102話 プログラムによる痛撃
プログラムで構築された世界。否。視界にある幾つかのものがそれで構築されている。
まずは俺自身。そして肉体に残る継続ダメージ。さらに、竜の胸と脳の一部。今注視すべきは継続ダメージだ。
そこには小さな小さな二つのゼロとイチが蠢いていた。
そこから小さな小さな二つの数字が、やはり蠢きながら鎖のようにして天に伸びていた。
さらにそこから小さな小さな二つの数字が竜の脳に繋がっていた。
「うはは……見つけたぞ」
聴こえた自分の声は、空気を揺さぶるほどに仄暗かった。
数字の鎖を引っ掴む。両腕の肘まで巻き付け、“迅雷”を発動し、ぐい、と引き寄せる。
途端、天が割れた。
『貴様っ! なぜ干渉できる⁉︎』
聴こえた彼の声は、笑えるほどにうわずっていた。
数字の鎖を引き寄せる。全身に力を込め、数字ではない大地を踏み締め、ミチミチ、と手繰り寄せる。
『Data_octa_ΗΦΑΙΣΤΟΣへのアクセスを確認』
『正規のアプローチと判断。アクセスを許可』
システムアナウンスが無機質な声で告げていた。それは珍しくも俺を後押しする形となった。
『アクセス可能時間、5秒』
5秒もくれるのかい?
「――竜人特化」
ゆっくりと、だが着実に鎖を引き寄せる。二つの数字が俺へと流れ込む。天に轟く苦悶の叫び。奴がのたうち回る光景が目に浮かぶ。
「ざまを見やがれ。そして受け取れ、クソ野郎」
これが岩谷宏明という男の覚悟だ。これが魚見楓という女の執念だ。フラッシュメモリというありふれた物に詰め込まれた復讐だ。プログラムを突き詰めた彼と彼女による、プログラムを理解できない怪異への痛撃だ。
『ぎゃああああ!』
「うははっ! お前の悲鳴をもっと聞かせろ!」
全身に熱が広がる。その感覚は、これまで幾度も味わってきたものだ。システムに手を伸ばし、引っ掴み、我が物とする感覚。定められた限界を突き破り、自分だけの力を得た感覚。
だが今回のそれは、今までと比べものにならないほど大きく深い。
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ヘラ:否人Lv.⁇:変革者Lv.8/至師Lv.8/守護者Lv.5
スキル:【双刃技Lv.64】【刃技Lv.64】
【急襲Lv.20】【魔の深淵Lv.10】【魔闘Lv.10】
【戦鬼君臨Lv.10】【未知への挑戦Lv.20】
【si:-@じ!&Lv.⁇】【肉体奏者Lv.20】
【光輝永劫Lv.11】
【マッピング】【薄刃伸刀】【原始の細胞】
【金剛髄】【竜狩り】【明鏡止水】【残響】
固有スキル:【先見の眼Lv.20】【迅雷Lv.21】
【竜人特化Lv.3】【竜咆Lv.3】【竜紋Lv.3】
【空間掌握Lv.25】
???:【ポート】
称号:【闇に生きる者】【逸脱者】【残忍なる者】
【刃神の奥伝】【制者】【退魔者】【違背者】
【魔を覗く者】【魔の求道者】【死者を照らす者】
【野性への暴虐】【魂の守護者】【魂の殺戮者】
【森の覇者】【遺林の覇者】【慈悲なき者】
【竜狩り】【殲滅者】【反逆者】【天下無双】
【竜からの畏怖】
先天:【竜の因子】
加護:【ΔΗΜΗΤΗΡ】
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この激戦で得た称号なんて今は無視。バグっている“神聖魔法”が今の目的だ。当然この鎖から流れ込んだ力が原因だろう。スキルを取り返しただけではなく、奴の能力を強奪したが故のバグ。
「どうせなら他にも」
空から無数に伸びる数字の羅列。それ等は全ての竜に繋がり、やはり蠢いている。これこそが竜を狂わせるナニカだ。
切断など出来はしないが、だったら奴の権限を失くしてしまえば良い。具体的には、このイベントに対する奴の権限を白紙にする。
