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第二章 一幕 『幻夢城』

 五分と経たず。やがて、巨大な城門が眼前に姿を現した。

 記憶に残るコーラスの門。掲げられた朱染めの旗には獅子の紋章が刺繍され、閉じられた正面門には巨大な閂が掛けられている。何もかもが、昔のまま。しかし、人影は全く見あたらない。右を見ても、左を見ても、辺りには鬱蒼とした気配が漂うばかり。

 廃墟だった。

 開け放たれた窓を抜ける風の音だけが、笛の如く空虚な城から響き渡っていた。

 ガックリと膝をつき、両肩を落としてジョージは呆然と城門を見上げた。

「な、なんだよこれ…! どうしたっていうんだよ…!」

 言葉が見つからなかった。コーラスに戻れば――ただ、それだけを考えてここまでやってきたというのに。それなのに、この仕打ちはなんだというのか。自分がどんな悪事を働いたというのか。

 ひたすらジョージは全てを呪った。自分のことは棚に上げ、貴族生活に戻れぬ現在の状況を呪って、呪って、呪い尽くした。

 そんなジョージの気持ちを理解したのか。あるいは無言の迫力に気圧されたのか。さしものイリューン、ディアーダの二人とも、話し掛けては来なかった。

 と、そこに。空気を読まぬ飄々とした声。

「――あ…兄貴と魔術師様じゃねぇっすか!? こんなところで会うなんて!」

 甲高い、愛嬌のある声だった。どこかで一度聞いたことがある。まさか――

 後ろを振り向くと、そこには想像通り。見知った顔が立っていた。

 まだあどけなさの残る顔立ち。年の頃は十四、五歳といった所だろうか。髪を束ねた三角折りのバンダナがいかにも盗賊らしい、ボロを纏った少年の姿がそこにあった。

「お、おめぇは…!」

「兄貴! ジムっす! ジム・ホプキンス! 覚えてやすか!?」

 数週間前、ド・ゴール城に盗みに入った盗賊――ジム・ホプキンス。イリューンを兄貴と慕う彼が何故ここに?

 まさか、とジョージが思うが速いか、イリューンはジムの首根っこを引っ掴んでいた。

「どういうこった…! なんでてめぇ? まさかコーラスを陥としたのは…ッ!」

 力がこもる。ぐえぇ、と苦しげな呻き声を挙げるジム。

 物凄い既視感。思わず、ジョージはイリューンの肩を叩いていた。

「――お、おいっ! 手加減しろって!」

「ちッ…! …わぁってる、わぁってるよ。」

 言われてイリューンはすぐさまその手を開いた。

 拘束から開放され、ジムはそのまま地面に尻餅をつく。痛む尻をさすりつつ、喉元を掴まれたジムは何度も咳き込みながら涙を流した。

 らしくないな、とジョージは思った。確かにイリューンは粗野で粗暴な男だが、一度出会ったことのある人間に対し、こんなにも殺気立つ人間ではない。しかし、今のイリューンは焦っていた。言いしれぬ不安がその背中に漂っていた。

 やがて落ち着きを取り戻したのか、ジムはぽつり、ぽつり、と語り始めた。それは、驚きに満ちた内容だった。

「げほっ、げほっ…! ひ、ひでぇや兄貴…! お、俺、言われたとおり、団から離れて諸国の情報を仕入れようと動いてたんすよ? したら数日前、このコーラスの人間が揃っていなくなったなんて情報が飛び込んできて――! そんであっしは事の真偽を確かめようと、ここまですっ飛んで来たんっす。…何があったのかは解らねぇっすけど…城の兵士、町民に至るまで、全員が消息不明っす。変な奴等が来ていた、とか周辺の噂は聞くんすけど…」

 身振り手振りを交えながら興奮した口調で話をするジムを前に、ジョージ、イリューン、ディアーダは揃って顔を見合わせた。

 何かが起きていた。明らかにそれは、国を挙げての一大事だった。

 ディアーダは迷いなく懐をまさぐった。

 マナ・ライから託された手紙。それを取り出し、王への訴状であることも構わず、蝋の封印を断ち割ると、その場で拡げ目を通した。

 書状には、達筆でマナ・ライのメッセージが記されていた。


『僭越ながら陛下にお知らせ致します。御城下に秘められし魔剣を求め、邪教の動きが活発になっておられます。曳いては世の脅威となる可能性もあり。早急に魔剣を動かし、邪教を討たん事を。ダバイ城下へも同様の報せをしております。――ギルドマスター』


