114話 力の代償
これより、ガ・ヘラの真授式を執り行います。
洞窟の隅々まで浸透するような美しい声が響いた。同時に、女神バージョンに変身したセラリィの宣言を受けた都市全体から歓声が上がる。
凄い力だな、とそんな事を考える。意識に声を直接届けるだけでも驚くべき力だが、それを四千人へ同時にやれるとなれば確かに彼女は神に近いのだと納得せざるを得ない。
洞窟には天使族の主だった者たちが集まっていた。長……ジンさんを筆頭に、ザゲンさんやナギさんが俺の背後に並ぶ。
“鬼顔の面被り”を外しているから落ち着かない。だってセラリィからは常に“魅了”を仕掛けられている。是非ともコントロールして欲しいものだ。
「ガ・ヘラ。こちらへ」
セラリィは先程までとは打って変わって完璧な女神ぶりを見せている。素の私を見せるのはきみだけなんだからねー? ザゲンとジンにも見せないんだぞー? そんなことをはにかみながら言っていたが、どうやら本気で俺に心を許しているらしい。
困ってしまう、というのが正直な感想だった。
「さあ、宝玉をお受け取りください」
鷹揚に言い放つセラリィに非難の視線を向ける。どうしてこんな大事になっているのか、と。
彼女は宝玉を手渡しながら顔を近づけ、背後の三人には見えないところでペロリと舌を覗かせた。どうやらいたずら好きな性分らしい。舌を見せたことも、こんな式典じみた行いも、その性格がさせていると言うわけだ。厄介である。
で、何も起こらないわけですが。
「連授に名乗りを上げる者は?」
セラリィが問えば、ジンさんとザゲンさんがこちらへ進み来る。どこかオドオドとしたナギさんも。
連授とは、言わば祝福である。力を授かる者を見届ける役割を担う。と、セラリィが説明してくれる。
「では、私も祝福いたしましょう」
四人がこちらへ手を伸ばし、それぞれに触れる。
ジンさんは頭。ザゲンさんは胸。ナギさんは背中。そしてセラリィは。
「えっへん」
頬と唇。一瞬だけ素に戻った彼女を見て三人が目を見開く。やめてくれと叫びたい。いたずら好きなのは気にしないが、天真爛漫が過ぎると巻き込まれるこちらが疲れてしまう。
「それではガ・ヘラ。宝玉を握ってください」
言われるままに握る。それを見た四人が、ガ・ヘラに祝福を、と唱える。
瞬間、手のひらの宝珠が変化した。ただの透明だったそれが、美しい球体に変わっていた。まるで惑星を思わせる色合いだった。空があり、雲が流れ、星のような小さな煌めきがある。それ等は巡りながら漂い、瞬きごとに様相を変えていく。
「――ぁ」
宝珠が少しずつ少しずつ姿を消していく。燐光が舞い、俺へと吸い込まれていく。
熱が広がる。力が漲る。そうして、力の正体を知る。
同時に覚悟を決める。どうやら俺は、とことん運が悪いらしい。こうなるのが嫌だから神になるのを拒否したっていうのに。
何が得られましたか? そう尋ねるセラリィに、祝福だ、と答える。
「祝福、ですか?」
「うん。“精霊の祝福”。それがこの力の名前らしい」
想うのは穂波と澪、二人の娘のことだった。ごめんな、と心で謝罪する。
「この世界は終わらせない。精霊達もそれを望んでる」
後悔はない。自ら首を突っ込み、自ら力を得た。たとえそれが望まぬ力だとしても、力持つ者としての責務を果たす。
「――きみ……ッ!」
セラリィが驚いたように目を見開く。澄みきった金色の瞳に映る自分を見て、彼女が驚く理由が分かった。
「皆さん、外へ出てください。ガ・ヘラは大いなる力を得て磨耗しています」
そんなふうに気を遣うなと言ったのに。いや、言葉にはしてなかったっけ。
「ね、どうしたの?」
三人が洞窟を出て、たっぷりと時間を置いてからセラリィは尋ねた。俺のために三人を遠ざけてくれたのか。この表情を見させないために。ほんと、気を遣いすぎだ。
何もないよと言えば、そんな筈ないでしょと言って抱き締められる。
「だって、きみ、そんなに辛そうに……」
「ぐ、うぅ、ううう」
良いのだ。半ば覚悟してはいたのだ。誰かが犠牲になるのならば、誰かを犠牲にする必要があるのならば、それを選べと言われれば、俺は俺以外の誰かを選べない。皆んなにも家族や大切な人がいて、皆んなを心配する誰かがいて、未来ってやつが待っていて、俺にはそれがない。だから、これで良いのだ。
覚悟を決めた筈だろう? 守ると決意したのだろう?
