35話 ダシュアン平原での決戦
鬼顔の面被りを外し、顔全体で夜風を浴びる。
空に浮かぶ大きな天体。それは青と白のグラデーションに輝くこの世界の月だ。
それをしばらく眺めて、視線を前に。
広がる乾いた大地。背後には殺気立つダシュアン・ドワーフ。正面には、山脈を背負って同じように殺気立つエルフ達がいる。
ダシュアンとショーイカの中間。荒野と山脈が混じり合う場所。互いの全戦力が此処にいる。老いも若きも、男も女も、全てが。
「壮観だね」
山の斜面から這い出る大量の死霊騎士。何体いるか分かったものじゃない。“死床山”での経験から予測するに、二万は越えていそうだ。
俺のずっと背後にはブバン・ズルーの大群がいて、やはり万を越す亜竜はゆっくりと前進している。
大戦になる。ぶつかるまで数分と言ったところ。多くが死ぬだろう。互いにだ。しかもそれは、どちらかが滅ぶまで終わらない。
まさに血みどろの争いだ。操られているのが何とも悲しく、しかし憎み合っているという心の隙間を利用された事実が何とも皮肉だ。
すぐ背後に立つギ・シャラヤさんから全員が揃ったことを伝えられる。彼の後ろには二千を越すダシュアン・ドワーフ戦士団。彼等は彼等であり、操られても殺気立ってもいない。
だが。
「我らは同胞と共に」
民を見捨てられるわけがない。共に先祖の罪を背負い、故郷へ帰るために闘ってきた同志達を。たとえ操れているのだとしてもだ。
それはやはり、向こうも同じな訳で。
「当然の選択ですね。その時は俺も共に」
「しかし、ルナリアス殿が」
「ああ、良いんですよ。俺たちは死なない」
結局のところ、解決策は見つからなかった。策なんて立てられる筈もなく。
『ラーさん……』
エルフ達の先頭に、ルナさん。夜の闇に浮かぶ彼女は神々しくて。聴こえた声は凛と響いて。
彼女の背後には千五百のショーイカ・エルフ魔術士団がいる。彼等彼女等も冷静に見え、しかし決意の覚悟を覗かせて。
『戦争、だね』
ブバン・ズルーが鳴らす地響きの中に透き通る声。
死霊騎士が鳴らす武具の騒音を突き通す声。
それはとても悲しげだった。
「仕方ないよ。やろう」
ブバン・ズルーの大群が停止する。死霊騎士達も同じく。
訪れる静寂。夜風が気持ち良い。
二刀を抜く。鬼顔の面被りを装備すれば、心に冷たい炎が灯る。
『ラーさん、お願いします』
向こう側で槍を構えるルナさん。こちらへと先端を真っ直ぐに伸ばし、瞳は覚悟で彩られている。
どうなるにせよ戦いは避けられない。絶対に変わらない事実だ。
でもまあ、やれる事を。
あまり、向いてないと思うのだけれども。
「聞けぇええ!」
精一杯の大声。腹の底からそれを出す。喉を潰すつもりで。
「勇猛なドワーフよ! 英明なエルフよ!」
想いなんか乗せない。ただ、称号である“違背者”に力を注ぐつもりで。世界を捻じ曲げるイメージで。俺自身の脳に語りかけて。
「お前達の望みは何だっ! 戦いか⁉︎ 殺し合う事か⁉︎ 互いの滅亡か⁉︎」
残された可能性に賭ける。それこそが俺とルナさんが打つ一手だ。
そう決めたのは数時間前。戦争を回避するために話し合っていた時だった。
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『なんだか気が抜けちゃったよ。ラーさんといると毎回こんなん。上手く戦争するしかないかな』
呆れて言うルナさんに、さらに呆れさせる事を言う。
「大丈夫だよ。何もできなかったら、その時は力尽くで行こう」
『力尽く?』
そうさ。どんな策もどれだけ優れた戦略も、それ以上の力には屈せざるを得ない。
成す為の力は持っている。
「俺、変な称号を持ってるのさ。“違背者”ってやつ」
『いはいしゃ?』
「うん。説明によると、世界の理を破る行動の成功率が上昇するらしいぜ」