「…邪教…!」

 ディアーダは呟いた。ある程度は予測していたが、やはりマナ・ライはこうなる事を知っていた。そしてそれが故に、王への訴状を持たせたに違いなかった。

「あんのジジィ…遅ぇっつーの! 解ってんなら言えよ!」

 イリューンが至極、当然な意見を口にする。ディアーダが散々思っていたにも関わらず、一度も口にしなかった台詞。それはまさに、彼だからこそ言える言葉だった。

 ジョージは狼狽えた。まさかの展開だった。こんな展開は望んでいなかった。

「な、なんてこった…! 城の人間がいなくなったのは、邪教の仕業だってぇのか…!? …ま、まさか、この分だとダバイも…!?」

「そのまさか、でしょうね。」

 冷静に答えるディアーダに感情の起伏は見られない。しかし、ジョージはその裏に、鋭い棘が見え隠れしているような気がしてならなかった。ド・ゴールで見せたディアーダの激情が、言葉の端々に伝わるようで畏縮した。

 唾を飲む。そして、一言。

「…ダバイ、か。…やっぱ、行く、しかないんだよな。…くっそぉぉぉ…」

 空はただ、ジョージのぼやきを聞いていた。どんよりとした灰色の雲は、まさに今の気持ちを代弁しているかのようだった。


 ――――


 思い返せば、それがちょうど一週間前の出来事。

 どうしたものか、と首を捻るジムに、イリューンは更なる情報の収集を命じ、自らは馬車に飛び乗ると、ディアーダに先を急ぐよう促した。

 いつものイリューンではなかった。それはディアーダも同じだった。

 勿論、ジョージもまた尋常でいられなかった。このままでは国が無くなる。国が無くなれば貴族生活どころではない。手に職があるわけでも無し、野垂れ死には確定だった。

 家族の為。故郷の為。そして――自らの安定した生活の為に。

 三人を乗せた馬車は地図の端を目指し、ひたすらに荒野を走り続けた。

 昼夜を問わず平原を駆け抜けた。風の吹きすさぶ谷を渡り、幾つもの山を越え、闇夜に襲い来る亡霊戦車を蹴散らした。

 思い返すも壮絶な旅路。その末に、遂に三人は目的地へと辿り着いた。

 今にも車輪が飛んでしまいそうなボロボロの馬車を停め、ディアーダ、イリューンは先に降り立った。後を追い、ジョージは眼前に広がる石造りの街を見渡すと呟いた。

「とうとう…こんなところまで来ちまったか…」

 若干、後悔の念が無いでもなかった。が、今更どうする事も出来ず。手持ち無沙汰に何度も後ろ頭を掻くと、ジョージは深く溜息を吐くしかなかった。


 砂漠の帝国ダバイ。ラキシア大陸の南西端、地図の端に位置するその国は、広大な砂漠に囲まれた立憲君主大国である。

 砂漠といえど、砂だらけの大地という訳ではない。どちらかといえば荒野。植物の生えぬ痩せた土地故に砂礫岩が多く、故に砂漠の王国という二つ名が生まれたのだ。

 当然ながら、遮蔽物のない立地につき、敵国からの侵入は容易ではない。第二次ラキシア大戦時にはコーラスと同盟を組み、北のクラメシアに対し、東西に広がる最大防衛線を張り巡らせた史実が有名である。

