第七章 一幕 『暗黒刀』
本来、城とは簡単に侵入を許さないように造られている。入り口や関所、門戸には理力による不正を防ぐ為の仕掛けが幾らでもあり、場合によっては熟練の魔術師や屈強の戦士による二段構えの防御線が張られているケースも珍しくはない。ダバイのように既に陥落しているならば話は別だが、正規の手段を踏まずに城へ忍び込むのは至難の技である。
長い旅をしてきたジョージ達にとっても、厳戒体制の城へ潜入するのは初めての試みだった。失敗は即ち死。捕らえられ、城破りの汚名を被せられる恐怖は並大抵の物ではない。
不安に押し潰されそうになる。緊張から下唇が何度も痙攣する。
だが、今更ジョージは逃げようとは思わなかった。腹積もりは決まっている。もはや、後戻りは考えていなかった。勿論、考えられるような状況でもなかったのだが。
「…し…しっかし…そんなに簡単にいくとは思えないんだが…大丈夫なのか?」
「他に方法が無いんです。なれば、危険が隣合わせなのは承知するしかないでしょう?」
ユミコの案は至極単純なものだった。血脈の如く張り巡らされた水路。その心臓部にあたる中枢――トンペイ城下へ舟を出し、物資の運び入れを装って侵入するというのだ。
勿論、三人は積み荷の下。荷物扱いである。
「絶対に顔を上げないで下さい。幸い、水路に関所はありません。門を潜ってからはあなた方にお任せしますから。」
ユミコが呟いた。藁の下に隠れたまま、ジョージはゴクリと唾を呑んだ。
ジーワ、ジーワと蝉の声が響く。炎天下、気温は上昇し、狭い場所ですし詰めになる三人の身体には汗が滲んだ。
熱い。気温もさることながら、密閉された空間で息が詰まりそうになる。
辺りの様子は伺い知れないが、明らかに喧騒は少なくなる。市街地から離れているのだから当然の事であろう。
「…水に囲まれてるってのは鉄壁だな。正面突破出来ねぇのが面倒でしょうがねぇぜ…!」
物騒な物言いをするイリューン。暑さに耐えている事もあろうが、ディアーダはいつもの通り押し黙り、何も話そうとはしない。
やがて、舟に人が近付く気配があった。しぃっ、とユミコが黙るよう合図した。
「皇宮鍛××コウテツロウ××ユミコ×御座×××。ゴンゲン様への××××。」
「…通れ。」
たった二言。後、再び舟は動き始めた。
数十秒後。ごつん、とゆっくり接岸される感覚があった。ユミコが先に舟を降り、岸に縄で船体をくくりつける。クラメシア語でのやり取りが繰り返される。
ジョージはじっと様子を見る。滝のように汗が額から頬、頬から首へと伝う。イリューン、ディアーダも同じようにじっと動こうとはしなかった。
汗を滲ませながら、人の気配が無くなるのをひたすら待つ。
静かになったのを見計らい、まず先に、ジョージはそっと藁から顔を出した。
辺りに人影は見えず、ユミコの姿も見当たらない。恐らくは見張りの注意を逸らすべく、画策してくれているのだろう。
「…イリューン、ディアーダ…! 急げ、今の内だ…!」
先に藁から出ると、岸に降り立ち立ちはだかる城壁に背中を着ける。手招きをし、未だ舟底に隠れる二人を呼び寄せる。
同時に、むっくりとイリューンが立ち上がった。続いてディアーダも舟からぴょんと飛び降り、小走りにジョージの傍へと駆け寄った。
「…暑かったです。」
「ッ冗談じゃねーぜ…!」