『Data_octa_ΗΦΑΙΣΤΟΣが持つ権限の書き換えリクエストを受信。承認。書き換えを実行します』
『アクセス可能時間切れ。遮断します』
ブツリと鎖が断ち切れる。同時に視界が通常に戻っていた。
この瞬間にフラッシュメモリの力を理解した。これは攻防一体型の武器だ。奴らから奪い、こちらが奪われるのを防ぐ。奴らの馬鹿げた力に重い重い蓋をする、まさにウイルスに対するウイルスだ。俺にとっての神器なのだ。
「最高だぜ、岩谷さん、魚見さん」
さて。行こうか。
体内に在る熱が全身に広がり馴染んでいく。そうすれば、ほら、既に俺の物になっている。
「胸糞悪いスキル名だけどな」
“神聖魔法”は“神技”に生まれ変わり、特殊スキルとして加わっていた。その名称が何とも残念だ。おまけに“神気”という特殊スキルと“神の因子”などという先天まで取得してしまった。
「使徒ヘラ、限界だ!」
ドゥゴラさんは血塗れだった。それでも黙って耐えてくれた。だから、これを最初に使うのは彼であるべきだ。
「……“癒やし火”」
身体の中から何かが減り、ドゥゴラさんが炎に包まれる。攻撃じゃない。“神技”による回復魔法である。ヒールよりも数段高い治癒力と広範囲に対する効果。使える力だ。
もちろん“神技”には攻撃魔法もある。セイクリッドランスにかわる能力が。
「どうせなら派手にいこうか」
迫る竜の群れに向き直り、それがどんな能力でどう呼び出すかを捻り出し、唱える。
「――、“断ち剣”」
身体から何かがゴッソリと減る。空中に生まれたのは一本の大槍ではなく、青い炎をまとった七本の白剣であった。無骨で、鋭さを感じず、なのに美しいと感じる直剣だった。
俺を中心に20メートルほどの円を描いて浮かぶそれ等が高速で降り注ぎ、竜の翼を突き破り、墜とす。さらには円の中にいた竜に青い炎が襲いかかり、堕とす。
範囲召喚魔法。それが“断ち剣”の正体だ。
だが殺すには足りないらしい。
「ま、墜とせれば十分でしょう」
「ここが勝ち時だ!」
咆えるドゥゴラさん。自身と俺の新たな力に希望を見出したらしい彼は苛烈に暴れ回る。
確かに、ここいらが勝負どころだ。
上空を睨む。竜はまだまだ残っていて、隊列に加わっていない無数の個体が俺達を包囲している。
「上に行く!」
「おうよ!」
竜は相変わらず律儀に隊列を成している。だがしかし、その速度は明らかに鈍っていた。どの個体にも疑問の感情があった。自分達が何故この場にいて、何のために戦っているのか分からない。そんな様子に見えた。
だからと言って止まらないのが竜という存在だ。敵意には苛烈な反応を示す。
先頭の竜の首を切り裂き、“迅雷”を頼りに巨体を踏み台にして駆け上がる。次の竜も同じく。さらに次も。階段を駆け上がるように。目指すは最後方、未だ隊列に加わりもせず上空でホバリングしている奴等。
「断ち剣!」
七本の剣を生み出し、範囲内の竜を墜としつつ上へ上へ。何かがごっそりと、笑ってしまうくらいに減る。MPじゃない。おそらくは、“神気”。自分の存在そのものを捧げるような感覚。案外嫌いではない。結果を見れば対価として安いものだ。それよりも一秒でも早く上へ。ドゥゴラさんが耐えている内に。
同じことを繰り返す。斬りながら駆け上る。さあ、もう少しだ。
「竜人特化」
辿り着いたのはホバリングする竜の背中。遅行した世界で周囲を観察。
「おお、絶景じゃないか」
遥か向こうまで続く雲を下に見る。雲海ってやつだ。彼方に沈み行く太陽が雲と空の中間に位置し、世界を橙色と群青色に染め、天を摩するように聳え立つ山頂を照らしている。
なんと素晴らしい景色なのか。心が洗われる。
「――、……俺ってこんな景色を見たかったんだ」
ああ、そうだった。その為にこの世界を旅したいのだ。だから強さが要るのだ。
「邪魔するってのか?」
たかだか神如きが、俺の行く手を阻もうと?
