111話 聖域の役割
計画は単純明快だ。全ての神を殺し、全てのプレイヤーを現実に帰還させる。当然、俺自身も。せめて僅かだとしても、娘たちに会いたい。ただし慎重に事を進める必要がある。
まずは聖域の発見と、この世界とへパス達の関係性について知る。次にタイミング。一気にケリをつけるか、少しずつ叩いていくか。
差し当たって向かうべきはダシュアンとショーイカだ。俺が知る限りでへパス達との関係が深いのは、天使達の次点で彼等彼女等になる。もしかしたら天使達より深いかもしれない。
ギ・シャラヤさんと二人で都市を出る。向かう先はダシュアン平原の奥地、森との境い目。ドワーフとエルフが手を結ぶきっかけとなったかつての戦場だ。
チノメルさんはそう待たずに現れた。突然の要請だったが、部下も連れずに一人でやって来た。
「へパス神について、ですと?」
「テミス様について、ですか?」
ギ・シャラヤさんとチノメルさんはひどく難しい顔をしてそう呟いた。
かの神は、ドワーフの救い神なのです。そんな切り出しで語られたのは、ダシュアン・ドワーフの歴史だった。
かの神は、エルフの救い神なのです。そんな切り出しで語られたのもやはり、ショーイカ・エルフの歴史だった。
ダシュアン・ドワーフとショーイカ・エルフの故郷は遥か南の地で、バンブルの森と呼ばれる世界最大の森林であった。地上の森にはエルフが。地下の鉱脈にはドワーフが。
地上は自然の恵みに満ち溢れ、地下には貴重な鉱石が多くあった。二種族は互いに助け合いながら生きていた。
変わったのは約三百年前。森林が腐り始め、地下に強大な魔物が出没するようになった。食糧難と外敵の問題は時間と共に大きくなり、死者は夥しい数にのぼった。
「我々の祖先は神々に助けを乞うたそうです」
「しかし、神々もまた瀕していました。異界の神々から攻撃を受けていたのです」
頼る相手はいなかった。その内に疫病が流行り、死者は加速度的に増えていく。
赤子に乳を飲ませる母親の食う物がない。戦える者が日に日に減っていく。子供たちや年寄りから倒れ、病の伝染を恐れて亡骸を弔うことすらできない。
土地の条件も最悪だった。大森林の中心部に暮らしいた為に助けを呼べず、食糧難と外敵に喘ぎ、病に苦しむ彼等彼女等にとっては移動ですら命懸けであった。
「そんな折に、両種族に神託を授かる者が現れたそうです」
そう言って、チノメルさんは血が滲むほどに唇を噛み締めた。
「相手は異界の神々。全ての問題を解決すると。ただし、神々の討伐に力を貸せと」
そう言って、ギ・シャラヤさんは血が流れるほどに拳を握り締めた。
「天使族には助けを求めなかったのですか?」
「彼等もまた、異界の神々との戦いに身を投じておりました」
「私達の祖先よりも悲惨な状況だったことでしょう」
ザゲンさんが言っていた魔物との戦いか。三百年前だとすれば時期としては合致する。確かに、この世界の神々を討つとしたら天使達を抑える一手は正着だし有効だ。
「神々にも天使にも助力を願えない。助かるには、異界の神々に与するしかなかったのです」
意見は真っ二つに割れた。ドワーフとエルフで、ではなく、各種族内でだ。神々を裏切るくらいならば潔く滅ぶべし。何もしてくれない神々よりも手を差し伸べてくれる異界の神々を信仰すべし。
答えは出なかった。決まらなかったという方が正しい。そうして、行動する者達が出始める。異界の神々に頼り、種族に未来をもたらすために。彼等彼女等は外敵にも病にも打ち勝てる頑強さを持ち、この世界の神々からも愛されていた。
その精鋭達が、神々討伐に乗り出した。その精鋭達に、異界の神々は祝福を与えた。
戦いについては語り継がれていない。事が成された時に、彼等彼女等は一人として生き残らなかったからだ。二十四も存在した神々は十二に減った。分かるのはそれだけだった。
だが二つの種族は救われた。流行り病は消え、外敵は死に絶え、森は見る間に豊さを取り戻した。
その後に始まったのは断罪だった。最初から異界の神々を受け入れていれば、もっと多くの命が助かったはずなのに、と。
「そうして、異界の神々に弓を引いた一族は流刑を言い渡されました」
「私達は異界の神々を拒絶した者達の末裔なのです」
