第一章 二幕 『二つ目の約束』
――三人が出会った時を遡ること二週間。
帝都ド・ゴール。
ラキシア大陸の中腹に位置するこの街は第二次ラキシア大戦時、クラメシアのコーラスに対する最終防衛戦として、その国自体が要塞へと姿を変えた特種な城塞都市である。
コーラス領地と目と鼻の先に位置していたこの都市は、海にせり出した三日月型の半島に建築されており、前面は海、後方は崖という、まさに難攻不落の要塞として過去、何度もその名を歴史に轟かせていた。
現在はコーラスの同盟国であり、その要塞としての機能は殆ど捨て去っているものの、クラメシアとの緊張が増す昨今は後方の崖に架けられた橋が落とされ、入り口はエマからの連絡客船に限られている状態だった。
そのド・ゴールで、年に一度の武闘大会が行われた。
武闘大会は各地から強者が集うラキシア大陸一の娯楽。今大会は王の計らいにより、国宝とされていたハルギスの魔剣の一つが優勝賞品とされた。
ハルギスの魔剣――それは、世界に五本あり、全てを集めればこの世を統べる力を得られるとも言われる、まさに至宝である。
誰もが求めて止まない宝。それを求め、強者との闘いを勝ち抜かんとする男達。
その中に、銀髪の魔人――イリューン・アレクセイの姿もあった。
彼には目的があった。
彼の記憶は失われていた。断片的な記憶の欠片を紡ぐことは出来ず、ただ一つ確かに残る記憶は、魔剣を集めよ、という声のみだった。
だからこそ、彼はその手掛かりを求め、この大会への出場を決めたのである。
しかし、彼の手に手渡されるその前に、魔剣は仮面の乱入者によって奪われた。
その正体は、イリューンの良く知る人物だった。
故郷、ガルガライズの宿屋の主人。イリューンの恩人でもあるゴードン。彼こそが魔剣を奪った仮面の男――その張本人であった。
しかし、イリューンには信じられなかった。そもそも、魔剣を手にする情報をくれたのも、他ならぬゴードンその人である。そんな彼が突如としておかしくなり、素性を隠すべく仮面を着け、魔剣を奪うべくド・ゴールに潜入するなど到底信じられる事ではなかった。
乱入者を許したとあっては城塞都市の名折れである。
町中は衛兵が駆け回り、戒厳令が敷かれていた。一様にピリピリとしたムード。空気さえもがピーンと張り詰めているかのようだった。
反して、空だけは限りなく青かった。澄み渡る空気を深呼吸。そして、徐にイリューンは長く、一つ、溜息を吐いた。
手にしたザックを肩に引っかける。もう一度、仰ぐように空を見上げる。
共に旅をした仲間と別れ、一人になったことへの寂しさ。そして、目的が突然消えてしまったことに対する喪失感。
手にした武器さえ今は無い。イリューンは腕を組み、考え込んだ。
乱入者の正体はゴードンだった。しかし、それは本当にゴードンだったのか?
もし、本当にゴードンだったのならば、何の為に?
魔剣を奪い取ろうとする集団の目的とは、一体何なのか?