 しかし、産業は決して豊かとは言えず。物資の内需は、殆どを湾岸貿易に頼っている状況――いわば、陸の孤島だった。


 朝の優しい陽光はいつしか、ジリジリと照り付ける灼熱の太陽へと変化していた。

 乾燥した空気が容赦なくジョージ達の喉から水分を奪い去る。吹き抜ける風すらザラついているように感じられた。

 ――静かだった。

 風の音だけが遠く響き、陽炎が人気の無い道に何本も立ち上っていた。

「やはり…ここも…」

 歩きながら、ディアーダがそうひとりごちる。閉ざされた扉、年期を感じる朽ちた建物の数々。そんな辺りの様子を伺い、イリューンはそれに続けて言った。

「誰ぁれもいやがらねぇな。…イヤな感じだぜ。」

「じょ、冗談だろ…! 今まで、邪教騒ぎは数あれど、国の人間が丸ごと居なくなるような大騒ぎなんて一度だって…!」

 突如。ディアーダは人差し指を口元に立たせ、静かに、とジェスチャーをした。

 咄嗟にジョージは黙り込んだ。耳を澄ます。遙か道の彼方から足音が聞こえてくる。

 砂を蹴る規則正しい音。それはしかし、人の物ではない。

 靴音と違う。踵の浮いた爪先が――地面を蹴り、削れ合うような。例えるならばそれは、猛獣の爪音にも似て――

 イリューンの目が鋭くなった。眉間にしわ寄せ、いきなりジョージ、ディアーダの襟元を掴みあげると、そのまま首が絞まるのも構わずに引っ張り、来た道を真逆に駆け出した。

「ぐ、ぐぇぇっ! い、イリューン…ッ!?」

「ごっ、はっ…! な、何を一体…!?」

「いいから話すんじゃねぇッ! とにかく今は逃げろッ!」

 何もない道を駆け、角を直角に曲がる。土煙を上げ、二人の男を引き擦りながら、銀髪の大男が誰もいない街路を走り抜けた。

 三つ目の交差点。そこをジグザグに曲がりくねった後、イリューンは手近な民家のドアを蹴り開け、飛び込んだ。

 後ろ手に勢い良く扉を閉め、ジョージ、ディアーダを部屋の片隅へと放り投げる。

 よろけながら尻餅をつき、二人は続けざまに声を挙げた。

「げ、ごほ、がっ…せ、説明しろっ! イリューンっ!」

「ごほ、げほっ! な、何事ですかっ…!」

 咳き込み、涙目でイリューンを睨み上げる二人。

 しかし、イリューンはまだ緊張を崩してはいない。顰めた眉。引き締められた口元。それらが決して悪ふざけや悪戯の類いでやった事ではないと物語っている。

 やがて、小さくイリューンは呟いた。

「少し…黙っていろ。」

 と、その時。

「ひ、ひいぃっ…! や、奴らか!? とうとう来やがったかぁっ!」

 気の抜けた情けない声。部屋の奥から棒切れを持った、疲れきった顔の男が現れた。

「…だ、誰だ!?」

「…誰です…?」

「こ、こっちの台詞だっ! …な、なんだ…奴らではなかったか…」

 三人の顔をぐるりと見渡し、男は深く溜め息を吐いた。不審人物とはいえ、飛び込んできたのが人間だったということにほっとしたのか、男の顔には安堵の表情が浮かんだ。

 イリューンは未だ、背中越しに外の様子を伺いながら男に問いかけた。

「おい…さっきから『奴ら』とか言ってるが、何なんだ!? 何が起きてやがる!? 何で街に誰もいやがらねぇ!?」

 その言葉にジョージも立ち上がり、理不尽な思いを叩き付けるかのように訊く。

「そ、…そうだ! コーラス城も同じだった…突然、人間だけが消えてしまったような…! 何が起こっているんだ!? これも邪教の――…し、仕業だってのか…?」

 邪教、の一言にディアーダが顔を強張らせた。それだけで何も口にはしなかったが、ジョージは一瞬、ド・ゴールで仮面を見た時のディアーダを思い出した。失言だったか、と言葉尻は自然、小さくなった。

 二人の強い詰問に腕を組み、考え込んだ様子を見せていた男だったが、やがて三人に敵意が無い事を確認すると、ゆっくりと口を開き、

「…二週間…前だったか。王に謁見を、ってんで、クラメシアから兵隊がやってきたんだ。その時は何でもなかった。普通の外交歓迎ムードだったさ。…けど、それが切っ掛けだったとしか思えねぇ…! …あんな、あんな…ッ!」

