15話 脳との戦い
『お待たせしました! これにてアップデートは完了です!』
『新たなるエリア、“古代の遺森”が解放されました! 第五の拠点、“戦場都市ダシュアン”のポータル、並びに転移ゲートが使用可能になりました!』
『プレイヤーの皆様、これより先もBlessed Sanctuaryをお楽しみください!』
そんなアナウンスが聴こえたのは、“空間認識”がオチョキンさんの存在感を捉えたのと同時だった。
「あれ? ヘラさん、どうしここに……泣いてるんですか?」
「……いいえ、はい。死に戻りしたのが悔しくて」
そう誤魔化してみれば、背後に立つ彼女は明確にうろたえた。嘘だとバレているのだろう。
それでも彼女はこう言ってくれた。悔しいから泣くなんて、ヘラさんは真のゲーマーですね、と。俺にとって何よりも嬉しい言葉を向けてくれたのだ。
そうして、素晴らしい香りのする紅茶を淹れてくれたのだ。
「すみません、俺、紅茶が苦手で」
「ええっ! ご、ごめんなさいっ、じゃあコーヒーを――」
「コーヒーは嫌いで。コーラが良いなぁ」
「……水、飲みます?」
あ、怒ってる。いや、拗ねているのだろうか。魅力的な人だなぁ、と。
誰かと居るというのは素敵だ。ソロ攻略というスタイルを変えるつもりはないが、こうして誰かと関わるのも良いかもな。
そんな事を考える午後のゴッドレスは、とても騒がしい雰囲気に包まれている。どこかに行っていたプレイヤー達が戻って来ていた。
椅子に腰掛けながら武具を眺め、それとなくオチョキンさんに視線を向ける。彼女は紅茶の香りを楽しんでおり、それがなんとも絵になってしまう。
今は外で騒ぐプレイヤーたちの事だった。つい彼女に惹き込まれてしまう。
何かあったのかな、とオチョキンさんに尋ねれば。
「……ヘラさんて、ゲーマーの風上にも置けないですね」
面汚しってことだ。まあ、その通りだから異論も不満もない。
さて。なかなか強烈な冗談を言う彼女だが、何も知らない俺へ丁寧な説明をしてくれるあたり、やはり良い人である。
彼女から知らされた幾つかの事実はとても興味深く、また、ひどく不気味でもあった。
「プレイヤーは寝ていたと?」
「ええ。表現として適切かは分かりませんが。私は夢を見ていました」
「夢、ですか」
「全プレイヤーが同じ筈です。アップデート前のアナウンスではそう言っていました」
彼女によれば眠っていたのは2時間ほどであり、アップデート中における不可避かつ強制的な処置である。
それはログアウト不可になった時点で、運営から出された一斉メールの内容にも記されていたそうだ。読んでねぇよ、運営からのメール。
「ヘラさんは寝ていなかったんですか?」
「あー、俺、アップデートと同時に死にましたから、よく分からなくって」
俺は眠っていない。それどころか、もしかすると、現実との――。これは隠すべきだろうな。ホームシックで病んでいるプレイヤーは少なくない筈だ。
「で、戻って来たから騒いでいると?」
「まさか。新しい拠点が解放されたからですよ」
新しい拠点。思い当たることは一つであり、やはりヘスさんは嘘など言っていなかったという証明でもある。
皆んな嬉しいんです。攻略に向けて前進しましたから。現実への帰還に一歩近づきましたから。私も同じ気持ちです。そう微笑むオチョキンさんに対し、とても申し訳ない気持ちで一杯になった。
きっと彼女も騒ぎたいのだ。しかし、俺という珍客が居るために出来ないのだ。オチョキンさんという人は、良い意味で体面や体裁を気にする女性だから。
「本当に、感謝感謝です。ヘラさんが“東ガザンエリア”を攻略してくれて」
そして、女性特有とも言えるとても鋭い勘の持ち主でもある。
「バレてました?」
まあ、難しいことではない。前回ここを訪れた時点で、“常闇の森”に入れたのは俺だけなのだから。彼女は馬鹿じゃない。簡単に気付くだろう。
「え、ほんとにヘラさんなの⁉︎ これは、聞いちゃいけない事を聞いちゃったわ!」
さらには、カマをかけるのが上手い人でもある。まんまと釣られた俺は馬鹿丸出しだ。
事態の詳細を必死に訊こうとする彼女に、しかし、掻い摘んだ説明を行なっていく。とてもではないが語りきれる内容ではないし、詳細を語る気分でもない。
全てを話せば武勇伝のような語りになるし、そう思われても良いのだが、彼女の性格やスタンスから考えると祭り上げられる予感しかしない。
現時点でも英雄視されているフシがある。そういうのは嫌いなのだ。
「はえー。非正規ルート、ですか」
「ええ。運営からはそのように説明を受けました」
