6話 幽閉の始まり
草の上に寝転がり、酸素を取り入れるべく躍起になる。
肺が痛い。喉がヒリつく。関節が固まる。暫く動けそうにない。
でも、勝っただろ?
すぐ横に寝そべるワーウルフの巨体。全身から血を滴らせ、骨を覗かせ、肉をはみ出させて。
死んでいく。朽ちていく。これだけの生物が、俺のような弱者に嬲られて。
呆気なくて、無残で、だからこそ生を実感できる。俺は、此処で生きているのだ。
『おめでとうございます! フィールドリーダーの撃破を確認しました! 新たなるフィールド【常闇の森】への進行権利を付与します!』
『おめでとうございます! 称号【残忍なる者】を獲得しました! スキル【常勝】が取得可能になります!』
システムチックな声を遠くに聴きながら、ゆるりと上体を起こす。
今まさに消えんとするワーウルフの亡骸に手を伸ばし、朽ちかけの骨を撫でる。
「ありがと」
達成感と共に広がるのは、何とも表現しがたい感情だった。
苦しかったろう。腹立たしかったろう。ゲームのプログラムへ向ける感情としては不適切かもしれないが、生き物が痛ぶられる様は胸くそ悪いものだ。
でも選択したのは俺で、実行したのも俺だ。だから、感謝を。
「ありがとね」
さあ、気持ちを切り替えよう。
メニューを開けば、時刻は午前9時を過ぎていた。4時間も戦っていたのか。すごい生命力だったな。
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ヘラ:人間Lv.5:開拓者Lv.5/捻じ曲げる者Lv.2
スキル:【刃物の心得Lv.5】【空間認識Lv.6】
【肉体操作Lv.6】【洞察Lv.4】【暗視Lv.3】
【神聖魔術Lv.3】【魔力操作Lv.1】【二刀の心得Lv.3】
【常勝Lv.1】
独自スキル:【飢餓の切望】
称号:【闇に生きる者】【逸脱者】【残忍なる者】
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さて、色々と変わった。レベルは軒並み大きな成長を見せ、スキルが新たに二つも増えた。
一つは“常勝”。格上と認められる敵との戦闘時に身体能力が向上する。代わりに、格下から受けるダメージは増加してしまう。
単純にして、なかなか良いスキルである。
もう一つが、ワーウルフとの戦闘中に取得した“二刀の心得”。鞘を使って戦い続けた事で取得条件を満たしたのだろう。
これも効果は単純。両手それぞれに武器を持った時に、攻撃力にプラス補正が入る。やはり良いスキルだ。
「暗視のレベルが上がってるな」
実際には目を閉じていたけれど使用してはいたから。成長判定が入るのは有り難いね。
逆に“魔力操作”は変わらずだ。神聖魔術は上がっているのに。同じ数だけ使った筈だが、ふん? 何か条件があるのかな。
で、新たなるフィールドと来た。しかも権利を付与、と。
「嫌な予感がするなぁ」
前方にある森を見て、そう言ってみる。
草原とは打って変わって陳腐だ。ポリゴンで象られた木々たちと、ひとまとめに描写された葉。これはゲームですよと言わんばかりのデフォルメ感。
実のところ見えていたのだ、ボンヤリとではあったがずうっと。
よっこらしょ、と。見た目の年齢に不釣り合いな掛け声と共に立ちあがる。向かう先はデフォルメされた森。草原との境い目へ。
まるで壁だ。若しくは拙い絵。或いは張りぼて。とにかく陳腐であり、行き止まりを連想させる。
ふざけているのだろうか? 最初のフィールドだけ精巧に作り込み、あとは旧世代のゲームよろしく、こんな景色が続くとか。
「んなわけねぇか」
悪い予感は、そんなことに対するものじゃない。
作りものめいた木に触れれば、それを証明するシステムアナウンスが流れる。
『進行権利の所持を確認。新たなるフィールドを解放します』
同時に、目の前の森が劇的に変化する。そうだ。まさに現実だとしか思えない風景へと。木々の生々しい畝り。虫に食われた葉。むせ返る緑の匂い。
ああ、最悪だ。悪い予感というのはどうして当たるのだろうか。
「旅をしたければボスを倒せと」
世界を観たければ強さを身につけろ。そう言われたに等しい。
