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109話 言葉の重み



 へパスが朽ちる。薄く光り、燐光を放ち、煌めく炎を発して。奴の肉体が消えれば、急激な成長が始まった。

 その感覚に酔いしれながらステータスを確認していく。称号と特殊スキルに追加された“神殺し”の文字と、さらには特殊スキルに追加された“神喰い”の文字をぼんやりと眺めて。やっぱり神だったんだな、とか。誰にとっての、何にとっての神だったのかな、とか。そんな事を考えながら“神”の文字を見つめていた。


 神だってことを否定しようとは思わなかった。何の根拠もないのにだ。


 こんなことされちゃ信じるしかないよな、と。


 崩壊した守護域が生まれ変わっていく。陥没した大地からは輝く水が溢れ清らかな泉となり、なぎ倒された木々からは新たな草木が急速に芽吹きだす。どれもが燐光を放ち、清らかな空気をまとっていた。


 生命が溢れ出る守護域を散策する。ジャングルには生息していない草花や樹木が目につく。ここだけ別世界であるかのように全てが変化していた。

 草花と土の匂いに果実の香気が混じり、爽やかな気候が心を清々しくさせる。鼻をくすぐる木の香り、鮮やかな緑色と木陰の涼しさは、亜熱帯雨林と言うより森林に近い。空気感や匂いまで違うのだから、見えない境界線でもあるのかもしれない。


「あれ?」


 守護域はジャングルの高台にある。南側は断崖絶壁で、ずっと向こうに大きな川が流れている。その辺りは森林だ。それ自体は良い。

 だが以前はポリゴンとして見えていた。なのに今はハッキリと見えている。あちら側の進行権は得ていない筈なのに。

 何か変わったのかと思い久しぶりに掲示板を読み漁るが、それらしき書き込みは一つもない。むしろポリゴンに関する書き込みに異常なものは一つもない。


 もしや、俺だけなのか? 何が起こっている?



『守護域の進化を確認しました!』


『職業【守護者】のレベルが上がります。対象に守護域内の生物が追加されました』



「……ん」


 思考を中断する。と言うか停止させられた。


 アナウンスの言葉を証明するように、駆け寄ってきた二体のヨジュ・ガジュはその姿を変えていた。肉体は大きくなり、乗せられる鱗は見るからに硬く分厚くなっていた。背中には二対四枚の大きな翼がある。まさかと思い種属を確認すれば“竜”になっている。生まれたばかりの子供も同じであった。

 他の亜竜たちもレベルが上がっていたり、肉体が大きくなっていたり、中にはヨジュ・ガジュと同じく竜種へ至った個体もいる。


 変わったのは俺自身もだ。レベルアップはもちろんのこと、首から下に不可思議な紋様が疎ながらに掘り込まれている。タトゥー、と言うべきか、知らない文字の集合体と言うべきか。

 それに気付いた時にアナウンスが流れた。内容は『おめでとうございます! 神格を得ました! 神化が可能になります!』という驚くべきものだった。当然ながら神になんてなりたくないので拒否します。帰れなくなったら困るし。もう手遅れかもしれないけれど。


「とんでもない事になったな……ん」


 無数の花びらに頬を撫でられ足を止める。風に吹かれて流れる、淡紅色の小さな花びらだった。

 流れ来る花びらに吸い寄せられるようにして、その先へと進んでいく。途切れることなく舞い続けるそれに、なぜか強烈に引き寄せられる。


「……ぁ」


 守護域の中心地に一本の大きな木が立っていた。桜だ。流れる風に花びらを散らし、なのに不思議と花弁が減ることはない。枝は逞しくも美しく伸び、張り巡らされた根の周囲に三つの青白い炎が灯っている。