使えそうじゃんね? と問いかけてみれば、やや間を置いてアハハと笑うルナさん。
『ラーさんは何でもありだからねー』
「爽快でしょ? 決められたルールや周到に用意された策をさ、真正面からブチ壊すのって」
『分かる。良いね、力尽く。私の想いもラーさんに預けるよ!』
学生の悪ふざけみたいなノリだった。そんな軽い雰囲気で決めたのだ。策とも呼べないそれを。
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言い出したのは俺だから。やるべき事を、やれる事を、最大限以上にやる義務がある。
「ドワーフ達よっ! 誇りを捨てるのか! そうして故郷に帰った時、お前達は誇れるのか⁉︎ お前達に紡がれて来た想いは成就するのか⁉︎」
言葉はなんでも良かった。想いは必要じゃなかった。大切なのは“違背者”を駆使して言葉を届ける事だった。
「エルフ達よっ! この選択は正しいのか! そうして証明された時、お前達は信じられるのか⁉︎ お前達が紡いで来た魔術に胸を張れるのか⁉︎」
彼等の為ではなかった。彼等を導きたいとも思わなかった。ただ、決められた道を進むのが嫌だった。
ヘラというプレイヤーが、クリエイターのルールをブチ壊せると証明したいだけなんだ。
「思い出せ! 己の主人が誰なのかを!」
安い言葉。安直な力任せ。
だから、誰にも響いてはいない。少なくとも見た目には。
――ブレイブ
凛とした声と、甘い香りが広がった。それは風に乗って荒野を走り、胸に熱い火を灯していく。
心が洗われる。意思が固まる。そうして、勇気の意味を知る。
「戦いとはなんだ⁉︎ 武器を握り魔術を放つ時だけをそう呼ぶのか⁉︎ 土と向き合いっ、知識を繋げる事もっ、未来への戦いだっ!」
脳が蠢いていた。その力がどういうものかを理解した。ルナさんからのブレイブによる後押しが更にそれを加速させた。
「お前達は何を選ぶ! 憎しみを利用され殺し合うことか! 操られたまま目の前にぶら下げられた甘い蜜に集ることか! それともっ――」
だから、確信した。これは、絶対に、破れる。
「――信奉する神の意に反してでも、自らが決めた信じる道を進むことか」
それは波紋のように広がった。ひどくゆっくりと。しかし確実に。
それは雪崩れのようでもあった。小さな理性ある声が一人から。しかし複数の勇猛なる叫びへと。
「我ら、ダシュアン・ドワーフ……。先祖の罪を背負う者!」
「勇猛なるドワーフ! 自らの力で土を切り拓く者!」
轟々と。ドワーフの唄が鳴っている。大地を震わせ、勇ましく。
「我々は、ショーイカ・エルフ……。先祖の意志を紡ぐ者!」
「聡明なるエルフ! 自らの知恵で理を築く者!」
堂々と。エルフの歌が流れている。空気を澄ませ、美々しく。
「そうだ! お前達には受け継ぐ意思と進む意志がある! 信ずる神がその手を血に染めろと求めるのならっ、お前達はどうするッ!」
灯った小さな炎に燃料を焚べる。唆してるのかもな? 構わない。俺はわがままなんだ。神の薄ら笑いを蹴っ飛ばせるのなら何にだってなる。だから想いなんか乗せない。
「それでも怯えがあるのならっ、見ろ! このヘラとルナリアスを! その背中についてこい! クソったれな操りもっ、ふざけたからくりもっ、俺達が蹴散らす先頭に立ってやる!」
二刀を突き上げる。闇にギラリと光るそれが荒野を照らす。
「ドワァァーフッ! 哮ろっ、哮ろっ、哮ろっ!」
喊声。
「エルゥゥーフッ! 進めっ、進めっ、進めっ!」
喊声。
「俺達が照らしてやる! 俺達が思い出させてやる! 進むべき未来を! お前達の主人が誰なのかを! 手に握るべきは何なのかをっ!」
再びの喊声。
「武器を持て! 魔力をこめろ! 真の敵を定めっ、勇気でもって殺せぇええ!」
――うぉおおおお!
