第六章 三幕 『浸食』
辺りが静寂に包まれる。建物の周囲にざわめきが起こり始める。立ち込めていた殺気が消えた事で、イリューンが敵を倒したのだとジョージは直感で理解した。
未だ意識のないディアーダに肩を貸しながら、爆音のした一室へと向かう。
長い廊下、吹き飛んだ幾つもの壁。その奥にイリューンの姿があった。恰幅のいい男を胸元まで持ち上げ、何事か荒げた口調でやり取りを続けていた。近付いたジョージの耳に、イリューンの放った言葉が届いた。
「…コウテツロウとか言ったな。テメェ、一体何を知ってやがる? 何でクラメシア暗殺団がオメェみてぇなオッサンを狙ってる!? えェっ、言いやがれコノヤロウッ!」
「わ、解ったダス…っ! 話すダス、話すダスから放すダスよッ!」
声と共に、イリューンが掴んだ手を無造作に放した。コウテツロウと呼ばれた男は、その場に勢い良く尻餅をつき、強かに身体を床に打ち付けた。
ほぼ同時に、遠目に見ていたジョージの肩口でディアーダが呻き声を上げる。
「う、ぐぅ……!」
「き、気が付いたか!? 大丈夫か、ディアーダ?」
そう言い、ジョージはその場に膝を下ろすと、そっとその顔を覗き込んだ。薄く目を開け、言葉も途切れ途切れにディアーダは小さく呟いた。
「こ、ここは…? どうやら…無事な…ようですね…?」
「…喋るな。すぐに手当てをしてやる。」
二人のやり取りを後目に、イリューンは腰を抜かしたままのコウテツロウに尋ねる。
「オッサン、何はともあれ先ずはアイツを何とかしてぇ。見たところ、トンペイ市民なんだろう? 傷を治療出来るような場所はねぇのか?」
「…と、取り敢えず、ワシなんかよりも見るからに訳有りといった感じダスな。…娘が治療術を使えるから、込み入った話はそこでするダスか。」
人の気配が一段と強くなる。明らかに調査に来ている様子さえ伺える。このままではマズイとイリューンも察したのか、コウテツロウの首根っこを引っ掴み、
「さぁ行くぜ。オッサン、どっちだ?」
とギラついた眼で凄んだ。どう見ても、悪人以外の何者でもなかった。
「ど、どっちと言われても…困るダスよ!」
とにかく宿を離れなければならない。しかし、仕掛けられていたボムが消えたとはいえ、玄関から正々堂々表に出るのはあまりにも馬鹿過ぎる。
ふと、窓から外を見下ろせば眼下には水路。水面では船頭が舟を漕ぎながら、煙の上がる宿を野次馬のように見つめていた。
イリューンが舌嘗めずりする。またロクな事を考えていない様子だ。
「よっし…なら、行くぜぇッ!」
ガッ、とイリューンはおもむろに窓枠に足を掛けた。首根っこを掴んだまま、まるでゴミ袋でも放るかのようにコウテツロウを渡し舟目掛けて投げ付けた。
「な、なんダスかぁぁぁっっ!?」
「ば、××ぁ!? ひ、×!?」
激しい衝突音。水が揺れる。船頭が声にならない声を上げる。
驚くジョージだが、イリューンは全く気にしない。それどころかまるで当然のように、一瞬怯んだジョージの腕をも引っ張り上げ、同様に空中に向かってブン投げた。
「う、わぁああああ!?」
浮遊感。空がとてつもなく青かった。白い雲が目の前を通り過ぎ、気が付けば船底の木目が網膜に飛び込んで来た。
グチャというか、ドチャというか。とにかくジョージは顔面から渡し舟に着陸した。
呆然としていた船頭も、流石にとんでもない事になったと、片言のラキシア語で抗議する。
「ち、ちょっとアナタ! ワタシの舟、ナニするカ!?」
力無く項垂れるディアーダを担ぎ上げ、最後にイリューンが飛び降りる。三度、水面が衝撃で大きく揺れた。船上に降り立つなり、イリューンは船頭に向かって怒鳴りつけた。
「るせェ! ちょっと借りるだけだッ! とっとと出しやがれこのスットコドッコイ!」
厚顔無恥とはまさにこの事。今にも殴り掛からんとするイリューンの気迫は凄まじい。犯罪者に関わっては危険と判断したのか、船頭はそれ以上は押し黙り、無言で櫂を漕ぎ始めた。
水路を北上し、破壊された宿が遠くなる。その周りをトンペイ自警団らしき数十人が取り囲んでいるのが見える。