幾つもの疑問。勿論、それを晴らすには行動する以外に他は無い。
ふと、そんなイリューンの背後に立つ影があった。
「ウふふ…やっぱり、あなたが優勝、だったわね。」
聞き覚えのある、甘い、ハスキーなその声。
反射的に振り返る。亜麻色のウェーブ掛かった髪。そして、紫の口紅。妖艶な、女としての魅力を最大限に打ち出した、絶世の美女がそこに居た。
「…てめぇ…ッ! …サブリナ…ッ!」
「あら、覚えていてくれたのね。嬉しいわ…?」
ふふ、と自虐的な微笑を浮かべながら、サブリナと呼ばれたその女はイリューンの側へと近寄ろうとする。しかし、イリューンはその分だけ同時に後退った。
理由は一つ。この女こそが、ド・ゴール君主トマス・ド・ゴールに、魔剣を差し出すよう進言した占い師に他ならないからだ。
何かを企んでいるに違いない。髪の毛一本程も油断せず、イリューンは奥歯を噛み締めながら、一歩、また一歩と距離を取る。
ジリジリと間が空くのを見るや、足を止め――再び、くす、とサブリナが笑った。ややもすれば、引き込まれそうな微笑みだった。
「いやぁね。…あなたみたいな強者が、あたしを怖がるの? うふふ…」
「…白々しいぜ。君主が魔剣を手放すよう仕組みやがったのはてめぇだろうがッ! 何を企んでやがる? てめぇもあの仮面の乱入を読んでやがった口じゃぁねぇのかッ!?」
「…あら。鈍い男かと思っていたら…そこまで知っているとは、ね。…褒めてあげるわ。」
瞬間、緊張感が増した。立ち尽くす二人の目線が共に絡み付き、激しい火花を散らした。
イリューンの手はぴくり、ぴくり、と小刻みに動いている。武器は持ち合わせていない。しかし、いざとなれば、女であろうと構わず殴りつける用意は出来ていた。
と、その時だった。
「ちょっとすみません、そこの方々!」
空気を読まない衛兵が、突然声を掛けてきた。
衛兵は腰の剣に左手を掛けつつ、右手を差し伸べるようなジェスチャーをしてみせる。
「不審人物の捜査をしております。密航する輩も跡を絶たぬ故、ギルドの許可を得ているか確認をさせていただきたい。」
イリューンは無言で懐から旅証を取り出し、衛兵に向かって放り投げる。上手くそれをキャッチし、確かにギルドの許可を得ているか確認をするや、衛兵は小さく頷いた。
納得した様子でイリューンから目を逸らすと、サブリナにも同様にそれを求める。
一瞬の隙だった。横を向く衛兵の顎目掛け、イリューンは強烈な一撃を加えた。
昏倒した衛兵が膝を折った。刹那、衛兵の腰の物に手を掛け、一気に引き抜くと、その切っ先をサブリナの喉元に向かって突きつけた。
「――! …、…ッ!」
倒れ込む衛兵、瞬きほどの一瞬。サブリナは動けなかった。脂汗が額に浮かび上がり、声すら出せなかった。まさか、そう来るとは思いもしなかったようだった。
「言ってもらおうじゃねぇか。あの仮面は何だ? てめぇは何を企んでやがるんだ?」
サブリナの喉がゆっくりと動いた。ゴクリ、と唾を呑む音が聞こえるようだった。
「あたしは…駒よ。…ふふ…いずれ、解るわ…いずれ、ね。」
要領を得ない答えに苛立ち、イリューンは刃を更に近づける。陶器のように白いサブリナの首元から、うっすらと血が滲み出た。
「死にてぇのか? えぇ?」
恫喝。が、サブリナは怯まない。そして、
「…いいわ。一つだけ教えてあげる。…竜よ。縁有る土地に行きなさい。貴方が求めている答えはそこにあるわ。」
そう呟くや、サブリナはニヤリと嗤った。瞬間、その姿は薄く、まるで像がぼやけるかのように消えていく。
目を見開き、逃すまい、と咄嗟にイリューンは剣を突き出した。が、手応え無し。まるで、最初からそこに誰もいなかったかのように――風がイリューンの頬を撫でるばかりだった。
転移理力。物体や人を一時的に異空間に飛ばす理力。それを理解した瞬間、ドクン、と動悸が激しくなった。凄まじい悪寒がイリューンに襲い掛かった。
「…竜…、縁…!? バルガスの時と同じ理力…! まさか、あの野郎も一枚噛んでいやがるってぇのか!? …クソっ、一体、何が起きてやがるっ!?」
吐き捨て、イリューンは手にした剣を気絶した衛兵の横に投げ捨てた。そして、すぐさま港目掛けて一目散に駆け出した。
