32話 殺意の情火
荒野を駆ける。
前へ前へ。ブロック化した部分のマップを頼りに密林を目指す。
日が中天に差し掛かり、気温すらも敵になる。肌を焼くそれを感じ、それすらも楽しむようにして。
荒野を駆ける。
前へ前へ。襲い来るブバン・ズルーを跳ね除けながら。
足を止めず、しかし確実に殺す。決して囲まれないように、時には遠回りをして。
「ゼッ、ゼッ、ゼッ」
背後から聴こえる苦しげな呼気。ルナさんのスタミナが枯渇しかけている。
「ゼッ、……フッ、ふぅぅぅー」
スタミナポーションを使ったか。空瓶を投げ捨てて、口の端を拭って。
「行けます!」
獰猛に笑う気配。頼りになるな。頼りにしてるよ。
彼女を背後に感じて、彼女から向けられる信頼を受け止めて、道を切り拓いていく。
心が躍動していた。彼女と共に在れることに歓喜していた。
この、感覚。失くした半身を取り戻したような。焦がれていた存在と巡り会えたような。
出会って間もない筈の彼女に、そんなものを感じる。これは、ゲームの、システム的なものなのか?
違うのだとしたら、何なんだ?
「ん」
もうそろそろだ。荒野の中域を越えた此処いらが、一つの境界線になる。
ほら、来たぞ。
前方。キィキィと甲高い鳴き声を上げて。砂煙を上げて。まるで群れ全体が弾幕を模すようにして。
『猛撃が始まる! 此処からが本番です!』
パーティー通話でそう伝えれば、背後から感じる強い闘志。
「がってん! まかせろっ、相棒!」
彼女の怒声を遮るようにして地響き。ブバン・ズルーの、群れ、群れ、群れ。
「いっくよー!」
背中に突き刺さる濃密な魔力。それが形を成し、存在感を持ち、敵意を放つ。
射出。同時に、前方の地面が迫り上がる。空から広範囲に降り注ぐ。
野性的な悲鳴を呑み込むそれ等を見て、加速。
「おおっ!」
飛び込む。
暴力的でありながらも幻想的な世界を駆け抜ける。
奥へ。ルナさんが創り出した“死”をさらに加速させる。
魔法を避けて、斬る、斬る、斬る。全身を襲う幻痛を抑え込み、それを頼りにしてブバン・ズルーを殺していく。
大量の敵。降り注ぐ魔法。刹那に変貌を遂げる状況。
脳に伝えられる情報が錯綜していた。
三つの感知系スキルに、“先見の眼”、“制者”。それ等によって得られる瞬間ごとの情報量はあまりにも膨大だった。
脳が悲鳴を上げていた。眼球が焼けていた。情報に犯されていた。
「く、ふふ」
その中で、肉体と意識だけが奔る。
やはり、此処は、最高だ。死を予感させる魔力に浸り、しかしルナさんを色濃く感じる。
ブバン・ズルーは死霊に比べて魔力耐性が低いようだ。彼女の魔法に焼かれ、貫かれ、絶命していく。
簡単だった。
だから、殺そう。殲滅へと意思を傾けて。目に付く命を終わらせて。
己を、殺意で塗り固めろ。
「くふ、くふふ」
肉が散乱していた。死が充満していた。
背後をチラリと見遣れば、死体の道。それをさらに作り出して、踏み越えて、行く。敵の死に、自分の生を感じる。
荒野を駆ける。
前へ前へ。殺しを重ね、血煙に濡れ、死を積み上げて。
続々とブバン・ズルーが集まって来る。集虫灯に吸い寄せられるように、死へと集う。
荒野を駆ける。
ポーションを飲み、呼吸と進撃を繰り返す。
迫り来る暴力を捻じ伏せるべく二刀を振るう。こんな場所で停滞していた自分が信じられない。
荒野を駆ける。
死を塗り込む。
荒野を駆ける。
死を積み上げる。
荒野を駆けて、死で埋め尽くす。
『おめでとうございます! 特殊フィールド“殺戮荒野”の攻略を確認しました!』
『“密林の欺瞞者”が使用可能になりました!』
『突破報酬を獲得しました! 称号【野性への暴虐】が獲得可能になりました!』
『対象者の称号が成長します!』