だから、もう、泣くなよ。
「ううぅぅ、うううううっ!」
「大丈夫、大丈夫だから。泣かないで。大丈夫だからさ」
セラリィの温もりを感じて、彼女の優しさに触れて、俺は、涙を止められなかった。
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セラリィに再び三人を加え、新たに得た能力について説明していく。
とは言ってもそう多くは語れない。正確には、全てを語る気分ではない。
「もう一度お聞きしますが……精霊の声を聞き、彼等の力を借りる。それが、貴方が授かった能力だと仰るのですね?」
悲しげなセラリィに頷きを返せば、四人から深いため息が吐き出される。セラリィとナギさんは心配していて、ジンさんは困惑し、ザゲンさんは怒っている。まあ、怒るのも無理はない。真偽を見分けられる天使だから尚のこと。
ヘラ、俺はお前を尊敬してる。ザゲンさんは怒りに震えた声でそう切り出した。
「それ以上に信頼してる。強靭な精神力と不屈の闘志、そんでもって嘘をつかねぇ心根を持ってるからだ……なのにお前はッ!」
頬に衝撃が走る。その拳は、無強化で受けるにはあまりにも威力が高い。
馬乗りになる彼をぼんやりと眺めていた。心にポッカリと空いた穴を埋めるには痛みが最適なのかもしれない。
「俺をッ、俺たちを信頼してたんじゃねぇのか! 肩を並べて戦ってくれるんじゃなかったのかよ!」
三人に押さえつけられながらも叫ぶザゲンさんは、ひどく必死だった。必死に俺の心配をしてくれていた。
「……真実です。俺は皆さんを信頼しているし、共に戦います」
「だったら何で嘘をつきやがるッ! その能力の何がお前をそうさせてんだ! お前はっ、他の人間と違って嘘はつかねぇ! そうだろ⁉︎」
そんなに俺のことが信用できねぇのか! そう怒鳴って、ザゲンさんは拳を握りしめた。
すみません。その言葉が虚しく響いた。自分の口から吐き出されたとは思えないくらいに白々しく響いた。
「ヘラ殿。どうしても教えてはくださらぬのか?」
ジンさんは言外にではあるが俺を責めている。どうして新たに得た能力について真実を言わないのだと。
嘘をついたり誤魔化したりしない相手はとても貴重だ。疑いの感情や行動はひどく疲れるから。特に、相手の真偽を見分けられる天使にとっては。“空間掌握”を持つ俺にはよく分かる。
「皆さんの不幸には繋がりません。この世界にとっても。約束します」
「……けど、それでは、勇者さんの不幸に繋がると言っているようなものです」
ナギさんはひどく悲しげに言った。これだから天使って人たちはやりにくい。
めんどうだ。マジメ集団と一緒にいたから俺までマジメになっていた。そろそろいつもの自分に戻るタイミングだろう。
「嘘はついていません」
一つもだ。この会話の最中だって嘘は一度も言っていない。ただ、幾つかのことを隠しているだけだ。
「けれども、私の問いには答えてくださらないではありませんか」
セラリィ、そんなに苦しそうな顔をするなよ。皆んなの前では凛とした女神様でいないと。
「答えていないだけです。嘘をついてるわけじゃない」
「てめぇ! 屁理屈言うんじゃねえ!」
俺は屁理屈が得意でね。ついでに皮肉屋だ。
何よりも今は時間がない。
「話は終わりです」
「ヘラッ、待て! 俺はお前を――」
「敵が来ます。まだ余裕はありますが……ザゲンさん、すみません。けどこれだけは信じてください。俺は、約束は必ず守るんです。俺はこの世界を守ります」
メニュー画面を開きコールを選択。相手はオチョキンさんだ。
『誰かさんのせいで忙しいんですけどー?』
その皮肉げな声と言葉を聞いてひどく癒された。やっぱりこの人は最高だ。
