13.
採光窓のある半地下。
筒の容器を受け取った学者は、開封作業のため観察室に入った。
壁に棚が並ぶ室内。十分な明かりの元、中央にある机のひとつに向かう。
道具が並ぶ机上で透明な箱へと容器を下ろす。手近な棚に吊るされていた皮手袋を装着した後には、容器から出た虫の観察が行われる。
透明な壁越しに見る室内に、老人と女性は注視していた。
小道具を用いて、掴んだ虫を様々な方向に傾ける。取り付けの拡大鏡を手繰り、脚の動きひとつ逃がすまいと、学者の両手が細かに動く。
最後には虫入りの箱にふたが置かれて、学者は手を止める。
手袋を外すと、廊下で待つ二人の方へと近づいた。
「何か分かりましたか?」
「ええ。やはり、といいますか……」
扉を開けた学者は、老人の言葉に表情を揺らす。
「立ち話もなんですから、まずは、こちらへどうぞ」
誘われるまま入室した二人は部屋を見渡す。
廊下の湿気から遠のき、明るさもあって部屋も広く映る。棚からの圧迫感も少なく、机周りの空間も腕を振り回せるほど余裕があった。
一部の棚に収まる透明な容器は、未使用なのかどれも空だ。
「正面だけ棚というと、特注の作業台ですか?」
「そうですね。室内も細かい部品を除けば、大抵は特注になります」
「飾らない家具は少ないか」
「ええ。出費はかさみますが、用途に合わせるなら探すより早いですね」
学者に椅子を用意してもらい、話の態勢が整う。
「とにかく、お待たせしました。何から話しましょうか……」
座っている横では、箱の中を動きまわる虫が見えている。
老人は話題に合わせて改めて視線を向ける。
「こういう場合、一目見て、分かるものなのですか?」
「固有の特徴を探すだけですので、種類を言い当てる程度なら大した時間も取らせません。これに関しては特に……」
「……過去に事例でも?」
「いえ、資料もまだ確認できていません。先ほど口走ってしまったことなのですが、今回の依頼に関しては少し予想がついていたのです」
新種の虫だと考えていた老人にとって、学者の反応は意外であった。
軽く見るだけで種の判別がつくなら既知の生物だと疑う。個体の異常ではなく外的要因で大量発生に至った可能性も見えてくる。
「実のところ、数日前に同じ外見の虫を観察しています。なので同種であると確信してしまえば、話せる内容もそれなりにあると思います」
「先立って依頼があったのですか?」
「いえ、まったく個人的な話で、この街中で捕まえたというだけですよ」
わずかに老人の目が見開く。
「街中、ですか……」
「ええ、ごく最近の話ですよ」
抑揚の少ない老人に対して、学者の声は室内に広まる。
「路地の隅にいるのを見つけましてね。通常街に潜むような生物とは足取りが違う。人通りを避けるわけでもなく、かといって街歩きにも慣れていない。新種ではないかと気持ち半分で持ち帰ったところ、遠からず当たったというわけです」
外の森で影響を与えている虫が、都市にも生息している。
「少なくとも、近い地域では生息してこなかった個体です。絶滅した種を含め、近い三都市の周辺では確認されていない。新種かどうかの判断については、もう少し資料を取り寄せてみないと分かりません」
学者が気楽に語ったのも一時、後には平静に語尾を強めた。
「手紙を読んで目を疑いましたが、この虫が村を埋め尽くしたという話は、事実なのですね?」
「ああ」
「虫の異変については訪れた商隊から横聞きしましてね。街道の方で群れの横断があったとか。……捕獲した虫について、もしやと思い、街道の一時封鎖や森の禁猟があるかもとは予想しましたが、すでに、そこまでの事態でしたか」
「森を出たというなら、緊急要請を出すやもしれん」
「嫌な先触れです。このまま、虫について話を進めましょう」
専門家だとしても情報入手から独自に動いた。行動力に驚いた老人は学者の語りをうながすために頷く。
「私が見つけた方は、都市の下水近くに住み着いたらしく、特有の臭いがしました。捕獲より八日です。今は隣室の方で寝かせてあります。この間には脱皮も行われました」
「脱皮ですか」
「ええ、私が捕まえられたのも、脱皮前で身動きが取れずにいたためでしょう。とはいえ機敏は機敏ですよ」
現在は机上の箱に収まり、従順に見えている虫も既に村を壊している。一点でも強みがあれば、たとえ小さな虫でも人の脅威になりえる。
「食の欲求が激しいのか餌を用意したのに、脱皮殻の回収は足のひと欠片、実に惜しい。……連日の不眠には耐えられませんね。生活環も早いようで、翌日には色も取り戻しましてね。活発に動かれると困るので、木くずに埋まってもらっています」
「えっと!」
「……どうぞ」
又弟子の女性の言葉に、学者が待つ。
「持ち込んだ方ですが、組合へ預ける間に数が増えていました」
「なるほど。メスでしたが卵の期間も短いですか。ちなみに確保した際に尾のふくらみは見えましたか?」
「すみません、直接捕まえたのは、もう一人だったもので……」
「いえ、無理を言っただけですので構いませんよ。繁殖については後々確認できるので、それこそ専門の私が行うべきでしょう」
落ち着いた口調だが、言葉の裏には回収の意欲がある。
わずかに前傾した姿勢も学者の真意を隠せていない。
「これまでの観察で気付けたことは、やはり成長速度でしょうね。他はこれといって特異な性質があるわけでもない。特定の餌に偏るわけでもなく、かといって都市を狙わない理由もない。……駆除というなら従来の手法で通用しますよ。昆虫特有の気門も見られますし、呼吸阻害の煙も効果的でしょう」
このまま虫が増殖すれば被害は都市に届く。森の環境が一変するだけでも大きな損失だが、虫が人の居住区域を避けてくれるはずもないのだ。
「問題は実行性ですか。虫の大群に対して十分な効果が得られるか、そもそも継続的な対処を都市が実施できるのか。薬毒の広域散布は難しいですから、この辺りは自然学者にゆだねるべきなのでしょう」
「……皆で、熱湯でも沸かしましょうか?」




