終章 『天と地の狭間で』
ジリジリと距離が狭まる。チリチリと身を焦がすような緊張感が背筋を走る。
イリューンが詰めれば、同じ分だけディアーダは後ろに下がり、対峙する円を決して崩そうとはしなかった。
遠距離から一撃を与えようとする魔術師と、近距離から一撃を叩き込もうとする戦士との戦いは、喩えるならば詰め将棋である。空間を、そして陣地をいかに早く制圧できたかが勝負の別れ目になる。
「い、イリューン、ディアーダ…!」
ジョージは見ていることしかできない。どちらを応援することも出来ない。
「あぁ……どうして……!」
ユミコがジョージの袖口で嘆く。彼女は明らかに部外者だった。しかし、仲間同士で戦わねばならない状況に、僧職という立場から心を痛めているのは間違いなかった。
ジョージにもひしひしとそれは伝わった。ジョージはせめて彼女には危害を与えまいと、二人の動きに気を配るしかなかった。
刹那、その動きに変化が現れた。
互いの円を描く動きが速く、隙を狙って近付いては遠くなる。先に仕掛けたのは、意外にもディアーダの方だった。
走りながら小さく口を動かしていた。隙を見せぬよう、その寸前まで詠唱を続けていた。
「――『Eagle』ッ!」
口中で唱えていた呪文を開放する。光の弾丸が空中で形を作り、次々とイリューン目掛けて飛散した。
ハルバードを振り回し、迫る理力の弾丸を打ち落としながら駆ける。翔けながら、イリューンはディアーダを討ち取るべく水平に跳んだ。
刃が鈍く煌めいた。弧を描いたハルバードがガツン、と屋根と激突した。ディアーダの姿は消えていた。横に捌かれたようだった。
「ちィッ!?」
振り向きざま、石突きで顔面を狙う。激しい衝撃がイリューンの手元に伝わった。
手応え有り。ニヤリと笑うイリューンだったが、次の瞬間ぎょっとする。
ディアーダの目前で、石突きが静止していた。光り輝く円盤が強烈な一撃を防いでいた。
「――『Turtle』…!」
攻撃を弾き飛ばし、ディアーダが掌に炎を灯した。一瞬でヤバイと判断し、イリューンは咄嗟にバックステップ。そのまま大きく距離を取る。
追い掛けるように、炎に包まれた蜥蜴が踊り狂った。
「――『Salamander』――!」
火球が意志を持ったかの如く宙を舞う。飛び退さるイリューンを狙い、着弾する。火柱が屋根上を紅く彩り、弾けた火の粉がジョージの頬にも撥ね飛んだ。
「…わっちッ!」
バタバタと火の粉を叩きながら目の上に手をかざし、ジョージはユミコの前に出て盾になった。燃え盛る炎舞う中、ディアーダが次の呪文を唱えているのが確認出来た。
「動きを封じよ――『Dionaea』!」
海の主をも封じた緑の理力が周囲から現れる。蔦のようなそれは一瞬にしてイリューンの身体を取り囲み、その動きを簡単に封じ込んでしまった。
「…く、くそッ!? こんなものでェッ!」
ハルバードを動かそうとするが、歯が立たない。力で抑え付けられているのではない。理力によって絡め取られている。
勝機、とばかりにディアーダの眼が輝いた。
「氷れ空気! 狭間に時を封じ込めよ――『Clione』ッ!」
間髪入れず、巨大な氷の塊がイリューンの眼前に現れた。破砕し、氷の弾が降り注いだ。
咄嗟に片手に力を込め、どうにか右手の蔦だけは引き千切る事に成功する。
自由になった手でハルバードを振り回し、最小の動きで避けながら氷弾を弾き飛ばした。が、片手両足を絡め取られた状態では満足にはいかない。次々と理力の氷を身体に喰らい、蔦の理力が切れた瞬間、イリューンはガックリとその場に片膝を付いた。
「…どうですか。まだ、やりますか?」
「けっ…! 魔術師くんだりが…この程度で満足しやがって…! まだ俺はくたばっちゃいねぇぜ? …やれるモンならやってみやがれぇッ!」
イリューンの身体から魔力が放出された。それは竜族特有のモノ。意志の力だけで発動する魔法の力だった。
