77話 守護者の意味
巨人の群れが東門に到達している。ジークフリードさんはそう言った。破られるのは時間の問題だと。
彼以外にも六名の隊員がいる。部隊を分けたのか、それとも。
「死んだ人は?」
「誰も彼もがペナルティーを受けている。だが神討ち隊にはいない……今のところは」
ドワーフとエルフについては分からない。確認する余裕など無かった。プレイヤーは多くが死に戻っていて、それでもアイテムを駆使して最少数にとどめている。ルナさんと“十二戦士”を筆頭に迎撃へと転じており、カウンタープランが上手く機能すれば時間稼ぎくらいにはなる。
そう、ジークフリードさんは淡々と語った。先ほどの慌てた様子は消え去り、どこか安心しているようにすら感じる。彼を象徴する硬い表情の中に希望が見え隠れしている。
「……隊長殿が万全でいる。それだけで希望が湧くものだ」
視線から感じ取ったのか、そんな事を言う。
夜闇の中を八人で駆けて行く。当然に巨人の襲撃に遭うが、俺とジークフリードさんが先頭に立って殺していく。彼となら苦にならない。夜の彼は強い。“竜人特化”を使わなければ負けると感じるほどに。巨人の数体など足止めにもならない。さすがは勇者だ。
速度は落ちている。“竜人特化”を解除しているからだ。さすがの彼等も竜人化した速度には全く着いて来られないだろう。その遅さが何とも腹立たしい。
余計なことをしてくれたとも思うが、彼等が来てくれて良かったとも感じる。あのままではゴッドレス到着までに第四のゲージはゼロになっていた。冷静さを欠いていたのは俺の方だ。
「神殿に異変は?」
「まだない。ヘーエルピスと幾つかのパーティーが警戒と偵察に当たっているが、それらしきものは発見できていない」
彼の返答によって様々なものが得られた。
まず、剛くんはやり遂げた。無事に死に戻りを果たし、タチミツさんに伝え、色々を把握させた。
次に、情報網に回復が見受けられる。最前線で戦っていたジークフリードさんが中の状況を把握しているのだから、何かしらの方法で伝達手段を確保したのだろう。
そして、対策が進められている。詳細は分からないものの、タチミツさんならば情報を無駄にしたりはしない。
懸念すべきは神殿の位置。都市の中央に位置するために東の草原からは時間が掛かる。巨人の相手をしながら即応するのは難しい。
戦力をどう分割するかが鍵だ。とは言え余裕もない。ファーストエリアボスに匹敵する怪物の軍団が相手なのだから。
まあ、やるしかないのだけれど。
「神討ち隊は全員生きていますか?」
「…………先ほど死に戻った者はいないと言った筈だが」
そう、だっけか?
「隊長殿、大丈夫か? 柔弱に見えるが……」
ジークフリードさんから怪訝な視線を向けられる。他の六名からも。
「問題ありません。激闘だったので少しばかり擦り減りました。すぐに回復します」
「ならば良い」
何がかは言わず、彼もまた尋ねなかった。他のメンバーも表情に出た疑問を押し込んでくれる。
「ジークフリードさん達は何故ここへ?」
「敵数の把握」
短い言葉による返答が伝えている。もはや会話をしている余裕などないのだと。
「ここまでの巨人は大方殺して来ました。この先にいるのが敵数だと考えてください」
「了解した」
襲い来る巨人を殺しながら前へ前へと駆けていく。マップによればもう間もなく見えて来る頃良いだ。空気も明確に変わって来た。
初めに捉えたのは色だった。暗闇に囚われていた視界が薄い赤色を拾い上げる。発されているのは間違いなくゴッドレスだろう。
次に捉えたのは音だった。激突、破壊、絶叫。戦場の音色だ。
それ等が強く大きくなれば振動を感知した。大地が揺れている。戦いの激しさを証明するように。消えゆく生命の数を表すように。込められた意志の強さを叫ぶかのように。
いよいよゴッドレスが見えた時、そこは正しく戦場だった。巨人が軍団となって防壁へと押し寄せ、そこに様々な魔法類が降り注ぐ。
草むらに身を伏せ隊員の呼吸が整うのを待つ。この時間がもどかしい。
