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第五章 一幕 『追憶』

 灼熱の火口、キーエンス山頂。その場で睨み合う二つの影があった。

 白と黒。光と闇。ホワイトとカイゼル。そして――イリューンとバルガス。

 竜族同士のやり取りを見つめながら、ジョージは思った。何故、戦わねばならないのか。どうしてそこまでして戦うのか。しかし、そんな問いに答える者もなく――終わってしまった出来事、過去の世界が眼前で次々と展開する様は、喩えようもない感覚を胸の内に残していくばかりだった。

 互いに一歩も譲らず、二匹の竜族は激しく言い争う。始めに口火を切ったのは黒き竜、カイゼルだった。

「長老、何故解らない…? 神に見捨てられ、神と戦い、そしてハルギスを封印した。それは全て竜族の為だった…!」

 怒気を孕んだ声で、即座にホワイトが言い返す。

「その結果、何をもたらした! 我ら竜族の滅亡ではないか! 挙げ句の果てに、またハルギスの魔剣を集めるだと!? 馬鹿も休み休み言え!」

「聞け、長老。ハルギスの力は確かに強大だが、使い方を間違えなくば大きな武器となる。次元と次元を結ぶ事さえ可能になるのだ。我らの悲願が叶うのだぞ!」

「黙れ! 貴様の戯言は聞き飽きたわ! 黙らねば、ワシが直々に引導を渡してくれる!」

 カイゼルの必死の説得にも聞く耳持たず、ホワイトは手にした杖を振りかざし、まるで仇でも見るかのような目で睨め返した。

「言っても解らぬか。…そういえば、ハルギスを呼び出す時、最初に反対したのも貴様だったな。ならば、これは運命なのやもしれぬ。長老…竜族の為に死んで貰うぞ…!」

 徐にカイゼルが背中に背負った大剣を抜き放った。視線が交錯し火花を散らした。

「この…大馬鹿者がぁッ!」

 ホワイトが怒声を上げた。イリューンは呆然とそれを見つめていた。

「…ホワイトの親父…! な、何で…! 何でこんな事に!?」

 すぐ隣で、バルガスが諭すように言葉を紡ぐ。

「イリューン、親父は間違っていない。ハルギスの力は竜族にとって必要なんだ。」

「ひ、必要…って!? ハルギスがどんだけヤベェか、お前も知ってるだろうが!?」

「…あぁ。在りもしない御伽話でな。イリューン、お前もそうだろう? 実際にハルギスの姿なんか見ちゃいない。言い伝えだけだ。だが、俺は真実を父から聞いた…!」

 その言葉は徐々に力強く、断定的になっていった。狂信的なまでの口調は、如何にバルガスがカイゼルを慕っているかの表れでもあった。

 だが、だからこそイリューンは、それをそのまま鵜呑みには出来なかった。腰から剣を抜き放ち、バルガスを一睨みすると吐き捨てるように言った。

「真実だと…? 馬鹿を言えッ! 俺は、ホワイトの親父に付くッ!」

 瞬間、バルガスの目の色が変わった。

 驚きと落胆と――そして、焦りにも似た深い感情の働きが、一瞬でバルガスの表情に浮かび上がるのをイリューンは決して見逃さなかった。

「イリューンッ! 何故解らない!? たった四匹しか残らなかった竜族に未来があるわけないだろう! 何故それが解らないッ!?」

 言い争う二人の眼前で、ホワイトとカイゼルがぶつかり合う。ホワイトの目が輝く。カイゼルの両腕に炎が巻き起こり、手にした大剣が弾き飛ばされ空中で回転した。

 カイゼルが飛ばされた剣に向かって掌を突き出す。魔法で剣を手繰り寄せ、掴み、そのまま頭上高くそれを振り上げた。

 イリューンは堪らず、助太刀とばかりに手にした剣をカイゼル目掛けて投げ付けた。しかし、軽々しくそれを弾き飛ばし、カイゼルは勢いよく大上段から刃を振り下ろす。

 辛うじて凶刃を杖で受け止めるホワイト。ギリギリと金属の擦れる音。交錯する白と黒を前に、感情のままにバルガスが叫んだ。

「親父ィぃぃッ!」