武器はどうかと問えば、彼女は雰囲気を変えた。
『……時間がないのね?』
「長く見積もって、あと六時間ほどでしょうか」
『ごめんなさい。とてもじゃないけど間に合わない。神刀はまだ完成の目処すら立っていないの』
「そうですか。仕方ありません。こっちは何とかしますから、武器のこと宜しくお願いします」
『…………任せなさい。神刀は無理だけど霊刀を送るから、少しだけ待って』
ブツリ、と通信を切断すれば心に冷たい炎が灯った。気持ちを戦いへと切り替えるまでもなく既にして整っていた。
奴がいる。“始哮”に感じたあの恐怖を体が思い出す。俺自身が感じているのではなく、アバターに植え付けられたシステム的なそれ。だから分かる。あの大穴の奥にシークレットボスがいる。
さて、戦いだ。しかも激戦だ。乗り越えよう、死線と死戦を。それを越えた先に、用がある。
だが、まずやるべき事が一つ。
「この都市のどこにありますか? 聖域は」
ジンさんにそう尋ねれば、彼は黙ったままでこちらを見つめた。何かを確かめようとする彼に時間がない事を告げる。俺が二時間ほどこの世界から消えることも。何せ今から聖域ボスを倒さなきゃならない。アップデート中は協力できなくなる。
「俺も行く。不足はねぇ筈だ」
ザゲンさんの申し出を拒絶する。不足はないが肝心な時に戦えなくては困る。彼が居るのと居ないのとでは天と地の差が生まれるのだから。
一人で行くつもりなのかと尋ねるジンさんに、一人ではないと答える。だって彼等が来てくれるもの。死戦で共闘し、死線を共に乗り越え、今や攻略最新鋭のギルドへと至った最高の仲間が。
その一報を届けてくれたのは守護隊の一人だった。
「外に使徒が。雲の結界をこじ開けようとしております。どうやら狂乱化した同胞を保護しているようです」
何をしているんだ彼等は。相変わらず無茶苦茶だ。さすがに破れはしないだろうが、無理をした上で死に戻られてはたまったものではない。
「俺の仲間だよ。彼等を都市に入れる許可をくれない?」
セラリィに頼んでみれば、彼女もまた、黙ったままでこちらを見つめる。奇妙に口を動かし、しかし言葉にはならず、やっぱり黙ったままこちらを見つめて。
「また、戻って来てくれるよね?」
そんな事を、悲しげな笑顔で言う。
「うん。絶対に」
そんな事を、笑顔を作って言ってみる。
洞窟を抜ける。間もなく陽が沈もうとしている。刻々と変化する空の色を眺めながら都市の入り口へ駆ける。各種ポーションの数を確認。まだまだ馬鹿みたいな量を持ってはいるものの補充ができていない。タイミングは幾らでもあったのに。
こういうところがダメなんだよなぁ。アイテムの大量消費は既に戦法なんだから、補充を怠るなんて舐めてる証拠だ。
ピコン、と電子音。いや、電子音が鳴り止まない。どうやら大量のアイテムが転送されているらしく、送信してきた相手はコールして来た彼女だろう。さすがは相棒だ。
「やあ、ルナさん」
『やっほー、ラーさん』
それっきり黙ってしまった彼女は、通信の向こう側でヨシと気合いを入れて。
『ごめんね、ラーさん。ひどいこと言って一方的に切っちゃって』
何のこと? と聞き返さないあたり、俺の対話スキルはかなりレベルアップしているらしい。何のことかは思い出せないのだが、こういう時は黙って話を聞くべきだ。
『ずっと謝ろうと思ってたんだけど、私……ごめんね』
ああ、なるほど。三ヶ月近くぶりに通話した時のことを謝っていたのか。それを気に病んでいたと。
良い人すぎるぜ、ルナさん。悪いのは俺なのに。でも、ルナさんに気遣われると嬉しくなってしまう。だって俺は、彼女のことが――。
ねえ、ルナさんと呼び掛ければ、なぁに、ラーさんと返ってくる。打てば響く、ってのとは違うが、彼女ならそう返してくれると分かってしまう。