ドワーフは地下都市を構築できない不毛な土に覆われた大地に。
エルフは木々が育ちにくく空気が薄い高地に。
土地と環境に強く依存する種族だからこそ、流刑の民は地獄を見た。故郷に帰ることを夢見て真摯に向き合った。そんな彼等彼女等に、異界の神々は助かる道を授けた。
信仰せよ。さすれば許されん。
そうして、ダシュアン・ドワーフとショーイカ・エルフは異界の神々を信仰した。へパスとテミスをだ。信じるしかなかった。恐るべき力を見せつけられているし、故郷への気持ちは封じられないほどに強かった。
当初はどちらが早く戻れるかを競い合い、同じだけ協力もした。それがいつしか憎しみに変わり、埋まらないほどの溝ができあがった。
異界の神々が煽ったのだろうか。それとも感情ある生き物がゆえの妬み僻みだろうか。もしかすると故郷の者達がそう仕向けたのかもしれない。
分からないが、共に手を取り合っていれば違う未来になったことは明らかだ。
異界の神々に関する記録はありますか? そう尋ねれば、ほとんど残っていないと返される。
「ただ、おかしな事にどの神も人の姿をしていたのだとか」
「自分たちに姿が近いことも信仰を受け容れる理由の一つだったのでしょう」
ふぅん? それっておかしな事なのかな? 神といったら人型のイメージが強いけれど。
神と言えば様々な種族から至るものでしょう? そう言ったのはチノメルさん。
具体的にどのような種族がいたのだろうか?
人もいれば竜も獣もおります。そう言ったのはギ・シャラヤさん。
人型の神、竜型の神、獣型の神。どれも知っている。ペンタとオクタ、ノナとトリ。まさに聖域ボスである彼等に合致する。
つまりは――。
「この世界の神々は――聖域ボスかッ!」
キュウ。あいつは元々ノナだった。いや、第九の聖域ノナのボスだった。そして、第九の異界の神はデーメ。
彼女は言っていた。私は世界に干渉する権利を得てしまったと。へパスも似たようなことを言っていた。あいつの干渉が強くなったのはオクタを殺してからだった。そして、俺に干渉して来たのは、否、姿を表したのはこの二柱と、“トリ”……つまりは第三の聖域ボスである神竜“トリ”を殺した直後に現れたポセイドン。
へパスの語りを聞いた時から疑問があった。俺を絶対に排除せねばならない異分子だと捉えておきながら、奴等が起こしたアクションはあまりにも緩慢だった。
もっと早い段階で、より多くの神に攻撃を受けていたら、俺はとっくに死んでいた。常に“死に戻り”の権限を奪い、スキルと称号を取り上げ、その上で攻め立てれば、この命は確実に奪われていた。
なぜそうしなかった? できなかったからだ。何故ならこの世界の神々に邪魔をされているから。
『聖域』とはへパス達にとってのそれではなく、その世界にとってのそれなのだ。聖域ボスが護っているのはへパス達ではなく、この世界そのものなのだ。
神の暮らす場所を聖域という。しかし一方で、何かを封じる領域を指す言葉として使われる場合もある。封じられているのは、この世界の神々と異界の神々の両方だ。だから聖域ボスを倒すとへパス達の誰かが自由を得るんだ。
岩谷さんの予想は外れていた。聖域ボスは異界の神々がこの世界に干渉するための器ではなく、この世界への干渉を妨げる防波堤なんだ。聖域ボスを倒すことは、異界の神々をこちら側へ引きずり下ろす行為ではなく、直接的に干渉できる機会を与える行為なんだ。
知ってしまえば事態がいかに複雑かを理解させられる。俺が殺していたのは、プレイヤーが殺そうとしているのは、この世界の神々だった。俺は敵視している異界の神々を助けていた。プレイヤーは奴らの思惑通りに動いていた。
プレイヤーを強くさせる理由の一つはこれだろう。自らの邪魔をする神々を殺させるため。そして強くなったプレイヤーのアバターならば、あちらの世界ではより脅威となる。一石二鳥。まさに“使徒”だというわけだ。
敵の手のひらの上で踊るのは真っ平ごめんだ。敵の思惑通りに事が進むのも。
だが聖域ボスを倒さなければへパスたち異界の神々と接触するチャンスすらないんじゃないか? 反対に、異界の神々が奴らを倒す可能性もあるのか? だとしたら俺は何もしない方が良い?
