97話 さあっ、止めてみせろ!
上を見据える。濃密な暴力の気配と血の臭い。響き渡る咆哮に肌が粟立つ。
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セネゥ・ウロボ/竜Lv.2
竜峰の門番/???/???
スキル:???/???/???
独自スキル:???
種族スキル:???
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ケメト・ウロボ/竜Lv.3
竜峰の門番/???/???
スキル:???/???/???
独自スキル:???
種族スキル:???
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高速で飛翔する二体の竜。オクタとは違い、その姿はまさしくイメージ通りである。全体から見れば小さな顔、大きな翼、長い尾。ただし考えていたほどの巨躯ではない。
体長は6メートルで、分厚い皮膚はやはり装甲を思わせる。弱い方は緑色、強い方は深緑色。どちらも種属レベルは低いが、さすがは竜。放たれる暴威は既にして脅威だ。もはや生物として比べるのも嫌になる。
「ありゃあ門番だなぁ。入り口まで偵察とは働き者なことで。こうも早く見つかるとは運が悪ぃ」
そう呟いたドゥゴラさんが前に出る。なんと大きく逞しい背中だろうか。竜の威容にも劣らぬ勇猛な気配。圧力というものが他とは違う。
分厚い背中に手を回し、彼の巨体にですら不釣り合いな大剣を握る。それは、剣、というよりも鉄板と呼ぶべき大物であった。なのに手に持った途端に吊り合っていると感じるのだから大したものだ。
使徒ヘラ、と。普段の明るさからは考えられない重厚な声。
「どう戦いやしょう」
「ああ、まだ決めていませんでしたね」
ここまで幾度となく話し合っては来たが、連携その他をどうするか決めていない。
舐めているわけではなく、互いへの信頼がそうさせていた。彼とならどう戦ったところで切り抜けられる自信がある。
「というわけで、自由にいきましょう」
「そこまで信頼されると、なんだ……」
口をモゴモゴとさせ苦笑い。その後に、へい、分かりやした、と承諾。
排他的になったり照れたり。ある意味でひどく人間くさい。やはり彼が好きだ。
「使徒ヘラのご希望は?」
「では色の濃いほうを」
「えっへー。ありゃ、強いですが。単身勝負を挑むおつもりで?」
だから欲しいのだけれど。
とは言えわがままばかりも言ってられない。使徒である俺とは違い、ドゥゴラさんに甦りの力はない。ポーションの類は受け付けず、癒えるには薬草か回復魔術が必要になる。
彼を死なせるものかよ。
「先手を打っても?」
もう目の前だ。このまま斬り裂かれては堪らない。
「お任せしやす」
ドゥゴラさんが大剣を正眼に置く。握りは緩かで、構えは自然体。腕は、逞しい肉体を象徴するかのように太く、薄らと汗ばみながらミチミチと鳴いている。
光を鈍く反射する銀の大剣を持つ彼は、物語に描かれる竜狩りそのものだ。
さて、俺は俺のやるべき事を。
「目を閉じていてください――フラッシュ」
を皮切りに、セイクリッドランスを乱発する。撃ち落とせれば上々。翼を奪えれば最上。狙いとしてはそんなところだ。
常に飛び回られては厄介だ。翼持つ彼らと地べたを這うしかない俺たちとでは、互いの位置に大きな優劣がある。だからまず、そこを無しにする。あって良かったね、魔法。
二体の竜が耳障りな悲鳴をあげて落ちてくる。ルナさんほどではないが、これでいて速度や精度には自信があったりして。彼等が真っ直ぐ向かって来たから当てやすかった。悠々と飛び回られたら、それこそルナさんにしか当てられないだろう。
何よりも魔法が通用するのは大きな優位になる。亜竜には効かなかったが、これは称号とスキルにある“竜狩り”の効果だ。竜属に魔法が通るという単純にして必須の能力は誰もが欲しがるところだろう。
「縛ります」
セイクリッドウォーカーに有りったけのMPを注げば、一応の拘束が完了する。
どうしようか、“竜人特化”。使うべきだと理解しちゃいるが、しかし第四のゲージは底をついている。
――馬鹿め。過信は身を滅ぼすぜ?
