121話 不格好な覚悟
“行っくよー!”と、繋げられたフレンド通話の向こう側から溌剌とした声が聞こえた。場違いに思える前向きな響きを携えた言葉と共に、夜空が爆ぜた。
都市が金色に染められていく。染め上げるのは稲妻だ。馬鹿げた範囲を一瞬で駆け抜け、しかも恐るべきことに、焼がれるのは敵のみであった。
これだけの膨大なエネルギーと幾百もの雷を制御しながら操っている。それも完璧に。
あり得ない。それがこの雷に対する評価だ。つまりは、彼女への評価でもある。
『ラーさんッ、まだ戦える⁉︎』
問われた。“戦え”でも“戦おう”でも、ましてや“大丈夫?”なんて心配の言葉でもない。
戦えるか? そう問われたらどうする?
『応ッ!』
そう答える。明確な意思と意志を込めて。
――ルナさんが来てくれた!
彼女が居るだけで活力が湧き、強い希望を感じる。彼女とならどんな敵にも打ち勝てる。
しかも、来てくれたのは彼女だけじゃない。
『あー、これってつまり防衛戦?』
『あんたバカ? 殲滅戦じゃん?』
『なんでも良いから働け! って怒られるよー。ね、ヘラっち』
辰辰さん、アンドロ子さん、ちーころさん。戦力としてあまりにも大きな三人。
どうやってあの雲を越えてきたんだ? そもそも間に合う距離じゃなかった筈だ。
そんな疑問の答えはルナさんにある。正確には、ルナさんがまたがる大きな妖に。
キュウ。または聖域ボスの“ノナ”。あいつが全てを解決した。なにせあの狐はこの世界の神だ。何をやってのけても驚くに値しない。今だって翼を持たない身でありながら空を駆け、押し寄せる魔物の群れにブレスを浴びせて消滅させている。ルナさんが空戦に参加できるのはありがたい。
これなら戦える。これ以上の死者を出さずに。
『三人はクリッツさんの指揮下に! ルナさんは敵を殲滅しながら俺の指示に従って自爆個体を! 何処に向かうべきか逐一こちらから伝える!』
――で、俺はどうする?
決まってるさ。セラリィと聖樹のもとへ。だがその前に、奴らに痛打を。仲間を殺された復讐を。神気を振り絞り、夜空に武骨な剣を呼べるだけ呼んで。
さあ行こう。空高く打ち出した“断ち剣”を逆襲の合図として。全てを全力で発動し、蠢めく魔物の群れに狙いを定めて――突貫だ。
降り注ぐ剣の雨。黒を飲み込む紅蓮の炎と輝く雷。貫かれ、焼かれる魔物。その中を、駆け抜けろ!
やるべき事は数多くある。敵の殲滅、都市全体の戦況把握、自爆個体の位置確認。中でも自爆個体の確認と、その位置を指示する作業がひどく面倒だ。“天地掌握”へと意識を傾け、通信を繋ぐために竜人化を解かなければならない。さらには何処の自爆を優先させるべきかを把握する必要もある。
――やれるさ。
ああ、やれる。やり遂げる。ルナさんであれば離れた位置からでも稲妻で的確に自爆個体を殺せる。キュウのおかげで移動に難はない。
つまり、ほんの少しだけ余裕が生まれた。
敵火力は熾烈な物になっている。当然だ。敵はなり振り構っちゃいない。各地で起こる全ての自爆を防ぐのは不可能で、建物が、塔が、森が、次々と吹き飛ばされていく。
だからどうした? ルナさんが指示通りに動いてる。ザゲンさんと“神討ち隊”も天使たちを上手く移動させている。だから戦え。俺は俺のやるべき事を。
「――戦えぇええ! 俺は此処にいるぞッ!」
都市全体が震える。各地から上がった喊声によって。
敵火力が熾烈ならばこちらは速度を上げる。奴等の自由を奪い、自爆を許さず、全てを殺しきる。
あらゆる場所から轟音が響く。敵の自爆じゃない。こちらの猛激だ。
半壊した都市に、もう誰も遠慮なんてしなかった。敵を殲滅できるのであれば都市の崩壊だっていとわない。
ああ、そうさ。手段を選ばないのはこちらも同じ。そうさせたのは、お前らだ。
「俺に集中したのは失敗だったぜ?」
聖樹を護るセラリィが楽になる。それだけでこの命に価値が生まれる。
「――竜人特化」
濁流となって押し寄せる敵群を切り裂く。突進の速度を攻撃力に転換して。
「おおっ!」
ルナさんへ指示を出すのと同時、断ち剣を召喚する。五連続。二十本を残し“薄刃伸刀”に吸わせる。
そうして切り裂く範囲を広げ、またもや突進。世界がドロリと遅行する。眼球が熱を伴って震えている。
押し寄せる敵、猛攻を続ける味方、破壊が進む都市。灯りが少しずつ失われていく。魔法障壁ごと魔物が吹き飛ばされ、石の塔すら押し潰すための武器にして。
まあ、どのみち俺の周囲には黒しかない。
敵群を切り裂いて前へ前へ、ただ真っ直ぐに。神気を全身にまとい、神気の刃を延ばせるだけ延ばして、黒に穴を開ける。その先で輝く稲妻を見て笑う。彼女らしい潔さ。こちらを気にした様子は全く感じない。
――まだ戦える?