二の腕で汗を拭い、イリューンは苛立たしそうにそう吐き捨てた。いつもより小声だったのは言うまでもなかった。
「幻影術をかけます。傍に寄って下さい。」
ディアーダの声にジョージ、イリューンが頷く。詠唱が始まった。
「可視すべき者、光を失い現世に亡き者の姿を視よ。『Chameleon』ッ!」
光が三人を包み込む。特別に変わった様子は見えないが、身体の周りをキラキラした理力の粒子が飛び交っている。
「…ディアーダ、これ…どういう理力だ?」
「私達の姿は、見えているけれども他人には認識出来ていません。云わば道の石ころです。理力で限りなく存在を薄めています。」
「全部ぶった切っちまえばイインじゃねぇのか?」
「一人でやれっ! 頼むから大人しくしといてくれよ!」
激しく突っ込みを入れつつ、ジョージは天守閣を見上げた。ここから何重の警戒体制が敷かれているのか、皆目検討がつかない。
玉砂利を踏む音を立て、真っ先に動き出したのはディアーダだった。それを追ってイリューンが、最後にジョージが続く。
白壁で仕切られたトンペイ城領地はまるで迷路のようだった。途中、何人かの衛兵にすれ違い、その度にジョージは胆を潰しそうだったが、ディアーダの言うとおり、此方に気付いた者は誰一人いなかった。
城門を越えれば、馬鹿みたいな数のドアが三人を出迎えた。文化が違いすぎる。普通はホール等、開放感のある造りになるものだが、トンペイ城は真逆。如何に多く部屋を分割するか、それだけを追求した造りだった。
ここでも数人の衛兵とすれ違うが、やはり誰も気付かない。コウテツロウに聞いていた宝物庫はすぐそこだった。
衛兵が入口を警備している。イリューンがそっと側へ寄り、首元に手刀を見舞った。
膝から折れ、ガクンと昏陶する衛兵。
ドアには閂がされておらず、簡単に入り込む事が出来た。
小さな部屋だった。骨董品のような鎧、兜、金銀の類い。その奥にポツンと置かれた刀が目についた。一本だけ恭しく飾り台の上に置かれている事から見ても、これが宝刀に違いない。刀と言うからには長物だと思っていたが、それはどちらかと言えば短刀の類いだった。
傍目に見ても異様な姿。鞘に収められているというよりは、鞘に閉じ込められている。妖気のような物が噴出しているようにさえ感じられてならなかった。
「…まだサブリナは来てねぇようだな。」
「間一髪というか…しかし、この宝刀をどうします? 流石に私達が奪い取る訳にもいかないですよね?」
「だよな。強奪もいい所だしな…」
「いや、持っていこうぜ。どちらにせよサブリナはコイツを狙って来る筈だ。ここの衛兵じゃコイツを守りきれねぇだろ。」
その言葉は、俺なら守れる、と逆説的に語っていた。しかし、それはある意味では真実かもしれなかった。
この世に四匹だけ残された竜族。その一であるイリューンならば、魔剣を守りきれるだろう。そして、あのバルガスの炎魔剣にも対抗出来るに違いない。
「異存ねぇか?」
ジョージもディアーダも頷いた。イリューン以上にこの剣を持つに相応しい人間がいる筈もない。
おもむろに手を伸ばすイリューン。短い鞘を掴んだ瞬間、まるで何重にも張り巡らされた空気の膜が一息に破れたような感覚があった。
――次の瞬間。
「ウフフッ…遂に手にしてくれたわね。最後の魔剣を…竜よ…!」
聞き覚えのある、否、忘れられる筈もない声!