待て、待て待て。そもそもどうして奴らは干渉できないんだ? この世界の神々はどうやって奴らの自由を封じているんだ?
知らなければ行動できない。とは言え方針を変えたりもしない。奴らを殺せばプレイヤーを解放できる。奴らを自由にさせればプレイヤーは操られる。その二つが事実であることは変わらないのだから。
だからまずは、知ってる奴に訊く。この世界の神々に最も近く、全てを知る可能性を持つ奴に。結局のところ、彼女の解放を最優先にしなかった俺が馬鹿ってわけだ。
「シャラさん、チノメルさん、ありがとうございました。俺は行きます」
二人が何かを叫んでいるけれど、今は一分一秒が惜しい。
平原を全力で駆け抜ける。転移ポータルへ飛び込んで、第十五の拠点“精霊都市モドン”へ。死に戻りポイントを設定して。
ここから先は走るしかない。その道中で二つの出来事があった。
一つは再会。相手は“神討ち隊”だ。彼らは不可視の足場を登っていた。掲示板に書き込んだ俺の要請に応えるために。こちらを見つけて騒ぎ始める皆んなを見て焦りが解けた。同時に寂しさに支配された。
「隊長様、やっと会えたぜ!」
「隊長さん、お元気でしたか?」
「隊長殿、強さに更なる磨きがかかったな」
クリッツさん、千聖ちゃん、ジークフリードさん、他の皆んなも。次々にこちらへ駆け寄り、見えない足場から落ちかけ、それを互いに笑い合って、やはりこちらへと駆け寄って来る。
心が潤む。どれだけ焦っていたのかを理解する。ステータス上のレベルが上がっても、情けない人間性までは成長してくれないらしい。厄介なことである。
皆んなは相変わらず全身で楽しんでおり、聞けば精霊都市モドンにあるシークレットフィールドを攻略したのだとか。聖域は無かったぜ、クソが。叩きのめしてやろうと思ったのによ。クリッツさんはそう言って大声で笑った。皆んなも似たようなもので。
確かに彼等なら聖域ボスにも勝てただろう。
「でも称号とかスキルと色々ゲットできました。それにスゴいアイテムもあるんですよ! 死に戻りポイントを自由に設定できるんです!」
千聖ちゃんが色々と教えてくれる。まだ子供として見てしまうが、彼女は立派なゲーマーだ。
皆んなには知っていて欲しい。何が起きていて、これから何が起こるのか。
色々を伝えていく。変革、不可視の足場、天使の郷、急がなければならないこと、そして来るべき戦い。
「何処へ進むかは皆さんが判断してください。何を基準にして進むかも」
二つ目の出来事は新たな装備に関すること。
珍しく深く考え込む“神討ち隊”に別れを告げようとした時だった。オチョキンさんから一本の武器が転送され、それを手に持ったのと同時に着信があった。
これ、刀じゃないですよね? と確認すれば、確かにね、と返される。いやいや、確かにねってなんだよ。欲しいのは二刀と大太刀なんだけど。
送られて来たのは刃に濃紫色と青色が入り乱れた大型のナイフであった。
刃渡りは30センチ程。緩くカーブを描き、刃幅は根元が6センチで刃先は鋭く、峰にはセレーションがない。刃先にだけ裏刃があり、刃厚は薄い。柄は刃渡りと同じか、少し長め。順手でも逆手でも握りやすいように凹みが設けられている。
