93話 鍛錬との向き合い方
お前、二刀を使うのか。ザゲンさんはため息と共に吐き捨てた。どうやら二刀流には反対らしい。
「何か?」
「二刀を使うなら、左右にわけて吊るせ。短刀ならともかく、その長さじゃいざって時、同時に抜刀できねぇだろーが」
なるほど、そこか。俺は二本とも左に佩いているから。しかも左用は右に比べて少し短いだけだから抜刀できないだろうと。
いや、出来ますよ? そう言いつつ同時に抜刀する。彼にしてみれば欠伸がでるほど鈍いだろうけれど。
「……気持ち悪い野朗だぜ。左の手首と肘はどうなってやがんだ?」
柔軟性を高めて素早く抜刀できるようにしました。刀の位置もアレコレ試行錯誤して。そう伝えると、彼は少しだけ口元を緩めた。喜びってやつだ。どうやら努力する者に対しては好印象を抱くらしい。
自らを鍛えることは嫌いじゃない。特に仕事においては。
誰にも考えつかないようなデザインの家具を、自分にしかない技術で創り出す。木材と向き合い、どう仕上げるべきか語りかける。そのために様々に積み上げ、重ねた。
努力だと思ったことはない。辛いと感じたこともない。俺がそうすべきだと考えたから鍛え続けた。それだけだ。
僕は大器さんのようにはできません!
若い職人の子にそう言われたことがある。べつに求めちゃいなかった。だが、先頭に立つ俺がそうだと周囲はプレッシャーになるのだと学んだ。
社長には分かりませんよ、才能のない奴らのことなんて。
他の従業員にそう言われたこともある。べつに彼を非才だとか自分を天才だなんて思っちゃいなかった。だが、自らの可能性を否定する無意味さに気付いてほしかった。
突き進む道は孤独を伴う。誰にも理解されず、時には仲間が敵になったりもする。それでも止まれない。自ら掲げたものを投げ出してしまう自分が怖いからだ。
誰かに認めて欲しいとは思わなかった。共感して欲しいとも思わなかった。当然だ。俺にしかできない事を成し遂げるというのは孤独になる事と同義なのだから。
誰かは言う。あいつは才能があるから。
誰かは言う。あいつは違うと思ってた。
誰かは言う。あいつは頑張らなくてもできる。
そんな言葉を、自らを鍛えることなく、その意味すら理解せぬまま、目の前にある可能性の階段を登ろうともせず、生まれたままの位置から投げつけてくる。
クソだ。そんな奴らも、そんな言葉も。才能なんてほとんどの奴らが持っちゃいないんだ。磨き上げ、研ぎ澄まし、自分だけの感覚を得る。そうして能力を手にする。なのにボンヤリと過ごすだけの奴らは“才能”なんて言葉に逃げやがる。
だったら俺にくれ! 自由にできるお前の肉体と、ふたをしたままの可能性を!
俺にはもう無いんだ! 自由がきく肉体も、可能性も!
そうやって、俺は、俺以外の全てを憎んでいたんだ。
けど変わった。今じゃかつてのように自らを鍛え上げ、積み上げることができる。だから、どれだけ辛くたってやり遂げる。
自分が納得できるまで己を叩き上げる。じゃなきゃ何も手に入らず、何も成せないまま終わるだけだ。
「おい、聞いてんのか?」
真向かいに立ち刀を握る男、ザゲンさんはそう言ってため息を吐いた。
一度でも死んだら鍛錬は終いだ。
それが彼によって伝えられた、鍛えてもらう上での条件の一つだ。他には、アイテムボックスの使用、通信、治療行為の禁止。そして、マク・ンバルが眠る洞窟から出ず、ザゲンさん以外の天使族と接触しない事。
単純で良い。此処にこもりつつ、死ななければ鍛え続けてくれるって条件なんだから。好都合でもある。此処にいればピエロ野朗に発見されにくいという予感がある。
どうして俺を鍛えてくれるんだ? そんな疑問はあるが文句はない。今の時点でスキルと称号を失くせば、俺は身体能力が異常に高いだけの木偶だ。なにせ狙う相手は何でもアリの神。しかもこちらの力は奴らのおかげで手に入れたと言っても過言ではなく、つまりいつ没収されたって不思議じゃないって話。