「今、どこにいる?」
『北の……ラーさんからずっと遠い所。“精霊都市ラーン”だよ』
遠い所か。それじゃ、間に合わないな。どのみち無理か。戦争孤児を守りながら撤退戦を繰り広げているのだし。
けっこうピンチだとちーころさんは言っていた。手を貸して欲しいのはルナさんも同じ筈。けど言葉にしないのは、俺にやるべき事があると分かっているからだ。
「いつ、かは言えないんだけどさ、お互いの用事がひと段落したら、会わない?」
『うんうん、会いたい。冒険でも行く?』
冒険かぁ。それも素敵ではあるけれど。
「ルナさんと二人でゆっくりしたいかな」
『な、な、なんですと? 二人で、ゆっくり?』
戦いから離れて、景色を楽しみながら、好きなもの食べて、好きなこと話して、そうやってゆっくり過ごしたい。
「良いかな?」
『い、い、イイッ! スゴく良い! 最高です隊長! 二人フラリユラリ週末観光旅行ですね!』
今回のキャラはツアーアテンダントさんらしい。似合ってるかも。ルナさんがアテンダントなら楽しい旅になるだろう。
どこ行こっかなー! と鼻歌まじりに言う彼女はとても嬉しそうだ。だったら俺もとてもとても嬉しい。
やはりルナさんと話すと落ち着く。
彼女と過ごす未来は最高だろうな。よく笑って、よくケンカして、時には離れたり、なんだかんだと騒ぎながら、けれどもたまには静かな夜を二人でゆったり楽しんだりして。
そうやって過ごす未来もあったのだろうか。
もう、やめろ。ありもしない未来を想像したって意味ないじゃないか。
『……ラーさん?』
「何でもない。今から少し無理をすることになる」
『うん。分かる』
「たぶん、今までよりずっと厳しい」
『うん。伝わる』
「俺、頑張るからさ。精一杯、やるからさ。だから……」
そこから先が、出てこない。言いたいことは決まってるのに、どう言えば良いのか分からない。言葉の選択とか、少しの見栄とか、色々なことが引っ掛かって口から出て来ない。
『大丈夫なのだ!』
「……え?」
『私、ラーさんのこと信じてる。だから、ドンと行けっ、相棒!』
慰めでも心配でもなく、背中を押す。俺が言葉にできなかった心の不安を察して、最も欲しい言葉をくれる。
最高の相棒だ。
「ははっ! うん、ドンと行ってくるぜっ、相棒!」
戦え。彼女の信頼を裏切るな。戦い抜け。たとえ彼女と離れることになろうとも。
ヘラッ! と俺を呼ぶ声。クリッツさんだ。周囲には皆んなも。待ち人来たる、だ。
彼は、女性の天使たちを見て興奮するメンバーを殴り飛ばしながら駆けてくる。他の女性メンバーよりは優しい対応だが、なるべく無事なままで揃って頂きたいものだ。
「神討ち隊、並べ!」
夕焼け空の下で見事な整列。全員が不自然なまでにマジメな表情で、なぜか俺を真っ直ぐに見つめている。オレンジ色に照らされる彼らはイタズラめいた雰囲気を隠しもしない。思わず吹き出してしまった。これ、俺を笑わせるために練習したな? 見抜いているのはルナさんだけじゃないってわけだ。感謝しないとな。
さて。彼等に説明をしていく。この都市が戦場になること、敵は大群であること、その戦いに協力して欲しいこと。
「協力するぜ。そのために来たんだからな」
嬉しいことを言ってくれるじゃないか。
「隊長殿、聖域ボスとの戦いは?」
「そちらも協力を。一秒でも早く終わらせたい」
そう言ってみれば予想通りの反応が返ってくる。獰猛に笑い、闘志を叩きつけ、瞳をギラつかせる。最高だぜ、“神討ち隊”。
さっさと聖域ボスを殺して次に進むぞ。
俺がやってやる。プレイヤーを現実に帰し、異界の神々を滅ぼし、この世界を守る。
それが、俺の義務だ。




