14.
昨日の味方は、今日の敵。
さらばゴキブリたちよ。
「最後の群れも配置につけたわ!」
「よし、よくやった」
G・コマンダーが昼の空を映す。
枯れ枝より見渡す景色は、森を抜けた平原の先が映る。
近い地面に黒々とした集まりがある中、多くの煙が立つ都市は、この数日で明らかに変化を見せている。
都市の周囲では、堀や壁を築く土木作業が連日続いていた。
窯を作り、水を運び、運び込まれる薪は煮立てるために消費される。各所で見られる湯気の量は、数日の間に雨が発生しそうな勢いである。
通りがかったゴキブリなどは、叫びを帯びた男共に追い立てられて潰された。
偵察に向かわせた個体から住民の避難が確認されており、成した列はこちらを避けた道選びで都市を離れていく。
これまで森の奥で活動していた分の大半を移動させた。一匹一匹は小さくとも、地面を一色に塗り替える量には敵わないと判断する。
一人で対処しようものなら一生をかけても終わらないだろう。
こちらも諦めた。
分散して配置させた分、密に並べるより多く見える。
森と平原の境界に群がっている姿を見てしまえば、森の奥地で大量繁殖されていることも察するだろう。
実際、正しい。
森は必死だ。
倒木の音、木の損傷部から水と餌を摂取するゴキブリ。それどころか、川辺りに生活していたゴキブリを生きた水袋のように食い漁る光景さえ存在している。
地図表示には、都市を軽く押し流せる量の点群が表示されている。森を生息域とするゴキブリにとって、壁に囲われる程度の土地はせまいものだろう。
当然だが、地上部分に配置したG・コマンダーの音声出力は"OFF"である。
「今日のうちに終わらせてしまおう」
「いつでも動かせるわ」
バグロリの丁寧な誘導のおかげで自宅周辺からゴキブリは去った。
臭い以外が改善された今の環境を保つためには、生存個体も減らすべきだ。
「よし、全隊発進!」
遠隔操作によりG・コマンダーを都市へと走らせる。群れから飛び出した後には、フェロモンに誘われたゴキブリが後続になって陣形を成す。
森の各所から平原を突き進む。布を引っ張ったような群れの先端は、夕暮れのように黒い森の影を伸ばしていく。
一斉に動かすと言っても整列しているわけではない。
待機させる段階で何層にも積み重なっており、動かした後の混雑は苛烈だ。動く間に弾かれて、黒い一面から水しぶきのように飛び跳ねる。
勢いさえ作れば後は勝手に進む。
急停止はできない。
膨大なゴキブリが雨のような衝突を生み出し、待ち受ける都市の方でも警鐘が鳴り響いた。
都市手前に築かれた壁から大量の蒸気が立つ。
固めた堀へと次々熱湯を流し込まれる間に、地面にまかれた油にも火が点けられる。都市への侵入を拒む、炎と黒煙が一帯に広がる。
ゴキブリの早足でも残りの距離はすぐには埋まらず、対策を正面から立ち向かう。
投石器より飛ばされる炎弾。
散らばる炎が群れに降ってくる。
ゴキブリの群れは張りめぐらされた溝に転がり、先頭にいたG・コマンダーを含めて熱湯を浴びる。
ゴキブリは一方的に減らされる側だが、こちらに攻撃の必要はない。
ただ侵攻するだけ。
妨害を越えて住民の足元に届けばいい。
「ねぇ、これ見て」
隣にいるバグロリは偵察担当のG・コマンダーを示す。
都市を遠方から映す、その視界では巨大な炎が動いていた。
地上を離れた炎が、蛇のような形になって空中を動き回る。勢いをつけて地面近くを走れば、通過した場所に焼けた死骸を残す。
「魔法だよ! すごいねー」
「はぁ、魔法ねぇ……」
どうやら一部の現地人は炎を操れるらしい。
あれだ。
肉の表面が焼き足りない時に、裏返す必要もなくなる。
あるいは肉の方を持ち上げるのかもしれない。
どちらにもしても便利だ。
広い範囲でなくとも、その周辺は極端にゴキブリが減少する。
ゴキブリも火に包まれれば死ぬ。
そう、ゴキブリが死ぬ。
「……最高だ。俺にも扱えるのか?」
「うーん、無理じゃないかな」
「そうか……」
たとえ火を動かせても、焼けた油をまくのと大差ない。
生活環境からゴキブリを遠ざけるには面倒は避けられないかもしれない。
「とにかく、あそこに向かわせるぞ!」
「相手をやっつけるのね!」
「違う。ゴキブリの消費先だ」
「そ、そうね! 数が減らせるものね……」
熱湯風呂にも限界がある。
ゴキブリで埋まってしまえば、熱湯があふれて冷えてしまう。
煮立てるより、灰にした方が体積も減るだろう。
炎や油に飛び込ませるべきなのだ。
「魔法か何か知らんが、あれのおかげでゴキブリが死ぬ」
「うん」
都市の目前で侵攻を止められているとはいえ、間の平原は既にゴキブリで埋め尽くされており、森の中にも戦力が残っている。
消費が激しい場所に優先して送り込むべきだろう。
即席の防壁より飛び出た一点に、ゴキブリを集中させる。
渦巻く炎は風も生じさせるようで、巻き込まれたゴキブリが空に巻き上げられる。空中に現れるのは粉や断片ばかり、ゴキブリの死亡は確定だ。
積み重なったゴキブリも内部まで熱が浸透して、一瞬で生存表示が失せる。
死に際のG・コマンダーは、炎が暴れる中に立つ老人の姿を映した。
「でも、あんなに襲わせて大丈夫かな? ……疲れて死んでしまわない?」
「……もしかして、魔法に限界があるのか?」
「当たりまえよ。」
「そんな、……引き離すぞ!」
「引き離すって、どこに!」
大群を誘導するために一定間隔でG・コマンダーを配置しているが、今遠ざけたところで、放出したフェロモンは消えない。
急いで分散を指揮したところで、ゴキブリたちの個別の動きもあり、作った勢いを反転させるのは不可能だ。
つまり、魔法が終われば使用者は死ぬ。
上手く撤退してくれれば可能性はあるが……、
「……ああ」
バグロリの嘆きは終わりを意味していた。
膝ほどだったゴキブリの波も、一点に集中させたことで人の背丈を優に超える。
死骸だって積み重なる。
乗り越えてくるゴキブリは増々数を増やし、尽きるはずもなく体積を重ねた。
炎の動く範囲がだんだんと縮まり、山の上部で噴火のように吹き出していた炎も、最後には黒い海へと沈む。
「終わった」
これまでは、平原に広く行き渡らせていた分、殺される数も多かった。
だが、一点に集まることで厚みも増した今、表面のゴキブリを殺せたところで、内部や後続までは殺せない。
高さは維持され侵攻も止まらない。
熱湯の堀も既に役割を失っていた。
今日のために設置された防壁も、大群の衝突により内側への侵入を許す。一点突破の後には住民による防衛機能も損なわれ、ゴキブリの侵略が一方的に進んだ。
遠方より確認できるのは都市を囲む城壁だけ。
設置された道具も人々も、何もかもゴキブリで埋め尽くされた。
その日の夕方には、本物の雨が降りだした。