 すぐにイリューンに向き直り、バルガスは歯を軋ませると、まるで涙を流さず泣いているかのような顔で言い捨てた。

「…イリューン…! 何故だッ! 俺は…俺はお前ならば、きっと俺の気持ちを解ってくれると思っていたのにッ!」

 鍔迫りの最中、ホワイトが投げ入れられたイリューンの剣に目を移す。その眼に妖しげな光が灯る。否や、地に落ちた剣は意思を持ったかの如く宙を舞った。

 バルガスが目を見開いた。カイゼルが振り向いた。

 時間にして、それはほんの数秒程の出来事。

 ホワイトが魔法を使った。眼前に火球が三つ沸き上がり、カイゼル目掛けて飛び交った。

 一つ目、螺旋を描く炎を弾き飛ばし、二つ目の炎を返す刀で掻き消した。鍔競り合うホワイトを突き放し、最後の炎をカイゼルは魔法で防御した。

 が、一手遅れた。

 意識の外、猛スピードで飛来する剣が、カイゼルの背後でギラリと輝いた。

 しまった、と言い出す口の動き。カイゼルが覚悟の表情を見せる。その瞬間、目の前を黒い影が横切るのをイリューンは止められなかった。

 声も出せず、ただただイリューンは口を大きく開ける事しか出来なかった。

 信じたくない現実。その瞬間は、あまりにも呆気なく訪れた。

 駆け出した。意識するよりも早く、真っ先にイリューンの足は動き出していた。

 その身に深々と剣を受け、ゆっくりと崩れ落ちるバルガスを前に――ぐったりとした身体を抱き抱え、イリューンの口からは叫びにも似た声が飛び出していた。

「嘘…だろ…? バルガス、おぃッ! バルガスッ!?」

 ぬるりとした赤い水溜まりが拡がった。胸を深紅に染め、バルガスが苦しげに息を吐く。見開かれた瞳には憎しみが宿り、血泡を含みながら何事かを呟いていた。

 次の瞬間、イリューンの背中で激しい衝撃音が轟いた。

 肉が焦げ付くような臭い、閃光、激しい激突音。

 振り返ればカイゼルが押されていた。倒れた我が子の姿に動揺したのか、青い顔でホワイトの攻撃を受け止め続ける。全ては、後手に回っていた。

 ホワイトが地を蹴った。老人の姿とは思えぬ跳躍を見せ、空中高くカイゼルの頭上で掌をかざした。光弾が次々と打ち出され、さながらそれは流星群の如く――神話の中でしか語られない、人知を越えた竜族同士の戦いが其処にあった。

 バルガスが押し返す。宙を舞う。そして、一閃。

 天が割れた。稲光が二つの影を貫き、轟音が辺り一面に鳴り響いた。

 暗雲が立ち込める。そして、雷雨。ポツリとイリューンの頬を雨粒が伝っていく。

 ホワイトの手にはいつの間にか、杖ではなく光輝く剣が握られていた。降り始めた雨に身体を濡らし、まるで撃たれた鳥のように――空中で二度、三度と身体を捩りながら、遂にカイゼルは力尽き、地に墜ちた。

 イリューンの眼前、ほんの数メートル。地に這い蹲るカイゼルと目が合った。

 雨がその強さを増していく。血にまみれたバルガスを抱き抱えながら、赤く染まったカイゼルの顔をイリューンは見つめ返す。

 血の気を失った青い顔。カイゼルは震える唇で小さく呟いた。

「馬鹿な…こんな、こんな所で…! 不祥の息子如きに…我が悲願が、竜族の未来が…!」

「……なんだって…?」

 耳を疑った。不祥の息子。それは一体誰の事だ?

 答えを待つ迄も無く、カイゼルの背後にホワイトがゆっくりと舞い降りた。光の剣をその手に、まるで処刑人かの如く――カイゼルに歩み寄り、大上段にその剣を振りかざした。

「…引導を渡すのも、長老たるワシの運命…! 許せカイゼル…!」

 再び雷が鳴った。落雷。激音。同時にカイゼルは叫んだ。断末間の叫びだった。

「無念…! 我は…我の肉体はこれで滅びよう…! だが老いぼれよ! 我が子がきっと志を継いでくれる…! 我は消え去るのではない…その一部と成りて、永遠を生きるのだ! 覚えておくが良い…ふ、ははははははッッ!」