見た目よりかなり重い。いや、めちゃくちゃ重い。なぜだか鞘まで重い。もうこの時点で嫌な予感しかないわけだが。
「ほお、大型だな。こりゃあ見かけねぇブレードだ。フィレ、にしちゃブレード幅が大きいな。先端はスピア型。ハンドルが長いのは良くねぇが……独創的で、おもしれぇ」
クリッツさんがよく分からないことを言っている。放っておこう。
とにかく説明文を読めと言うオチョキンさんに従うことにする。
──────
短刀【哮薙】/等級シークレット
攻撃0/重量139/耐久3500
特殊:こんかを可能とする
特殊:こんかから使い手を守る
特殊:『軽量化』付与
シークレットボス“始哮”の全身を素材とした短刀。
シークレットボスに多大なる効果を発揮する。
──────
短刀なのか、これ。道理でセレーションが設けられていないわけだ。と言うか――
「……は?」
いや、まじで、は?
これ、失敗作ですか? そう尋ねたのも仕方ない。突っ込みどころが多すぎる。
まず攻撃力。こんな数値で何をしろと言うのか。いや、むしろ武器のくせにゼロなんて有り得るのかよと。シークレットボスに多大なる効果を発揮するって、どう考えても嘘だろ、と。
次に重量。大太刀である“竜断ち”より重いとか何かの嫌がらせだろうか。軽量化を付与されていてこれだから尚さら腹が立つ。
極め付けは“こんか”。説明が表示されない。意味が全く分からない。オチョキンさんにも分からない。何なら守ると言われてもそれがプラスに働くかどうかも謎。
「いや、マジで失敗作じゃなくて?」
「スゴい武器なんだから! ……たぶん、うん、そう思いたいわ」
作った人がこれである。このままではパトロン解消まっしぐらだ。
「でもこの短刀、“始哮”の素材がたくさん使われてるのよ? スゴいに決まってるじゃない」
ますます駄目じゃないか。あの“始哮”の素材がたくさん詰め込まれているんだぞ? なのに攻撃力がゼロなんだぞ? 失敗したに決まってるでしょ。
「だって自然とこうなったんだから仕方ないでしょ! 私たちは何もしてないのよ! “始哮”の素材が勝手に集まって、勝手に融合して、勝手に短刀になったのよ!」
「……勝手に、ですか?」
「勝手によッ、そう言ってるでしょ! しかも触らせてもくれないのよこの短刀ッ! これでも必死に“軽量化”を付与したんだから! もう知らないわよ私だって!」
そんなに怒鳴ることはないと思う。耳がめちゃくちゃ痛い。これだけの大声を浴びてHPが減っていないのだから俺って凄い。
けど、少しだけコイツに興味が湧いた。だって“鬼顔の面被り”と同じだもの。勝手に出来上がったのも、俺以外が装備できないのも。
もしや凄まじい可能性を秘めているのか? “鬼顔の面被り”に並ぶほどの可能性を。
……とりあえず、受け取っておきましょうか。
さて。怒り狂うオチョキンさんとの通話を一方的に切断し、すでに明るさを取り戻した“神討ち隊”に堕天使の回収をお願いをしてから別れ、目指すは“天使の郷”。
色々と聞かせてくれよ、マク・ンバル。もう少しで解放するからさ。