イリューンの掌に炎が宿った。ボールの如く、それをディアーダに向けて投げ付けた。
火球はディアーダの寸前で爆裂する。防御呪文による盾が魔法を遮断したのだ。
朦々と上がる煙の中、視界が極端に遮られた。これを機に、イリューンが飛び掛かって来るに違いない。
警戒するディアーダ。端から見ているジョージとユミコにも、その様子は良く判った。
背後に人影がちらついた。「あっ」と思わずジョージは声に出した。ディアーダもそれに気が付いたようだった。
振り返る。同時に、ディアーダの手から光弾が打ち放たれる。
しかし、それは周辺の煙を払ったに過ぎなかった。そこには誰もいなかった。ゾクリとした緊張感がディアーダの背中を蹂躙していった。
「…こっちだぜ。余所見してンじゃぁ、ねぇ―――ッ!」
声と同時に、イリューンは懐に飛び込んでいた。魔力で作り上げた分身を囮に、ついにイリューンは最凶の魔術師の胸元へと飛び込んだ。
ガツン、と顎を跳ね上げる。勢い、ディアーダの脚が痙攣する。
そのまま、イリューンは攻撃を休めない。勝機を逃さんと、連続で攻撃を打ち付けた。
柄で。拳で。膝で。肩で。
身体中の全てを使い、思うがままにディアーダを打ちのめす!
「いりゃあぁァッ!」
七撃目、ハルバードで突き込まんとしたその刹那、刃先をディアーダが素手で掴み取った。まるで万力で締め付けているかのような――信じられない握力だった。
「…ンな…!」
「防御理力を…舐めないで欲しいですね…! その程度では効かないですよ…!」
引き込み、ディアーダは華奢な身体に似合わぬ強烈な前蹴りを敢行した。
蹴り足が鳩尾に喰い込み、身体を折りながら、たたらを踏んで後退るイリューン。魔術師とは思えぬ程の力。全ては理力による物だろうが、それで曲がりなりにも竜族であるイリューンと並び立てるのだから恐ろしい。
苦しげに息を吐き、顔を上げ、イリューンは目の前の敵を睨め付けた。
冷静な顔を崩さぬまま、諸手を肩と水平に上げ、再びディアーダは呪文を唱え始める。
驚くべき光景が広がった。
左手に炎。右手には氷。背に風を巻き上げ、足からは光輝く理力の柱が立ち上る。ディアーダは四つの理力を同時に操っていた。
「容赦はしません…! 禁じられた極大理力の一つ…見せてあげましょう。」
「…な、なんてぇ器用な真似しやがる…! 面白ぇ…やってみせろやオラぁァッ!」
イリューンの啖呵と同時に、ディアーダは両掌を此方へ向けた。炎が噴き上がり、氷が地を走る。風が四方より襲い掛かり、屋根上にも関わらず大地が揺れた。
「――天の御柱、地の御柱、大気を創りし元素の高低、風を巻き我は大地より力を借りよ。そこに至るべき活動の全てを停止めよ! 『Hu――man』ッッッ!」
「…う、うぉぉおおおォォォッッ!?」
イリューンが雄叫びを上げた。閃光が眼を奪った一瞬、同時にイリューンは空中まで弾き飛ばされていた。その身体を風が、氷が、炎が、土が同時に包み込んだ。
眩いばかりの白い光。球状の理力結界が、イリューンの身体を完全に固定する。
まるでシェイカーの中のカクテルのように――イリューンの身体が跳ね回った。凄まじい衝撃が球体内で反射し続ける。四大理力の荒れ狂う中で、イリューンはその身を引き千切られそうな痛みに耐えていた。
「があぁぁあぁぁぁッあぁッ!」
「『Human』は理力の集大成…対象が死ぬまで結界内の嵐は収まらない。それが例え竜族であろうと…例外はない!」
語尾に力が篭る。だが、言葉とは裏腹にディアーダも限界なのか――肩で息をするのを隠せない程に疲れ切っていた。
一方、苦しむイリューンの額から激しく血が噴き出した。既に気力では抑えきれないレベル。四肢の筋肉は捻れ、皮膚が裂け、苦悶の声と同時に吐血した。
「――やめて…! もう…もうやめて――――!」
