106話 お前は、どうなんだ?
夜のジャングルは相変わらず幻想的で、土と緑の匂いに満ちている。煮えたぎる心を鎮めるのにはもってこいの場所だ。
様々な光が視界を照らす。陽があるうちは目にしない蝶や鳥。暗闇でなければ活動できないと言わんばかりに悠々と舞う不思議なクラゲ達。昼は自らを潜めていたのに本来の存在価値を示す鉱石。
光が溢れている。なのに一呼吸ごとに闇が深さを増していく。そう感じるのは、やはり心に深い闇が沈澱しているからなのだろう。
『……何のことが分からないっすけど……分かったっす……伝えるっす』
通信の向こうから戸惑いの感情を発しつつ、獅子丸くんはこちらの要望を聞き入れてくれた。そう難しいことは頼んでいない。タチミツさんへの伝言をいくつか。
これからやる事の結果がなにを引き起こすか分からない。だから警笛の意味をこめて注意喚起をしておく。俺からは連絡を取るわけにいかないし、俺には全プレイヤーの面倒を見ることなどできない。関係性が悪化しようとも頼るべきは彼であり、俺は得意の丸投げをする。
まあ、今の俺たちは事務的なくらいでちょうど良いのかもしれない。
俺は俺にしかできないことを、やるべき事を、必ずやり遂げる。
ヘラさん、と獅子丸くんに呼びかけられる。まだ通話中だったらしい。
なに? と聞けば、彼はためらうように暫くを黙って。
『大丈夫なんですか? ウチとも切れたみたいだし、なんか、思い詰めてる気がするんですけど』
心配か不安か。ネガティブなのは珍しい。口調まで変わってる。
大丈夫だよ、と言えば、絶対ウソでしょ、と返される。気心の知れた間柄だとこういったところが面倒なんだよな。
だったら、こちらも尋ねてみようか。
「獅子丸くんはどこまで知ってる?」
『……なにがですか?』
「へーエルピスについて。ギルドとしても、現実側の組織としても」
『俺は……』
言葉を詰まらせて、何かを言い淀んで、彼は言った。話せることはありません。何も知らないんです。ゲーミングチームとしてのへーエルピスのことしか。俺たちのほとんどが、ゲーミングチームだけに所属してしていますから。
そうして、彼は近況を話し始めた。ポイさんとヨミさん、支援部隊、その他にも俺の知らない多くのメンバーについて。一人一人、丁寧に名前を言って。
彼の話はひどく長かった。いつの間にか夜が明け、ジャングルは活気に溢れている。二百人以上もの人間について話すのだから当然だった。
全て記憶していく。内容をじゃない。プレイヤー名をだ。
『そんなかんじで、俺らは純粋にゲームを楽しんでます。黒羽さんとザオトメさんは少し大変そうですけど。立場的に中途半端っぽいので』
そう、彼は話を締めくくった。少しの余韻をはさんで、伝わりました? と尋ねてくるあたり、彼なりに覚悟を決めているらしい。
ああ、十分にと言えば、通信の向こう側で頷く気配があった。
互いに別れの挨拶をして、やはり少しの余韻を置いてから、静かに通信を遮断した。
感謝するぜ、獅子丸くん。おかげでとっても有意義な時間になった。敵と味方の判別が難しいこの状況下で、ギリギリとも言えるラインまで踏み込んでくれた。彼にとっても危険だと理解していながら、それでもたくさんの事を教えてくれたのだ。
彼は俺なんかにどれだけの信頼を寄せてくれているのか。人を見る目は無さそうだ。少しばかり彼の将来を不安に思いつつ、さて、準備を。戦いに向けて集中を。
此処は“古代の遺林”、その奥深く。背後にいる二頭のヨジュ・ガジュは、俺をうんざりするほど舐めまわし、満足した今は食事の真っ最中である。
その横で小さな個体が彼等に頭を擦り付けている。卵から孵ってそう時間を置いていないであろう彼は、俺を見つめ、何かを確認するように頬をひと舐めした後、こちらを気にしながらも両親に甘えている。
此処は賑やかしくなった。かつてはあの二頭だけだったが、今では彼らの子や亜竜をはじめとした多くの生き物が暮らしている。感慨もなにもないけれど、役立ててくれているのなら何よりである。
視界に映るジャングルの風景に精神を溶け込ませる。亜熱帯雨林特有の肌にまとわりつく温暖湿潤な空気、様々な生き物が放つ音、むせ返るような緑と土の匂い、どこかで行われている食物連鎖。それ等を全身で感じ、存分に味わい、一気に遮断する。