縁…縁…縁。
イリューンの脳内でその言葉だけが反復する。
港町ガルガライズ。宿屋の主人ゴードン。その娘メリア。そして…ラヴェルナ。
かつて自分を助けてくれた人々が、次々と瞼の裏に浮かんでは消える。過去の記憶がないイリューンにとって、暖かく迎えてくれた彼らは当に家族そのものだった。
魔剣の力。炎魔剣ブラッディ・ローズの威力。精霊斧セイクリッド・リーヴァの鋭さ。噴き上がる血。恐怖に震える叫び声。それらがイリューンの目から――耳から離れない。
街の中心からは幾分か距離があった。息を切らせながら、イリューンは船着き場に辿り着いた。
多くの褐色の男達が、荷積み作業を行っていた。その中に、ターバン姿の長身の男を見つけるや、イリューンは有無を言わさずを肩口を引っ掴み、
「サムソンッ! てめぇッ!」
「な、なんだァッ!? イリューン!? お、俺が何か悪いことでもしたってェのか!?」
いきなり振り向かされ、間髪入れず怒鳴られれば誰だってそう思う。サムソンと呼ばれたノッポの男は、戸惑いながらもそう返した。
イリューンは勢いよく首を左右に振り、
「そうじゃねぇっ! 急ぎだッ! ガルガライズに行って貰いてぇんだッ!」
「ガ、ガルガライズ!? お、おいおい、遠すぎるぜ! いくら俺の高速船で、湾岸沿いに南西洋を廻ったとしても、最低五日はかかるぞ?」
「頼むッ! 時間がねぇんだ! おめぇが一番速ぇんだッ! 納得してくれっ!」
無茶な頼み方だった。理由もクソもない。立場も都合も全く考慮していなかった。
しかし――
サムソンは訝しげな顔をし、深く、長く溜息を吐く。そして、
「…わぁった、わぁった。イリューン、おめェがそこまで言うからにはトンでもねェ事が起きてるんだな。…ちょっと待ってろ! 今、調整してきてやっから!」
そう言って、小さく肩を竦めた。無茶は慣れっこ、といった様子だった。
イリューンは大きく頭を下げた。それは、言葉に出来ない感謝の気持ちに他ならなかった。
――――
落ち着かない船旅。数日間をヤキモキしながら、イリューンは波間を揺られ続けた。
眠れなかった。今までどんな事が有ろうとも、剛胆に眠ってきたイリューンだったが、今度ばかりはそうもいかなかった。
幾度と無く最悪の事態を想定し、歯は磨り減らんばかりに噛み締められた。
そして朝。待ち望んでいた声。船の見張りが大声でその言葉を口にした。
「船が着くぞ――――ッッ!」
懐かしい潮の香り。ウミネコの鳴く声。騒々しい港の空気。
船着き場に着く前から、イリューンの鼓動は高鳴っていた。
桟橋を取り付ける時間さえ惜しかった。船の甲板に駆け上がるや、イリューンは停まることなく、そのまま勢いよく船縁を飛び越え、空に舞った。
当然の如く落下した。が、地面すれすれでイリューンの身体は風に乗った。ごく短時間ではあるが、宙を自在に飛べる理力――『Swallow』だった。
水夫達が驚き、目を丸くする。口々に指で指しながら、人が飛んでいる、と素っ頓狂な声を挙げる。勿論、そんな事を一々気にするようなイリューンではない。
目指す建物まで直線距離で約五分。
理力切れ寸前、イリューンは転がるように地面に降り立った。同時に踵を蹴る。倒れながら走る。まるで地面を滑るように、宿屋と書かれたドアを蹴り開けた。
「――オヤジィッ! ゴードンのオヤジッ! いるかッ!?」
空気が澱んでいた。暗い雰囲気があった。啜り泣く女の声が聞こえてきた。
聞き覚えがあった。イリューンは部屋の奥に向かって大声を張り上げた。
「メリアッ!? メリアかッ!?」
「…イリューン? まさか…イリューンなの?」
暗闇から姿を現したのは、白いエプロンドレスを着た金髪の少女。イリューンの姿を目にするや、少女は駆け出し、感情のままにその胸へと飛び込んだ。
「うわぁぁぁ…! お父さんが、お父さんがぁぁ…!」
「泣くな! オヤジに何があった!? メリアッ!?」
肩口を両手で掴み、泣きじゃくるメリアを引き離すと、イリューンは殊更に強い口調でそう問い掛けた。やがて、メリアはポツリ、ポツリと何があったのかを口にした。
「お父さんは…あなたが旅に出てすぐ、残った魔剣の在処を調べるって言って…毎日、船長達から情報を仕入れようとしていたわ。そんな時だった。あの男がやって来たのは…」