『おめでとうございます! “殺戮荒野”の突破において、想定必要人数を下回った功績が認められました! このフィールドは清められました!』
『称号【魂の殺戮者】が獲得可能になりました! スキル【不滅の勇猛】が獲得可能になりました!』
『シークレットフィールド【竜棲む雨林】への進行権利を付与します!』
『条件が満たされました! 限定イベント“勝利の鍵を握る者”が進行します!』
『イベント参加人数、最少となる2名を確認。ボーナスポイントを獲得しました!』
『“死床山”の完全攻略を確認。ボーナスポイントを獲得しました!』
『“殺戮荒野”の2名突破を確認。ボーナスポイントを獲得しました!』
『称号【ダシュアンからの敬畏】を確認。ボーナスポイントを獲得しました!』
『称号【ショーイカからの敬畏】を確認。ボーナスポイントを獲得しました!』
『複数個の固有スキルを確認。ボーナスポイントを獲得しました!』
『ボーナスポイント加算により、全てのイベントエンディングが解放されました!』
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ポリゴンが解れたそこは、図鑑で見た白亜紀のジャングルそのままだった。
針葉樹には現実と変わらない樹種もあり、当然に知らない木もあるが、シダ植物などはやはり記憶にあるイメージのままであった。
「ヴェッ、ゔぇえええっ!」
色々を吐き出す。温暖かつ湿度が高く、やけに多彩な植物が目につき、それがまた吐き気を加速させる。
「ラーさん、大丈夫?」
「だい、じょうぶ。スタミナ、切れるの、慣れてるから」
「そうじゃなくて」
恐れを隠しもせず、しかし背中に優しく手を置いて。
「ラーさん、怖かったです。なんか、殺しに取り憑かれてるみたいで」
ルナさんは苦しげに吐き出した。
殺しに取り憑かれていた? 俺が?
ふん、と鼻を鳴らす。掌で顔を覆えば、強く食い込む指の先。口が弓形に吊り上がる。
――殺しに? ハッ。そんなもん、ずーっとだ。
「大丈夫。俺は、此処に居ます」
どうしてか唇が震えていた。自分か敵のかも変わらない血が貼り付いていて、乾いたそれを舌で拾い上げる。
ザラつく感触。広がる鉄の味。呑み下す。
耳鳴りがひどかった。動悸が乱れていた。息をするのも億劫になって、このまま死んでも良いとすら思った。それ以上に、何かを殺したかった。
――保てよ、己を。
「ゔぇッ、ええええっ!」
「ラーさん!」
吐いちまえ、全部。腐った欲求ごと。
「ッ! ブレイブ!」
甘い香りが優しく触れた。正面から強く抱き締められていて、伝わる熱が心地良い。
心が洗われる。殺意が和らぐ。そうして、色々を取り戻す。
「ラーさん!」
「ルナ、さん?」
「ダメッ!」
がばり、と。全身でかき抱かれた。彼女は泣いていて、すごく悲しそうで、反対に俺はひどく冷めていた。
「ラーさんまで、おかしくならないで!」
「おかしく?」
「娘さんの名前はっ⁉︎ 奥さんの名前は⁉︎ 自分の、名前は?」
穂波。澪。秋音。俺の家族。家族だった娘たちと妻。今はたぶん、もう、家族じゃない大切な人たち。
別に良い。幸せであってくれれば。俺は今、最高に楽しいから。
「ラーさん、戻って来た?」
「ん。俺、また変になってた?」
「なってたなってた。VRシンドロームだよ」
プレイヤー間では以前から懸念されていた事だった。没入型ゲームゆえの脳障害。己を見失う精神の暴走。
現実と変わらない五感リンク。現実と見紛う世界。視覚はもちろん、嗅覚や触覚に至るまで。まさしく偏執的なまでに。そこに感情を混ぜ込めば、もう何処が現実か分からない。
だからこそ、脳を狂わせる。それこそ、痛みで発狂する程に。
「ラーさん、少し休もう。本当はログアウトするのが一番なんだけど」
VRシンドローム? あれが?
