11.
そこは暗闇に包まれている。
少ない光が届くのは、排出部分か一定間隔で設置される点検口の隙間だけ。
日々生み出される都市の老廃物を受け止め、最寄りの川の下流に送る。雨水とも区別され、常に汚臭と湿気にまみれた空間は、地上とは見違う環境でもあった。
建設当時に異例な精度が求められた石造りも、今では多くが形を崩している。
塗装のはがれた壁は内部の石積みも露出し、遂には苔が根深く広がる。下水の溝に沿った点検路も同様に、直接汚れに触れないながら粘りを帯び、いつしか汚れを削り落とす工程が点検員の作業項目に加わった。
細い配管を伝って下水路に集まってくる。溜まりに溜まった人々の不始末の結果は、もはや人間の生存環境に隣り合う場所だとは思われない。
深呼吸をしてしまえば肺の奥に濁った粘りが生まれそうな、消毒用の薬液をしみこませた布で顔を守らなければ、一時も居座りたくない空間になっていた。
微生物や病原菌の温床である。
人間が暮らせそうにない空間にも定住者はおり、地層一枚の明らかな生活環境の違いは、同じ都市に住み着く関係ながら度々問題を起こしていた。
汚物まみれの虫や小動物は、植物や菌糸とは異なる移動の早さから特に嫌悪される。
殺鼠剤が使われるも、都市全体に通じる範囲は一度に対処できない。
必要箇所だけ重点的に行われ、毎回の中で逃げ延びる個体も数々。下水路もあくまで一つの寝床でしかなく、経年の内にできた隙間から地上に出入りするものも少なくない。
日常的な問題であり、対策が習慣化されて長らく。
祭日の前後に多少の変化があるといった雑多な認識に変われば、最近になって新たな居住者が加わったことなど興味にすらならないだろう。
わずか少数。先住者の一部に襲われつつも、産卵の頻度と数、異なる食傾向により急激に存在を増やしつつある。
足元深くで表れた変化など構わず、地上では毎日の営みが繰り返されていた。
朝の人込みも過ぎて、昼に近づく頃。
老人半ばの男がひとつの建物に入る。
街歩きということもあり国に貢献した証でもある深紫のローブは避けている。
それでも、事前に訪問の言伝を受けていれば発見は容易だった。
学者じみた風貌と、老いを経て彫りが深まった表情。
日頃の利用者とは似ても似つかない。
入口近くの受付は到来に気付いて表情を強め、直後に動いた上司の者さえ、緊張に手足を震わせた。
「ファルケン様。お越しいただき、ありがとうございます」
「構わん。それより、部屋に案内できるか?」
「はい。こちらへ……」
裏口から通すような無礼できず、多くが出入りする表側で顔を合わせる。力自慢の職種とあって作法を知らない者も多く、視線が集まらない内に二階へと案内される。
貴賓室で腰を下ろした後、会話を遊ばせる暇もなく本題に入る。
「手紙の件は、本当のことでしょうか?」
「正しくは孫弟子だが、子の遺言もあって直接指導した経緯がある」
組合の上役は心中で息を落ち着ける。
相手は領主の客人であり、城に手紙を届けるなど個人では不可能に近い。送り主の確認が必然となれば緊急要請なんて文言も通用しないはずだった。
今回の手紙は、組合の名義を借りて提出した。
万が一にでも虚偽の申請であれば処断される危険もある。依頼を任せたのが多少博識のある者だとしても、信頼できるかは別だったのだ。
「中々名前を借りぬと思えば、こんな事態になって頼ってくるとはな……」
今回の事件に関しては、事前に書面で情報をやり取りしている。
この場で対応するのも城の中では行えない作業が続くためであり、仲介でしかない組合は、事件を解決する専門性も持ち合わせていない。
とはいえ、真偽がついたところで組合側の対応も決定する。正式な来訪と決まれば、間を置いて入室した事務員も怯えず接客作業を済ませられた。
「あやつを呼び出せるか?」
「宿は把握しています。すぐに人員を向かわせます!」
質問を聞いた上役は、今日に備えて待機を指示したのが適切だったと安堵する。
「その間に現物を確認したい」
「回収物は地下室の方で保管してあります」
「ならば、一度降りよう」
「かしこまりました」
滞在も短いうちに席を立つと、直前に利用した階段をさらに下る。
人工照明が照らす地下空間に踏み込み、目的の部屋に着いた。
室内に家具は少ない。
唯一ある中央の机も、その上にある陶器の箱を置くためだけに設置された。
床の痕跡を見れば、最近になって取り払われたことに気づくだろう。
「ずいぶん、大きな箱だ」
老人が大きいと表現するが、実物は成人男性が抱えられる大きさでしかない。
外の調査で持ち帰ったにしては、という文言が隠れていた。
「その、開封の際に壁を登られまして、確保した全てを同じ容器に戻すのは困難と判断しました」
「家虫の類であろう。壁に張り付くのは、ままあることよ」
目の前で内側を叩かれている箱には、それなりの数が詰まっていると予想できる。
「持ち出したい。死骸と生きた成体、それぞれ一匹ずつを詰めなおしてくれ」
「はい、この後で、急ぎ用意させます」
老人は頷いた後も、標本の箱に視線を保つ。
「書かれた頃より、数が多そうだな」
「はい、延命のために回収場所の土を敷いたのがまずかったようで、昨日にも大量の白い幼体が卵からかえりしました」
「なるほど、……焼却もやむなしか」
逃走を免れたものの、一時は部屋を越えて作業員を慌てさせた。元容器の具合をみて対策しておかなければ、集落と同様になっていたかもしれない。
結果として部屋の手前にある通路では小さく焼け跡が残された。
「状況によっては領主の義務にも関わる。この後の調査によるが私からも忠告は出そう。組合側で要請を求めるなら、わしの名を出しても構わない」
「ありがたく、お借りさせていただきます」
話の後には扉が叩かれる。
呼び出した者の到着が知らされ、上に戻る。
地下通路には逃走対策の人員が部屋に向かって構えていた。