 あんな、と男は連発した。興奮しているのか、語気が一層強まっていった。次の言葉を待ち、イリューンがゴクリと唾を呑んだ。


 ――次の瞬間。


 窓が打ち破られた。突然だった。強風が吹き込んだとでもいうのか。物凄い力で、閉められていた窓が内側に捲れ、激しい音を立てて砕け散った。

 同時に赤い霧が宙に舞った。そして、霧に続き…鮮血が噴水の如く立ち上がった。

 男は次の言葉を発せなかった。喉笛が食い破られていた。そのままの姿勢で、血を吹き出しながらドミノ倒しのように後ろに倒れ込んだ。

「ひ、ひいぃぃっ!?」

「…な…!?」

 悲鳴を挙げるジョージ。絶句するディアーダ。

 しかし、辺りには何も見えない。何が起きたのかさえ判らない。

 血溜まりが床を濡らしていく。パチャン、ピチャンと水音が室内に木霊する。

 すると。赤い水溜まりが、見えないスポンジに吸収されるかのように。

「な…なんだ、こりゃ…ぁ!?」

 ジョージが震える声で呟く。

 何もなかった空中に、赤い色に染められた――人間程の大きさの獣が現れた。ちょうど、床に滴った赤色を吸い取るかのように。そこに、凶悪な四足獣の姿が浮かび上がった。

「――どおぉりゃぁぁぁぁぁっっっ!」

 間髪入れず、イリューンがハルバードを振り払った。獣は刹那、宙に舞い、その一撃を避けながら壁を蹴る。

 蹴る、蹴る、蹴蹴蹴蹴蹴蹴蹴蹴蹴――

 狭い部屋を縦横無尽に獣が跳ね回る。いつもは冷静なディアーダですら、言葉を無くし対処出来ない。それ程までに凶悪な、そして絶望的なまでの恐怖だった。

 左、右、また左と首を向け、必死にイリューンは獣の姿を目で追い続けた。

 獣が咆吼を挙げた。否や、一直線にイリューン目掛けて飛び掛かった。

 ぐるん、と頭上でハルバードを一回転。一撃の下に迎え撃たんと、イリューンは真一文字にそれを振り下ろす。

 衝撃。炸裂。

 鉄の弾ける音と共に獣が吹き飛んだ。が、同時に。中空で獣の姿が消えていく。血を吸いきったのか、そのおぞましき躯が背景と徐々に同化していった。

 また、獣が床を蹴る音。しかし、今度は見えない。イリューンが舌打ち、床に唾を吐く。

 次は避けられるか? まさにその瀬戸際――!

「…氷れ空気。狭間に時を閉じ込めよ。…『Clione』――」

 まるで詩を詠むかの如き冷静沈着な声。

 続けて、部屋一面に水蒸気が発生したかと思うと、瞬間、空中に巨大な氷の塊が現れた。

 咆吼。絶叫。見えないが、確かに獣が氷中に存在した。瞬きを一つ。氷は落下し、まるで硝子の割れるような音を立て、床の端々へ粉々になって飛び散った。

「未熟ですね。魔術師ならば、こういう時こそ冷静に対応するものですよ、ディアーダ。」

「その声は…まさか…」

 青い髪。スラリとした背格好。年の頃は二十代前半といった所か。白いローブを身に纏い、小さな眼鏡を掛けた細面の利発そうな男だった。

 ハルバードを担ぎ上げ、獲物を盗られたとばかりに口惜しげな顔を見せると、イリューンは青髪の男に食ってかかった。

「どこかで見た顔だと思ったら…スノーじゃぁねぇか。相変わらず、お勉強大好きってぇツラしてやがんなぁ、えぇ?」

「そういう貴方もお元気そうで。相変わらず、整髪料がいらなそうな頭だ。」

「けっ…おめぇはいっつもそうだな。全く、面白くもなんともねぇ。」

 ニヤリ、と口元を綻ばせ、イリューンはスノーと呼んだ青髪の男の肩口を拳で軽く叩いた。

 事情が判らないジョージは狼狽えるしかない。イリューン、ディアーダ、そしてスノーと呼ばれたイリューンの顔見知りらしき男を順に見やった。

「お…おい…? し、知り合い…なのか?」

 ジョージの疑問にイリューンが答えようと――その前に。ディアーダが叫んだ。

「…み、見てください!」

 振り返れば。喉元を食い破られた男の死体が、蒸発するかのように――流れた血が全て宙に舞い上がった。遺体が干涸らび、乾燥し、ぐずり、と砂のように崩れ、風に浚われ――やがて、跡形もなく消え去った。

 戦慄した。フラッシュバックのように、誰もいない城塞がジョージの脳裏に蘇った。

「こ、…! ま、まさか…!? コーラスの人も!? こ、コーラスも…っ!?」

 刹那。胃の奥がひっくり返った。猛烈な吐き気が込み上げた。

 堪え切れず、ジョージは部屋の奥へと走った。

「…う、うぉえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ…っ!」

 胃液混じりの朝食を嘔吐した。酸っぱい味が鼻から喉へ。呼吸の全てが刺すような痛みを孕み、涙と鼻水が止まらなかった。

(まさか、そんな、ゲオルグも、父も! 王も、人々も! 全てが、全てが! 砂のように、消えて、飛んで! 崩れ去って! 塵に、散りに、埃に、芥に!)

 吐き気は止まらない。全て吐き出し、ありとあらゆる体液を顔中から垂れ流し、それでもジョージは喉元に込み上げる何かに、立ち上がることさえ出来なかった。

 悪夢は、始まったばかりだった。


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