 桜が降るその下で、一人の女性を想った。


「魚見さん、少しだけ進んだよ」


 彼女が成したことに比べればまだまだ足りないけれど。彼女の覚悟に応えられるだけの成果にはまだまだ届かないけれど。


「やったぜ」


 彼女を証明することはできた。成したことがどれほど偉大で、決めた覚悟がどれだけ重厚であったのか。


 紅の球体を取り出し尋ねてみる。


「あんたは、どうなんだ?」


 魚見さん、岩谷さん、へパス、ポセイドン。彼らについて語る。声が届いているなんて考えちゃいない。聞こえていない今だから話せるのだ。復活したあとに語れば説得になってしまう。そんなことはするべきじゃないし、したくもない。これは、ただの自己満足。


 だから、覚悟を。復活した彼が再び死を望んだのなら責務を果たさねばならない。


「行くぞ」


 透明な矛を振り上げる。球体を放り投げ、漆黒に輝く矛で貫きながら。

 そもそも彼は復活を望んじゃいないかもしれない。そんな不安が浮かび上がった。


 良いさ。これも自己満足だ。ケツを拭くことくらいできる。今の俺なら苦しませずに一瞬で終わらせることも可能だ。


 だから、けれど。


「生きろ、――ドゥゴラさんッ」


 貫いた球体から白い光が発された。その光は守護域を埋め尽くし、少しずつ集約し、集束し、さらに眩く輝いて。

 空中で人の形を成していく。白い光が燃え盛る炎に変わり、彼の周囲に渦まき、肉体に取り込まれていく。


 その中から一体の竜が飛び立った。


「……お前にも感謝しとくぜ、一応な」


 神竜。奴の考えなど分からないが、彼をこの世に留めてくれたの確かだ。


 美しい光景だった。生命が誕生する瞬間とはこうあるべきだと主張するかのように。彼に“生きろ”と強く訴えかけているかのように。


 炎が全て取り込まれれば、堂々たる体躯の男が目を開けた。とてもゆっくりと、ひどく恐る恐る、しかし縦長の瞳孔に力強い輝きを携えて――


「うおっ⁉︎」


 地面に落ちた。まあ、空中に浮いていたのだから当然なのだけれど。


 やあ、ドゥゴラさん。そう呼び掛ければ、彼は目を瞬かせながらこちらを見て、周囲を見回した。ヨジュ・ガジュたちに驚き、他の亜竜たちにも驚き、理解できない事態と景色に、再びこちらを見た。

 使徒ヘラ? そう発した彼の声はやはり重厚に響く。理解できない状況下にあっても変わらない声音に、思わず笑みを溢してしまう。ひどくひどく安心してしまうのだ。


 さて、謝罪と説明を。

 約束を果たせなかったこと。戦友として最期の務めを果たせなかったこと。

 神竜。二柱の神。魂と肉体。二度目のチャンス。


 桜の花びらが降る中でドゥゴラさんは寝転び、目を閉じたまま、静かに耳を傾けていた。彼の表情と心は凪いだ水面のように落ち着いていて。しかしどこか諦めたような気配を放っていて。


 前を向いてくれ。生きたいと言ってくれ。話しながらそんな事を強く願っていた。


 使徒ヘラ。彼の語り出しは、何度も聞いた俺を呼ぶものだった。


「おいら、あんたの戦いをぼんやりと見ていやした。どっか遠くで感じていやした。あんた、やっぱりすげぇお人だ」


 彼は止まっていたわけじゃない。あの球体の中で時間を経ている。だったら心変わりをしているかもと期待してしまう。俺が戦う姿を見て、へパスのように何かを感じていてくれたら、彼はまた前を向いてくれるのではないのか。