「ヤバいわね」
隊員の一人が指差すのは東門。数体の巨人が取りつき拳をぶつけている。防衛線はすでに見当たらず、言えば防壁がそれにあたる。押し込まれるまであと一歩というところだ。
千を越す巨人達はがむしゃらになってゴッドレスへと迫って行く。上から降り注ぐ魔術魔法を受けながら、しかしそれでも前進できる耐久力は明確に脅威だ。全ての巨人が到達すればひとたまりもない。
無数の松明と飛び交う魔術魔法がゴッドレスと草原を赤く染めている。流された血の多さを証明しているかのようだ。
胸の内がひどく騒いでいた。今すぐにでも飛び込みたいと叫んでいる。殺しの中に、埋もれていたい。
呑まれるな。今だけは。
「隊長殿、急ごう!」
「……待ってください」
門に異変あり。
強固に閉ざされるべきそれが開いていく。隙間に見え隠れするのは銀の鎧を着込んだ一団。二百名ほどの全員が馬に似た獣に騎乗している。誰も彼もが血に塗れ、呼吸を荒げて。しかし眼光鋭く、戦意をたぎらせて。
ダシュアン・ドワーフ戦士団。彼等が打って出る。騎兵の本分は速度を活かした遠距離攻撃だ。しかしドワーフは魔術など使わないし弓も撃たない。つまりあの二百名は本隊が門を潜るまでの時間稼ぎ。決死隊だ。
「ドワーフ達に同調します。間もなく飛び出してくる」
「なに? ……同調するのは良い、だがどのようにして?」
「彼等は高速でもって草原を進むでしょう。敵を撹乱し、多くを引きつけ、がむしゃらに殺していく」
たとえ何人が死のうともだ。ギ・シャラヤという戦士はそれが必要だと理解している。
クソったれ。プレイヤーは何をしてやがる。ドワーフは死ねば終わりなんだぞ!
「俺達はあまりにも少数ですが、だからこそできる事がある」
「具体的には?」
「静かに前進。敵の中心にて、彼等が飛び出しやすいように暴れ回ります」
「巨人を集めると? しかし上手くいくか?」
できるさ。今の奴等は暴走状態だ。目につく生命は必ず終わらせに来る。
「ここまでもそうでしたから」
「確かにな」
「俺達は殺すことよりも引き付けることを優先。巨人を集めるために暴れます」
激戦になる。たった八人で無数の怪物に囲まれようと言っているのだから。だが、ただの八人ではない。
「暴れるだけの簡単なお仕事ね」
「派手に、だな」
「激しくやってやろうぜ」
背後の七人は笑っていた。苦境こそを求めていると言わんばかりに。
「ジークフリードさん、しっぴんさん、ピルタスさん、朝比奈さん、こらしょさん、静音さん、ヘビーウェイトさん」
名前を呼べば、やはり七人は笑った。恐れを感じない仲間たちの何と頼もしいことか。互いのために戦い抜くと決意した仲間となら万軍にも立ち向かえる。
さあ、始めよう。ゴッドレスに俺の存在が伝わるようホーリーランスを空高く撃ち上げて。
「前進」
駆ける。巨人がひしめく草原を。殺意渦巻く戦場を。可能な限り気配を殺し、ひたひたと、しかし高速で。
背後の息遣い達はひどく落ち着き払っている。闘気を抑え込み、解放する時を今か今かと待っている。怯えも興奮もなく、ただ自然体で怪物の隙間を縫って行く。
いよいよ本隊が飛び出そうかというタイミング。その瞬間に雷が発された。衝撃波すら放つ閃光が、防壁に取り付かんとする巨人達を痛烈に焼いていく。ルナさんがあそこで戦っている。
ここをシャラさんが見逃すとは思えない。
「行くぞ!」
ホーリーランスを乱発。“薄刃伸刀”を発動し、“迅雷”の速度を頼りに巨人を切り裂いていく。
太い四肢がごろごろと転がり、濡れた大地に血が降り注ぐ。踏み込めば、吸い込みきれない赤色を溜めた土が跳ね上がる。粘つくそれが漆黒の鎧を汚していく。
巨人の反応は激烈だった。ゴッドレスの存在など忘失したように群がってくる。なりふり構わず突進し、飛びついて来る。戦闘開始から間もなく巨体の壁に囲まれた。その圧力たるやさすがは巨人だ。
良いね。狂乱でもって都市へ攻め寄せられては防ぎきれない。もっと来い。さらに集まれ。俺達に意識を向けろ。
――おおおおっ!