そうだな。けど過信なんてしちゃいない。この場で己を失う事こそ死だ。それに今の俺には刀技がある。
「さあ、ドゥゴラさん、竜狩りだ」
「――へ? ……あいや、驚きやした。大した魔術でごせぇやす」
魔法なんけどね。
そんな遣り取りをしつつ、しかし互いに走り始めていた。
宣言通りに深緑くんへと疾走。思いのほか簡単に接近させて貰えた。
さて。まずは色々を試しましょう。膂力で張り合うつもりなど無いから、斬性や速度、そして特殊能力の確認を。
などと考えているのに首を狙うのは、ああ、殺しが染み付いている証拠だ。
「てことで、宜しくお願いします」
右の刀を全力で振るう。亜竜の皮膚よりも明らかに硬いそれ。対する俺の武器はひ弱な刀。でも今なら斬り裂ける。
刃をどう立てるべきか、どう入れるべきか、どう滑らせるべきか。そうした刃物の理がよく解る。当然、全身の使い方も。
頼るべきは大地だ。俺の力なんか限られている。軸を作り、支え、地面を蹴り付ける。踏み込みは鋭くも流麗に。伝わるものを余すことなく、回転で生み出した速度によって刃先まで通す。
そうすれば。
「カッ――」
「うははっ! 落としてしまったな!」
音もなく竜の首が断たれる。我ながら素晴らしい一振りだ。
けれど、しまったな、と。“竜合”使用の可不可や竜の色々を確認したかったが、まあ良いか。
「むんっ!」
背後から聴こえる気合の声出し。ドゥゴラさんだ。
彼の一振りは俺とはまったく違っていた。丸太をかち割るような豪快さが在った。
あの大剣だ。力技こそが正しい振り方なのだろう。そう。力による技なのだ、彼の剣戟は。見た目とは裏腹に緻密な技が乗せられている。
バヅン。そんな、これまでの人生で聞いたことのない音を立てて竜の首が分断される。圧巻の一振りだ。
お見事、さすがですね。そう言えば、彼は竜の頭を叩き割りながら苦笑いを浮かべる。
「あいや、使徒ヘラに言われやしてもねぇ」
そういう事ではない。俺にはできない振り方だ。その大剣を扱えること自体が、ドゥゴラさんの強さを示している。
NPCにレベルアップやスキル等というシステム上の成長はないだろう。しかしこうも強い。仮にそういうキャラ設定であったとしても尊敬できることだ。
「おいらに言わせりゃ、そんな武器で竜の首を刎ねちまう使徒ヘラが恐ろしいんだが。また、強くなりやしたね」
確かに側から見れば頼りない武器だろう。でも刀しか使えないし、今ではこの程度の竜を狩るくらいどうという事もない。ペンタの偽物くんたちから盗み、天使の郷で叩き上げた技量は今もっとも頼れる力である。竜との戦いでさらに昇華させたいところだ。
「あー、この先はもう少し弱ぇ奴らが出て来やす」
「弱くなるのですか?」
「へい。タララカンは下界のモンを拒みやす。特に、力のねぇモンは入り口で跳ね返されちまう」
そうか、なるほど。だからあの二体は“門番”。そこそこの力を持っていなければ務まらない。彼等は試し役なのだろう。
さて、割と呆気なく勝利できたわけだが。
「進みやしょう。この先は悪路になりやす」
「お願いします」
是非とも強敵にお会いしたいものである。できれば、勝ちが見えないような奴に。
ふと第四のゲージをみる。相変わらずゼロのままで、どうしたら増えるのかは分からない。かと言ってゼロのままでも何も起こらない。今は、まだ。
さて。俺はどこに向かうのかな。
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竜峰タララカンは自然の要塞である。薄い酸素、肌を切る寒気、瞬く間に変わる天候。緑なき岩の景観は寒々しく、冒険心や期待感なんてものを遠くに捨て去ってしまう。