「あんたと共に戦えたことは、あっしの誇りです」


 そう言った彼は、彼の表情は、死を選択した時と全く同じだった。バツの悪そうな笑顔で、ガハハと笑っていて。


「あの戦いのためだけに生きて来やした。おいらの人生は、ドゥゴラウス・バルファムトは、あっこで終わりでさぁ」


 彼の考えは変わっていなかった。俺では、彼に未来を見させることはできなかった。


 クソったれだ、本当に。


 望まぬ二度目の生を与えた俺には責任がある。始めた俺には終わらせる責務がある。だから大太刀を抜く。せめて苦しまぬように一瞬で。


「あっこで、終わったんですよ、ドゥゴラウス・バルファムトは」


 再びそう言ってドゥゴラさんが立ち上がる。縦長の瞳をギラつかせ、全身から威容を発し、奥底から活力を漲らせて。


「生きろと言われやした。神竜と、体も心もでっけぇ戦士に」


 そう、彼は嬉しげに言った。


 肉体を守った神竜。魂を保護したポセイドン。彼らはドゥゴラさんを見抜いていた。生きるべき人なのだと。偉大なる戦士なのだと。認めかたは違っていたが、へパスも。


「おいら、生きなきゃなんねぇ。あいつ等に生かされちまったから」


 あいつ等とは誰を指すのだろう。そんな事を考えた。神竜とポセイドンか、ドゥランか、それともリンネさんとアイネさんか。


「だから、使徒ヘラ。おいらに与えてくだせぇ。生きなきゃならん意味を。あの神竜とでっけぇ男に報いられるような生を」

「……ドゥゴラさん……」


 生きる、と彼は言っている。ただし、今は、まだ半分だけ。


 嬉しいはずなのに喜べない。生きる意味を与えるだなんて、そんな恐ろしいことを、彼は求めているのだ。俺にできる筈がない。


「使徒ヘラ。おいら、あんたの言葉になら従える」


 応えられなかった。生きなければならない理由なんて与えられるわけがない。漫画や映画の主人公のように熱い想いで、心震わせる言葉を、全力でぶつけることが、俺にはできない。


 人には様々な事情や感情がある。他人には理解できないくらいに深く、想像できないくらいに大きな色々が。ドゥゴラさんほどの精神力でも未来を捨てたくなる過去が。

 それを、俺のような人間が、何を言えば良いというんだ? 彼の二度目の人生に、何を与えられるというんだ?

 生きなければならないと彼は言った。俺の言葉になら従えるのだと。けど、俺の言葉で、彼がずっと苦しむことだってあり得るじゃないか。やりたくもない事をやらなければならず、やりたい事がやれず、そうやって人生を消費していく辛さを、俺は誰よりも理解している。


 俺はヒーローじゃない。ヒーローにはなれない。漫画や映画の主人公が吐く熱い言葉を、安易かつ無責任な自己満足だと考える俺には、何も言う資格がないんだ。


 怖いんだ。未来の彼が、俺の言葉のせいで絶望することが。


「すみません、ドゥゴラさん。何も、言えません」


 できるのは、謝ることだけ。情けねぇ。


「俺は……あなたに生きて欲しい。他の誰よりもです。けれど、俺は、あなたに生きる理由と意味を与えられない。俺は、臆病者だから」


 せめて正直に。情けない自分をさらけ出して。


「あなたほどの人を、どこかで戦ってる全ての人に希望を与えられるあなたの未来を、俺の言葉で縛りつけるのが怖い」


 今だって怖い。俺の気持ちを吐き出した結果、彼が絶望したら? また死を選択したら? そんな恐怖で体が震えるんだ。


「これだけ生きて欲しいと願うのに、ドゥゴラさんこそが生きるべき人だと思っているのに、あなたなら光を与えられる人だと分かっているのに、俺が与えろと言われたら足がすくむんです。すみません。俺は、俺には、誰かの人生を、あなたほどの人生を背負うなんてこと、できない」


 想いの全てを吐き出せば、己の安直さにひどく嫌気がさした。あまりにも馬鹿な言葉の数々を思い返して、視界が暗くなった。

 ドゥゴラさんは黙ったままで立っていた。真っ直ぐにこちらを見つめまま、桜の花びらを浴びながら、立っていた。


 縦長の瞳をギラつかせ、全身から威容を発し、奥底から活力を漲らせて。


 彼は、ガハハと笑った。彼は、ガハハと泣いた。


 その笑い声と涙の理由が分からなくて恐怖した。諦めから来ていたら? 絶望がそうさせていたら? 今にも、死にたいと言ったら――


「使徒ヘラッ!」


 呼びかけられて、肩が跳ね上がる。次の言葉を聞くのが、怖い。


「おいら、幸せもんだ!」


 …………え?