何かを察したのかヨジュ・ガジュ達が離れていく。賢くて助かるよ。今からの戦いでは守ってやる余裕はない。俺自身が生き残れる確率だって低いだろう。新たに得た二つの称号とスキルに期待するばかりである。
称号『闘神』は聖域ボス“トリ”の討伐報酬だ。戦いの場において身体能力を大きく向上させる力を持つ。ダメージを負えば負うほど、残HPが少なければ少ないほど大きく強化してくれる。
称号『絶対君臨』は突発イベントの報酬。敵の数に比例して全能力をアップさせる。それは魔力と神気にまで及び、“薄刃伸刀”や“神技”も恩恵を受ける。
同じく突発イベントの報酬である特殊スキル『覇者の心魂』は、格上と対多数との戦闘において与ダメージを大きく増加させ、被ダメージを減少させる。相手が格下だと逆になり、数によってはデメリットの方が大きくなる。
他にも突発イベント中に増えた称号がある。『殲滅者』、『反逆者』、『天下無双』の三つだ。
“殲滅者”と“天下無双”は殆んど同じ効果を発揮する。格上かつ対多数との戦闘において身体能力を向上させる。違う点は、“天下無双”は武器にも影響を与えること。刃物限定ではあるが、俺にしてみれば願ったり叶ったりである。
“反逆者”も同じような効果を持っていて、所持者よりも格上との戦闘において全能力をアップさせるという単純にして強力なものだ。
どれもこれも今からは必須の能力だ。この先、格下と戦うことなど無いだろうから。
そんなふうに称号とスキルへ意識を傾け、今にも動き出しそうな肉体を制御していた。
身体の真ん中でフツフツと音を立てるモノがある。それを抑え込み、息を細く長く吐きだす。解放するのは今じゃない。
えらく遠くまで来たものだ。今まで何度もそう感じたが、本当に、まったく、随分と遠くまで来たものである。
なにせ距離も分からない。もっと言えば距離で表すことが可能かどうかすら分からないけれど。その辺りも是非お聞かせ願いたいものだ。
だから来いよ、さっさと。俺がこうなった以上、お前は来る必要があるんだ。取り返しにか奪いにかは分からないが、放っておくわけにはいかないんだ。
お前が今までの立場を維持するためには、お前が圧倒的な存在でいるためには、必要な力なんだから。何なら、今の俺ごと取り込めば力を増すかもしれないんだぜ?
「なあ、そうだろう?」
声を向けた先に、一人の男が現れた。
それはひどく平凡な現れ方だった。眩い光を放って、だとか。一瞬の内に、だとか。そんな驚くべき方法ではなく、足を引きずりながら歩いて現れた。超常の力を持つ存在とは思えないくらい惨めな歩き姿で。ただの人間のように息を切らせて。
ひどく恨めしそうに、以前よりも小さな存在感で、こちらへの警戒を隠しもせずに現れた。
「待ってたぜクソったれ――へパス」
えらく余裕がなさそうだな。そう言ってみれば、瞳に灯る恨みを強くして睨んで来る。何も言わず、何もせず、ただ視線を向けてくる。
まだまだ化け物と呼べる領域にいるが、奴自身にとっては力を落とすこと自体が異常事態で、疲弊する理由に足るのだろう。
「軟弱なんだな、意外とさ」
仕方ないよな。もうお前は失ってしまったんだから、色んなものを。
「だろ?」
「ヘラァアア!」
叫び散らして、目を血走らせて、フラつくへパス。意識を惹きつける力強い声も、感知スキルをショートさせる存在感も、まったく見当たらない。もはや取りつくろう力すら無いのか。
「けどまあ、声に怨みを乗せるのは上手いじゃないか」
「貴様のせいでッ、貴様さえいなければッ――」
「うははっ!」
笑い飛ばす。血走った目で睨んでくるへパスを。その情けない心根を。
「なぁおいへパス! 学ばなかったのか? 自分の無能ぶりから目を背けちゃいけないって。失敗の原因を誰かのせいにするなって。今までさんざん教えてやっただろ!」
「貴様が壊したのだ! 貴様が居なければ何事もなく終わったのだ! ――全ての世界の支配が!」
核心に迫る言葉を吐いて、やはりへパスはフラついた。叫んだだけなのに。攻撃を受けたわけでもないのに。ひどくフラついた。
うはっ。うははっ! いやいや、フラついたって仕方ないよな! お前の脚は、終わってるんだから!
