78話 一人の力
『ゴッドレスの神殿が占拠されました。完全掌握まで10分』
『解放の条件はボスモンスターの討伐です。プレイヤーの皆様、協力してボスを倒してください!』
そのアナウンスは戦場の空気を一変させた。プレイヤー達はそれぞれに反応を見せている。疑問による思考の停止、焦りによる恐慌、多いのはこの二つだ。
視界の端ではカウントダウンが始まり、『神殿を死守せよ!』の文字が浮かんでいる。遅かれ早かれ、それが何を意味するのか全員が理解するだろう。
今、ここを離れろと言うのか? ドワーフとエルフを置いて?
残った敵を殲滅するのは難しくない。彼等だけでも勝つだろう。だが、死者は出る。だからと言って巨人を放置する事はできない。
今、全プレイヤーの死に戻り地点はゴッドレスの神殿だ。破壊され、死に至れば恐れていたことが現実になる。
まずは破壊を防がなければ。しかし残された時間は10分弱しかない。辿り着くだけでもギリギリだ。
「ラーさん⁉︎」
どうする、とルナさんの表情が言っている。俺にも分からねぇよ。
「隊長様! 俺たちゃ何をすりゃいい⁉︎」
「お兄さん!」
「ヘラ、どーすんのよ⁉︎」
「ヘラくーん、指示してくださぃぃ」
クソったれ! 俺に選ばせるつもりか⁉︎ 一万人の命と戦友の命を!
「ヘラくん、決断を! 私達は先行する!」
「鬼人、先に行ってるぜ」
トンプさんとダルンダルノ明美さんが一部のプレイヤーを引き連れて都市に入っていく。それだって困難だ。門は多くの人達でごった返している。本隊だって人が集まり過ぎて身動きが取れない。
「ラーさん、お願い!」
ルナさんが飛び出す。巨人を押し留めるために、俺に思考させるために、戦ってくれるのか。
一秒が惜しい状況。プレイヤー達もかなり慌て始めた。ここで判断に時間を割くべきじゃない。しかし。
――向かった人達で何とかなるんじゃ?
――俺だけ残る?
――そもそもボスって強いのか?
――選抜チームを結成する?
――動けないぞ?
――プレイヤーが本当に死ぬか分からないだろ?
――でも死んだら?
――本物の命とNPCを比べられるか?
――急げ、時間がない!
肉体は動いていた。機械のように巨人を殺していた。だが、思考がまとまらない。俺は――。
「使徒よぉおお!」
「使徒様ぁああ!」
誇りを感じさせる男女の声が聴こえた。巨人の咆哮をすら凌ぐ大音声だ。それが意識を引きつける。
「行けっ、使徒達よ! ここは我等が引き受ける!」
「私達に任せなさい! 敵は必ず止めてみせる!」
ギ・シャラヤさん。チノメルさん。常に一族の最前線に立ち続けた二人が、俺を真っ直ぐに見つめている。
「救われた命! ここで使わせて頂く!」
「受けた恩! ここで返させて貰います!」
二人は決して慌てない。ドワーフとエルフもだ。戦いの中に身を置き続け、種族を背負ってきた者達のなんと強いことか。戦う者としての純度が全く違う。
そうだ。落ち着け。思考しろ。敵が何かすら分かっていないんだぞ。慌てるなんて間抜けに過ぎる。
信じろ。あの二人と、彼等彼女等を。守られなくちゃ生きられないほど弱くはない。俺は馬鹿野朗だ。誇り高き矜持を疑うなんて大馬鹿だ。
俺は俺の成すべきことを成せ。
――ボスの把握が優先だ。
――先遣隊を。
――多くのプレイヤーを集めたところで意味があるか分からない。
――強さ、大きさ、位置、それ等によって打つ手を変えろ。
――背後の安全確保は急務だ。
――巨人は確実に駆逐しなきゃならない。
――情報伝達の確立を。
――全て一人でやる必要なんてない。
「――っ、神討ち隊!」
『おお!』
「神殿へ! だが無理に戦うな! 状況と敵能力の把握を優先!」
行くぞ! そう叫んだクリッツさんを先頭に“神討ち隊”が駆け出す。
「十二戦士! ヘーエルピス!」
「なんでしょぉお」
「早く指示しなさいよ!」
「二手に別れろ! 人員の整理と、使えるプレイヤーを選抜、数の目安は百! 揃ったら神殿に! 周辺住民の避難を優先しろ!」
散り散りに走りだす彼等を横目に見送って。
「剛くん」
「……すっげー嫌な予感がする」
「ここと神殿の間に情報伝達経路を確立してくれ。どんな方法でも、どれだけ人数をかけても構わない」
「それっ、ちょ、マジで言ってんのかよ! めちゃくちゃ大変じゃねーか!」
「きみならできるでしょ?」