「その声…!」
「来やがったかッ…!」
ボワ、と空中に紫の霧が舞う。それは形を作り、人影を映し始める。
有無を言わさず、イリューンが跳んだ。今手にしたばかりの宝刀を抜く。刀身が姿を現す。
黒。
黒色の闇。澄み渡る、まるで吸い込まれそうな漆黒。
瞬間、イリューンの身体から力が抜けていった。吸い取られるような感覚に、イリューンは思わず叫び声を上げた。
「う、うおぉぉおぉ!? な、何だこりゃあぁッ!?」
「イリューン!?」「どうしたんですッ!?」
空中でバランスを崩し、イリューンは着地もおぼつかず床に激突。頭から肩、背中を地に付け転げ回る。そのままイリューンは力を奪われ、気を失ってしまった。
紫の霧が実体を現す。紫の唇、ウェーブの掛かった亜麻色の髪。
「サブリナ…ッ!」
ジョージが呟く。ディアーダが掌を向け、呪文を唱え始めた。
「…魔術師のボウヤ、無駄な事はよしたほうがいいわ。」
言いながらサブリナは踵を鳴らし、倒れ込むイリューンの傍へ寄った。
爪先でイリューンが握る黒い宝刀を蹴り飛ばし、手が離れた所で拾い上げる。
サブリナが宝刀を手にする。不思議なことに、刀身の長さが違っていた。
長い。最初に見た時よりも明らかに刀が長く伸びている。
「――貫け雷光! 『Eagle』ッ!」
言葉と共に光弾が飛ぶ。サブリナの身に激突するや、爆音を立てて煙が上がった。
「…や、やったか?」
「…いや…!」
煙が黒い霧に浸食される。まるで吸い込んでいるかのように渦を巻き、理力の煙りが消し飛ばされた。サブリナが宝刀を抜いていた。理力は、黒い刀身に吸収されていた。また少し、刀身が伸びたような気がした。
「これが暗黒刀…アウントゥム。憎しみを吸う刀。遂に封印を打ち破れたわ。イリューン、貴方の数百年に及ぶ憎しみ…それが欲しかったのよ。ウフフ…!」
「な…っ!?」
ジョージが眉を顰める。まさか、全ては計画通りだった?
その通り、といった顔でサブリナは刀を眼前に構えた。そして、得意気に続けた。
「バルガスに処刑を止めさせた甲斐はあったわ。暗黒刀は憎しみを吸って成長する。しかし、一人の憎しみだけでは満たせない。数百年という時を過ごす竜族の憎しみが欲しかったのよ。あとは、バルガスの憎しみを注ぐだけ…!」
「それじゃ…クラメシアから脱出出来たのも…ここまで警備が無かったのも…!」
「そうよ。協力者のお陰で全て上手くいったわ。ウフフ…」
「協力者…?」
「まだ解らない? フフ、鈍いわねェ…」
サブリナの笑みは邪悪さを増していく。信じられない、信じたくない言葉。そう、ジョージには心当たりがあった。何度か、不思議に思っていた事があったのだ。
「…すまねぇ、すまねぇっす…兄貴達…」
サブリナの後ろから宝物庫に声が響く。顔を見ずとも誰なのか解る。
「そんな…」「まさか…!」
二人の声に、バンダナをした少年が俯く。ヤーマ大樹海で別れた盗賊――ジムだった。
「な、何故!? 何でお前が…サブリナに協力してるんだ!?」
詰め寄るジョージ。だが、ジムは何も答えない。ディアーダが前に出る。同じ分だけジムは後退った。
「あらぁ、ダメよ。隠居した大切なお父さんを人質に取られてるのに、責めちゃ。」
クスクスと本当に楽しそうにサブリナは笑う。その片手に小さな水晶球を取り出し、こちらに向かって差し出した。球面には言葉もなく叫ぶ老年の男。肩を振るわせ、泣き出しそうな顔のジム。それ以上は何も言わずとも理解出来た。
(親父が引退したんでさ。先週より、盗賊団の三代目お頭に就任っすよ!)