実際には、解放する予定のない立ち入り禁止区域である。でもヘスさんも言っていたしな、“裏ルートのようなものです”と。それは新しい拠点への扉に対してだが。
「そこ、すんごくレベル高そうですね」
「さあ? ボスを含め、名前しか見えない個体も居ましたから」
「……種族も?」
「ええ」
思案顔のオチョキンさんを見て、不思議な女性だなと考える。この世界から解放されるべく真剣に向き合い、それでいて、まるでそうするべくこの世界に居るような印象を受ける。
考えすぎだろう。誰だって帰りたい。
「あの、ヘラさん。良ければ、スキル構成を教えて頂けませんか?」
突然の申し出。一瞬の迷い。そして、了承。
驚く彼女に思ったままを告げる。依頼とも言えるが。
俺はこのゲームのスキルシステムをまったく理解していない。さらに言えば、ゲームにも慣れていない。つまりは意見が聞きたい。タチミツさんと数々のゲームを攻略してきた彼女の意見を。
「では、スクショして送ります」
「うわぁ、緊張します。独走プレイヤーのスキル構成っ。見たらすぐに消しますね」
いや、そこまで気を配る必要はないのだけれど。
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ヘラ:人間Lv.10:開拓者Lv.9/捻じ曲げる者Lv.4
スキル:【刃物の心得Lv.10】【二刀の心得Lv.10】
【刃技Lv.1】【空間認識Lv.11】【肉体操作Lv.11】
【体術の心得Lv.1】【洞察Lv.6】【暗視Lv.6】
【神聖魔術Lv.6】【魔力操作Lv.3】【常勝Lv.3】
【強脚Lv.6】【急襲Lv.1】
称号:【闇に生きる者】【逸脱者】【残忍なる者】
【刃神の奥伝】
先天:【竜の因子】
──────
「あれ? そうだっけ?」
「どうしました?」
やっぱり嫌ですよね、やめます? そんな事を言い続ける彼女を意識から追い出して、ステータスを注視する。
まず、レベルが軒並み上がっている。さらには追加されているのだ、スキルと称号が。“刃技”、“体術の心得”、“急襲”という三種のスキル。さらに“刃神の奥伝”という称号まで。
これはペンタに勝った後には持っていなかったスキルと称号である。
でも、そうだ。彼を刃神と評するのは、とてもしっくりくる。彼が剣を振るったのはたったの数回であったが、刃物の神を冠したとしも納得できる絶技であった。
俺はずっと刃物に向き合ってきた。仕事道具の一つだったけど、彼ほど刃物の理を持った存在は知らない。あれほど美しい理を知らない。
なるほど。ペンタは刃物の神と呼ばれるべきだ。
彼が与えてくれたのかな。分からないが、たぶん、おそらく、きっとそうなのだろう。
「あの、ヘラさん?」
「……ああ、ええと、すみません。今から送ります」
なんとなく、先天の覧を非表示にする。大きな意味も必要も感じないのだが、感覚的にそうするべきだと思ったのだ。
そうしてスクショし、それを確認し、彼女に送信する。
テーブルの向かい側で目を鋭くするオチョキンさん。そうした表情も素晴らしい。
良いなぁ、エルフ。ファンタジーと言えばエルフであり、エルフと言えばファンタジーだ。俺なんか人間だ。人間で、しかも過去の自分だ。せつないのです。
なんて考えながらも、新たに得た称号の説明を読んでいく。
──────
称号【刃神の奥伝】
刃神より認められた者。
刃物に関するスキルの経験値取得率上昇。
強敵に対する闘争心が向上する。強敵との戦闘において身体能力が向上する。
格下に対する闘争心が大きく低下する。格下への攻撃力が大きく低下する。格下との戦闘において身体能力が低下する。
刃物を持つ敵から得る経験値増加。刃物を持つ敵との戦闘において身体能力が向上する。
──────
なるほどな、と。そこには俺がペンタに勝てた理由が記されていた。彼は格下にとことん弱いらしい。
さらには能力を抑制され、呪いまで受けていたのだから、勝てたのは俺の力ではないのだ。
そして、この称号は他の称号やスキル、職業とは違って、とても明確な説明がなされている。細かく知るには看破スキルが必要な筈なのだが、この称号が特別なのか、それともまだ隠されている説明文があるのか。
なんにせよ、有り難い。俺はレベリングをするほどマメではなく、嫌いでもある。このまま進むという方針を変えることもない。
つまり、格上に対するプラス補正はあればあるだけ良いのだ。
にしても、称号に対するイメージが変わったな。スキルを獲得するツールやトリガーだと考えていたが、どうやら単体で機能する称号も存在しているようだ。
……タチミツさんもそう言っていたっけ?
