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第五章 三幕 『罠』

 匂いがした。

 えも言えぬ、強烈な香り――強い香水のような、ツンと鼻を刺激するような匂い。

「…麝香ですね。」

 ディアーダが呟く。これがそうか、とジョージは鼻っ柱を擦った。正直、あまり好い匂いだとは思えなかった。

 匂いはすれど、人影は一向に見えない。館の二階もまた理力照明に照らされている。踊り場の奥には小さな部屋があり、開いた扉の隙間から机が覗いていた。

 ズカズカと大股でイリューンがそこまで歩を進め、扉を乱暴に蹴り開けた。そのまま机上に向かうや、何やら奇妙な物を見つけたようで、ジョージに手招きをして見せる。

 首を小さく傾げ、ジョージは傍へ近寄る。率直な疑問をそのまま口にした。

「…? 何だよ?」

「コイツは?」

 イリューンが鼻先に小さな駒を突き出した。剣と盾を持った鎧の騎士。大理石で作られた高級そうなその駒は、ラキシア人ならば誰でも知っているゲームの駒だった。

「キャストの駒…か?」

「見ろよ。」

 顎で机を指すイリューン。視線を落とせば、そこには白と黒に彩られたチェックの盤面。ゲームの最中らしき、駒が幾つか置かれていた。


 キャストとは、ラキシア大陸では割とポピュラーなゲームの一つである。

 プレイヤーは白か黒の陣営に別れ、各々に城と王、四つの従者、数体の兵士を含んだ布陣を自由に敷く。その上で互いに一手づつ、敵陣営へと切り込んでいく。

 最終的にどちらかが、城か王を打ち取れればキャストアウト――即ち、王手だ。二つの駒のどちらがやられても負け確定なので、そこに様々な戦術的要素を絡めるのが醍醐味である。

 余談ではあるが、かつてラキシア大陸ではこのキャストが原因で戦争になった事がある。

 キャスト戦争と呼ばれるそれは、コーラス領土における小さな内紛ではあったが、このゲームの名を大陸全土に広める要因になった事は間違いない。かくもこの様に、キャストは時に政治に顔を出す程、愛されているゲームだった。


「どうよジョージ。折角だし、一手指すか?」

「…指す…って、えぇ!? 今ここでかよ!?」

「肝心の敵さんもお留守の様だしな。」

「…ま、マジで言ってんのか…?」

 答える代わりに椅子を引き、ドカッと乱暴にイリューンは腰掛ける。何を考えているのか、そのままジョージに座れと目で促した。

 こうなっては聞かないだろう。長い旅路でイリューンの性格は解っている。

 ジョージは溜め息を吐き、自分も対面の椅子に座った。ディアーダはジョージの後ろに立ち、互いに上から盤面を見下ろした。

「…ん…?」

「気付いたか?」

 イリューンが問う。ジョージは顔を上げ、言った。

「…キャストの駒が…! ひょっとしてまさか、これはバルガス…いや、サブリナが!?」

「多分どちらかが、だな。」

 置かれた駒は市販品ではない。特注だろうか、細かな象嵌がされている。

 通常キャストの駒は白と黒に別れ、キャッスル、ロード、ナイト、ウォリア、ビショップ、ケルト、イクストラの七種類を持つ。だが、盤面には何故か白のキャッスルだけが六つも置かれており、それらを黒のナイト、ウォリア、ビショップがキャストしている状態だった。

 瑪瑙、珊瑚、翡翠等で刻まれた文字から、エレミア、コーラス、ド・ゴール、ダバイ、クラメシア、そしてトンペイを象徴している事が判る。どれもラキシア大陸においては知らぬ者の無い強国だ。

 コーラスはナイトの駒に。ダバイはビショップの駒に。クラメシアはウォリアの駒にキャストされ、横倒しになっていた。

 駒の一つ一つに目を落としながら、ジョージはある事に気が付いた。

「…何で、ロードの駒がトンペイにキャストを掛けてるんだ…!?」

「次は、トンペイという事でしょう。」

 淡々とディアーダが呟く。ジョージは後ろを振り向き、聞き返した。

「まさか! 殆ど交易の無いような極東の国だぞ!?」

「奴らの目的が読めません。が、ひょっとすると…」

「――魔剣、だな。」

 イリューンが計ったように切り出した。そしてそれは恐らく、事実だった。

「魔剣は全部で五本。その内の三本は既に敵さんの手の内だ。俺が大ボスなら、次の魔剣が見つかりゃ、そっちを取りにいけと命令するだろうぜ。」

「そうですね。私も同様です。」

 同意するディアーダ。ジョージは未だ信じられぬ顔で盤面を見つめるばかり。

 イリューンが深刻な顔をし、呟いた。

「結局、ここにもラヴェルナとゴードンの姿は無し、か。トンペイに向かうしか手掛かりは無ぇって事だな。…クソッ、バルガスの野郎…!」

「トンペイか…遠いな。でも、……行くしかないよな。」

 ジョージは覚悟していた。最後まで付き合うと言ったのは自分自身。この旅の果てに何があるのかは解らないが、少なくとも彼にとって、投げ出せる状況は当の昔に通り過ぎていた。

