ヘラ!」

「――ぁ」


 終わった。俺は、死んだのだ。



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[一言] 怒涛の展開、何が起こっている…怖いぞ…頑張ってくれ
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