いや。このスキルがトリガーとしての働きも兼ね備えていた可能性だってある。“刃技”などは派生したと考えやすいスキル名だ。“急襲”も、ペンタを連想させる響きである。
「ヘラさん?」
「おっと、はい、考え事をしてました」
ああ、オチョキンさんにスキル構成を見て貰っていたんだった。集中すると周りを遮断するクセ、直したいんだけどなぁ。
「どうでしょう、俺のスキル構成は。どういった運用が望ましいと思われますか?」
「運用? それどころじゃないですよ。正直に言って、デタラメですね」
「どこが、でしょう? 指摘して頂けると嬉しいです。今後の参考にしたい」
グビリと紅茶を飲み干し、良いですか? とオチョキンさん。
「まず、スキルも称号も取得数がデタラメです。たったの三日でこれだけの数を? 取得難易度が下がっていたとは言え、いったい何をしたんです?」
なに、と言われてもな。格上と戦い続けたとしか。
そう返せば、彼女に睨み付けられてしまった。いや、本当なんだってば。
「今の時点で、スキル数の多いプレイヤーでも6か、7ですよ? 生産職の私ですら9。なのにヘラさんは13個も」
つまりタチミツさんや彼の仲間はそれくらいのスキル数なのだろう。
デタラメですよ、本当に。そんな事を言うオチョキンさんから目を逸らす。勝手に増えたものも有るのだから仕方ないのだ。
「……まあ、良いでしょう。次に、レベルがデタラメ。ヘラさん、分かってます?」
スキル数は成長率の低下に直結する、と。当然ながら、それは種族レベルにも影響すると。そんな事を彼女は重々しく言う。
俺だって理解しているが、ソロだから地固めは必要なのだ。特化するとしても先のことだろう。
「そしてヘラさんは、武術スキルと魔術スキルを所持している。これは大きな成長率低下を招きます」
「ああ、はい。そんな設定でしたねぇ」
でもなぁ、“捻じ曲げる者”を持ってるし。何よりも、ずうっと格上とばかり戦って来たし。
「ひたすら戦い続けてましたからね、三日間、格上と」
「なんで一回しか死に戻ってないんですかぁ」
「何故でしょうね」
運が良かった。理由として挙げるならばそれになる。死んでいてもおかしくない場面は何度もあった。
「いつから二つ持ちになったんですか?」
「ええと、いつだったかな?」
「その仰りようですと、最初からではない。これも取得したんですね?」
彼女は念を押すように成長率低下の要因を列挙していく。つまるところ、最終的に行き着くのはレベルの高さである。
「知ってます? 攻略組の平均レベルは4です。タッチーですら6なんですよ?」
タッチー? ああ、タチミツさん。彼のレベルは6なのか。
ここで言うレベルとは種族レベルのことだ。俺にとっての人間で、オチョキンさんにとってのエルフである。一般的な会話における“レベル”という言葉はこれを意味するのだ。
敵から得られる経験値には振り分けがある。配分として大きいのは種族であり、だからこれを強さの指標とし、レベルと言えば種族を指す。
と、彼女に教えてもらう。
「ヘラさんは10です、10! しかもこれだけのスキルを所持して、さらにダブルなのに!」
本来ならもっと高い筈なのだ、とは言えない。
まだ始まったばかりである。10やそこいらで騒ぎすぎだと思わなくもないのだが。
「β版で問題になったんです。ブレサンのレベリングは厳しすぎると。改善されませんでしたが」
そうなのだ。このゲームはレベルが上がりにくい。つまりたった4つの差でもかなり大きなものになる。
「そもそもが、です!」
「はぁ」
オチョキンさんはテーブルを叩きつけて前のめり。金の瞳が煌めき、俺を射抜く。素敵だなぁ。
どうしてスキルレベルが種族レベルを越えているんですか?