だから俺自身を鍛えて、積み上げる。師は誰でも良い。誰でも良いが、強ければ強いほど良い。最も重要なのは、この場所だ。
スキルも称号も使えない。しかしザゲンさんは使えて、しかも俺を殺しても良いと考えている。自らを鍛え抜くには最高の環境だ。
おい、聞いてんのか? 再び問い掛けられ、頷きを返す。
「じゃあ、始めるぞ」
無造作に距離を詰めてくるザゲンさん。わざわざ宣言するあたり、意外にも律儀な性格らしい。
あまりにも大胆な接近だった。彼本来の歩法なのか、スキルや称号のない状態の俺など警戒するまでもないということなのか。
一太刀でも入れられたら飲み食いさせてやるよ。そう言ってザゲンさんが斬りかかってくる。
なるほど。食事するにも権利を勝ち取る必要があるのか。そんな事を考えつつ迫り来る斬撃を躱していく。その速度は徐々に上がり、こちらの力量を見極めるように更に速くなっていく。
ほら、斬られた途端に速度が一定になった。俺の限界を見極めたのだ。そこを基準として定めたのだ。
スキルも称号もない今の俺は簡単に傷を負っていく。すぐに血塗れになって、打開策なんて見つからない。
だが、痛みよりも感動が勝っていた。
あまりにも美しい斬撃だった。全てに理が乗せられていた。一つ一つの動作は当然として、呼吸にすらそれを見て取れる。ペンタとも違う。あいつは剣だから違って当然だが、ザゲンさんもあの域にいる。刀の極致を感じさせる剣舞のような斬撃だ。
こう成りたい。
いや、これを越えたい。
学べ。見て、感じて、吸収しろ。スタミナは無尽蔵で、身体能力は高い。成せる要素は持っている。ほんの僅かでも空間掌握の感覚を思い出せ。彼の全てを吸収しろ。
足を動かし、感覚を研ぎ澄まし、躱して反撃する。
今まで数え切れないほど成功させてきた。そのどれもが上手くいかないのだから笑えてくる。
おまえ、ほんとに弱ぇな。ザゲンさんは落胆を乗せて吐き捨てた。
その言葉を言い終える間に何回の斬撃が放たれたのだろう。恐ろしい技量だ。瀬戸際で躱せている俺も捨てたものではない、と思う。スキルと称号がない状態でここまでやれるとは考えていなかった。
なってねぇな、全部がよ。再び落胆を乗せながら吐き捨てた彼は脱力し、雰囲気を一変させた。肌に突き刺さるほど濃密な闘気を身にまとう。本気ってやつだろうか?
体捌きこそまぁまぁだが。そう続けて、刀を納める。
「目線の置き場がなってねぇ」
背を向けて距離を取り、
「間合いがなってねぇ」
こちらに緩りと向き直る。
「呼吸がなってねぇ」
刀に手をかけ抜刀の姿勢を見せて。
「重心がなってねぇ」
そのあからさまな攻撃予告に、しかし、闘気に押されて体が動かない。
「一番なってねぇのは、感覚が鈍いところだ」
来るぞ、殺すための一撃が。攻撃の意思を明確に伝えるような、奇妙なまでの前傾姿勢。引き絞られた弓を思わせるほどの一体感。
死ぬ。これは躱せない。速度が圧倒的に違う。死にたくない。鍛錬を積みたい。俺はこの人の刀技を学びたい。もっと、強く、なりたい。
どうする?
――やってやれ!
そうだな。躱せないのなら向き合えば良い。真っ正面から立ち向かって、活路を切り拓け。
――受けて、崩す。ヘラ殿に足りないのは、こうした考えですな。
そうだな。舐めてかかったツケを払わせてやる。どうせなら一撃入れてやれ。
刹那。一瞬。許された時間と狙うべきタイミングはそう呼べるほどしかないだろう。
楽で良い。そこに全てを注げば次が見えるかもしれないのだから。
行くぞ。そう宣言して、ザゲンさんが矢と化す。潔いまでの突進。目で追えるギリギリの速度。
左の刀を正面に突き出す。彼の速度に合わせるのではなく、妨害するように。ザゲンさんは左側に刀を佩いている。つまり抜刀と共に放たれる斬撃は俺の右側から来る。そこに右の刀を、合わせろ!
――視ろ!