耐えきれず、ユミコがとうとうジョージの後ろから飛び出した。そのままディアーダの前に立ちはだかり、結界球内のイリューンを背にユミコは必死に訴えた。
「どうして…どうして仲間同士で戦うの!? 貴方は…貴方はそんな人じゃない筈…っ! ジムさんを助けようとしていた貴方は…もっと優しい眼をしていた。友達なんでしょう!? それなのに、それなのに――!」
嗚咽混じりのその言葉は、部外者にかける物とはどこか違っていた。ジョージはまさか、と思った。いや、ひょっとしたら――彼女は――
しかし、ディアーダは一向に表情を崩さない。冷徹な表情は更に冷たく、能面のようにユミコの事を見つめていた。
「…るな。……じゃ、ねぇ……!」
声が聞こえた。驚き、ユミコが振り返った。結界内で、苦しみながらもイリューンが呟いた台詞だった。
「…女が…男同士のケンカに口を…挟むんじゃねぇ――! ぐ、…あぁぁぁぁッ!」
その言葉にユミコは呆然とすると、そのままその場にへたり込んだ。
何も言えなかった。男だとか、女だからとか――そんな下らない理由で、と返したかった。だが、それ以上は口に出来なかった。イリューンの口調はあまりにも真剣で――そして、ディアーダの眼があまりにも哀しかったからだった。
戦いが始まってそろそろ三分強。レミーナの宣告した時間が迫っていた。
鼓舞するように、ディアーダは自ら頷いた。掌に力を込め、最後の理力を振り絞った。
更に結界内の光が強まった。
――その時だった。
バタン、と。屋根床の扉が開かれる音がした。
「兄貴ぃ――――ッ!」
「――何、グズグズしてんのよ…! そのぐらい、アンタなら何とか出来るでしょうッ!? …しっかりしなさいよ…イリュ―――ンッ!」
聞き覚えのある少年と女の声。振り返れば、いつの間に気付いたのか。下で寝かせていた筈のジムとラヴェルナがそこに立っていた。
二人の姿を見た瞬間――否、声が届いたのか、イリューンの眼に鋭い光が戻る。
幾度と無く回転しつつ、イリューンは四肢に力を込める。内側から魔力が迸るようで――次の瞬間、結界内で力の潮流が激しくスパークした。
「うぉおおおお……舐…めるんじゃ……ねぇぇッッッ!」
「…ば、馬鹿な…! 結界を内側から破ろうとでもいうんですか…!? させません…ッ! させるものかぁっ!」
外から壁を維持しようとするディアーダと、内から壁を破壊せんとするイリューンとのぶつかり合い。理力と魔力、意地と根性の激突。凄まじい風と嵐とが吹き荒れた。
不意に――二人の戦いを余所に前触れもなく、空中で静止していた飛行船がゆっくりと移動を開始した。
高貴な声。威厳のある少女の声が、全員の脳裏に響き渡った。
『――五分、よ。ディアーダ。残念だけどここまで。生きていたら、また会いましょう。』
声に気を取られ、ディアーダの動きが完全に静止する。
その隙を逃さず、イリューンは渾身の力で両腕を大きく拡げた。残る魔力を開放せんと、最後の力を振り絞った。
否や、ガラスが割れるような音が鳴った。凄まじい勢いで、結界球が砕け散った。
理力の欠片がバラバラと――澄んだ音を響かせ、屋根に落ちるや霧散していく。その中をイリューンは膝をつき、必死の思いで生還した。
フラつく。たたらを踏む。だがイリューンの足は止まらない。
理力を使い果たし、姉に置き去りにされ――呆然と天を仰ぐディアーダに歩み寄り、イリューンはその横っ面を渾身の力で殴り倒した。
半回転。ディアーダは屋根床に激突。数枚のタイルを額で割り、呻き声を上げた。
ふと見上げれば――既に、飛行船は飛び去っていた。
暗雲は散り散りとなり、再び陽光がトンペイ市内に差し込んでくる。
静まりかえっていた辺りに蝉の声が戻ってくる。それを背景にイリューンは言った。
「…テメェ、オレに言ったよな。自分だけが不幸だと思うな、とかよ。…成る程、テメェにも色々事情があるこたぁ、解ったわ。…けどよ、違わねぇか? テメェが今、しなくちゃいけねぇのは…あの姉とやらを止める事なんじゃねぇのか!? えぇ! ディアーダッ!」