火事にならずに済んだのは不幸中の幸いだった。何時かの二の舞は御免だった。
数分ばかりの間、誰も口を開かなかった。借りてきた猫のようにコウテツロウが時折、船頭に水路の行き先を指示していた。
やがて、舟は大店の前に辿り着く。玄関口は二軒分。普通の店の倍はあろうかという立派な門構えは、コウテツロウがそれなりの地位に立つ者だと暗に語っているようなものだった。
懐から金を出し、ジョージは船頭に深く礼をした。それでもまだ彼は不満げに何かを口にしていたが、一々そんな事を気にしていては神経がいくら太くても足りない。
ジョージは聞こえない振りをして船頭に背を向け、さっさと大店の門を潜った。
イリューンは片手にディアーダを担ぎ、もう片方の手でコウテツロウの襟元を掴みながら、引き摺るようにして店の框を踏む。
「い、いい加減に離すダス…逃げないダスからっ!」
「本当か? 嘘だったら叩っ斬るぞ?」
「い、今更、嘘吐いてどうなるダスか!?」
それもそうか、とイリューンは即座に手を離した。当然の如く、支えを失ったコウテツロウの身体は再び地面に落下する。今度は顔面からだった。
「ぶべぇっ!」
「――お、お父っつあん!?」
と、騒ぎに気が付いたのか、大店の奥から短めに髪を切り揃えた少女が顔を出した。客商売をしているからだろうか。流暢なラキシア語だった。
年の頃十四、五だろうか。この親の何処にこんな遺伝子があったのかと思わせる程、似ていない。細面に切れ長の目。前を合わせた民族衣装。何より、その隙間から覗く白い肌にジョージの胸は高鳴った。
少女は、すぐに銀髪の暴漢が担ぎ上げる血塗れの少年に気が付いた。父親の心配もさる事ながら、酷い有様のディアーダに目を奪われたようだった。
「…そ、その方は!? あ、貴方はお父っつあんに何を!?」
「何もしちゃいねぇよ。アンタがオッサンの娘ってぇか。治療術を使えるって聞いてな。コイツの手当てをお願いしてぇんだ。よっこら、せっ…と。」
ゆっくりと肩口からディアーダを下ろし、イリューンはその場で「頼む」と頭を下げる。成り行きを後ろで見ていたジョージも前に出ると、慌てて口を揃えた。
「…と、とても信じられないかもしれないが…俺達は悪人じゃない。何とかコイツを…ディアーダを助けて欲しいんだ。お願いできないか…?」
先程まで、暴虐の限りを尽くしてきた銀髪の男が頭を下げている。コウテツロウはポカンと口を開けて立ち尽くす。娘と互いに顔を見合わせ、どうしたものかと小首を傾げていた。
が、娘の決断は早かった。このままでは命が危険と判断したのか、すぐに倒れるディアーダに近付くと掌をかざし、強い口調で言った。
「…少なくとも、目の前で傷付いている人を放ってはおけません。治療します。」
少女の詠唱が始まった。流石にこれはクラメシア語だった。
「××を指し、鞘の××偉大×きし時、彼の地息と××未だ人成り。雨竜付けし××無し…『Reptile』――!」
少女の掌が輝いた。ディアーダの体が理力に包まれた。
――神々しい光が辺り一面を照らす。
光はほんの数秒で消えた。気が付けば、ディアーダの顔には傷一つ無かった。
完全に治癒した彼は、落ち着いた呼吸で寝息を立てている。少し前の状態が、まるで嘘のような有様だった。
「終わりました。…もう大丈夫ですよ。」
「…凄いな。ひょっとして君は…法術師なのか?」
驚いた顔でジョージが訊いた。かつてディアーダも軽い怪我や傷に対して回復理力を使ったことがあるが、少女のそれは明らかに比べ物にならないレベルである。特殊な訓練を積んだ者のみが扱える、そんな力だと一目で理解できた。
法術師とは、魔術師の対極に位置する理力使いの総称である。
ギルドが現象に特化した理力の使い方を研究しているのに対し、法術士は法術教会と呼ばれている非営利団体が、生命活動に特化した理力の使い方を教えている。
この団体はギルドのように巨大な組織という訳ではない。しかし、一般的には重い病気や怪我、更には呪いまでも解呪する法術師はどの街であっても必要不可欠で、少なからず支配階級に対しても影響力を持っていた。