戦いは好きだ。正確には、好きになった。けれどもそれは楽しむ手段の一つであり、俺にとっての目的ではない。
問題は、フィールドとエリアだ。広義として似た意味合いであるこの二つは、しかしこの世界において明確な違いを持つ。フィールドは限定的であり、エリアはより広い範囲を指す。
俺が今いるのは『東ガザン大森林』エリアの、『風切り草原・奥地』フィールドだ。
つまり目の前に広がる森こそが本番であり、新たなエリアへと進出するには攻略しなきゃならない。
「街に戻ろうか」
落ち込んだのです。それはもう激しく。
これは長く引き摺りそうだ。
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トボトボ。そんな擬音が似合う無様で弱々しい疾走だった。目指すは街であり、癒やしでもあった。
普通ならログアウトするのだろうけど、俺にとってのそれは地獄を意味する。なるだけ此処に居たい。仮想だろうが幻想だろうが、健康な肉体を持つ自分のままで。そう在りたいのだ。
沈んだ精神は底をみつけられない。この数年間、後ろ向きに浸かり過ぎている。抜け出す方法など分からず、今いる世界への希望がそれにあたる。
なのに、だ。
奪われた。勝手に抱いた希望を、勝手に取り上げられた。知れたはずだ、事前に。根本的な仕様に関する情報くらい開示されて然るべきなのだから。
悪いのは俺、なのだよなぁ。
その事実がさらに精神を沈めさせる。悪い事ってのは重なるもので。
「あっ。飢餓の切望……」
使うならワーウルフは絶好の敵だろうに、何をやっているんだか。
「ヴァフッ!」
散発的に敵が襲い来る。やはり狼たちで、しかし昼の彼らには脅威を感じない。
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キラーファング:獣Lv.3
牙狼属/風切り草原・奥地/陸棲
スキル:バイト
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ほら、弱い。夜と昼じゃレベルが違うし、何より動きの躍動感に格段の差がある。
夜は手強いのだ。強く、速く、狡猾だ。彼ら本来の姿なのだろう。何より視界が悪すぎる。
もう一つの発見もあって。
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キラーウルフ:獣Lv.1
狼属/風切り草原・奥地/陸棲
スキル:バイト
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「きみ、別種だったのか」
サービス開始直後に出会した数体の狼は、より弱い種であった。チュートリアルをクリアしていなかった為に名前の確認が出来ていなかったのだ。
実はこれ、気付ける手段はあったわけで。
「アイテム名が違うじゃんね」
そうだ、違うのだ。そもそも肉体が大きくなっていた。レベルの違いが反映されていると決め付けていた。
まあ、どうでも良いや、今は。
などと思いつつも戦闘を続けていく。正直なところ退屈だ。意識せずとも勝てるし、心が燃えることもない。
プレイヤーと出会す機会が増えたことも鬱陶しい。街に近づくほどに多くなり、今では彼らが群れを成して小型の獣を狩っている。
まるで機械だ。決められた手順だ。
アレは大きな兎だろうか。夜には見かけなかったから低級の獣なのだろう。
それに群がるプレイヤーたち。連携とも呼べない集団による虐殺。彼らから感じる投げやりさは、いったいどのような感情によるものなのか。
ああはなりたくない。絶対に。
「やっぱりソロだなぁ」
と、思う。別に経験値を独占して強プレイヤーになりたいとか、攻略の最前線を走りたいとか、そういった考えなどない。
でも、俺って、意外とやれるのではなかろうか。そう思ってみれば、沈んだ気持ちが浮かび上がって来る。現金なものだ。
そうしたら、ほら。
「すんごい景色」
サザと鳴る平原。鈴蘭に似た小さく白い花弁がふわりと揺れている。
空には見上げずとも視界に入る大きな大きな天体。青と白のグラデーションが美しい。夜には無かった筈だ。自転か。本当にこの星を回しているのか、時間で隠しているのか。