任せたよ。そう言えば、彼もまた走り始めた。悪態をつき忘れないのが何とも彼らしい。
「あー、ヘラさん、ここのプレイヤーをまとめる指揮官って必要っすか?」
「それってつまり立候補?」
獅子丸くんと辰辰さん。俺のフォローをするために別行動をしたのか。気心の知れた二人が残ってくれたのはありがたい。
「あー、これってつまり二人とも命令違反っすか?」
冗談めかして言ってみれば、二人は爽やかに笑った。互いに頷き合って。
「巨人を駆逐。その後は状況を見て神殿へ。余裕があれば神殿を包囲するように移動してほしい」
「了解っす」
「任されたよ」
二人の指示が飛ぶ。広く知られた彼等だからこそプレイヤー達に落ち着きを取り戻させる。
行け、行けと叫ぶ声がする。ドワーフとエルフ。正真正銘、命を懸けて戦う者達。
そうさ、彼等を守ろうなんて思い上がりも甚だしい。いつだって戦い抜いて来た人達への侮辱だ。
けど。
「ドワァァーフ! エルゥゥーフ! 死ぬなっ、死なないでくれ! 頼むっ!」
駄目だなぁ、俺って奴は。どうしても願ってしまうんだ、彼等の未来を。
「勇猛にして高潔な貴方達よ! 一人も欠けることなく、また笑顔で再会させれくれ!」
どうか誰も死なないでほしい。なんと強欲でわがままな願いなのか。この場を任せるくせに都合のいい身勝手な願いだ。
だけど願わずにはいられないんだ。
『職業【守護者】のレベルが上がります。ダシュアン・ドワーフに更なる加護が付与されました』
『ダシュアン・ドワーフの身体能力、各技量が上昇します』
『職業【守護者】のレベルが上がります。対象にショーイカ・エルフが追加されました』
『ショーイカ・エルフの魔力量が増加、魔術が進化します』
セントラルAIにこれほど感謝したことはない。今最も望む内の一つが得られた。
「わはは! 引き受けだぞ、我等が守護者殿!」
「守護者様の命令よ! エルフもドワーフも誰も死ぬことは許さないわ!」
任せたぜ、シャラさん、チノメルさん。
あとは、俺達だ。
「ルナさん!」
「はいっ!」
ふわりと甘い香りがした。彼女はいつの間にか隣にいて、強い意志を感じさせる瞳で射抜いてくる。この人はどうしていつもこうなのか。汚れってものを知らない。
「相棒、私は? 一緒に行けばいいの?」
「……ルナさんは――」
「分かった、任せて。一緒にボスを倒そう」
「…………頼んだぜ、相棒」
「勝とうぜ、相棒」
ルナさんとならやれる。どんな強敵も倒してきた。どんな困難にも打ち勝ってきた。俺の全てを出せる。だから今回も、全力だ。
「道を開けてくれっ!」
「ほらほらどいてー! 雷あてちゃうぞー!」
隣り合って駆ける。途端に活力が湧き余裕が生まれるのだから不思議なものだ。
「あいつはどこ行ったの? ほら、キュウ」
「まだ子供でレベル低いからジャミジャミで待機だよー」
「残念。怪獣大決戦が見られると思ったのに」
「うちのキュウちゃんに何させようとしてるの⁉︎」
「肉壁役?」
「こらー!」
人々の隙間を縫って走れば、いつもの二人に戻っていた。各種ポーションを浴びるように飲み、しかし僅かな回復を得られるだけで、それでも笑いながら駆けて行く。
「えへへー。珍しいものが見れたなー」
「……なにさ?」
「ラーさん慌てちゃって。他人なんてどーでも良いっぽい雰囲気出してるけど情に厚いんだから」
「前から思ってたけど、ルナさんて言葉遣いとかリアクションがひと世代前だよね」
「ええっ⁉︎」
「今時の若い女の子は、情に厚いなんて言わないよ」
「そ、そーだったのか! オホン……ラーさんてば人情味溢れてるんだから」
「それは尚さら言わない」
「うっ……」
ははは、と笑った。我ながら呆れるほど腹の底から。自分でも驚くほど明るく。
ソロを続けて思い上がっていた。強さを得て勘違いしていた。
俺は一人じゃ何にもできない半端者だ。自分の感情すらコントロールできない未熟者だ。
だが無力ではない。俺には俺の得意なことがある。
たとえば、遥か格上の化け物を殺すことだったり。
「そこに居るのか?」
前方、神殿の上空に巨大な門が在る。縦も横も30メートルはある。それが、開いていく。ゆっくりとゆっくりと。
門からは太い管が何本も伸び、それは全体が脈打ち、至るところに眼球が浮き出ている。繋がる先は神殿だ。
「ラーさん、あれ!」
「うん。あの管がボスらしい」
──────
ジャ・ヌヌ:???