尚、法術師は法術教会所属という事から、俗に僧職と呼ばれている。ただ、実際の教会はギルド管理であることから、本当の意味での僧職が存在しないのは皮肉としか言い様がないだろう。
不躾な質問に少女が困った顔を見せた。ここぞとばかりにコウテツロウは切り出した。
「ユミコはかつて治療術を専攻していたんダス。だが、あの女が宰相になってからは同じ僧職は全て解雇され…捕らえられ…専攻を諦めざるを得なかったんダス。今やトンペイは、表向き落ち着いているものの植民地のようなもんダスよ。」
「…さっきから聞きたかったんだがよ。あの女ってぇのはサブリナの事だな? …何があった? 詳しく教えちゃくれねぇか?」
ずい、とイリューンが顔を強張らせ、詰め寄った。
「…入口で話せるような話じゃないダスな。ユミコ、奥へご案内しなさい。」
「はい、お父っつあん。」
悩みながらもコウテツロウはそう言い、店の奥へとイリューン、ジョージを招き入れた。
未だ気付かぬディアーダを離れに寝かせ、二人はユミコと呼ばれた少女の後に続いて長い廊下を進む。
スライドドアの向こう側、小さな一室に入ると足を崩し、コウテツロウはその場で胡座をかきながら言った。
「楽にするといいダス。」
倣ってイリューン、ジョージもその対面に座った。
一旦は席を外したユミコだったが、すぐに盆に乗せた茶を持って来ると客人である二人に振る舞い、父コウテツロウの隣に正座する。
出された湯飲みを覗き込む。深い緑色。緑茶だった。
やがて、コウテツロウがゆっくりと口を開いた。
「トンペイにあの女――サブリナが来たのは三週間前だったと思うダス。比類無き法術師と言う事で、特別にトンペイ城主ゴンゲン様に謁見を許されたんダス。」
「…そうか! …どんな領主でも病気や怪我なら法術師に頼らざるを得ない。クラメシアやダバイにどうやって入り込んだのかと思っていたが、そういう事だったのか…!」
「ゴンゲン様には持病があって、最近まで床に伏せていたんダス。サブリナはそれを瞬く間に看破し、治療し…あっという間に宰相の地位まで上り詰めたんダス。」
「反対者は…いなかったのか?」
「最初は皆、ゴンゲン様が治って大喜びだったダス。それからが問題だったダスがな。」
そこまで言い、コウテツロウは隣に座るユミコに茶の催促をした。すぐにユミコが盆から予備の湯飲みを取り、新しい緑茶を注ぐと父に手渡した。
ぐい、と一息にそれを煽り、コウテツロウは一旦そこで息を吐く。
少しばかりの間が空く。今度はイリューンが眉を潜め、コウテツロウを問い質した。
「…で? 結局、何でオッサンは暗殺団に狙われてやがった?」
「さっきからおまえさんは暗殺団と言ってるダスが…あれは皇室警備人ダスよ。ま、ワシに取ってはどっちでも似たような物ダスがな。」
イリューンは首を傾げる。ジョージも同様だった。二人の話が微妙に噛み合わない。
と、その時。スライドドアの開く音がした。
「多分、それがサブリナの策謀なんでしょうね。」
聞き覚えのある声。振り返れば、ディアーダがそこに立っていた。
「ディアーダ!? 気が付いたのか!」
「どうにか。迷惑を掛けたようですね。…面目ありません。」
いつになくしょげ返ったその姿に、少し変わったな、とジョージは思った。
治療してくれたユミコとコウテツロウに一礼をし、ディアーダは室内に足を踏み入れると話を続ける。
「どうやら、クラメシア帝国暗殺団がトンペイ皇室警備人に就任しているようですね。何もおかしい事はありません。サブリナが宰相ならばそのぐらいはするでしょう。」
「…ちょっと待て。俺には何が何だかだ。もうちっと解りやすく説明できねぇか?」
イリューンが言った。ディアーダは少しだけ口の中で言葉を転がし、
「つまり…クラメシア帝国を手中に収めた彼女は、暗に侵略行為を開始したって事でしょう。恐らくはトンペイ城主ゴンゲンも既に…」
そう言ってイリューンをじっと見つめた。一刻の猶予もない、そんな顔だった。
イリューンは渋い顔を浮かべる。ジョージもまた、脳裏に嫌な記憶が蘇っていた。
(コーラス、ダバイ、クラメシア…次は? 抹殺…洗脳…じょ、冗談じゃない!?)