「許せないね」
“竜人特化”を解除。断ち剣を連続で召喚する。各種ポーションを浴びるように飲み干せば、笑えてくる。馬鹿げた消費による物量推しは既にして戦略と呼べるものになっていた。ひどく頭の悪い戦略ではあるが。
「うはは」
それもまた俺らしいではないか。
「断ち剣」
これは使える力だ。竜を容易く貫き、広範囲にダメージを与える。それも任意なのがありがたい。上空での待機と落下、範囲攻撃の発動もこちらのタイミングで決められる。しかも俺自身にはダメージなし。至れり尽くせりだ。
さあ、狩るぞ。狩り尽くすぞ。
足場にした竜が堕ちたら移動して召喚。それを繰り返す。
漆黒の巨体が次々と堕ちていく。橙と群青に照らされて。死神が待つ大地に向かって。苦悶と絶望の感情に支配され、堕ちていく。
竜も黙ってやられるわけじゃない。上空に待機していた奴等が襲い掛かって来る。しかし、その数は見る間に減っていった。端的に言えばこの場から飛び去る個体が多くいる。正気に戻ったのだ。視界に入るのは膨大な同族の死体で、この戦いに命を懸ける意味など持っている筈もない。だから離脱して当然だった。
残ったのは三百体と少し。なら、何とかなるかもな。
「竜人特化」
ドロリと遅くなる世界が不安定な足場を確かなものにする。遅行していれば飛び移るくらい難しくはない。
こちらの敵意に反応して集まるのなら好都合。その方が“断ち剣”の効果はより高まるのだから。
「そろそろかな?」
殆どの個体の飛行能力を奪い、堕ちゆく竜と共に落下する。下ではドゥゴラさんが苛烈に戦っていた。炎の中を走り、竜鱗を切り裂き、首を絶つ。
「うははっ! 強くなってやがる!」
それも大きく大きく。“竜人特化”のレベル上昇も確かな効果を発揮しているが、使用せずとも数体の竜を相手取り殺している。
“守護者”の効果を個人で受けたのだ。当然と言えば当然かもしれない。
負けてられないぜ。
「断ち剣、竜人特化」
この二つを切り替えながら使用し、行動不能個体を増産していく。あとは首を断ち切るか心臓を抉り出せば終わり。簡単だった。
さあ、駆けよう。命を奪うために。死で染めるために。首を断ち、心臓を抉り出し、その先へと行くのだ。
「仕上げだぜドゥゴラさん」
「応っ!」
なかなか高難度のイベントであった。しかし状況はもはや覆らない。それを生み出したのはドゥゴラさんという相棒と、岩谷さんと魚見さんの執念だ。
「へパス。見ろよ」
次はお前だ。次こそ、必ず、この刃でもって貫いてやる。
『おめでとうございます! 突発イベント、“タララカンの狂乱”が攻略されました!』
『イベント参加者に報酬が与えられます!』
『イベント“タララカンの狂乱”の攻略において想定外の条件が満たされました!』
『対象者に複数の特別報酬が与えられます!』
『報酬はシークレットエリア“竜峰タララカン”攻略後に送付されます!』
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「痛快だぜ」
ごろりと寝転がり、そんな事を言ってみる。飼い犬に手を噛まれるってのはこの事だ。だってそうだろう?
