5.
バグローチの襲撃を知らない集落は、平常通りの夜警が行われていた。
「こうも平和だと、暇だよな」
「いや数日前にも、ワイルドボアが柵を掘り返そうとしていただろ」
「あー、狩り組が全員起こされたやつだっけ?」
「お前の寝起きがいい理由は分かった」
森を切り拓いた土地は、害獣の遭遇も多い。
冗談交じりに語る夜番も、村の囲いが壊れる危険を知っている。
周囲を伐採して確保した視界も、夜には明かりが足りず、集落を囲う二重の壁も、登ったり飛んだりする生物にはかなわない。
壁の隙間を抜けてくるなんて事態もあるため、鳴子に頼れず夜番が欠かせない。
夜の森に一人出向くような者はいない。
獣除けにならずとも早期発見の助けになる集落の囲いは、視界中の夜闇を減らせるだけで住民の安心に貢献しているのだ。
夜番はたいまつを手に、地面より一段高くした足場から外を警戒する。
風や揺れ葉の音から望ましくない気配を探る。
たいまつの燃料である安価な脂の臭みに顔を歪ませつつ、数日おきに担当する寒さを速足で忘れようとしていた。
「おい、何か聞こえなかったか?」
「うん?」
片方の男が集落の中、家の方を示す。
夜でも便意は感じる。家の外のトイレに向かったり、寝返りやイビキで物音が出るのは当たり前のことだ。
聞き取れなかった方も、一応の警戒として耳をすませた。
「どうだ?」
「近付いてみようか」
足を止めた後には、小物を転がしたような音を聞こえたらしく、頷きが返される。
「ジョンの家だな」
「ああ」
いくつか家を通り過ぎて、音源となっている場所に来る。
聞き取れるようになった音も軽く、どうやら、ネズミのような小獣が床を走り回っているらしい。
予想が正しければ、夜番の仕事だ。
少ない食料が荒らされるのは困る。追い出さなければならず、叩き起こされても住民は文句を言わないだろう。
換気用の上窓は閉じられない。
壁付近に木箱や板が積まれていれば、小さい獣なんかは簡単に侵入してしまう。
今日の侵入者はまったく音を隠さないらしく、コツコツと床を指で叩くような音が何度も聞こえてくる。
夜番の二人は仕方なく正面に回り、扉を叩いた。
「ジョン、起きているか?」
即座に返事が来ないため、睡眠中だろうと推測する。
だが、二度目の声かけの後には、”ドン”と壁を殴ったような音が届いた。
「おい! どうした」
「開けるぞ……って、うげ」
家に踏み込む寸前で、止まる。
足元から”グチャリ”と音が立った。
何かを潰した感触。
足を持ち上げ、その現実を受け止める。
「うわ、踏んじまった」
「なんだ?」
「多分、虫だ。それも、けっこうデカい」
踏んだ男は、滑りが薄れるまで靴底を土の地面にこすりつける。
「そんな事やってないで入るぞ」
緊張感をそぐような出来事にあきれて、無事だった方の男が扉を開けた。
一瞬、室内が音に包まれた。
草同士がこすれたような音に、小物が落ちたような音も混ざっていた。
だが、一瞬を過ぎて音は消えた。
片手にある、たいまつを家の中に差し出す。
足元が暗い。
穴でも掘ったかと疑ったが、光の照り返しが平面を示していた。
家の奥まで照らしているはずなのに、住民の姿が見えない。
それどころか、家具のひとつも見えやしない。
家の中央にある柱を見たところで、黒がひとつ欠けた。
転がる音は足元まで続き、現れた黒い何かは足元を通りすぎて家の外へ移動していった。
「ぜ、全員起きろ――っ!!」
叫ぶと、周囲の音はふくれあがり、室内から大量の黒が動き出した。
「村中を回れ、急げ!」
「へい!」
家の外にいた仲間に命令して、自身は奥に踏み込む。
足元で小石のような衝突がいくつも起こり、踏み出すたびに質量を蹴り飛ばす。泥に足をつっこんだような感触を超えて、ようやく寝台にたどり着く。
寝台のある位置には、黒い大きな塊が存在していた。
隙間に服の布が見えており、それが人間だと分かった。
たいまつで照らしながら、片手で表面の物体を払いのける。
ここまでくれば状況を理解する。
虫だ。それも大量。
表面の虫を退けると、既に死体となった姿がある。
未だに虫が潜む衣服を無視して、削げた顔面を覗き込む。
黒虫が口の中まで入り込み、呼吸の隙さえ得られなかったのだろう。
細かい体格からすると、喉まで詰まっているかもしれない。
同様に登られつつある自分の体から黒虫を引きはがして家から逃がれる。
集落は混乱に包まれた。
明かり増えた今、集落中の地面を黒虫が走り回る。
建物を離れて広場に向かう。
恐怖にかられた住民が身を寄せる。踏み潰そうとする勢いは既になかった。
「ジョンはどうした!」
「駄目だ。死んでいた」
男の仲間たちは、足元にたいまつをかざして接近を防ぐ。
効果は微妙だ。
好き勝手に移動する黒虫には腕が足りない。焼けた薪をばらまくような規模でなければ隙間が多い。
「……原因は分かるか?」
「分からん……。ただ、家中が虫まみれだった」
正直、扉を開けたことが失敗とも考えた。
どこかから虫が入り込んだというより、家から発生したという方が納得できる。
直前まで見回りをしていたため、大量の虫が侵入する隙も無い。
今では集落の壁まで動き回っている状態なのだ。これだけ広く散らばるなら侵入時に気付けないわけがない。
「何だってこんなことに……」
「長は呪いを疑っているみたいだ」
「呪い……、魔術か何かか?」
「多分そういう類だろう。知らないが」
備蓄に虫が湧いたとしても、こうはならない。
たいまつを振るのも諦めた。
黒虫は走り回るばかりで、襲ってくる様子は見られない。大量にいる分、一部の進行先に含まれてしまうが、数匹に足を登られても実害は少ない。
死人が出た時点で、警戒すべきだが防ぎようがないのも事実なのだ。
離れた場所から退避の指示が届く。
「夜だぞ、都市まで逃げられるのか」
「どのみち、こんな状態では眠れない。俺らも持てる物は持つぞ」
「そうだな」
門前に荷車が現れた後には、住民総出で積み込みが行われるだろう。
黒虫の潜む夜闇を歩かなければならない。
直前まで集落を回っていた男は、星空が遠く感じた。
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「ふー、やっと終わった(チラッ)」
「……zZZ」
「嘘だろ。昼寝は何だったんだ」