ブンブンと頭を振り、ロクでもない妄想を吹き飛ばそうとする。ジョージと同じく、ディアーダの言葉にコウテツロウは衝撃を隠せなかった。
「ご…ゴンゲン様が…!? と、トンペイがクラメシアに!? ば、馬鹿な! そんな話は聞いたこともないダスよ! ワシはあの時、足止めをされていただけダス!」
「足止め…?」
「そ、そうダス。宰相はどうしてもトンペイの宝刀を見たいと願っていたダス。宝刀の管理はワシが任されていて、例えゴンゲン様が許そうとも世に出す事まかりならぬ。断固反対したワシは、宰相に軟禁されていたんダス。それであんな事になったんダスが…」
慌てるコウテツロウ。それを前にジョージ、イリューン、ディアーダは一斉に顔を見合わせた。既にサブリナのやり方はある程度想像できていた。
「時間稼ぎ…ですね。」
「間違いねぇ。たが、何でそんな間怠っこしい真似をしやがる? あの女が本気になりゃあ、こんな街ぐらいダバイのように数日で廃虚だろう? 表向きは大人しくしておきてぇから、暗殺団で足止めをしてやがった、ってとこだろうが…どうにも解せねぇぜ?」
「…い、何れにしたってその刀ってのが――魔剣!?」
「あぁ。ほぼ間違いねぇ。」
イリューンが再びコウテツロウを睨め付けた。
「今日、サブリナが来る予定だったんだな!? いつだ!?」
「な、何もなければ今頃は会合していたダス。ま、まさか、まさかそんな事が…!」
「そのまさかだ。トンペイは島国だから情報が来てねぇのか? 南のコーラスとダバイが既に滅ぼされ、濡れ衣を着せられてやがる。クラメシアに喧嘩を売ってるってな。しかも、クラメシア皇帝までもが操られてやがる。このまま行きゃあ、すぐにでも第三次ラキシア大戦が始まるだろうよ。」
「彼女はド・ゴール領主を誑かし、ダバイを滅ぼし、クラメシア帝国を影で操っている。今、まさにトンペイもその標的になっている所なんです。」
「だ、ダバイは…! ダバイは地獄だった…きっと、きっとこの国も、宝刀を奪われたら同じ事になる…! は、早くしないと…!」
三人の言葉に嘘はない。それが伝わったのか、唾を呑み、コウテツロウの眼が泳ぐ。
「…ま、まずいダス…! だ、だとすると…サブリナは既に宝刀の在処を知っているダス。今まではワシが傍を離れないようにしていたから、彼女も手を出せなかった。けれど、今日は違うダス。ワシは昨日から軟禁されていて…!」
全員が顔を見合わせた。サブリナがダバイのように街を滅ぼさなかったのには、何か理由があるに違いない。だが、魔剣を手にした後はどうなるか判らないのだ。
「…ヤベェぞ、時間がねぇ! またあン時の二の舞だぞ、こいつはよ!」
責めるようなイリューンの言葉に、コウテツロウは俯いてしまった。罪悪感に耐えられない様子。無理もなかった。
見ていられなくなったのか、隣に座るユミコがすっくと立ち上がり、気丈にも三人に向かって言い放つ。
「お待ち下さい。私が…私が、皆さんを城に案内します。」
「は…アンタが!?」
その言葉に一番驚いたのは誰あろう、今の今まで父親に罵声を浴びせていたイリューンだった。続けざまに、ジョージ、ディアーダ、コウテツロウが次々と口を開いた。
「…お、おい? あ、遊びじゃないんだぞ!?」
「助けてくれたのは感謝してますが…危険過ぎます…!」
「ゆ、ユミコ!? お前、一体何を言うダスか!?」
しかし、ユミコは一向に強い視線を崩そうとはしなかった。そして、まるで意志を固め、ぶつけるかのようにその言葉を口にするのだった。
「私にも、法術師として宰相様に物申したい事があります。少しぐらいは力になれると思います。本当に宰相様が悪人かどうか…確めたいんです。」
意外にも、芯の強い娘だった。慌てる父とは対象的に、彼女は全く物怖じなかった。
アイコンタクトで相談する三人。しかし、異国で城の位置する良く解らない三人に選択肢があるわけもなく、結局は頷く他にどうする事も出来ない。
最後までコウテツロウは娘を供に出すのを渋っていたが、ユミコは頑として聞かず。結局、娘に諭されるような形で許可せざるを得なかった。
「…お父っつあんはここに居て。大丈夫。私が忍び込むわけじゃないし。この人達を入り口まで案内するだけだから。」
「…解ったダス。…ユミコ。力になれない…情けないお父っつあんを許してくれダス。」
ユミコは何も言わず、ただ顔を横に振った。そして、後ろで待つ三人に小さく頷いた。
店の外に出ると、遠くに覗く天守閣をジョージは見つめた。
トンペイ城――全ての元凶が待つであろうその城へ。
日は高く昇り、漆黒の影が路地裏を浸食するかの如く伸びていく。青空と対照的に無機物な城壁が、今は殊更に不気味だった。
空気を震わすような蝉の声が、喧噪の代わりに辺りに響き渡っていた。