閉じ込めて監視していた筈の男は、実のところ着実に牙を研いでいた。
利用するだけ利用して捨て置いた女は、毒を届かせるために敢えて危険に飛び込んだ。
ウイルスを殺すために。怪異を滅ぼすために。プログラムによる痛撃を与えるために。決して悟られぬよう牙に毒を塗り込んだ。
「ほんと、痛快だ」
彼はこれを観ているだろうか。あの狭い狭いコンクリートの牢獄でモニター越しに。おそらくは、観ている。そう感じる。
「……やったぜ」
星空に向けて拳を突き上げる。なんとなく彼が笑ったように思えた。彼女にも届けたかった。
「使徒ヘラ」
「やあ、ドゥゴラさん」
笑いながら隣で寝転ぶ彼はひどい有り様だった。血と汗と砂埃でどろどろ。戦闘中は糞尿だって垂れ流しだから臭いもひどい。俺もそう変わらないが。
戦闘不能に陥った竜の心臓を可能な限り抜き取って命を刈り取る。その作業が終わったのはつい先程のことだ。
「あんた、凄ぇお人だ。おいら、まだ信じられやせん」
がははと笑うドゥゴラさんは、俺が知る彼そのものだ。おおらかにして固い決意を秘めた戦士。“竜人特化”の呪いを克服した烈士。そしておそらく、過去に自らの手で大切な人を殺した男。
精算するため、再びタララカンへと訪れたのだろう。そんな彼をどうしても自分と重ねてしまう。
「なあ、使徒ヘラ」
鼓膜を震わせる重厚な声。それに安心感を覚えるのは彼の人柄があってこそだと断言できる。
どうしておいらを信じ抜いてくれたんですかい? 彼はそう言ってこちらを真っ直ぐに見つめてくる。
「言っちゃ何だが関係は浅い。おいらはあんたを知らず、あんたはおいらを知らねぇ。あの時のおいらは狂ってて足手まといだった。なのに、どうして?」
言われてみればその通りではあるのだが。
どうして、だろうか。俺にも分からない。分からないが、これでいて人を見抜く目には自信がある。 そう告げれば、彼はがははと笑った。
「やっぱり人たらしでやんすね」
「そんなんじゃありません。長く自分に閉じこもっていたから他人の性質に敏感なんです」
臆病なのですよ、と言ってみれば、彼はやっぱりがははと笑う。
「あんたが臆病だってんなら、誰もが腰抜けってことになっちまう」
「そうかなぁ。俺は、俺よりも勇敢な人を知ってます。おまけに強い。竜くらい目を閉じていたって殺してしまう」
「……そいつぁ凄ぇ男だ。是非ともお会いしてぇ」
女性だけどね、その人。
彼女はどうしているだろうか。またどこかのシークレットフィールドにでも挑んでいるのだろうか。もしかしたら北のセブンスエリアを突破しそうかもな。
「……あ、まずい」
彼女ならあり得る。他の二人も自重という言葉の意味を知っているかすら怪しい。アップデートが始まればドゥゴラさんを一人にしてしまう。
念のために掲示板をチェックすればその書き込みを見つけることはなかったものの、とは言え時間は無さそうだ。思い立ったら即行動するのがルナリアスという女性だ。そして攻略は恐ろしく速いだろう。三ヶ月もの期間を経た彼女は凄まじく強い筈なのだから。
「ドゥゴラさん、先を急ぎましょう」
「んん? 何か約束事でもあるんで?」
「と言うか使徒の制約で強制召喚される、かもです」
別に構いやせんがと言う彼。俺が嫌なのですと言う俺。互いに引かないところもそっくりだ。
「こんな話を知ってやすか?」
彼の語りは何の脈絡もなく始められた。
「この世界にゃ幾度となく使徒様が降臨した。使徒様が現れると、不思議な事にこの世界の住人から信じられねぇ強者が生まれる。まるで使徒様に引き摺られるみてぇに」
「……ドゥゴラさんのように、ですか」
彼は“竜人特化”をレベルアップさせている。さらには授かった守護によって様々な能力が上昇している。ドワーフとエルフのように。それになぞって考えれば、確かに有り得ることだ。
「今回の降臨は今までの比じゃねぇ。これだけ多くの使徒がいっぺんに現れたのは初めてでさぁ」
「故に強者も数多く生まれると?」
「そりゃどうだろうなぁ。だけんど、おいらはまだまだ行けると感じてやす。使徒ヘラ、あんたと共に戦えば」
だから、今あんたに居なくなられるのは困るかもしんねぇ。
ドゥゴラさんは照れを隠しもせずにそう言った。
つまり、早く進もうと言いたいわけだ。まわりくどいとは思うが、これはこれで熱烈な口説き文句でもあった。
「あんた、おいらに言ってくれたんだ。おいらはあんたと同じく戦士だと。混乱する意識の中で、それだけが妙によく聴こえちまった」
「そうですか」
「ええ、そうです。だっから、おいらは戦いに行きやす」
――共に行ってくれるかい、戦友。
そう言われた途端、心が震えた。
勿論だ、戦友。そう返せないのはやはり俺が臆病な証拠であった。
「この先に竜狩りバルファムトの村がありやす。そこを抜ければ頂上はすぐだ」
「良いですね。楽しみだ」
「……化け物がいやす。恐らくは、二体。それも近ぇ場所に」
何かを知っている。彼の瞳から覗く覚悟がそう言っていた。
良いじゃないか。だったらその二体を殺して、俺は先に進むだけだ。
さあ、竜峰タララカン。いよいよお前を攻略してやるぞ。