 国を救うなどと大それた考えはないが、自分が関わったこの事件の顛末を――仲間の、友の、竜族の顛末を、最後まで迎えようという気概があった。

 距離にして数千キロ。トンペイは極東である。クラメシアからも遙かに離れたその場所に何が待っているのか。ジョージは不安に拳を握り締めた。

 と、不意に。一段と麝香の薫りがキツくなった。

 音を立て、イリューンが椅子から立ち上がる。釣られてジョージも席を立つ。ディアーダが部屋の端を見つめ、ゆっくりと口を開いた。

「お出ましですね。」

「…だな。」

「こ、今度は何だ!?」

 衣擦れの音がする。人影が二つ。現れた姿を見て、ジョージは思わず絶句した。

 女だった。金髪と黒髪。その身には一糸纏わず、美しい白い肌を晒している。どちらも見覚えのある顔だった。

「まさか――ラヴェルナ!? それにメリアッ!?」

「き、君は…!?」

 思わずジョージは眼を逸らした。見てはいけないものを見てしまった。こんな状況でも反応する下半身が情けなかった。

 ディアーダは呆然と立ち尽くした。イリューンはギリリ、と奥歯を噛み締めた。

 女達は、しなを作りながら近付いて来る。同じ分だけジョージとディアーダが後退る。メリアが、続けてラヴェルナが妖艶に唇を動かし言った。

「騎士様…どうしたの? うふふ…」

「イリューン、踊りましょ…アタシと。…ね?」

 狼狽えるジョージの前にイリューンが出る。苛つきを隠そうともせず、怒気を孕んだ声でイリューンは吐き捨てた。

「…ラヴェルナやメリアの姿をしちゃいるが…人間じゃねぇな。…何のつもりだッ!」

 その言葉に二人の女は笑う。ラヴェルナは言った。

「…あら。…相変わらず、あたしの事を見てくれないのね…悲しいわ。」

「騎士様、あたし綺麗でしょう? どうして見てくれないの? クスクス…」

 ジョージは言葉も無い。笑う彼女達の姿に心が掻き乱された。何を言えばいいのか、考える度に目の前に裸体がちらつき、全く集中出来なかった。

「…見てくれないなら、死んでアタシのモノにしてあげるわ…ッ!」

「それじゃ騎士様…天国へ送ってあげるっ!」

 突如、二人が飛び掛かってきた。イリューンは唾を吐き、ハルバードを背中から抜いた。

 ジョージの反応が遅れた。メリアの爪先が喉を狙っていた。ギラリとその眼が赤く輝いた。

 光の壁がメリアを弾き飛ばす。

 吹き飛ばされた彼女を見て、ようやくジョージは我に返り、腰から剣を抜いて構えた。振り返ればディアーダが掌を突き出していた。防御理力が発動した所だった。

「悪趣味な事しやがるぜ…」

「こ、これは一体…っ!?」

「夢魔です。人の欲望を具現化して…魂を吸い取る悪魔です。」

 ディアーダが呟いた。同時に、とても人間とは思えぬ跳躍を見せ、再びラヴェルナとメリアは襲い掛かった。

 イリューンがハルバードを振り払った。横一閃、重い刃が二人を同時に吹き飛ばした。

「…お前、ほんっとに容赦無いのな…」

「本物にも酷い目に遇わされてるからな。」

 呆れ顔のジョージ。イリューンが軽口を叩いて返す。最初の怒りっぷりからみて、本心はそうでない事ぐらい容易に理解できた。

 ディアーダが眉を顰めた。

「油断しないでください。…本体が出ます!」

 吹き飛ばされた二人の女に目を移す。上体だけが不自然に起き上がった。

 その口が――顎が外れたかの如く大口を開け、ラヴェルナとメリアの身体から黒い霧のようなモノが飛び出した。裸体は砂のように崩れ落ち、黒い霧は徐々に形を作りながら、その場にゆっくりと舞い降りた。