違う。
たぶん、あれは、俺自身の。
「二人でゴッドレスに行こう。ジャミジャミでさ、オチョキンさんのパイ食べて、どれが辛いかドキドキしながら……それだって、ゲームだけどさ、気分転換になればって」
気分転換。それは、必要かもな。少し詰め込みすぎたかもしれない。
「良いかも、ね?」
「うんうん! だよね!」
「イベントの考察もしたいし」
「それはダメ」
大きくバツ印を作って笑うルナさん。攻略に関することは禁止です! アハハと明るく笑う彼女の表情はすごく自然で。
尖った心が潤むほど素敵だった。
昔から他人に流されるのは嫌いだった。自分だけの道を、自分だけのやり方で見つけて進む。そういうのが好きだった。
べつに、人と違う自分でいたいとか、人と一緒じゃ駄目だとか、そういう事ではなく。
皆んなと同じ方向へ進むのだとしても、それは誰かの意見ではなく自分の意思で自分で納得して決めたかった。自分で考えて歩きたかった。
でも、今は流されても良いかもしれない。
「二人はまたそんな無茶をしてたの?」
「イベントなんですよぉ。それに、冒険、って感じがして燃えますし!」
ジャミジャミで緩りと過ごす。オチョキンさんに武具のメンテを任せ、終われば再び装備する。
ゴッドレスは相変わらず活気があり、多くのプレイヤーの笑顔で溢れていた。
それはつまり、まだ此処を拠点とする人達の多さを証明しており、攻略の難しさを示してもいた。
最前線。そんなものには憧れはしない。走りたいとも思わない。
けど、可能な限り早く前へと進みたい。新しい景色を見たい。たとえ狂ってしまったとしても後悔などしない。
だって、俺は全てを懸けて此処にいる。
「それで、限定イベントはどうなったの?」
「今はお休み! 疲れちゃったから、オチョキンさんのパイを食べに来ましたー!」
イベント。“勝利の鍵を握る者”。アナウンスでは色々と言っていたけれど。
アイテムが使用可能になったとか、称号が変化したとか、全てのエンディングが解放されたとか。
そう、アイテム。これに説明文が追加されている。
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密林の欺瞞者
決まった日時にのみ発動
???????????
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本当に腹が立つな、と。発動できる日時は決まっているのに、そのタイミングは知らされていない。
欺瞞者。欺きだます者。誰を、なのか。何を、なのか。それすらも分からない。
鍵はやはり俺とルナさんだろう。互いが得た称号から察するに、ダシュアンとショーイカの先頭に立たせたいという思惑が透けて見える。
そこに二都市の関係性を加えて考えると、これは、良いエンディングを想像するのは難しい。
幸せにはなれない。おそらく、どちらも。
だが、生き残れるのは一方だ。
「ラーさん」
怒っているな、と。ルナさんの表情を見ずとも声がそう言っていた。
「なに?」
「なに、じゃないよ。今、考えてたでしょ。イベントのこと!」
フンフン鼻を鳴らす彼女は、本気で俺の心配をしてくれている。そんな人がそばに居てくれるのはとても贅沢なことだ。
「なんか、色々と見えてきたからね」
「もう! 考えちゃダメだってば!」
「だってさ、このイベントって戦争だよね? ダシュアンとショーイカの」
可能性、としか言えないが。
「たぶん、俺とルナさんが旗頭だ。もっと言えばトリガーだ」
土台は出来上がっていた。互いへの悪感情。憎むほどのそれ。いつから始まったのかも分からない因縁。
そこにやって来たのが俺たち。使徒であり、各都市の戦力から一目置かれる強者。戦闘スタイルもそれぞれの都市にマッチしている。
予想に色を付けるのは称号だ。各都市を率いろ、と言っているのだから。