イベントボス/???/???/???
スキル:???/???
独自スキル:???/???
固有スキル:???/???
──────
「“破滅の根”、か」
見た目通りの名前だ。破滅させるのはゴッドレスか、プレイヤーか。
「……何か飛び出してる」
「え?」
管が脈打つ度に小さな物体が湧き出ている。それは明確な意思のもと空中を飛び回っている。高速かつ自由な動きは鳥の群れにも見える。
「みんなは⁉︎」
「戦ってる」
群れに魔法が乱射されると、それ等は次々と爆発して夜空を紅く染めていく。原因は魔法じゃない。小さな物体の自爆、と言うか誘爆だ。
「火薬の塊かよ」
衝撃か破壊か、どちらがトリガーかはわからないが厄介な性質を有しているらしい。
飛行物体は見る間に増え、幾つもの群れを形成していく。近接戦闘がメインのプレイヤーは辛いだろう。だってあれは攻撃。破壊した瞬間に自爆されては攻撃も躊躇ってしまう。だからと言って逃げ続けるわけにもいかない。接近されても爆発するのは目に見えている。
──────
ジャ・グバ:???
イベントモンスター/???/???/飛行生物
スキル:高速飛翔/生命感知/爆燃体
固有スキル:自爆
──────
自爆。それが“破滅の蟲”というモンスターの固有スキルだ。さらには“爆燃体”というスキルまで持つ。単純にして強力、かつ厄介だ。
「急ごう!」
「はい!」
近づけば状況が分かってきた。飛行しているのはその名の通りに虫であった。夜空をより黒い色に染めて。薄い翅が高速で動く特有の音は嫌悪感を抱くには十分だ。夥しい数となればなおさら。
プレイヤー達は散り散りになって遠距離攻撃に徹している。あれを武器で直接破壊できるのは者は少数だろう。
しかし、その少数が此処にはいる。それは“十二戦士”であったり“神討ち隊”であったり、トップランカーと称される人々だ。
常軌を逸した速度で群れに突っ込み、駆け抜けざまに閃めく一振りで切りつける。一瞬の後に爆発が起き、その頃には遠くに退避している。素晴らしい強さだ。
「ラーさん、こっちにも来るよ!」
ホーリーランスと“迅雷”がある俺にとっては大した脅威じゃない。ルナさんにいたっては呼吸をするように殺せるだろう。自分を守るだけなら、だけれど。
「うひゃー! ゴキブリとかムリー!」
彼女が怒りと共に放った雷によってどれだけが死んだことか。それ程の大爆発であった。
「ゴキブリじゃないよ。カマキリのカマを持つゴキブリ、が近いかな?」
「ご丁寧に解説どうもありがとう!」
怒りに任せて雷を乱発する彼女は大きな戦力だ。と言うかルナさんが居なきゃ無力だろ、これ。トンプさんとダルンダルノ明美さんのパーティー、ポイさん。そうした魔法士の力は大きいが、その中でもルナさんは飛び抜けている。
何せ虫の数が多すぎる。そして減るどころか瞬く間に増えていく。夜空を、家々の隙間を、通りを、自在に飛び回る虫群は捉えるだけでも一苦労だ。これはマズいな。
ヘラくん、と俺を呼ぶ声。彼がこの場にいるのはありがたい。
「なむざ、もっと光が要る! 松明でも篝火でも何でも良い! 怯えるだけの自警団の尻を蹴り上げて仕事をさせろ!」
大盾を構えたタチミツさんが通りを疾走してくる。首の吊るし紐が切れたらしく、半ば引きずりながらギルドメンバーに指示を出し檄を飛ばす。背後にはミニマリズムさん。もっと護衛をつけて欲しいものだが。
「タチミツさん――」
――俺はどうすれば?