喊声。決死隊が出る。うまく使ってくれよ、俺達の存在を。
「おいっ、しっぴんが!」
「マズい! 死に戻るぞ!」
隊員の一人が背中をかち割られる。即死してもおかしくない一撃に耐えるとはさすがトップランカーだ。
「ヒール、ヒール、ヒール」
全員に回復を施し、なおも巨人を殺していく。
「楽に死に戻れるとは思うな! 神経を焼き切るまで戦ってもらうぞ!」
我ながらあまりにも酷い言い草であった。しかし、周囲から返されたのは笑い声だった。
「ははは! まだ戦えるってよ!」
「さすがは隊長殿! 我々をよく理解している!」
「よっしゃ行くぞー。隊長の近くにいれば回復してもらえるしな」
「攻撃だけ考えてれば良いってことね!」
「楽で良いな」
「ぐえ、俺、死にかけたか?」
「下手くそなんだから! もっとバランス良く戦いなさいよ!」
騒がしく言い合う彼等彼女等は、しかし決して退がらない。武器を振るうことすら難しい肉の包囲網の中で殺しを積み上げていく。
「ヘラさんを救えぇええ!」
――おおおっ!
決死隊が飛び込んで来る。馬鹿野郎どもだ。俺を救うために死地へと向かったわけではないだろうに。
なんにせよ、使うなら今だ。
「竜人特化!」
視界の全てがドロリと遅行する。迫る大斧、跳ね上がる汚泥、舞い飛ぶ血、それ等をすり抜けて。
「薄刃伸刀!」
殺す。殺す。殺す。届く範囲の生命を終わらせる。たったの一振りが生命を断ち、巨体を朽ちさせる。
敵の大きさなど気にもならない。神獣とは違い関節も心臓もある。殺すのは難しくない。
『そうだ、上手く殺せ』
ああ、得意だからな。
『そうだ、お前は殺すために存在している』
ああ、これまでもそうして来た。
『そうだ、この力を使い証明し続けろ』
ああ、やるさ。簡単だ、こいつ等を殺すことなんて。羨ましいほどの巨体を持ちながらまるで活かせていない。遅行した世界に溺れるだけで少しもついて来られない。
ほら、コレも、アレも、ソレも、図体がデカいばかりのノロマだ。なんなら、この、ドワーフだって――。
「――ッ!」
「ヘラさん⁉︎」
あぶ、ない。ドワーフを殺すところだった。
「え?」
俺、ドワーフを殺そうとしたのか?
血を吐いたのと同時に眩暈がした。自分が信じられなかった。己のものではない殺意などに呑まれて、俺は、大切な戦友を……。
既に底を突きかけた第四のゲージを見る。これがゼロになった時、俺は呑まれるのか。何も分からないまま大切な人達を殺すのか。俺は、俺でなくなってしまうのか。
『いいや。それが本来のお前だよ』
本来の、俺? なら、良いか。このまま、全てを壊しても。
「隊長殿! 何を呆けている⁉︎」
「……あ?」
ジークフリードさんの呼び掛けがなければ己を保てなかったと確信できる。激しく揺さぶられなければ戻って来られなかったと理解できる。
あと一歩、ほんの数秒で呑まれていた。その時、俺は、どうしたんだろうな? 嬉々として殺したのだろうか?
『それがお前だ! 殺すことで悦びを得る異常者だ!』
「隊長殿、囲まれた! 指示を!」
「ヘラさん、我々を囮に門の中へ!」
異常者か。正しいかもな。いつか狂うかもしれない。けど、今じゃない。
信じてくれる人達がいる。生かそうとしてくれる戦友もいる。俺がいま成すべきことは、一つだ。
『殺せ! 全ての生命をだ!』
お断りだ。抗うのが好きなんでね。
ああ、そうさ。神経を焼き切るまで戦えと言ったのは俺なのだから。
「ドワーフッ、力を貸してくれ! 共に巨人を討つ!」
応える叫びが四肢に力を取り戻させる。
「神討ち隊は門へ。本隊と合流後、クリッツさんの指示に従ってください」
挑発的な笑みが心を研ぎ澄まさせる。
戦うぞ。誰かの掌の上で踊るのは真っ平ごめんだ。そいつの目的が成就するのも。
「俺に続けッ、戦士達!」
巨人を切り裂く。ホーリーランスを乱発し、前へと駆け、二刀を振るう。
ドワーフ達は騎乗での戦いに不慣れだった。“迅雷”について来られない程度の拙い騎乗操作。それでも互いに離れない。プレイヤーじゃこうはいかないだろう。
「俺達がやらずして誰がやる! ドワーフの誇りを武器に乗せ敵を殺せ!」
『誇りをこの手に!』
草原に円を描くように駆ける。狂乱でもって追走してくる巨人達。前を行く仲間を跳ね除け、踏み潰し、雪崩のようにして迫る。