つまり俺とルナさんは敵になるってわけだ。
なるほど。ありがちじゃないか。
「そんな。私たちのせいで戦争が?」
「まあ、そうなるね」
「私とラーさんが敵に?」
「うん、そうなるね」
沈黙。重い空気。嫌いだな、これ。ルナさんだって本当は気付いていただろうに。
「ラーさん……」
不安げなルナさん。そりゃそうか。せっかく仲良くなった人たちが死ぬかもしれないんだ。しかも、自分のせいで。
「ダメだよ、そんなの。なんとかしなきゃ」
「なんとかって、どうやって?」
イベントだぞ? ストーリーは決められていて、プレイヤーに与えられる自由なんて無いに等しい。いかに上手くやるかってだけ。
救いは、全てのエンディングが解放された事だ。
「でもっ、イヤだよ!」
「嫌、ですか」
「ラーさんは、イヤじゃないの?」
「嫌、かな」
死んで欲しくない。ドワーフ達も、エルフ達も。NPCだと理解した上でそう思う。
あまりにもリアルだとか、現実の人間と変わらない思考だとか、それ等を含めた上で、しかしそれ等だけでもなくて。
「なら力を貸して! 私とラーさんなら止められるよ!」
それはまた別の領域である。別次元とも言える。
イベントを書き換えるなんて不可能な話だ。せいぜいが、これ以上は進めないように……今のフェーズで止めるくらいだろう。
「それだと、別のプレイヤーがいつか権利を得てしまうかな?」
「……お願いだよ、ラーさん」
その上目遣いは、ズルいなぁ。
「うーん。できない事は約束できない」
無責任な言葉は吐けない。
「……じゃあ、お願いする、相棒として。ラーさんお願いっ、戦争を止めるために力を貸して!」
「いや、それもズルいよ。と言うか、これ、俺の予想だから。本当に戦争が起こるかはまだ断定できない」
「起こらなかったら良い! でも、起こりそうな時にはっ」
涙。それを流して、ルナさんは懸命に訴える。
こりゃ、勝てない。厄介な人を相棒にしたものだ。
「無責任な言葉は、吐いちゃいけないんだよなぁ」
「ラーさん……」
「ああ、違うよ。戦争なんて予測をしたのは俺だから、今ルナさんを悲しませてるのも俺で」
「……ラーさん?」
駄目だなぁ。気持ちを言葉にすると、どうしても理屈っぽくなる。
「ええと。だから、俺には責任があるから、ルナさん、もしも戦争が起こるなら、二人で一緒に止めましょう」
「良い、の?」
「うん。約束」
「――ラーさん!」
「うわぁ」
何度目だろうか、こうして抱きつかれるのは。美人さんが相棒で良かったよ。
と、おふざけはこれくらいにして。
「情報を集めます。ルナさんはショーイカをお願い」
「はいっ!」
「ゴールはどうしようか?」
「ゴール?」
「戦争を止めて、その後は?」
アハハ、と明るく笑うルナさん。この笑顔には勝てない、絶対に。
「ゴールはっ、ダシュアンとショーイカに友好を築きます! ドワーフとエルフの手を結ばせます!」
そりゃ凄いゴール設定だ。果てしなく困難で、とてもとても楽しいな。
さて。やるべき事は多く、しかし動きには細心の注意を払わなきゃならない。
ここまで来たら何がイベントを進めるか分かったものじゃない。会話だけでもフェーズ進行のトリガーになる得る。
難しいなぁ。手探りでイベントを進める方が楽そうだ。
「あれ? ラーさん?」
そんなふうに考えている時だった。
肉体が薄れていく感覚。この場所から消えようとするような。別の場所に移るような。
光を放つ様から察するに、ルナさんも。
突然の浮遊感。その後に、大きな違和感と嫌悪感。
全身が作り替えられる。バラバラになりそうな肉体を繋ぎ止め、縫い合わせ、元に戻す。それを繰り返す。
これは、新しいエリアに送られる時の。でも、どこへ?
「ラーさ――」
消えたな、ルナさん。いや、俺が消えたのか。いやいや、二人ともか。
さて。どこに行くのかねぇ? またオチョキンさんに心配かけるな。帰ったら謝らないと。