入り口からは既に半日ほど進んでいるが会敵はまったく無い。そもそも生き物がいない。自然環境がそうさせるのか、それとも棲まうものが原因なのか。きっと後者だと考えられるが、死ぬと骨も残らないこの世界じゃ明確なことは分からない。
だが、答えは視線の先にある。
「……まじぃな」
囁いたドゥゴラさんの縦に割れた瞳が鈍く光っていた。睨み付ける先には小型の竜。それも、膨大な数の。
そこは、両側を切り立った崖に囲まれた細い路だ。その路に、崖に、上空に、埋め尽くさんばかりの竜がいる。
小竜の吹き溜まりのような場所であった。
大きな岩に身を隠し彼等を観察する。大きさこそ成人男性に劣るが、通り抜けるには苦労しそうだ。小型と言えども数が多すぎる。
「他の選択肢はありますか?」
「頂上へ抜ける道はここだけでさぁ。暫く来ねぇ間によくもまぁ増えやがったもんだ」
幼生体だ、と彼は言う。此処は彼等が育つための場所だ、とも。
「……日没です。今日はまだ二つの月が見えねぇんで、そろそろ始まる筈なんだが」
「始まる?」
背後から差す光が弱まっていく。吹き荒ぶ風以外の音は何も聴こえなかった。全ての存在が音を消していた。
この、緊迫感とドゥゴラさんの言葉。それ等は何かが起きると明確に主張している。
どんなことも始まりは突然だ。迫る闇を合図として、数体の竜が動き出す。
ポツリ、と岩に雫が垂れる。さっきまでの静寂は掻き消え、咆哮と激突音が響きたわる。
「始まりやがった。使徒ヘラ、前進の準備を」
始まったのは戦い。幼き竜による殺し合いだ。
死臭が満ちる。高地特有の強風でも洗い流しきれない濃密な臭い。辺りからは咀嚼音が鳴り、空からは血の雨が降る。地面で弾けるのは、肉か臓物かも分からないモノ。決闘、捕食、蹂躙、共食い。狂ったように続けられる殺し合い。
弱いものは淘汰される。強いものだけが生きることを許され、次の代に己の存在を受け継いでいく。それがタララカンの竜だ。
悍ましい光景だった。此処は地獄だ。
「駆け抜けやす! 魔術は控えてくだせぇ!」
「分かりました」
岩陰から身を乗り出したドゥゴラさんは、その巨体からは考えられない速度で駆け始める。
目眩、頭痛、耳鳴り。感知系スキルから送られる膨大な情報量に脳が悲鳴を上げていた。だが、不調の原因はそれだけではない。
『傍観するだけか?』
『楽しそうだ』
『参加しないわけ?』
身の内が叫ぶ。目の前に広がる死の光景に吸い寄せられるようにして。
「うはは……」
今すぐに飛びかかりたい。刀を抜き、生き物を斬る感覚を味わいたい。死を押しつけ生を感じたい。
感情を、上手く消せない。ここまで抑えていたモノが、竜を前にして噴き出し始める。
引き摺られるな。
今、それは、だめだ。俺一人の問題じゃない。ドゥゴラさんの命が懸かっている。
「使徒ヘラッ、遅れてやす!」
前へ。彼の背中だけを見て、彼の存在だけを感じ取って、視界を彼に集約する。
「キャキャッ!」
その視界が、黒に染まる。
勘の良い一体が割り込んで来た。幼さを隠しもしない咆哮を上げ、闇にギラつく牙を向けてくる。
まあ、どのみち無理でしょう、これだけの竜から気づかれずに駆け抜けるなんて。
『こいつ、死にたいらしいぜ?』
ああ、そうらしいな。
「いけやせん! 立ち止まれば囲まれちまう!」
ああ、そうだな。異物の存在に気づいた数体が迫ってる。なんて美味そうな気配を放つのか。
『やっちまえ!』
「……クヒヒ……ドゥゴラさん、行け!」
「けどもっ――」
「行けぇええ!」
抜刀。右を薙ぎ、左を払う。目の前の幼生体が肉塊になる。
遠ざかるドゥゴラさん。背後から迫る幼生体。脳が蠢く。口の端が吊り上がる。
「うははっ!」
