14話 リアルとアンリアルの狭間
「……は?」
いや、またもやの、は? である。
「おい、運営」
無理じゃんね。扉を抜けた瞬間に食われるとか。どう対応しろと言うのか。
ジャングル? なんで? 聞いてた話と違うではないか。油断全開だったんだぞ。
ヘスさんは街だと言っていたのになぁ。彼女は嘘を言うような人には思えないけれど。
「管理者か」
俺への嫌がらせだろう。どうでも良いけれど。
で、ここは?
「お目覚めですか?」
知らない部屋に寝かされていて、知らない人に声をかけられた。
男で、神官服を身にまとった小人? いや、ホビット? どんな種族か分からないが、彼の話を要約すると、こうなる。
ここは“使徒”を甦らせる祭壇であり、ゴッドレスの地下にある。“使徒”とはプレイヤーの事であり、この世界を導く存在である。“使徒”は死を超越し、超常の力を持っており、また、違う世界にて生まれ、神の要請によってこの世界へと降り立たった。
甦る場所は任意に設定でき、それは各拠点に設けられた神殿から選ぶことが可能。
とまぁ、ゲームの設定を説明されたわけですが。
「……誰も居ないじゃんね」
街には活気があり、それはNPCが放つものだった。けれどもプレイヤーが一人も居ない。
こういう時、ひどく困る。ひどく困り、途方に暮れる。だって殆ど知らないし、このゲームのこと。だから現状への考察など出来るはずもなく。
とりあえず、と言った曖昧さで武具店ジャミジャミへと向かう。そこしか知った場所はなく、彼女しか所在地の見当がつかない。
「あ、フレンド機能」
連絡を取れると考えメニューを開こうとするのだが。
「……開けないや」
正確には、ない。メニュー画面がどこにも。
なのに“空間認識”をはじめとするスキルは使用できていて。ついでに身体能力にもスキル補正が働いている。
しかし、全身がひどく重たかった。発動型スキルの多数使用とも、スタミナ枯渇のペナルティとも違う、重い重い倦怠感。
なんだ、これ?
「お邪魔します」
やはりと言うべきか、オチョキンさんは居なかった。
一人で途方に暮れながら、ただ待っていた。のんびりとした時間は、遠くの音すら響く静けさは、一人だからなのか全く楽しくない。
孤独を感じてしまう。
暗い病室。呼吸器の作動音。感覚のない全身。同情する妻の視線。怯える娘たちの雰囲気。無への恐怖。希望の見えない現実。諦めと怒りが支配した心。平常を保てない精神。殺してくれとすら発することの出来ない喉。殺してくれなんて言えない周囲の懸命さ。待ち詫びる死の瞬間。
絶望。
「……殺してくれよ」
もう、良いんだ。あんな身体になってまで生きる意味はなんだ? あんな自分が生きる理由があるか?
重荷だろ? 負担だろ? 苦しいだろ?
だから、もう、良いから、死なせて欲しいんだよ。
「……俺は、此処に居る」
この世界が、俺の居場所だ。逃避だとしても、逃避だとは理解していても、此処でしか俺は生きられない。
現実での俺は、終わってる。あそこでの俺は止まってる。
でも。
もしも叶うなら。
「もう一度だけで良いから、会いたいなぁ」
会って、謝りたい。会って、感謝したい。会って、抱きしめたい。
「秋ちゃん、苦労ばかりかけてごめん。このゲームを与えてくれてありがとう。幸せにしてあげられなくてごめん。穂波、澪、心から愛してる。何もしてやれなくてごめん。父親でいられなくてごめん。守ってやれなくて、ごめんなぁ」
ずっとそばに居たかった。ずっと成長を見ていたかった。
でも、無理だから。
「良いんだよ、もう死なせてくれても。俺がそう望んでる。本当に、本当に、よく頑張ってくれたよ。俺は幸せ者だ」
俺だけが、幸せなのだ。
俺だけが、立ち向かわなかったのだ。
俺は、クソったれだ。
『――ちゃん!』
ん?
『たいちゃん!』
え。
『たいちゃん、聞こえる⁉︎』
その、声。その、呼び方。
「――秋ちゃん?」
『たいちゃん! はな、した! 話した!』
これは、なんだ? 夢か? 幻聴か?