そう聞こうとして口を噤む。その質問の何と重いことか。俺は何度、彼に訊ねただろうか。
「ヘラくん、きみにはあの門に向かってもらう! 虫を生み出す管を排除してくれ! アレには魔術も魔法も効かない!」
だが、タチミツという男は半端でも未熟でもない。冷静に俯瞰する力、迅速な判断、適切な人選、的確な指示。どれを取っても一流で、背負う者としての覚悟がある。
応えないとな、彼にだけは。
「ヘラくん、いけるか⁉︎」
「いつでも」
「ルナリアスくん、切り拓いてくれ!」
「がってん!」
聞いてくれ。タチミツさんは怒鳴るように続けた。
「あの管は虫を生み出すだけではない。神殿が持つ権能を奪取している。完全に掌握されるまでの時間が――」
残り3分と少し。権能とはつまり死に戻りだ。急ぐ必要がある。
「行って来ます」
「任せた!」
ああ、任されたぜ。
「行くよ、ルナさん」
「行こう、ラーさん」
門に向かって疾走。先導はルナさん。視界の先には無数の虫。耳障りな音を立て、大群でもって通りを埋め尽くしている。近づけば近づくほど密度が増していく。ソロじゃ“竜人特化”を使っても神殿まで辿り着けないだろう。
ホーリーランスは焼石に水。刀を振るえばダメージを負う。一歩が遠く、重い。虫は幾らでも湧いてきて、撃ち落とした以上に数を増していく。
けど、一人じゃあない。
前方に、プレイヤー達。
「行け、鬼人!」
「ヘラくん頼んだよ!」
明美さんとトンプさんが様々な魔法を撃ち出して虫群の一画を爆破させる。
「ヘラっち行けー!」
「虫さんコチラっしょ!」
「余裕かましてるとアンタ死ぬじゃん!」
「キモい! キモいですわ!」
「ほらほらぁ、ちゃんと戦いなさいぃ」
やはり“十二戦士”は別格だ。なかでもティータンさんとちーころさんは特に。虫を引きつけ的確に削っていく。
「神討ち隊! ここいらが死に場所だ!」
『おおっ!』
隊の皆んなが俺達を囲んで走る。後詰めのメンバーが魔術や魔法を放ち、爆発の中に一人、また一人と飛び込み、彼等が倒れれば別の一人が飛び込んで削っていく。
「ラーさん、行っけぇええ!」
ルナさんが幾筋もの雷を発生させる。周囲の建造物すら巻き込む大爆発。その爆炎を突き抜ければ。
「遅かったじゃないのよ」
風を集約させたポイさんが待っていた。その風が俺を包み込み、上空へと射出する。
「カッコ悪いとこ見せないでよね」
「お任せください、姫」
言って、宙を舞いながら二刀を握り締める。残された時間は1分。管は36本。増え続けながら迫り来る虫群。
少し迷う。“竜人特化”を使うべきかどうか。呑み込まれるのが怖いわけじゃない。ホーリーランスを使えなくなる事がどう影響するかを考える。
管は神殿の屋根全体に伸びている。虫群も多い。魔術がなきゃすぐに死ぬだろう。とは言え残された時間は僅かだ。平常の世界では管を切断できるかも分からない。
さあ、どうする。
「ヘラ、様っ!」
屋根の上に立つのはヨミさん。青い長髪は焦げおち、全身が爛れ、決意の表情で俺を待っている。両手から力強い輝きが放たれ、それは金の瞳も同じだ。
迷いも葛藤も抑え込んで視線を前へ。ポイさんの風が背中を強く押す。狙った先は神殿の屋根だ。
着地と同時に踏み込む。だって、ヨミさんの強化はすでに為されている。全身に力が漲っている。
「ん。最っ高のタイミング」
「お任せっ、しま、したわ!」
「行ってきます」
「お願い、しま、す――」
青白い炎に焼かれる彼女を見送って。
管の位置を把握。虫群は前後左右の四方から迫っている。
手近の一本を切り裂けば、切断面から黒い汚泥が溢れ出る。否、虫だ。扉から垂れ下がるだけになった管から夥しい数の虫が湧き始めたのだ。
「クソったれだなぁ」
管を切断すれば虫の増加速度が加速する。だが当然、切らなければならない。
なら、やれる事を全力で。
「ホーリーランス、ホーリーランス――竜人特化」
移動の瞬間に“竜人特化”を発動。当然、“迅雷”も。すぐに解除し、管を切り裂きながら、また虫群に向けてホーリーランスを撃ち込む。
把握すべき事と為すべき事が多すぎる。虫群の位置、管の位置、魔術を向ける方向と数、“竜人特化”の発動と解除。
第四のゲージはいよいよ底に達しかけ、視界の端ではカウンドダウンが進んでいる。既に30秒を切り、残る管は16本。ヨミさんのおかげで戦えちゃいるが、このままじゃとても間に合わない。
虫が邪魔すぎる。溢れ出した奴等は巨大な群れを形成し、四方から襲って来る。せめて二方向だけでも何とかできれば。
ルナさんは駄目。迎撃の主戦力だ。ポイさん、トンプさん、明美さんも同様。“十二戦士”と“神討ち隊”は満身創痍で、死に戻ったヨミさんを護衛しつつ、また彼女によって強化されているから戦えている。
虫はいよいよ家屋にも突っ込み始めた。それを防ぐために人手が割かれている。
「クソっ!」
こうなれば自滅覚悟で――
「遅くなってすまないっ!」
「――あ?」
ああ、忘れてた。もう一人、俺と同じ領域に立つプレイヤーがいるってことを。
そいつは背後に立つと、不可視にして不気味な腕と無数のナイフ群を召喚した。
「神閃っ!」
さあ、これで役者は揃った。勝ちを決めようか。