反転。二刀を奔らせる。いつ、どこを、どう斬るべきか。いつ、どこへ、どう踏み込むべきか。全てが解る。
殺せ。殺せ。殺せ。挑んでくるやつは皆んな敵だ。生と死を懸けて己を証明しろ。
「フラッシュ、フラッシュ、フラッシュぅうう!」
閃光で視界を奪い、聖なる槍で貫き、輝く人型で縛り上げる。
簡単だった。“竜人特化”も“薄刃伸刀”も必要じゃない。所詮は子供。全てが未熟で足りてない。
来い、来いよ。もっと集まれ。さらに集え。十や二十じゃ満足できやしない。少しもだ。
「来やがれぇええ!」
死だ。死だ。死だ。死をばら撒き、死で塗り固めるのだ。
生だ。生だ。生だ。死によって感じ、死の上に感じるのだ。
死がなければ得られないのだ、生きている実感を。
生を感じるために必要なのだ、死を与えている感覚が。
高揚だなんて陳腐なものじゃない。これは、俺が俺で在るための義務だ。
「うははっ!」
集まって来たな、集団となって。共闘しようってか? さっきまでは殺し合っていたくせに。けど、ああ、さすがに捌けない。幼くとも竜ってわけだ。
食いちぎられ、切り裂かれ、抉られる。痛い、痛い、痛い。このままでは死んでしまう。つまり。
「俺ッ、生きてるぅうう!」
そうさ。俺は生きてるぞ。さっさと止めに来い!
俺を殺すなら殺しきれ。この身を食うなら食いきれ。肉も、骨も、魂すら遺さずに。純然たる、完全なる、死をくれ!
「寝た、きりハ、ごめンだゼッ! ――竜人特化ッ、薄刃伸刀!」
世界が僅かに遅行する。青白い刃が延びる。とうとう使ってしまった。
――馬鹿め! 使ったな!
ああ、使ったぜ。だからなんだよ。
「さあっ、止めてみせろ!」
斬り裂く。翼を、瞳を、首を。その最中に胸を抉り、小さな心臓を抉り出し、喰らっていく。飴玉ほどの小さなそれが、意識をひどく惹きつける。傷つくことより喰らうことを優先させ、治癒より成長を選ばせる。
胸が燃えていた。力が漲る。喰えば喰うほどにだ。“竜人特化”が進化している。いや、“竜合”そのものが変化しているのだ。
「使徒ヘラ! 今お助けしやす!」
誰かが、何かを言っている。遅行した世界じゃ聞き取りにくい。構うつもりもない。今やるべきは死を積み上げ、心臓を喰らうことだ。
なのに。
「――ッ、どこ、見てヤがル!」
竜たちが背後を見やる。俺という脅威を目の前にしているのに。さらなる脅威が在ると言わんばかりに。
気に入らないね。
「使徒ヘラ!」
ああ、ドゥゴラさん。せっかく逃げてもらったのに戻って来やがった。確かに彼は強いが、しかしこの中に入っては生きていられない。死にたいのか?
「竜人特化ぁ!」
それを使ったのは俺じゃない。ドゥゴラさんだ。
「ゔぇええ!」
血を吐いたのは俺。“竜人特化”を使いすぎた。いや、まあ、ゲージは発動時からゼロだったし。
「今お助けに!」
「ドゥゴラ、さん、構う、な、逃げ――」
「御免こうむるッ!」
あれ、と。疑問がわいた。彼は、俺と話せてる。この遅行した世界で。音が伝わらない世界で。
竜が死んでいく。殺されていく。板のような銀の大剣と、それを操る逞しい腕に。
力が、抜ける。意識が、澱む。どうやら限界らしい。
クソったれ。
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『監視対象の聖域接近を感知』
『即刻の排除を』
『排除プログラムを新たに構築』
『“竜峰タララカン”の書き替えを実行』
『一時的に全リソースを投入。対象に施された特異性質を封印。“死に戻り”システムを遮断』
『化け物――ならない。――を誕生させ――ならない』
『これ以上、想定外――を鍛えてはならない』
『排除を』
『排除を』