ジムは情報収集の旅に出ていた。連絡はいつも伝書鳩だった。身内の身に何が起こったとしても、手紙だけでは解らない。クラメシア脱出があれだけスムーズにいったのも、奪われた鎧と武器を取り戻せたのも、最初から仕組まれていた事だった。
「で、でも兄貴達っ! 最初は違ったんす! まさか、まさかこんな事になるなんて…あっしは、あっしは兄貴達を助けられると思ったから! だから…!」
堰を切ったように、涙ながらにジムはそう訴えた。そして、それは恐らく間違ってはいなかった。ジムはサブリナを知らなかっただろうし、そのサブリナからイリューンを助け出す手解きを受けたなら、それに従ってしまうだろうとは充分想像できた。
「…テメェぇ…サブリナぁぁッ! 許せねぇぞ、このビッチぃィッ!」
頭を振り、やっとの事でイリューンは立ち上がった。怒りに燃えるその瞳。背中からハルバードを抜き放ち、切っ先をサブリナの鼻先へ突き付けた。
「素敵…その憎しみが力になるのよ。楽しいわ…楽しいわぁ。人が苦しみ、戦い合う…何て美しいのかしらね。フフフフ!」
再びサブリナが笑う。片手に暗黒刀を構え、もう片手に水晶球を手にしたまま、後ろに立つジムに顎で指図した。ジムは拳を握り締めながらそれに頷き、ゆっくりと前に出た。
ジャキン、と。音が鳴った。
赤い噴水が舞った。時がゆっくりと流れた。
サブリナの手から水晶球が零れ落ちる。板張りの床にぶつかり、それは脆くも砕け散った。
声にならない叫び声。言葉にならない怒り。見開かれた眼が、あまりにも悲しかった。
堰を切ったようにサブリナが嗤う。
「アッハハハハ! もう貴方は用無し! それとイリューン、貴方もね…! 付け合わせのパセリ以下の存在だわ。…けれど、貴方はまだ生かしておいてあげる。バルガスが戦いたがっていたからね。フフフ、アっハハハハハ!」
思うより早く、イリューンは飛び掛かっていた。ディアーダは呪文を唱え始めていた。ジョージもまた剣を抜き、走り出していた。
許せなかった。この女だけは許しておけなかった。
イリューンにとって、ジムは自分を慕う弟分だった。ディアーダにとっては命の恩人だ。
そしてジョージは――ジムと関わった時間は短く、特に深い仲でも無い。だが、込み上げる怒りを抑えられなかった。
ジムは仲間だった。国を失ったジョージにとっても、彼は確かに家族だったのだ。
国を奪い、父を奪い、そして今仲間を――家族をも苦しめるこの女は万死に値する!
「許せるかぁっ! 喰らえぇぇェっ!」
「――浄化されよ! 『Salamander』ぁァッ!」
「糞っ垂れがあぁッ!」
塵が舞う。床板を軋ませ、三方から攻撃の手がサブリナ目掛けて飛ぶ。
ニヤリと口元を引き吊らせるようなサブリナの微笑。途端、ぶわぁ、と紫の霧が散った。理力の炎が素通りし、ハルバードは通過、ジョージの剣も届かない。
霧が消えた。サブリナの姿は既に無く、宝刀までもが奪われていた。
「く…くっそぉおぉぉッ! また逃げられやがったッ!」
ガツン、とジョージは剣の切っ先を床に叩き付けた。と、イリューンがその肩を軽く叩きつつ言った。
「あん時と同じじゃねぇ…! 今の俺はサブリナの理力を追える。…外だッ!」
「先に行って下さい! まだ彼は息があります! すぐに治療すれば助かります!」
ディアーダと視線が絡み合う。頷き、ジョージは外廊下へ飛び出した。イリューンがすぐ後ろで辺りを見回している。頬をヒクつかせながらイリューンは天井を見上げ、
「上か。だが、面倒臭ぇのが来やがるぜ…!」
「め、面倒臭い…!?」
遠くから板張りを踏み鳴らす音が近付く。一つや二つではない。数十人単位の足音だ。
すぐさま武器を持った衛兵達が廊下の向こうからやって来た。一様に虚ろな眼をしている。操られているのは一目瞭然だった。
「う、うわあぁぁあ!?」