半歩を退がる。左の刀は動かさず、上体を仰け反らせて首を傾ける。肩口から刃が入り、抜けて、右の頬と耳を奪っていく。追うように右を振り上げ、ザゲンさんが振り切る瞬間にかち当てる。
彼の軸がほんの僅かにズレる。崩れた下半身、浮ついた上半身。それが最大になる瞬間を目掛けて、置きっ放しにした左を振り下ろす。
ザゲンさんの左の太腿を、斬る。
「――ああ?」
何が起きたか分からない。そんな表情を浮かべて、ザゲンさんは滲み出る血を眺めた。
「――ヒュッ、――かはっ!」
対するこちらは呼吸がひどく乱れていた。今の一瞬にどれほどを注いでしまったのか。これでは負けと同じだ。
けど。
「斬り、ましたよ」
異音を発する喉からそう捻り出せば、彼はこちらを睨みつけ、そうして、ニタリと笑った。概ね満足と言った表情だった。
鍛錬の終了を告げて立ち去る彼を見送り、先ほどの感覚を思い出すべく目を閉じる。肩と顔の右側が痛むが回復手段はない。スタミナの消費も予想より激しい。否人のポテンシャルに頼るしかない。
鍛錬はまだ初日。どこまで登れるか。
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与えられた飲食物は、ひとかけらのパンと一口分の水だった。あの斬撃では満足な飲食はできないらしい。これで凌ぐのは辛いが無いよりはマシである。
どうやらザゲンさんは此処を寝ぐらにしているらしく、お互いの性格と相性の問題で会話が弾んだりはしないものの、しかし指導を投げ出したりはしない。
毎日同じだ。斬られ、時には殴られ、こちらの反撃は容易くあしらわれる。鍛錬の終わり方に規則性はなく、良い斬撃を放てば終わりの時もあるし、延々と続く時もある。
共通しているのは飲食面だ。与えられるのは、ひとかけらのパンと一口の水だけ。ポーション類の接種は認められていない。今のところ耐えているが、このままじゃいつか死に戻るだろう。それまでに学びきらなければ。
そんな日々の中で、ザゲンさんは俺を鍛える理由に関して教えてくれた。
「セラの頼みだ、仕方ねぇ」
ザゲンさんによれば、彼女から俺を“鍛えろ”と言われていたのだとか。それが天使族と世界を救う一手になり得ると。
とんだ勘違いかつ買い被りである。俺にはこの世界を救うつもりなんてないし、可能だとも考えちゃいない。
ザゲンさんにそう伝えると、期待しちゃいねぇよ、と返される。弱ぇからなお前、とも。
「けどまぁ、壁くらいにゃなるだろ」
彼女を救う。ザゲンさんはその為に全てを捧げる覚悟らしい。“空間掌握”が機能しないから分からないが、愛し合っていたのだろうか。もしかしたら添い遂げると誓い合った相手なのかもしれない。
ガ・セラリィ。種族の旗頭。預言者。慈悲深く、賢く、強い天使。俺は今、彼女のおかげでこうしていられる。ナギさんや長、ザゲンさんに俺が受け入れられた理由は彼女だ。預言がなければ何一つ上手くいかなかった。
いったいどんな存在なのか。何を知っているのか。俺に、何を求めているのだろうか。
「俺は彼女を知っています」
方面ボスの彼女はどういった存在だったのか。その疑問をザゲンさんにぶつければ、知るかよと返される。本当に興味がないらしく、まともに思考する素振りすら見せない。だが、一つだけ教えてくれた。それも衝撃的な事実を。
「セラの肉体は此処から動いちゃいねえ。一度もだ」
だとすれば、方面ボスとしての彼女はどういった存在だったのか。思念体、複製、模倣品、色々な可能性があるけれど、いずれにせよ自我を確認できたのだから彼女由来のナニカだろう。分身体にまで自我を持たせる彼女の想いとはどれだけ強いのか。
話せば多くの謎が紐解ける。そう感じる。だから、彼女を解放をしようかなと。
できねぇよ、とザゲンさんは言っていたが、しかし方法はあるはずだ。じゃなきゃ自らを封印するなんて真似はしない。肉体を保存する理由がある。それは復活のためだと考えるのは、思考のたどり方として自然だ。
そもそも、どうして自らを封印したのか。
「魔物が出たんだよ、あそこからな。馬鹿みてぇな数の魔物が。それが始まりだった」
邪神が放った尖兵だとザゲンさんは言った。そうして、長き戦いについて語っていく。
殺しても殺しても魔物が湧いて来やがる。こっちはまともに飯を食う時間すらねぇ。世界に異変が起こっていたが、俺たちには助けに向かう余裕すら無かった。魔物を世界に解き放つわけにはいかなかったんだよ。聖樹を奪われるわけにもな。出来たことはこの郷を空に移したことくれぇだ。
そこまで語って、拳を見つめる。
「そんな事を三百年ほど続けてる内に、本物の化け物が這い出て来やがった。大きくて、速くて、馬鹿みてぇに硬ぇ奴だ」
お前ら使徒が現れてすぐにな。そう付け加えて結界の壁と大穴を指差しながら話すザゲンさんは、音が鳴るほどに歯を食いしばった。神々を見殺しにした罰なのさ、と付け加えて、バリバリと歯を鳴らす。
魔物との戦いだけでも手を焼いていたところに、一体の化け物が這い出て天使族を襲った。そいつの強さは魔物達とは隔絶していた。当然ながら対処したが、天使達の攻撃は一つだって損傷を与えられなかった。その被害たるや惨憺たるものだった。
化け物への有効な攻撃は見出せず、天使達は次々と倒れていく。手も足も出なかった、とはザゲンさんの言葉だ。
彼等が手も足も出ない化け物が暴れる。想像しただけでも恐ろしい。それにしては都市に戦いの爪痕が残っていない。そういった魔法でもあるのだろうか。
「皆さんが一方的に負けるとは考えにくいですね」
天使達は強い。竜ほどではないが、種族としての格は地上の生物より遥かに上。なのに全くダメージを与えられないとは、いったいどんな化け物だったのか。
「でけぇ木だった。あいつのおかげで魔物は一掃されたけどな、こっちも多くの命を奪われた」
「硬い木、ですか?」
「なのに鞭のようにしなりやがる。天使族の技能で名前を見たが、知らねえ文字だった」
天使は看破スキルを所持しているらしい。だから使徒だと分かったのだろうか?