「生まれつきだっけ? 母親を庇って父親に投げ落とされたからだっけ? 神話ではそんなふうに語られてたぜ? どっちが真実なんだ?」
そう尋ねれば、へパスは相も変わらずに血走った目で叫び散らした。貴様らの世界の神話に真実などあるものか! そんな事を、ひどく真面目に叫んだ。
「親に頼らねば誕生できぬ矮小な貴様らの価値観で語られる真実などありはせぬ!」
「はいはい。どうせ神話になるほどのもんじゃないだけだろ」
「歩んできた我が道の重さが貴様らに分かってたまるか! 脆弱な精神では狂ってしまう永き時を、軟弱な肉体では朽ちてしまう永遠を――」
「もう黙れ」
意思を込めて言えば、へパスは目に見えて怯えた。そのままでいろ。言いたいことがあるなら心で唱えてろ。
「お前は俺の質問に答えるだけで良いんだよ。馬鹿みたいに首を縦か横に振ってろ」
今度は殺意を込めて言ってみる。全身の震えを必死に隠す姿が滑稽すぎて笑ってしまう。
何者だ? 目的は? 仲間の数は? プレイヤーの役割は? なぜお前だけがこの世界に直接的に干渉できる? どうして俺を付け狙う?
訊ねるべきことは山のようにあった。だがその何れにも奴は答えなかった。貴様に答えるものか。それが唯一の返答だった。
「お前の自分語りを聞くために待っていたわけじゃぁないんだ。安心しなよ。あんたへの興味はもうほとんど薄れてる」
なにせ以前ほどの脅威を感じない。それでもまだ格上だが、手を伸ばせば届く場所にいる。
神って奴を高く見積りすぎていた。どう足掻いても勝てないのだと。だがどうだ。実際の神は随分と繊細で不確かな存在じゃないか。力をたった一つか二つ奪われただけでこうも疲弊する。
人間の方がよっぽど強いぜ。罵りを込めてそう言えば、力を返せ、とへパスが言う。
「悪いな。返し方が分からないんだ」
「ふざけるな! 貴様、いったいどうやって……なぜこんな事が……」
項垂れるへパスは、とてもちぐはぐに見える。未だに恐るべき力を保持しながら、何が気に入らないのかひどく絶望している。息切れなんて起こすはずがないのに声を荒げただけで呼吸を乱す。その有り様に疑問ばかりが浮かぶ。弱ったとは言え強大な力を持っているんだ。戦って奪い返せば良いだろうに。
ああ、なるほど、そうか。
「神は成長できないんだって? これも真実じゃないと言うのか?」
いや、真実である可能性が高い。奴は言っていたもの。親に頼らねば誕生できぬ矮小な貴様ら、と。つまり奴に親はいない。生まれた瞬間から完成されていたんだ。天使達のように。
天使達と奴の違いは、学ぶ意識と、持って生まれた力の大きさ。一方は学ばなければ使命を果たせず、もう一方は学ばずとも好き放題にできる力を持って生まれて来る。その違いは大きい。天と地ほど。
努力する必要がないから。誕生した瞬間には強かったから。身につける努力を、その苦しさを、奴は知らない。身を焼く火の熱さも、身を刺す水の冷たさも、何も知らないんだ。
だから絶望している。だから疲弊している。持って生まれたものしか手元にはなく、それを奪われたから。
「……うはっ、うははははは!」
「その、気味の悪い笑い方を、やめろ! 私を嗤うな!」
いいや、笑えるぜ。そんなんで神? まったく、呆れるほどくだらない。
「うはははっ、はは、はぁ……。――くだらないよ、お前」
あまりにも弱々しい姿にひどく苛立つ。身の内で抑え込んでいたモノが吹き出した。荒ぶるそれを解放すれば、もう止められなかった。
気が変わったよ、と告げる。やっぱりお前には酷い目に遭ってもらうよ、と宣言する。
見下すな、だとか。貴様ごときに、だとか。三下が吐きそうなセリフを端から端まで並べて、奴はこちらに向けて疾走を始めた。武器も持たず、神技も発動できず、ただ腕を振り回すだけの暴力だ。
なんだそりゃ? 殺して欲しいのか? 恨み言を吐き出すだけで、意思を込めていない乱暴を、攻撃と言えるのか?
「竜人特化、薄刃伸刀」
“迅雷”を発動し、前へ。タララカン以前と以後では大きく変わった力を注ぎ込む。奴の回復速度こそ恐るべきものだが、言ってしまえばそれだけだ。
腕を切り飛ばす。生えてくるまで待って、また切り飛ばす。右も左も均等に。同じ回数、同じ位置、同じ振り方。なのに防げず、躱せず、ただ切り飛ばされる。それどころかひどく混乱し、絶望感を深くしていく。
強大な力があるにも関わらず、まったく戦えちゃいない。俺を殺せる力を持ちながら少しだって扱えちゃいない。異常事態に囚われた心では、脆い精神では、力を活かすことができないから。
そうこうする内に存在感が萎んでいく。“生気切断”の力によって生命そのものを削り取られていく。こんな相手なら竜人化するまでもない。第四のゲージの無駄使いだ。切り札を見せる必要だってない。
「退屈だな、お前。お喋りでもするか?」
「ぐくっ、きさ、貴様っ!」
辛そうだな、へパス。そう、優しく語りかける。腕を切り飛ばしながら話し続ける。己こそが矮小だと理解させるために。
「そう言えば、あんたに操られていた司教さま。あの彼もこうやって腕を切り飛ばして弱らせたよ」
俺が殺した唯一の人間。本来なら戦闘とは無縁だったであろう彼。あの細首を刎ねた感触が手のひらから離れない。
彼は抵抗したぜ? 戦ったぜ? 弱くて、意気地なしで、戦いを知らない。けど、戦う意味だけは知っていたよ。それに比べてお前はどうだ?