駆ける。前方から走り来るルナさん。視線が蒼色の瞳と交差する。すれ違う瞬間に互いの手を握る。
『カッコ良かったです』
『照れます』
あとはあの二人が上手くやる。ドワーフの先陣に立って来た男と、エルフの陣頭を執って来た女が。それぞれの陣営に最も信頼される二人が。
「ドワーフよ! 幼きを守れ! 残りはルナリアス殿に続きっ、ブバン・ズルーを殺せっ!」
「エルフ達! 弱きを守って! 他はヘラ様を追いっ、死霊を滅しなさい!」
思わず笑いが漏れる。フレンド通話を聴くに、ルナさんも。
さすがだぜ、ドワーフもエルフも。呪縛から解き放たれてすぐに理解しやがった。自分達が倒すべき敵を。互いを守る術を。
託されたものは重い。唆したのは俺で、わざわざ責任を背負ったのも俺。
だから、ここからは二刀に想いを乗せる。
「行くぞっ、エルフ達! 俺の背中を追え!」
周囲から喊声。それを追い抜いて、置き去りにして、死霊の集団に飛び込む。
簡単な選択だった。死霊騎士はエルフに敵対しない。しかし俺は敵と見なされる。囮役には最適だ。
つまりブバン・ズルーは逆になる。ドワーフには攻撃せず、手近な敵であるルナさんへと殺到する。
一人も死なせない。ドワーフもエルフも。それを成す為の選択。さらに言えば、俺は死霊騎士を一撃で殺せ、ルナさんはブバン・ズルーを容易く狩れる。
問題は、彼等がどれだけ俺達を信じられるか。
「エルフ達っ!」
「ドワーフの皆さん!」
二刀を振るう。揉みくちゃだ。殺したぶんだけ傷付く。“先見の眼”が損傷を負う数瞬間前に知らせてくるが、当然さばける筈もなくって。
だから必要なんだ。俺にとってはエルフの魔術が。ルナさんにとってはドワーフの猛攻が。
「俺を信じろ!」
「私を信じて!」
「お前達の魔術は絶対に当たらねぇ!」
「貴方達に魔法は絶対に当てません!」
「思うままに撃ち込めッ!」
「感じるままに暴れてっ!」
斬られ、血を吐き、そうしながらチノメルさんを見る。視線に意志を乗せれば、彼女が力強く頷きを返す。
「エルフ達っ、ヘラ様を殺せるものなら殺してみなさい!」
良いね。どんどん来やがれ。こちとら最高の魔術士に鍛えられてんだ。お前らの魔術なんか目を閉じていたって躱してみせる。
「撃てっ、撃てー!」
「こいつ等をドワーフの元に向かわせるな!」
「救うわよ! ドワーフを!」
ああ、そうだ。それで良い。
「戦士団を先頭に!」
「一匹たりとてエルフを襲わせるな!」
「我等がエルフの盾に!」
ああ、流石だ。それでこそだ。
だから、俺は俺のやるべき事を。自分に潜って、脳を脈動させて、意識を殺しに集約する。
頭上。俺を中心に炎の雨が降って来る。予測し、予感し、その先を読む。
そうすれば、ほら――殺しへの道が拓けた。
「うははっ! 悪いな、死霊ども。一体も逃がさない」
膨大な量の魔術が降り注ぎ、迫り上がり、目を焼くほどのエフェクトが走る。一瞬でも気を抜けば本当に殺されそうだ。
前へ。前へ。前へ。二万の中心へ。“迅雷”で駆け、二刀を振り回す。敵を、宝珠だけを視る。
驚異でもって脅威となれ。惹きつけて引きつけろ。全ての死霊を俺へと集めろ。
「ぐ! かぁ! ゔぇええ!」
無傷じゃいられないよな。敵の攻撃とエルフの魔術の真っ只中にいるんだ。分かってるさ、そんな事は。
でも、だからなんだ? 肉体の痛みは真の痛み足り得ない。進む恐怖は本当の恐怖じゃない。
無の痛みを、絶望の恐怖を、お前達に植え付けてやる。
殺せ。殺せ。殺せ。死霊なんて馬鹿げた存在に思い出させろ。死への痛みと恐怖を。
軍団? 二万の死霊? 良いだろう。何時間でも何日でも続けてやる。お前達のことごとくが死へと還るまで。
それが教えてくれるんだ。今、俺が、紛れもなく生きている事を。
――解放しろ。殺しの思考を。
「うははははっ!」
斬るのだ。ただ、斬るのだ。命の源たる宝珠を。
終わらせるのだ。ひたすらに、終わらせるのだ。歪に与えられた命を。
あとは何も要らない。全てどうでも良い。
殺しに熱中し、殺しに埋もれていく。
これまでと同じく、ここまでと同じで、殺しの先に自分の生を見出すのだ。
そうさ。俺の特技、殺し。俺の特化、殺し。
それで良い。それが良い。
殺しで全てを埋め尽くせれば、ああ、最も俺らしいではないか。