怒鳴りつけた。それは似たような立場だったからこそ、敢えて発した苦言でもあった。
――それが限界だった。その言葉を最後に、イリューンは真下に崩れ落ちた。仰向けに倒れ込み、意識は半ば消えかけているような状況だった。
「…い、イリューンっ!」「――兄貴ぃッ!」
堪らず、ラヴェルナとジムがイリューンの下へと駆け出す。ジョージもまた、後に続いて側に寄った。ジムとラヴェルナが名を呼び続けた。大の字のまま動かないイリューンに向かって、そっとジョージは話し掛けた。
「しっかりしろッ! 無事か! 無事か? イリューン…っ!」
「…あんまり…無事じゃぁねぇけど…な。」
そこでようやく眼を開き、イリューンは一言だけを呟いた。軽口を叩いているものの、どう見ても軽傷ではなかった。ジョージは唇を噛み締めた。何も出来ないと悔しがるのは、これで何度目だろうと口惜しかった。
そっとユミコが近付き、イリューンの傍らで手をかざすと、小さく呪文を唱え始めた。
「――雨竜付けし××無し。…『Reptile』…!」
柔らかな光がイリューンを包み込んだ。傷付いた四肢は元通りとなり、出血も止まる。しかし、体力まで戻せるわけではなかった。
イリューンはその状態から動けなかった。完全に電池切れだった。
「へっ…、もう身体が言うことを聞きやしねぇ。…情けねぇ。」
緊張感のある顔を崩し、イリューンが微笑む。ユミコはそれに一礼をし、今度は俯くディアーダの側へと駆け寄ると肩越しに訊いた。
「…ディアーダ…さん。お姉さんは……どうして……」
「………」
その問いに、ディアーダは答えなかった。イリューンに殴り飛ばされた頬を押さえ、ただ何も言わず、その場で涙を流し続けるしかなかった。
「おぉ〜〜〜いっ! 皆、無事ダスかぁ〜〜〜っ!?」
やがて、緊張感のない声が階下から聞こえてきた。特徴あるその口調は、鍛冶師コウテツロウに違いなかった。
ジムとラヴェルナは互いにイリューンの両肩を支え合った。そして、そのままゆっくりと屋上を後にした。
後ろ髪を引かれつつも、ジョージはディアーダとユミコに背を向けた。この場に自分がいてはいけないような気がして、ジョージは二人に先立ち天守内へと降り立った。
城内には見た顔が揃っていた。
想像通り、そこに待っていたのはコウテツロウ。そして、もう一人。包帯を巻いたジェイムズが立っていた。まさか、無事だったとは。つくづく丈夫なジィさんだな、とジョージは不謹慎ながらもそう思った。
「じ、ジィさん、大丈夫なのか…?」
「無礼な! 我が騎士団は墜落程度でどうにかなる程、柔ではないわ! …痛つつ…!」
強がってはいるが、それでもイリューン同様、到底無傷とは言えない。隣に立つコウテツロウが続けて話を切り出した。
「どうやら無事だったダスか。心配したダスよ…!」
「オッサンまで…どうしてここに?」
疑問をそのまま口にするジョージ。コウテツロウはジェイムズと顔を見合わせ、
「どうしてって…そもそも、ジェイムズ卿をここに呼び立てたのはワシダスよ? 第一、娘を放っておける親がどこにいるダスか?」
そう言って下膨れの顔を益々膨らまし、コウテツロウは不機嫌そうな声で言った。
「確かに、な…」
ふと、ジョージは父の姿を思い浮かべた。厳しい父。厳格な父。そして、操られていた父の姿がフラッシュし、いたたまれない気持ちが蘇ってきた。
勿論、そんな心など露知らず。肝心の娘の姿が見当たらないと、辺りをキョロキョロと見回していたコウテツロウだったが、やがて奥の部屋からユミコとディアーダが顔を出すのを見てホッと胸を撫で下ろした。二人とも焦燥しきった様子だったが、少なくとも無事であることを確認し、コウテツロウは安心した顔を見せた。
すると、今度はジェイムズが呟いた。