「…あの男…?」
「イリューン、あなたと同じ…黒い鎧を着ていたわ。」
絶句した。想像した最悪のケースだった。
イリューンの知り得る限り、自分と同じ鎧を着た人間は一人しか居ない。
過去、少なからずイリューンとの因縁がある人物。その男以外に考えられなかった。
「……! …バルガス…ッ!」
「…お父さんは、いきなりその人に…、…散々殴られて…っ」
「オヤジさんの腕前はマスタークラスだった筈だ。…それが易々と!?」
「…私を…庇って…っ、…それで、お父さんは…うぅぅ…っ」
しゃくり上げながら。涙に顔を濡らしながら。メリアは少しづつ事の経緯を語った。
その全てが、イリューンにとって余りにも怒りに満ちた内容だった。言葉に出来ないほどの口惜しさが、胃の裏でぐるぐると廻るのは耐え難い感覚だった。
「そうか…辛かったな、メリア。」
たぎる感情を押し殺し、未だ俯き啜り泣くメリアの頭に手を置いた。そして、
「…読めてきたぜ。バルガス、サブリナ…それにあの仮面…! 全部、繋がってやがるな…! クソッ! 奴等はどこへ行ったんだ!? 何か手掛かりはねぇのかッ!?」
イリューンは吐き捨てるように言った。吐き出さずにはいられなかった。
メリアはゆっくりと、くしゃくしゃの顔を上げ、
「…解らない。突然の出来事で…どうして父さんが…父さんが、どうして…っ!?」
眼を潤ませながら、そうイリューンに訊き返した。勿論、答えは出せる筈も無かった。
ふと、イリューンの脳裏に、『もう一人』の姿が横切った。
笑顔を浮かべた長い黒髪の女。ゆっくりと、頭の中でこちらを振り返るその肢体が、イリューンの体を震わせた。
緊張に唾が湧いた。口中に苦い味が広がっていった。イリューンは奥歯で嫌な予感を噛み潰しながら、メリアにそれを問い掛けた。
「ラヴェルナは…! …このことを、知ってんのか?」
「それが…、その…、…!」
予想に反して――いや、予想通り、メリアの歯切れは悪かった。凄まじいまでの悪寒が、イリューンの背中を駆け抜けていった。
「――メリアッ!」
もう一度、肩を掴み一喝。やがて、メリアは怖ず怖ずと切り出した。
「お…、お父さんがさらわれた時…ラヴェルナさんはその後を追って…っ! き、きっと…きっとお父さんを助けようと…! 私、私ぃ…っ! うわぁぁぁ…」
いやいや、と頭を振り、メリアはへたり込んでしまった。声を挙げて泣き続けるメリアを、イリューンは呆然と見つめるしかなかった。
かつてイリューンを救ってくれた、そして、慕ってくれた少女。男勝りで、勝ち気で、いつでもイリューンの押し掛け女房を自負していた彼女。
そんな彼女が、家族同然に付き合っていたゴードン親娘を放っておく訳がなかった。持ち前の気性から、そうなるであろう事は予想出来たことだった。
しかし、もはやどうしようもない。イリューンには、彼らが何処へ向かったのかさえ解らない。後を追おうにも、手掛かりさえないのではどうにもならなかった。
その時だった。突然、イリューンの灰色の脳細胞に電流が走った。
それはまさに天啓だった。
「まてよ…! あるじゃねぇか…! 調べる方法がッ!」
バシっと、胸元で拳を握り締め、もう片方の掌にぶつけた。そして、イリューンは目を見開き、決意を固めるように言った。
「メリア、安心しやがれ…! おめぇのオヤジは、俺が必ず助け出すッ!」
強い口調だった。自信に満ち溢れていた。
メリアは涙を拭き、立ち上がった。そして、イリューンを見つめると、頷いた。
きっとやってくれる。信じられる。そう確信出来るだけの力が、その言葉にはあった。
眼光鋭く、イリューンは宿の奥に飾られていた『それ』に目を移す。
ズカズカと大股で歩み寄り、壁際に掛けられた装飾用の武器に手を伸ばした。
それは、以前使っていた物よりも遙かに長く、重い両刃のハルバード。普通の人間ならば、持ち上げることさえ困難なその武器を軽々と担ぎ上げ、
「こいつはちぃとばっかし借りるぜ。返すのは…オヤジに直接で構わねぇな?」
メリアは大きく頷いた。イリューンは頭上でハルバードを振り回した。そして、
「…行くぜッ!」
再び、イリューンは外へ向かって飛び出していった。