そう聴こえた。
「うははっ!」
セラリィはまだ遠い。空に浮く彼女は押し寄せる敵に背中を向けていた。か細い両腕を聖樹へと突き出し、美しい肌を汗と血で汚し、目を閉じて祈りを捧げている。迎撃は味方に任せ、自らは聖樹を守ることに集中している。
凄みを感じる背中だった。掲げた信念と誇りがそうさせるのだ。
彼女は少しも諦めず、絶望してもいない。それどころか僅かなブレもない。強烈な意志を具現化させたような燐光を振り撒いて。
彼女の周囲を守るのはナギさんを筆頭にした守護隊。背後には血塗れのジンさん。そこに敵が押し寄せる。
――セラリィ!
――ヘラッ!
彼女は輝く笑顔で俺を見た。血塗れの笑顔だ。
まだ彼女のもとへは行けない。これだけの敵を引き連れて行くわけにはいかない。俺に集まるのなら、俺が殺してやる。聖樹に向かう奴らも俺へと集めてやる。
無感情な怪異がそうしてしまう程の脅威であれ。思わず惹き寄せられる程の驚異を見せろ。
力が欲しいんだ。圧倒的な力が。大切な人たちを守り、厄災を打ち払えるだけの力。
今の俺は強い。ただし、個対個においては。殲滅力はまだまだ足りない。
――だったら手に入れろ。
意識を傾ける先は“天地掌握”。このスキルは感知する力だと考えていた。実際にそうやって使って来た。
だが、本当は、全く違う力だったら? いいや、全く違う力を持っているはずだ。だって“掌握”できるのだから。
「――断ち剣」
召喚。可能なかぎり、ありったけを。
現れる数百本もの剣。それすらも押し包む膨大な数の敵。放たれる炎と雷。焼かれる敵。乗り越えて迫り来る黒の濁流。
足りない。威力も数も。もっと。もっとだ。
数は増やせない。けど、威力はどうだ? 本当に天地を掌握できたら?
「――断ち、剣ッ」
掌握しろ、掌握しろ、掌握しろ。天と地の全てが無理でも、自分の能力くらいは。それすらも無理なら、効果くらいは。
放たれる紅蓮の炎と輝く雷。その周囲の空間に意識を注ぎ込む。
求めるのは結果だ。過程はどうだって良い。望む効果を発揮させるために、空間を掌握しろ!
「――うお!」
猛烈な火焔と強烈な光が発された。目を焼き耳を潰すほどの。放たれた炎と雷に変化はない。変わったのは空間だ。威力がより高くなるように、効果がより増幅するように、俺が望む空間へと作り変えた。
これが、“天地掌握”が持つ本来の力。空間ごと切り裂くとか、次元の向こう側に送るとか、そこまで出来れば良かったんだけど。
今はこれで十分だ。
空の敵を焼き殺す。どれもこれも差別なく平等に。さらなる結果を求めて試行し、整えていく。より少ない神気でより大きな結果を生み出せるように。もしくは限界まで注いで超常の威力を発揮できるように。
「断ちつる――、あれ?」
気付けば空を舞う敵は消えていた。地上には夥しい数の黒が積み重なり、その全てが怪異の死体だと考えれば良い戦果だと言える。
まだ行ける。もっと成長できる。俺は、さらなる高みへと至れるぞ。
「セラリィ!」
「――ヘラッ!」
彼女は輝く笑顔で俺を見た。血塗れの笑顔だ。すぐにそばに行きたいが――
『ヘラっち、また囲まれるよ!』
地上の敵が姿を変える。背中から翼を生やし、次から次へと押し寄せる。意思なき瞳でこちらを睨み付けて。
上等だった。
「全部来い! 俺が終わらせてやる!」
もう一人も死なせるものか。
黒の濁流を切り裂いていく。炎と雷を放ち、霊刀“飄凛”に神気を注いで。
『ラーさん、次は⁉︎』
感謝するぜルナさん。彼女を運んでくれたキュウにも。
『自爆個体の残数はゼロだ! 俺と一緒に殲滅を!』
『がってん!』
ルナさんが化け狐のキュウに乗ってこちらへ移動してくる。キュウが空中を駆けた後には炎が尾を引き、それが煌めきを放って消えていく。
聖域ボスだった頃に比べればまだ小さいが四人を運ぶくらいなら簡単だろう。僅かな間にずいぶんと大きくなった。成長期にも程度ってものがある。