 間髪入れず、ディアーダが呪文を唱えた。

「…放て弾道、貫け雷光! 『Eagle』ッ!」

 浮かび上がる光の弓。激しい光弾。耳をつんざくばかりの衝撃音。辺りが朦々とした理力の煙に包まれた。


 ――殺気。


 ディアーダが飛び退さる。前を見る。煙が消えれば、二つの黒い霧は一つに集まり、見るも醜悪な悪魔の姿を形取っていた。

 翼。角。そして、ノッペリとした顔の無い頭。

 光の呪文が通用しないのか? ディアーダの表情が曇る。

 イリューンが飛んだ。地を蹴り、真っ正面からハルバードを振り下ろした。

 が、その一瞬で夢魔が己の身体を霧化する。ハルバードがすり抜ける。イリューンが驚きに目を見開いた。剣激が通用しない。

 黒い影が跳躍する。夢魔が翼を拡げ、宙を舞った。

 奇妙な言語が響いた。呪文を唱えたようだった。

 炎の柱が立ち上がり、辺りの机や椅子を薙ぎ倒す。キャストの駒が散らばる。炎がイリューンの身体を包み込もうとした刹那、残像を残す動きでバックステップを踏んだ。間一髪でイリューンはそれを逃れた。

「野郎…ッ!」

 イリューンの目が鋭く輝く。否や、その掌に風が巻き起こった。

 無詠唱――理力ではない。魔法だ。

 風は竜巻を作る。まるで刃の如く、夢魔に向かって空を斬る。

 瞬き一つ後、コウモリのような皮膜ある片翼に命中した。が、煙のようにカマイタチは掻き消される。吸収されている。魔法が通用しない。

「…ちぃッ! どうなってやがるッ!?」

「聞いた事があります…! 夢魔は生命エネルギーを吸収する。理力も魔法も、大きく分ければフォース・マターを動かす技法。生命エネルギーもまたフォース・マターの一つ。人間に憑依するような低級悪魔ならまだしも…これは…!」

「前に戦ったデーモンとは訳が違うって事か!? ど、どどどどうすんだよ!?」

 慌てふためくジョージを余所に、ディアーダはそっと目を瞑り、記憶の底へと意識を飛ばした。その脳裏に、何故かアンクルの言葉が思い浮かんだ。


『――立ちはだかるのは理力が通じる敵ばかりではない。対抗理力を持つ敵、理力を吸収する敵、そして無効化する敵。…よく踏まえる事じゃ。』


 バルガスとの戦いが思い出される。あの時と似ている。ディアーダは真剣な面持ちでアンクルの助言を反芻する。


(…揮発性ではなく、物理性…ですか。そんな事が…可能なのか解りませんが…! ふ、…悩むなんて私らしくもないですね。)