「行くぜ、ジョージッ!」
「ま、待てっ! こ、殺すのは…!」
「ちッ…わぁってるよ。だから面倒臭ぇってんだ。」
肩を竦め、イリューンは少しだけ困った顔を見せるとハルバードを背中に納めた。
代わりに拳を構え、低く腰を落とす。一瞬、イリューンの身体が左右にブレたかに思えるや一閃! 残像を残す動きで、イリューンは数十人という衛兵の隙間をすり抜けた。
バタバタとその場に倒れ込む衛兵の後ろでイリューンが唾を吐く。どんだけ無敵だよ。
「けっ、物の数じゃねぇな。」
「そりゃお前だからだ…」
言いながらジョージはイリューンの側へ駆け寄った。そして、二人は足並みを揃えると木で出来た階段を駆け上がった。
足場が軋む音。廊下の板張りが足元で鳴る。スライド式のドアを幾つも越えた先、突然開けた場所にジョージは辿り着いた。
ドアの一枚一枚にきらびやかな金の象嵌がされている。トンペイの風景が描かれた仕切り板が置かれ、広間の奥には刀と槍が立て掛けられていた。
そこに目指す敵はいた。
「サブリナァァッ!」
「逃がさねぇぜ、コンチクショウ!」
二人が揃って声を荒げる。トンペイ城主ゴンゲンの姿はない。
「追って来たのね。フフ、情熱的だこと。いつもならお相手してあげる所だけど、今日は時間がないから駄目よ。」
「テメェの都合なんざ聞いちゃいねぇ! テメェだけは…ぶっ倒す! ゴードンのオヤジをどこへやったか吐いてもらうぜッ!」
「行くぞぉぉォッ!」
ハルバードを構えるイリューン、剣を抜き放つジョージ。
二人の殺気にサブリナの手にした暗黒刀がカタカタと反応した。
「…仕方が無いわね。そんなに餌になりたいなら、そうしてあげるわ。フフフフフ」
含み笑いをしながらサブリナが暗黒刀を抜いた。ギラリと輝く黒い刀身はあまりにも禍々しかった。
一足一刀の間合いである。実力が拮抗しているイリューンならばまだしも、ジョージは自ら足手まといだと感じていた。
だが、だからといって退ける訳もない。覚悟を決めたジョージは真一文字に剣を構え、サブリナの隙を伺った。
その時だった。突然、凄まじい爆発音が天井で鳴った。何だ、と思う間も無く広間の壁をぶち破り、何かがその場に飛び込んできた。
あまりにも予想外の出来事にサブリナが怯む。その隙を逃さず、朦朦とした粉塵の中、イリューンはハルバードを振り回し飛び掛かった。
煙が立ち込め、イリューンとサブリナの姿が見えなくなる。ジョージは眉をしかめ、目を凝らす。
一撃、イリューンがハルバードを薙ぐ。ヒラリとそれをかわし、サブリナが剣を振った。
二撃、三撃と切っ先が繰り出された。イリューンはそれを残像を見せつつかわし、お返しとばかりにハルバードを連続して突き出した。
イリューンの動きについていけるサブリナの実力も相当である。ジョージは唾を飲むと、ようやく辺りで何が起きたのか把握し始めた。どうやら何かが壁を破り、外から天守閣に飛び込んで来たようだった。
ぱぱらぱぱらぱっぱら〜♪
緊張感のない突撃ラッパの音。聞き覚えのあるメロディ。
「お、おいおいおい!? ま、まさか…?」
「ここで会ったが数ヶ月目ッ! 小僧ッ! 成り行きは解らぬが、どうやら目的は同じようじゃな! ペガサスナイト、ジェイムズ・ロシュフォールが助太刀致すわぁっ!」
翼の生えた白い馬。嘶きながら立ち上がるその馬上から、老騎士が怪気炎を上げる。
同時にその後ろから、これも聞き覚えのある声がした。
「こ、こんな所で何してるのよ、イリューンッ!?」
ハスキーな女の声。遥か昔、ジョージの前でヒステリックに叫んでいた美女が老騎士の後ろに座っている。長い黒髪、褐色の肌。それは数日前に出会った偽物と瓜二つだった。
「ら…ラヴェルナ!? …ぶ、無事だったんだなこの野郎ッ!?」
攻撃をしつつ、現れた驚くべき面々に顔を向け、イリューンは憎まれ口を叩いた。