問いかけに対する答えは拒絶の言葉だった。黙れと叫び、腕を振り回す。
「いいや、やめない」
俺は今、喋りたい気分なんだ。そう言って、続けていく。
こんな奴もいたな。抱いた夢を踏み躙られ、仲間を奪われ、閉じ込められた男が。孤独と戦いながら、しかし絶望しちゃいなかった。歯を食いしばり、やれる事を探し、着実に実行した。敵の強大さを理解していながら、それでも諦めることなく戦い続け、託した。
彼に比べてお前はどうだ?
こんな奴もいたよ。掲げた信念を利用され、事態に恐怖し、自らの行いを悔いた女性が。普通なら挫ける状況で、それでも戦う意志を固め、やっぱり絶望しちゃいなかった。前を睨みつけ突き進んだ。自らの人生をかなぐり捨て、命を懸けることの意味を理解し、未来すらも敵を追い詰める手段に選び、命を散らしながら、託した。
彼女に比べてお前はどうだ?
こんな奴もいた。親友が悪意に堕ち、妻と娘を殺され、故郷を失った戦士が。大切なものを全て失い、敵と自らを怨み、なのにやっばり、絶望に呑まれたりはしなかった。誰よりも戦いを知り、戦う意義と意味を理解していた。押し寄せる絶望を蹴っ飛ばし、蝕む怨みを笑い飛ばし、持てる力を最大限以上に出して、最期の瞬間まで笑って死んでいった。
「彼等に比べてっ、お前はっ、どうなんだっ!」
持っているじゃないか、あり得ないほど大きな力を。その気になれば俺を殺すことだって、いたぶることだって可能じゃないか。
なのに戦わない? 意気地なしに戦わせ、岩谷さんと魚見さんを踏み躙ったお前が?
「そんなの……許せねぇ!」
戦え! そう叫んだ。奴は地面にへたり込み、震えていた。瞳には相変わらず絶望だけが灯り、前を向こうともしなかった。
なんて無様な奴なんだ。こんな奴に踊らされ一時でも恐れた自分が情けない。
「……もう、良い。よく分かった」
終わりにしてやるよ、お前をと宣言する。奴がビクリと震え、絶望を大きくする。
「楽には死なせてやらねぇ。お前は誰よりも絶望しなくちゃならない。いや、絶望させなきゃ俺の気が済まねぇ」
「ほざけ……どうせ私は、そう遠くない内に滅ぼされる」
ふん? 相変わらず色々と知ってそうだな。
「だから、そうだなぁ、お前は、俺が生かしておいてやるよ、用済みになるまでは。殺してくれと叫んでも、死にたいと願っても、俺が認めるまで死なせてやらないよ。これまで永遠と思えるほど生きてきた時間を忘れるくらい、お前は絶望し、痛みを受け、最後はひどくひどく惨たらしく殺されるんだ」
言いながら斬りつけていく。既に無抵抗となった彼を、生えてくる腕を、残した生気を、斬りつけていく。
そうして、息をするだけになった奴の目を間近で覗き込み、ささやく。
「なあ、へパス――今はハッキリと見えるぜ、お前が」
顔を踏みつけて、踏みしめて、大太刀で地面に縫い付ける。
へパスは絶叫することも痛みに喘ぐこともなく、ただ寝転んでいる。
「けどまぁ、もう一匹、殺さないとな?」
視界の端に強烈な光が発された。そこから感じるのは、感知系スキルをショートさせるほどの威容だ。光を潜りぬけて大男が現れる。
「来た……私は終わりだ。ヘラ、貴様もな!」
へパスを無視して大男を観察する。右手には金色に輝く大きな三叉の矛を握り、左手には燃え盛る紅の球体を乗せていた。その球体をこちらに突き出し、そいつは言った。
そやつを引き渡せ。さすれば戦友の魂と肉体を解放する。
腹の底を震わせる重厚な声に何も答えず、二刀を引き抜いた。