で、読めない文字となると古代語かな。
「んなわけねぇだろ」
古代語は元を正せば天使族の言葉と文字だった。産まれた瞬間から読めるぜ、と彼は言った。
産まれた瞬間に文字を読めるとは、天使族の生態に興味がわくものの、しかし今は場違いである。
「どんな文字だったか覚えていますか?」
「初めて見た文字だ。なんつぅか、角張ってたな」
天使が見たこともない角張った文字表記……しかもプレイヤーがこの世界に現れてすぐに這い出てきた……何百年も同じような魔物が送り込まれていたのに突然……まさか。
「それは、こんな形では?」
地面に文字を書いていく。俺にとっては見慣れてもいるし書き慣れてもいる。ザゲンさんにとっては――いや、この世界に生きる者達にとっては、初めて見る文字だろう。
どうですか? そう尋ねれば、彼は小さく唸る。
「細かな形は違うが……似てるな」
確定だ。化け物の名前は漢字で表記されていた。つまり敵は――シークレットボスだ。
ザゲンさん、と意思を込めて呼びかける。
なんだ、と固い声で返される。
「その化け物はどこに?」
「あそこだ」
彼が指差したのは結界の向こう側だった。
なるほど。マク・ンバルはシークレットボスを封じるために壁を生み出したのか。そしておそらくは、代償として自らも封じられてしまった。いや、対価として自らを封印する必要があったのか。
いよいよ彼女の封印を解かなければ。問題はその方法だが。
「その青い結晶を斬ればセラが解放される。化け物も解放されるけどな」
マク・ンバルの肉体を包む結晶を斬る。言葉にすると簡単そうに思えるが……ザゲンさんでも斬れないとなるとスキルと称号を封じられている俺では無理だろう。とは言え、ザゲンさんが斬れないとは考えにくいのだが。
素の彼ならいざ知らず、スキルや称号、さらには種属スキルを発動した彼はギ・シャラヤさんに並ぶほど強い。現に鍛錬中は手も足も出ないわけだし。
「あの結晶には使えねぇんだよ、“力”がな」
使えばこうなっちまう、と彼は自らの顔を指し示す。
なるほど、防衛戦の時と同じだ。プレイヤーで言うところの魔力を使うとカウンターが発動する。それに加えてスキルもだめ。となれば刀技だけで斬るしかないわけだ。
奇妙な感覚だった。だって、偶然にしちゃ出来すぎている。
俺は彼女を知っていて、此処では“力”の殆ど全てを奪われている。そして、マク・ンバルを解放するためには刀技だけで結晶を斬らなければならない。さらにシークレットボスはザゲンさんでも斬れない硬度を持つ。そして俺は、一度、彼女を斬っている。
あの時。彼女の首を斬った時。
――見事。
そう言った表情が記憶の底から湧き上がる。
随分と性悪じゃないか、マク・ンバル。俺に“やれ”と、俺にしか“できない”と言ってやがるんだ。
預言、此処の特殊な環境、その二つが俺に向ける彼女の想いを証明している。誘導されている、とも言えるわけだが。
……ふん? おもしろい。
やってやろうじゃないか。お前が封じられている結晶も、結界の奥にいる化け物も、俺が斬ってやるよ。
ただ、報酬はしっかりと貰うからな。
「んなことよりテメェ、弱すぎんだろ。俺の腕くらい切り落としてみせねぇと、まともな飯は食えねーと思えよ」
その前に餓死するかもしれないけれど。