とうとう狂ったか。とうとう狂ったな。でも、だとしても、良いではないか。だって、俺にはやるべき事がある。
『なんでっ、どうしてっ、私のせいで!」
ああ、秋ちゃん。相変わらずだなぁ、いつもそうやって自分を責めるんだから。
「ありがとねぇ、秋ちゃん。俺は、今、とっても幸せだぁ。このゲームの中じゃ自在に動けるんだよ。こんな感覚は久しぶりさ。秋ちゃんのおかげだね」
『わた、私はっ、私がこんなゲームを勧めたから!』
「だからさぁ、違うって。俺は本当に感謝しているよ。此処はね、とても楽しいんだ」
俺だけ楽しんでごめんね。そう言えば、妻の嗚咽がひどくなる。
間違えちゃったな、言葉の選択。いつも、間違えて来たよなぁ。
でも、今だけは。
「ごめんね、秋ちゃん。ずっと苦労ばかりかけて。ありがとね、秋ちゃん。俺と一緒になってくれて、寝たきりの俺を看病してくれて。俺ばっかり幸せを貰って」
とうとう、妻は叫んだ。
どうしていつもこうなるのか。笑って欲しいのに。笑顔にしたいのに。泣かせてばっかりだ。
だから、別の男性を愛したのだろう。
『たいちゃん――』
「離婚届、ちゃんとサインしたよ。立ち会いもしてもらったから。やっと、できたよ。口で書いたから変な字だけどね」
昔は綺麗な字が自慢の一つだったのになぁ。
『私っ、ごめん、ごめんなさい!』
「良いんだよ。俺のほうこそごめんよ。もっと早く、解放してあげるべきだった」
そう、良いのだ。妻を縛り付ける俺など、本当は俺だって見たくない。だから、良いのだ。
『お父さん?』
『とーちゃん!』
穂波? 澪?
「いるのか、そこに」
どちらも俺に似ちゃって。秋ちゃんに似たら美人さんだったのになぁ。
「穂波、澪、聞きなさい」
『はいっ』
『はいっ』
泣くなよ、今だけは。
父親らしく在れ、今だからこそ。
そんな事を考えれば、娘たちの泣き声が聴こえてくる。父親失格だな。
「泣くな。泣いていても、誰も、助けてはくれないんだ。いつも言っていただろ?」
12歳と10歳かぁ。大きくなったなぁ。
この数年は、父親らしい事をしてやれなかった。せめて最後くらいは父親でいたい。
「泣いているだけじゃ、何もできん。親も、……いつ居なくなるか分からん」
『はい』
『はいっ』
「自分の力で、考えて、動いてみな。なるだけ、自分でやってみるんだ。でも、それでも出来ない時は。足りない時は。泣かずに、自分からちゃんと助けを求めると良い。どうして助けが必要かを話し、相手に頼んでみな」
『はい!』
『はい!』
「穂波、澪。元気に、我が儘に、奔放に育て。色々を見て、色々に触れて、大きく育てっ」
でもなぁ、と。つい甘やかしたくなってしまう。もう、出来ないんだなぁ。
「疲れた時は休めば良い。無理だと思う前にサボれば良い。時には、泣いて良い。完璧なんて求めるな。分からないのが当たり前で、出来ないのが当然だ。学校なんて狭い場所に囚われるな。周りに否定されても、前だけを見ろ。辛いのは、ずっとは続かない。あんま悩むな、死ぬわけじゃない。……幸せに、なりなさい」
三人の声が、すぐそこにあった。でもそれは、少しずつ少しずつ遠くなっていった。
今度こそ、お別れなのだろうか。だとしても、やるべき事はやった。悔いはない。
いや、いやいや。
「秋ちゃん、好きに生きて。負い目なんて感じる必要はない。彼と、幸せになって。穂波、愛してるよ。何事にも真剣に向き合うお前が大好きだ。澪、愛してるよ。いつでも自由なお前が大好きだ」
俺を呼ぶ声が、夫を、父を呼ぶ言葉が、離れていく。
そうして、消えてしまった。
何を言えば良かったのか。俺には分からない。分からないから、言いたいことを、思ったままに言った。
伝わっただろうか。伝わって欲しい。結局のところ、俺って奴は自分のことばかり考えてる。
「悪い奴に、なるべきだったなぁ」
離れられて清々した、と、そう思わせるべきだった。
「これで、さよならだ」
でも、もしも、いつかまた会えるなら。
「直接、言わなくっちゃなぁ」
その為にも全力で生きなければ。全力で向き合わなければ。
そうしなきゃ、合わせる顔がない。
だから楽しもう。本当の死が訪れる瞬間まで。