「反転! 脇を駆け抜け様に切り殺せ!」
『おおおおっ!』
ドワーフ達の騎乗は見る間に熟達していった。不気味な成長速度だ。その理由を教えてくれたのはセントラルAIだった。
『職業【守護者】のレベルが上がります。対象にダシュアン・ドワーフが追加されました』
『ダシュアン・ドワーフの身体能力、各技量が上昇します』
成長しているのはドワーフ達だけではない。俺自身も調子が上がっていた。肉体のキレ、関節の滑らかさ、思考の瞬発力、刀技の冴え、全てが絶好調だ。
草原を駆けて巨人を殺していく。大きく円を描き、時には縦横無尽に。理性を失くした敵を翻弄し、一人の落馬も死者もない完璧な騎乗戦。
輝きすら放つ一団は、だからこそ敵の意識を強烈に引きつける。散らばる巨人の死体を踏み越えてさらなる巨人を呼ぶ。
激戦の中で色々が消耗していた。腕は痺れ、視界はかすみ、聴こえる音はどこか遠い。脚も痙攣している。血も汗も土も何もかもが口内に入り込んで、歯を食いしばれば粘つきを伴ってガリリと音が鳴る。
疲労感も不快感も全てを押し込んで叫ぶ。二刀を振り回し、前へ前へ。
ドワーフ達も限界だ。駆る騎獣には血を吐くものもいる。
もう少し耐えろ。本隊が打って出るまでは。
ドドン、と雷鳴が轟く。周囲を白く照らす落雷の衝撃波は巨人をふらつかせる程の威力を放った。
ルナさんが来る。
「本隊が出るぞ! 俺達は速度でもって巨人を翻弄、駆逐する!」
『おおおお!』
東門が開かれる。喊声と共にドワーフとエルフが飛び出し、プレイヤー達が絶叫を携えて防壁から飛び降り、瞬く間に陣形を整えていく。
先頭に立つのは赤色に照らされた絶世の美女。戦場を静かに見据える蒼の瞳は怜悧にして怒りの炎が盛っている。
「ルナさんッ! 俺達のことは気にするな!」
そう叫べば、彼女は笑った。相変わらず呼吸を忘れさせる悍ましいまでの美しさ。彼女とならどんな敵にも打ち勝てる。
背中の槍を抜き放ち、するりするりと陣形から進み出る。背後に続くのはギ・シャラヤさんを先頭にしたドワーフ戦士団。
『ルナリアス殿の背を追い敵を殺せぇええ!』
――おおおおっ!
誇りを感じる檄に応える本隊。何の変哲もない丸い陣。中心にはエルフ魔術士団、外側にはプレイヤー達。そこからあらゆる魔術魔法が放たれれば、すでに麻痺しかけた耳が痛むほどの轟音が響き渡った。
プレイヤーはまだまだ門から溢れ出ている。途切れを見せない彼等は誰もが武器を握り締め、決意の瞳で敵を睨み付けている。
さあ、数の優位が逆転したぞ。それも大きく大きく。
「俺達も行くぞ!」
めちゃくちゃに駆ける。本隊を強襲する巨人の軍団があればそこに突っ込み、囲まれた味方がいればやはりそこに突っ込む。
ボロボロの肉体に各種ポーションを摂取して無理矢理に前進と攻撃を繰り返す。
プレイヤー達は死に戻りを恐れず、ドワーフとエルフの盾となって巨人に向かっていく。その献身に応えるべく彼等彼女等もまた巨人へと挑みかかる。
もはや戦況は覆し難いところまで来ていた。狂乱するだけで戦術の一つもない巨人の軍団。対するこちらは明確に意図された動きで巨人を殺していく。迎撃、釣り出し、誘い込み、反撃、全てが整っている。
ファーストエリアボスに匹敵する強さの巨人は、その数を既に五百へと減らしていた。門からは今だにプレイヤーが飛び出して来る。引きこもっていた人達か、死に戻った人達か。
至るところから青白い炎が立ち昇り、そのすぐ後には巨人が倒れる。刃物か、鈍器か、魔術か、いずれにせよ殺されていく。
「門へ!」
刀で指し示せば、騎兵部隊は一糸乱れぬ隊列で門へと駆ける。途切れることも離れることもない進行は一つの生き物のようであった。
「ラーさん!」
「ルナさん!」
血を流す彼女の隣へ。銀の長髪は泥に汚れ、鎧の一部は欠損している。激戦のど真ん中にいた事は疑いようもないが、それでも死なないのがルナリアスという女性の恐ろしいところだ。
左右にはドワーフ騎兵。背後にはドワーフ歩兵とプレイヤー達。中心にはやはりエルフ達。誰も彼もが前方を睨み付けていた。迫り来る巨人を、その先に在る勝利を。
なんにせよ、東はやがて決着だ。
問題は――。
「――あ?」
ギシリと何かが軋んだ。否、世界そのもが揺れた。
『条件が満たされました。イベントが最終フェーズに入ります』