 一秒。そして、二秒が経過。

 夢魔が耳障りな声で叫んだ。翼をはためかし、否や、爪を立てて襲い掛かってきた。

 ディアーダはカッと目を開いた。そして、高らかに言い放った。

「お二人共! 十…いや、五秒でいいです! 足止めして下さい!」

「…お? 何か策がありやがるな?」

「な、何とか出来るんだな? …な、なら、やらいでかぁっ!」

 イリューン、ジョージが同時に返した。

 ディアーダが精神を集中させる。両の掌を突き出し、ブツブツと口中で呪文を唱え始める。

「いくぞ、ジョージぃッ!」「く、くっそぉぉっ!」

 ジョージは剣を片手に夢魔の左側へ。イリューンはその反対側へと回り込む。

 ディアーダの詠唱が続く。

「…天の理、地の理。世の理の全てを写す鏡よ。黒き闇を封じるが故に四方に位置し姿見を我に渡せ。世界の繋がりを断ち、邪悪な者を…」

 長い、長い詠唱。ディアーダの額に汗が滲む。

 イリューンが夢魔に向けてハルバードを薙ぎ払った。ジョージが倒れた椅子を足場に跳び、上空から剣で斬り付けた。

 夢魔が爪を振るう。飛び掛かるジョージを軽々と吹き飛ばし、ハルバードはまたも夢魔の身体を素通りする。

「…っげぇッ!」

 部屋を転がり、壁にぶち当たるジョージ。

「っこなくそぉォッ!」

 イリューンはハルバードを切り返す。石突きで払い、先端で突き、更に片足を上げて強烈な蹴りを繰り出した。

 が、それらは全て寸前で夢魔の身体を通過。霧と化す夢魔には、一切の攻撃が当たらない。

 イリューンの脳天目掛け、夢魔が腕を振り下ろした。それをハルバードで受け止めた。爪と金属とが激しく鍔迫り合った。

 ジョージが背中をさすり、咳き込みつつ立ち上がる。見れば、ディアーダの詠唱が終わろうとしていた。

「…至れ源へ。我が問いに対し生命の根幹を留まらせよ。『Amoeba』ぁッ!」

 ディアーダの掌が光に包まれる。一瞬の隙をつき、イリューンが飛び離れた。瞬間、突如として空間に水の塊が現れると、夢魔の身体をぐるりと大きく包み込んだ。


【――キシャアァァァッ!?】


 叫び声を上げ、夢魔が藻掻く。だが、水の中で霧になる事も叶わず、今までのように理力を吸収する事も出来ない。

「…無駄ですよ。理力から本物の水を作ったんですからね。」

 ディアーダが呟く。

 超高圧で空間に固定された水は、内部にある物体を押し潰す。それが例え気体であろうと、固体であろうとお構いなし。霧化する夢魔であろうと、それは同様だった。

 肩で息をしながらディアーダが膝をついた。そして、そっと溜息混じりに言った。

「…正直、無理矢理…すぎましたか。…無い物を創る…なんて。」

 息を吐き、拳を握り締めた。瞬間、ディアーダの眼前で水はグシャリと潰れた。

 夢魔は完全に消滅。同時に水が弾けた。

 ざぁっ。

 そんな音がして、滝のように部屋中に水が降り注ぎ、辺りを激しく濡らしていった。

 イリューンがガッツポーズをする。目を輝かせ、まるで自分の事のようにイリューンはディアーダを褒め称えた。

「やるじゃねぇか、ディアーダッ! あのマナ・ライのジィさんでも、無から有は作れなかったんだぜ!? 勿論、俺にだって無理だ! スっゲぇぞ、おいっ!」

「な、なんて無茶な…!」

 ジョージは驚きに言葉を失った。通常の理力では有り得ない。こんな事が出来るのは神か悪魔だ。いくら理力が万物の元を操る技術とはいえ、あまりにも常識外れの能力だった。

 そもそも、理力は万物の根元たるフォース・マターを操る能力。魔法に準拠したそれは、炎や水蒸気を操ったり、熱エネルギーによって光の剣を作り上げたり、空気を操って真空を飛ばしたりするなど『現象』を司るのが関の山だ。

 確かに、物質の全てがフォース・マターから構成されている関係上、それを完全に操れたならば、新たに物質を作り上げることも可能である。しかし、それは如何なる魔術師が挑もうとも、為し得なかった理力の頂点だった。それをディアーダはやったのだ。今更ながらジョージは、この美しい少年の実力に身震いするのを隠せなかった。

 やがて落ち着いたのか、一息を吐き、

「…伝説では真実の鏡を使って、邪悪なるウルグルの首を刎ねたと聞きますが…理力ではそうスマートにはいきませんね。叩き潰してしまったのは皮肉としか言い様がありません。」

 ディアーダはそう言って視線を床に落とした。イリューンは言った。

「そうは言うが、てぇしたもんだぜ。しっかし…ウルグルの呪いか。まさかあの夢魔が森に入った兵士を殺していたとは思えねぇんだがな。」

 その言葉には重みがあった。ジョージは一瞬で理解した。ヤーマ大樹海を包む呪いには、竜族が関係していた可能性がある、と言いたいのだ。

 率直にジョージは訊いた。

「つまり…ここがバルガスの寝城だった、って事か?」

「…判らねぇ。だが、良く考えてみりゃあ、俺がバルガスの魔力を認識出来たのは記憶が蘇ってからだ。それまではサッパリだった。ひょっとしたら、バルガスも同じだったのかもしれねぇ。その間…ここでずっと俺を憎んでいたのかもしれねぇ。」

 深刻な顔をするイリューン。思わずその肩に手を置き、ジョージは首を横に振った。

 何故そんな行動を取ったのか自分でも判らなかった。しかし、そうするべきだと思った。

 イリューンはそんなジョージに頷き返し、何も言わずに背を向けた。ディアーダもまた何も語らず、暗くなった部屋を出ていった。

 ジョージはもう一度、散らばった駒に目を落とした。


 ――東方、トンペイ。


 キャッスルの駒に刻まれた赤い文字が、ジョージの脳裏に焼き付くようで。

 それはまるで、血の色のようだった。

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