「素晴らしいな」
気分は良くなるばかりだ。さっきまでの落ち込みはどこへ行ったのやら。
まぁ俺なんてそんなものなのです。
街へと入り、大きく息を吐き出す。何だろう、緊張していたんだなぁ、と。
実感なのか確認なのか、よく分からない心の機微を無視して歩く。そうしていると、ふと気づいたことがある。
「なんか変わりましたね、雰囲気」
街は変わらない。違うのはそれこそ夜と日中の空気感くらいのもので、素晴らしい街並みが続いている。
石造りの建造物は美しく、理路全然とした建築計画が伺える。世界観と技術力の差異に対するツッコミを押し込めば、この景観だけで感動に値するのだ。素敵なのですよ。
変わったのは、人だ。正確にはプレイヤーたち。
俯く者、放心する男、泣いている女性。ネガティブな雰囲気をこれでもかと振り撒いて。昨夜の喧騒が嘘かのように誰も彼もが悲壮感を浮かべていて。
そんな空気を斬り裂いて歩く一人の男。見た目は30代の半ばで、身長は俺と同じくらい。
顔の作りはまさに日本人である。威風堂々とした歩行は見習いたくもある。青白い肌に赤い瞳。魔人ってやつかな。
話しかけるなら彼だろう。他の人たちは会話を成立させるのも苦労しそうだ。
「すみません。幾つか質問をしても良いでしょうか?」
「ん? 良いが」
見た目と違って気さくな人らしい。やはりこの世界じゃ運が良い。
「何かあったのですか? 皆んな沈んでいますけど」
「きみ、それは本気で言っているのか?」
彼から放たれた感情を言葉にするのは難しい。困惑だとか、怒りだとか、疑いだとか、そうした負の感情を一つにまとめた波動のようなものがある。
「すみません。サービス開始直後からずっと戦っていて」
「……今まで、ずっと?」
「ええ、ずっと」
「開始直後って、どれくらい?」
「恐らく、5分も経っていなかったかな、と」
実際には1分も経っていなかったけれど。
ここまで言って、少しの感動を覚える。プレイヤーとは言え、彼は人間だ。人と会話をするのは何年ぶりだろうか、と。
「死に戻りの経験は?」
「ありませんが」
「どこまで行っていたんだい?」
「“常闇の森”の入り口、ですね。正確には入っていませんけど。風切り草原のフィールドボスを殺して、撤退して来ました」
「……声を、落としなさい。今のことは本当かい?」
ああ、疑いたくもなるよな。俺だってあんなに遠くまで行けるなんて考えちゃいなかったもの。けれども真実なわけで。
「なん、という事だ。良いかい? 今話したことは誰にも言ってはいけない。狙われたくなければね」
キナ臭い言葉を選ぶじゃないか。それは誰に、若しくはナニになのか。
いずれにせよとやかく言われる事ではない筈だ。俺は健全にゲーミングしているだけなのだから。
そう言えば、目の前の彼が眉を顰める。
「本当に知らないのか」
だから知らないんだってば。
「ログアウト禁止になったんだよ」
ん? なんだって?
「正確に言うなれば、ログアウトも新たなログインも出来ない」
思考が、全身を、高速で駆け巡っていた。これまでに感じていた、または言葉や感情では表現できなかった違和感が、途端に噴き出した。
試しにメニューを開きログアウトを選択。灰色に塗り潰されたその文字は何の反応も示さず、いくらタップしたって何も起こらない。
なるほど。外で兎を殺すプレイヤー達の投げやり感は、これが原因か。
あのタイミングか? ゴア表現がリアルになった、あの時にログアウト禁止になった?
おそらくは正しい。意味としては分からないけれど。
「ログアウトの条件は?」
「分からないそうだ。しかし、プレイヤーによるゲームクリアが達成されたら解放される確率が高いそうだ」
「ゲームクリア?」
それって何を指すのだろう。このゲームにはラスボスなんて存在していないと記憶しているが。
「不明だよ。少なくとも現時点ではね」
さてさて。どうやら悠長なことは言ってられなくなって来た。
妻と、二人の娘。その泣き顔が浮かんでは消え、また別の泣き顔が浮かんで来る。
会えないのか、三人に。妻にさよならすらも言えず、二人の娘に未来もやれない。
ふむ。どうやら最前線を走る必要が出てきたらしい。