そんな彼女の問い掛けに対する俺の答えは、常にスキルを使用しているから、であった。
「いや、あの、無理でしょ、それ」
「ですかね? 発動型はずっと使用していたし、刀に関しては走りながも鍛えていましたから。知っていましたか? スキルは努力でも上げられることを。おそらくは、身体能力も」
そして、常闇の森で殺した敵は600体を越えている。そうなのだ。本当に、常に戦いっぱなしだったのである。
「もう、何から指摘するべきか分かりませんよぉ」
「はぁ」
「プレイヤースキル、たぶんヘラさん断トツです」
そうかな? 他を知らないから。でも、何度か目にしたプレイヤー達の戦い方は、ひどくずさんで乱雑なものだった。
これと関係して、盾が売れているらしい。それもNPCメイドの物ですら売り切れるほどに。
いるかなぁ、盾。確かに有用なシチュエーションもあるけど、俺にとっては邪魔でしかない。
そんな思いが表情に出ていたのだろう。
「ほら、実戦なんて誰も知らないでしょう?」
そう前置きして、オチョキンさんが説明をしてくれる。
躱す。防ぐ。言葉にすると簡単なこれは、とてもとても難しい。どれほど難しいかと言えば、スキルの補正があってなお失敗するほどだ。それも、初期の雑魚モンスターによる攻撃ですら。
何故ならこの仮想現実での肉体操作は、現実でのそれと同じであり、現実での運動神経や経験を基にしているから。
「格闘技の経験者ですらモンスターの攻撃には手を焼いています。ヘラさんは何かやってました?」
「いいえ? でもほら、“肉体操作”を持ってますし。痛覚設定も最大だし」
「……痛覚を、100パーに?」
「ええ。それにこの世界の肉体って、イメージ優先みたいなところがあるでしょう? そこが少し現実と違うと言うか、脳との戦いと言うか」
これは上手く言葉に出来ないのだが、肉体を操るにはちょっとのコツが要る。身体を動かすと言うよりも、脳を操作すると言うべきか。
明確に掴んだのはペンタとの戦闘中であった。
なんか違和感あるんですよね。種族“人間”って、本当に人間なのかなって。だとしたら根本的な造りが違うんじゃないかなぁ? 主に神経とかが。解剖すれば何か分かるかもですね。
そんな事を言ってみれば、彼女はなぜか少しばかり呆れを見せた。
あの、怖いんですけど。と言うか、ヘラさんてブレサンを現実世界のように語るんですね。
そんな事を言われ、俺はなぜか少しばかり困惑した。
ゲームだから違っていて当然でしょ、と。
仮想現実なんだから脳の信号が重視されるでしょ、と。
オチョキンさんは冷めた声で吐き捨てた。とても納得のいく、とても合理的な言葉であった。ゲームなのだ、これは。
「だとしても、ヘラさんが言ってる……脳との戦い? すこっしも理解できませんけどね!」
「俺、馬鹿ですからねぇ」
「理論派なのか感覚派なのか分からない人なんだから……もしかして運営アバター?」
「おお、バレました?」
彼女との会話を楽しみつつ、アイテムをどんどん送っていく。それはそれは凄い数だった。トレード機能が一時的にフリーズするほどの数だった。
その事象にまたもや違和感を抱きつつ、それでもアイテムを送り続けていく。当然、お互いの口は動きっぱなしであった。
「すーんごい数なんですけど⁉︎ なにこの長剣! レア度が高すぎて“鑑定”できない!」
ペンタの長剣か。あれ、装備すらできないから。
「あ、そう言えば、アップデート内容は把握してます?」
「ん? 新しい街が解放されただけでしょ?」
「……お知らせ、ちゃんと読んでますよね?」
いいえ、全く。とは言えない雰囲気だった。事実を言えば叱られるような、そんな恐い笑顔だった。
で、お知らせを流し読みながらも、やっぱりお互いの口は動きっぱなしであった。
「あのぉ、体がシンドかったりするんですが。死に戻りの影響ですかね」
「あ、そっか。デスペナは初経験でしたね」
こんな時間も良いなぁと。会話を楽しみ、心を和ませてくれる相手が居る。とてもとても素敵だ。
ゆったりした流れる今を楽しめるのだから、デスペナもそう悪いものではない。