と、そんな事を考えられる程度には余裕が生まれて来た。
地上での戦いは終わりを迎えている。正確には、戦うべき敵がいない。当然だ。全てがこちらへと向かって来ているのだから。
迫る黒の濁流。隣にはルナさん。神気には余裕がある。だったらやるべき事は一つしかない。
「行くぜ、相棒」
「行こう、相棒」
ルナさんと俺の雷が絡み合う。キュウのブレスと俺の炎が猛り合う。その隙間を縫って降りて来る剣を霊刀で吸収し、駆ける。
夜空は光と音で埋め尽くされていた。星々の瞬きも黒の異様も全てを包み込む。そこに夥しい数の“死”が在るなどとは思えないほどに美しい光景だ。
見ろ、天使たち。生きてる奴も傷付いた奴も、死んだ奴も。何ならこれから産まれてくる奴等だって。
これが俺からの、俺たちからの贈り物だ。
『oh……ファンタジー……』
『言ってる場合じゃないわよアンタ! 片腕チギれかけてんだけどキモすぎ!』
『コレってアレか? 異文化交流みたいな?』
『突然アホなこと言ってどうしたんですか?』
『花火っぽいからだろ』
『くっちゃべってねーで怪我人を運びやがれ!』
『回復系の魔法が使える者は惜しむな。アイテムはまだいくらでもある』
“神討ち隊”が負傷した天使たちを。
『うわー! 相変わらずヘラっちとルナっちヤバすぎ!』
『派手なだけじゃん? 生きたままの奴多いし』
『それってつまり嫉妬?』
ちーころさんとアンドロ子さんは息のある魔物を殺し、辰辰さんは“神討ち隊”と共に傷付いた天使たちを介抱している。
――ヘラ。
セラリィ。彼女は聖樹を護り続けていた。今すぐに仲間を癒やしに行きたいだろう。しかし、魔物が残っているから想いを抑えなきゃならないんだ。
「邪魔を、するんじゃねぇよ」
他所者が無感情に土足で入り込んで来やがった。セラリィの高潔さも、天使たちの勇敢さも、何一つ知らないままで。
彼等彼女等が自らに課した使命の尊さを理解できるか? この世界の礎となる覚悟を踏みにじる権利があるか?
「神って奴は、そんなに偉いのかよ?」
今まで出会った神は、まあ、確かに尊敬できる部分もあった。けど、だからって許せねぇんだ。許すわけにもいかねぇんだ。だって俺には背負うものと責任がある。
プレイヤーを現実に帰還させ、この世界を護りきる。それが、俺の使命だ。
『おめでとうございます! 神格が上がります!』
『神格が一定値を超えたため神化されます!』
セントラルAIめ、余計なことをしやがって。敵なのか味方なのか分からない奴だ。
いいや。彼女は岩谷さんと魚見さんに寄り添っている。二人の想いを成就させるべく存在しているんだ。その為なら俺の願いになんか構ったりはしない。
神化。それがどういったものか明確には分からない。肉体や精神が成長したわけでもスキルや称号を手にしたわけでもない。だが自分の何かが安定したように感じる。それはやはり肉体や精神とは別で、どこか深い場所に存在している。
それが魂だと言われれば納得するしかないが。
これでもう、俺はこの世界から逃げられない。それで良い。それが良い。どうせ覚悟は決めていた。周囲をうろつく精霊たちにも懇願されている。
「……はは! パーフェクトじゃねーか!」
笑ってやるさ。どうせならとことん行ってやる。ギャグマンガのような人生を歩むのも悪くない。
『ラーさん?』
不安げな声。ルナさんに隠し事をするのは難しいな。
雷を放ちながら問い掛けてくる彼女に何でもないと言って“断ち剣”を召喚する。黒の濁流は既に大きく削られ塊と呼べるほどに減っていた。
「仕方ないよなぁ」
この世界に生きる者達とは違い、平和にどっぷりと浸かって来たのは俺だって同じだ。追い詰められなきゃ決められない覚悟だってある。たとえ不格好でも、本物には違いない。
そんな事より、少なくなった黒の集団へと突っ込んで、さっさと終わらせよう。