「とはいえ、我が騎士団も壊滅状態。まさか、噂のレミーナが出てくるとはな。」
「…ジジィ、…何か知ってやがるんだな?」
天守の壁際に腰掛けていたイリューンが、耳敏く突っ込みを入れた。
ふぅ、と溜息を一つ。言うべきか、悩んでいる様子。だが、結局ジェイムズはイリューンの疑問に答えた。知っておくべき、と思ったのかもしれなかった。
「…調べはついている。クラメシアの皇帝、アムルドの身にとんでもない事が起きたのは間違いない。国民にすら知らされてないようじゃが、一月近く前、後宮で何かが起きたようじゃ。その際に、レミーナと名乗る女が皇帝の座に君臨した、と報告を受けておる。」
「…俺達がクラメシアを脱出して間もなく、か。…何者なのか。どちらにせよ…」
イリューンは一つの答えを出していた。それはジョージにとっても言わずもがなだった。
「…魔剣は奪われた。これで奴らの手には五本の全てが揃った事になる。バルガスの炎魔剣にゴードンの精霊斧…サブリナの幻夢鎌、奪われた暗黒刀。それに父上が持っていた…持たされていたあの氷槍…! あいつらの目的は定かじゃないが、バルガスは第三次ラキシア大戦を起こすような事を言っていた。…くそッ、冗談じゃないぞ…っ!」
「あ、兄貴…コイツはどう考えてもやべぇっすよ…!」
「な、何なのよ、イリューン…! ゴードンって…伯父さんが一体どうして…!? 何が起こってるっていうのよ…!?」
ジム、ラヴェルナも不安げな声を上げた。言い様のない澱んだ空気が漂った。
不意に、今まで黙り込んでいたディアーダが口を開いた。それは、決意ある言葉だった。
「…何か、何か事情がある筈です。私は…信じない。…姉さんは、姉さんは決してあんな…あんなのは姉さんじゃ…!」
「…ディアーダさん…」
そっと、ユミコがディアーダの背中を抱いた。すぐさまコウテツロウが「とんでもない」といった顔でそれを引き剥がした。ディアーダは特に気にしていない様子だったが、ユミコはムッとした表情で、空気の読めない父親を睨み付けた。その様が可笑しくて、ジョージは思わず失笑を漏らした。
「…これから、どうする?」
座り込んだ姿勢のまま、誰にともなくイリューンが訊いた。
最初に、ジムが切り出した。
「オヤジが殺されても…あっしは盗賊団の団長っす。弱音は吐いてられないっすよ。弔い合戦っす。総力をもって、あの女の情報を調べ上げるっすよ…!」
その眼は、静かな怒りに燃えていた。恨み、辛さ、そして哀しみ。全てが綯い交ぜになった複雑な瞳でジムは決意を口にした。
続けて、ラヴェルナがそっとイリューンの腕を取ると、涙ながらに言った。
「…イリューン、アタシは…アタシは、きっと足手まといだよね。…でも、…きっと、きっとまた戻ってくるよね?」
イリューンは何も答えなかった。だが、代わりに大きく頷き、ラヴェルナの頭を優しく撫で上げるのだった。
ディアーダがそっと前に出た。そして、イリューンとジョージに深く頭を下げた。
「…姉さんを、姉さんを救いたい。…私の行為は許されるものじゃない。けれど…」
「解った。それ以上は言うな。…気にするんじゃねぇ。」
イリューンは途中でディアーダの言葉を遮った。拳で語り合った仲だからこそ、それだけでお互いの気持ちが理解できた。ディアーダはもう一度、大きく頭を下げる。その目からはまた涙が溢れ、止まらなかった。
「…皆さんが行くならば…私もついていっていいですか?」
ユミコが大胆にも、そう声を上げた。勿論、コウテツロウは大反対だった。
「ユミコぉッ!? お前、また何を言うダスかぁッ!?」
「…いいから、お父っつぁんは黙ってて。」
二人のやり取りを傍目に、ジョージは小さく頭を掻いた。仕方がないな、とジョージは思わず微笑んでいた。ふと見れば、ジェイムズがすぐ側に立っていた。
「いずれにしても、ワシ等は騎士団を再建せねばならん。その為にも一時、ド・ゴールへ戻ることにするが…査察官殿、貴殿はどうするおつもりじゃ?」