「あんた程のお人に、生きてほしいと願われた! 光を与えられると認めてもらった! おいら、幸せもんでさぁ!」


 許してくだせぇ、とドゥゴラさんは言った。二度も辛い選択をさせてすいやせん、と。


「おいらは情けねぇ男でさぁ」


 てめぇで選んだのは死だけで、前を向くためにゃ誰かに尻を引っ叩いてもらわなきゃなんねえ。戦友の手を、そんな事に使わせようとして!

 そう言って、ガハハと笑い、ガハハと泣く。表情は笑顔のままで、しかし涙を流して。

 後ろ向きな涙でない。それだけは分かった。


「使徒ヘラ。おいら、生きやす。あんたが認めたおいらに追いつくために。あんたから見たおいらが正しいんだと証明するために」


 おいら、一生懸命に、生きてみやす。


 桜の木の下で、舞い散る花びらを全身に浴びて、彼は宣言した。

 その決意に心が震えた。報いたいと思った。だが、応えたのは俺ではなかった。



『新たな守護者が生まれました!』


『職業【守護者】のレベルが上がります。ドゥゴラウス・バルファムトの守護力によって守護域が拡張されます』



 アナウンスの通りに、守護域が変化を見せ始めた。白色の大きな花が咲き乱れ、木々に果実が実る。吸い寄せられるように鳥たちが群れを成して泉に集まり、彩りを添えるように虫たちが盛大に演奏を始める。

 集まって来たのは彼等だけではない。どこかぼんやりとしながらも確かに存在するものたち。控えめで、しかし奥深い力を宿しもの。精霊たちが、守護域に集まって来た。


 それは証明だった。ドゥゴラさんがどれだけ偉大で、周囲を照らす光たり得る存在なのか。彼が前を向くだけで多くの存在が背中を追うのだと。


 人の心って分からないなぁ。説得するつもりも、生きる目的を与えるつもりもなかったのに。弱音を吐いたら、彼が前を向くとは。


 本当に、心ってやつは難しい。


 けど、そんな事はどうでも良い。ドゥゴラさんが未来を見てくれた。それだけで満足だ。ドゥゴラさんがこの世界に認められた。それが何よりも嬉しかった。


「使徒ヘラ……」


 こちらを見るドゥゴラさんは、ギラつく目を大きく見開いた。驚きたいのはこちらだってのに。


「使徒ヘラ……泣いてんですかい?」


 泣いてない。たとえ泣いていたとしても、そういうのは言葉にするものじゃない。無粋だし、意地が悪いだろ。だいたい、ドゥゴラさんと一緒に戦ってから大変な目に遭いっばなしだ。


 言いたいことは色々とあるし、思いきり皮肉をぶつけてやりたいけれど。


「よく、立ち上がったな、戦友」


 それだけを言った。それだけで十分だった。


「待たせて悪かったな、戦友」


 それだけを言われた。それだけで満足だった。


 こんなに嬉しいのは久しぶりだ。未来に期待するのも。

 今回は得られたものがたくさんあった。大きな成長、凄まじい武器、守護域の拡張、偉大な戦友。

 このまま一気に駆け抜けて、引っ掴んで、さっさと世界を旅しよう。


 だがその前にやるべき事がある。奴らの目的を知ってしまった以上、それを止める力が自分にあると分かった以上、やらなければならない。


 この先は激戦になる。激戦に次ぐ激戦だ。


 行こう。全てを終わらせるために。


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