ラヴェルナは膨れっ面を見せながら顔を逸らす。お互いに照れているのがすぐ解る。外から見る分には本当に分かり易い二人だった。
そんな彼女をペガサスの背中に残し、ジェイムズが奔ると正面に回った。丁度サブリナを挟み撃ちにするような体勢だった。
「間に合ったようですね。」
「宰相様…! やはり貴方は…っ!」
また二人の声。ディアーダとユミコがようやく上がってきたようだった。
「どうにかジムは踏み留まりました。今は下で寝かせてます。ユミコさんのお陰です。」
「あんな酷い事を…! 宰相様は、やはりそういう方だったんですね…!」
ラヴェルナを除き、ぐるりと総勢五名がサブリナを取り囲む。イリューンが嘯いた。
「…形勢逆転だな、えぇ? もう逃げられねぇぜ…カンベンしな!」
「か、観念だ、観念!」
ジョージの突っ込みにサブリナがニヤリと嗤った。
間髪入れず、イリューンは踏み込みハルバードを薙ぎ払った。が、その一撃を大きくかわし、サブリナはぐるりと天井に逆さに立つ。ウェーブ掛かった長い髪が垂れ下がり、まさしく人のものではない悪意を打ち放った。
「…そうね。まさに多勢に武勢ね。ここは一旦、退かせてもらうわ。」
まるで天井に吸い込まれるようにサブリナの姿が薄くなった。「待て」の声も出せぬまま、サブリナは霧のように消え去った。
「ぬぬぅ、逃すかぁッ!」
ジェイムズが鼻息も荒く、乗ってきた白馬の元まで駆け戻る。その背中に向かってジョージは問い掛けた。
「あ、あんた、ダバイの守りはどうしたんだ?」
「…ワシらとて遊んでいた訳ではない。ド・ゴール君主トマス様と、コーラス第一王子ダリューン殿下は密かに此度の事件を探っておった。既に、トンペイ城主ゴンゲンが数日前から失踪していることも掴んでおる。ワシはこの城の協力者であるコウテツロウ殿から、サブリナと名乗る女が今日まさに城に戻る旨を聞いておった。今やこの城は、ワシらペガサス騎士団が取り囲んでおる。――袋の鼠じゃ。」
成る程、とジョージは納得した。流石に大国の威信が掛かっているだけの事はある。黒幕の存在、そしてサブリナの居場所を突き止めただけでも大したものだった。
「もう一つ訊きたいんですが…どうしてペガサスナイトなんです?」
訊いてはいけないことをさも当然のようにディアーダが訊く。一瞬口篭もったものの、ジェイムズはニヤリと笑い、言った。
「ドラゴンは多少気難しいんでの。言うことを聞くペガサスに鞍替えしたんじゃ。」
どうにも取って付けた様な言い訳で納得できなかったが、それ以上は突っ込める由もない。呆れ顔で首を傾げるディアーダとジョージを余所に、今度はイリューンがラヴェルナに向かって言った。
「…で、何でオメェがここにいるんだ? 大人しく捕まってるんじゃなかったのか?」
「う、うるっさいわね! ゴードンおじさんが何者かに連れ去られて…アタシなりに探してたのよ! …何よ。あんたは肝心な時に居ないし、立ち寄った先でジェイムズさんに会わなければ大変だったんだから…っ! バカ…このバカぁっ! うわぁぁぁ…!」
ラヴェルナは俯き、べそを掻きながらイリューンにしなだれかかった。
しばらくそうして啜り泣いていた彼女だったが、やがてプッツリと糸が切れたように気を失ってしまった。強気に見えていたが、既に限界だったのだろう。探していた一人に出会い、緊張が途切れてしまったようだった。
静かに寝息を立てるラヴェルナの頭を抱え、イリューンは慈しむような顔を見せる。ふと、唐突にディアーダが咳払いをした。
「…いいところを申し訳ありませんが、サブリナは暗黒刀を奪っていきました。絶対に逃す訳にはいきません。」
強い口調のディアーダにバツが悪い顔を見せ、イリューンはラヴェルナを胸に抱いたまま「おう」と一言だけを返した。
全員が同じ気持ちだった。決戦はすぐ其処まで近付いていた。