ジョージはハッとし、自らの胸元に目を落とした。既にボロボロではあったが、確かにそこには、かつてスノーから譲り受けたギルド査察官のバッチが輝いている。
成り行きから得た査察官の身分だったが、何もないよりは幾分かマシだった。
それは、自分の身の安全がどうだとか、そういうレベルの話ではない。
ジョージは力になりたかった。ならねばならなかった。
何が出来るのか。何も出来ないかもしれないが、それでもジョージは答えに詰まることはなかった。用意されていた一言を、ただ一言をジェイムズに向かって返すだけだった。
「俺は…ダリューン王子に謁見しなければ。会って、全てを報告しなければ…!」
そうか、とジェイムズは頷いた。ジョージは真剣な面持ちでもう一度、自らの言葉を確かめるように「そうだ」と口中で呟いた。
コーラス第一王子、ダリューン・デ・コーラス。彼ならば、始まろうとしているクラメシア帝国との衝突を避けられるかもしれない。そして、その力を借りれば――裏で暗躍する邪教を追い詰め、父を助けられるかもしれない。
決意を固めたジョージ。
姉を追うディアーダ。
そして、バルガスとの因縁を持つイリューン。
全ての戦いが始まろうとしてる。第三次ラキシア大戦が近付いている。湿気の多い空気の中、焦臭い雰囲気が広がっていくのをその場の誰もが感じていた。
ジョージは身震いをした。今になって、身体の震えが止まらなかった。
しかし、そのまま拳を握り締め――もう一度、強く思った。
『父を――必ず、父上を救い出す。』
その眼は、弱かったあの頃とは違った。
既に、臆病なジョージの姿はそこにはなかった。
強い意志と誇りを持った、一人の騎士が立ち尽くしていた。
――――
一人の老人が、揺り椅子で本を読んでいた。
傍らには眠る少年の姿。寝息を立てる彼には、安心という名の毛布が掛けられている。
溜息を一つ吐く。老人は読んでいた本を途中で閉じ、そこまでで眼鏡を外すと目元を人差し指と親指とで強く押さえた。
どうやら、読み疲れているらしかった。ふと老人が首を動かせば、暖炉の薪は残り僅かになっていた。
目を落とせば、本は丁度、全体の三分の二を終えた所。残り三分の一。この長い長い書物の結末に何が描かれているのか、既に老人は知っているようだった。
「…何度目かの。この結末に辿り着くのは。」
言いながらも、どこか楽しそうに。そして、どこか寂しそうに老人は後ろのページをパラパラと捲った。古いインクと紙の臭いとが混ざり合い、心地よく鼻腔をくすぐった。
寝息を立てる少年が、うぅん、と小さく唸る。同時に、少なくなった薪がバチリと火花を散らして弾け飛んだ。
老人はもう一度、揺り椅子に深く腰掛けた。そして、キィキィと軋んだ音を立てながら、身体を前後へと揺らした。
ゆっくりと。まるで、振り子時計の如く。
「そろそろじゃな。…どうやら、外の吹雪も一段落した様子。準備をしておかねばの。」
意味深に呟き、老人は先のページに再び手を戻した。
小さく、第二部完、と書かれていた。
次のページからはまた、色の違った紙で更に数奇な物語が続いている。
長い長いお話。今は無き、失われた大陸の物語。
冒険は終わらない。しかし――
結末はただ、そこにあるばかりだった。
大冒険日誌 第二部 完 劇続
長い長いお話もこれにて中盤戦が終了となります。ここまでお付き合いいただいた方々に深い感謝を。
ジョージ一行の旅は、次の三部で終幕を迎えます。伏線の数々や、第一部からの疑問等について粗方の謎が明かされます。
何気なく書かれていた内容や、これは無理があるのではないか、と思われるような事象にも一つ一つに理由があります。それが皆様にとっても納得がいくものであれば、作家冥利に尽きる限りです。
願わくば、最後までお付き合いいただけんことを。それでは、次回第三部にてお会いしましょう。