 瞬間、稲光が逆光となった。ホワイトが光の剣を振り下ろした。

 イリューンは思わず目を逸らした。同時に、耳元に呟くような言葉が聞こえてきた。それは、カイゼルの今際の言葉だった。


『…魔剣を集めよ…! 魔剣を集めれば、我等が悲願に近付ける…!』


 片手でバルガスを抱き抱えたまま、もう片手で顔を覆った。イリューンの脳裏に、何度もカイゼルの言葉が反射した。

 同時に、その腕の中から弱々しい声が聞こえてきた。それは余りにも残酷な一瞬だった。

「よ…くも……殺してやる……必ず…必ず、殺してやる……」

 目線を落とす。バルガスが睨み付けていた。ゴボ、と血泡が弾けた。言葉を失ったイリューンの腕の中で――バルガスの姿は、徐々に光に包まれ消えていった。

 ただやるせない気持ちだけが胸の内に広がっていった。豪雨の中、イリューンは同じ姿勢を崩せぬまま、その場に膝を付き呆然と空を見つめるしかなかった。

「まさか…俺の、俺の親父が…カイゼル…? バルガスが…兄弟…?」

「…そうじゃ。」

 咄嗟に後ろを振り向いた。ずぶ濡れのホワイトが立っていた。泥を蹴り立ち上がると、ホワイトの胸座を掴み上げ、イリューンは声を荒げて言った。

「…何故だ、何故黙っていたッ!? ホワイトの親父ッ! 何で、何でそんな大事な事を今まで黙っていやがったんだ!?」

「…確かに、カイゼルは御主の実の父じゃ。しかし、隠していた訳ではない。こんな事にならなければ、御主が成人の儀を迎えた際に話すつもりじゃった。」

「そんな…! …それじゃ俺は…俺は、実の父と兄弟を!? こんな…こんな馬鹿な事があってたまるかぁぁッ! こんな、こんな記憶…消してくれ…! 頼む…消してくれぇぇぇッ! う、うぅぅぅ…うぉぉぉぉっっっ…!」

 号泣。言葉もなく、その場に立ち尽くすホワイトが手をかざし――光の矢が、イリューンの眉間を貫いた所で場面は暗転した。


 時代が変わった。炎に包まれた民家。そして、見渡す限りの兵士の死体。胸元の紋章から察するに、旧コーラス軍。第一次ラキシア大戦の最中のようだった。

 山のように積み重なる死体の中、広場の中央。そこに、黒い鎧を着た銀髪の男――バルガスが立っていた。

 変わらぬ憎しみに燃えた目。幅広の大剣を手にし、此方を凝視するその姿はまさにカイゼルの生まれ変わりだった。

「…イリューン、貴様…! 父を殺した上、その記憶を消しただと…!? あの裏切りが無かったことだと…!? …ふざけるなよ…ふざけるなぁァァァッ!」

 叫んだ。疾風の如く、襲い掛かった。イリューンがそれを受け止める。激しい戦いが繰り広げられた。


 再び場面が切り替わった。


 そこは竜の神殿。目の前はホワイトの姿。握り拳を作り、イリューンは力強く言い放った。それは、全てを知るジョージからすれば、あまりにも悲しい台詞だった。

「頼む…! 勝手なのは解ってるッ! だが、俺は記憶を取り戻さなくちゃならねぇッ! バルガスとの…決着を付けなくちゃならねぇんだッ!」

「…そうか。しかし、一度記憶を封印したものが、二度、三度と記憶を蘇らせるには弊害がある。どの記憶が何時の物か把握できなくなる。失われる記憶もある。…良いのだな?」

 イリューンは小さく頷いた。その目に迷いはなかった。


 三度、世界は暗闇に包まれた。


 目を開けた時。そこには、薄赤色の髪をしたドワーフの老人が立っていた。溜め息を吐き、哀しげな目を見せるとその老人――アンクルは言った。

「…また、バルガスと戦うのか。」

 その言葉に渋い顔を見せ、イリューンはポツリと呟いた。

「…四度目…だな。」

「記憶を消し、戻し、そしてまた戦うか。…つくづく竜族という奴は、戦い続ける宿命があるんじゃな。」

 部屋の端からティーポットを取り出し、手にしたカップに並々と茶を注ぐ。一杯をイリューンに、もう一杯を自ら煽りながら、アンクルは黙ってイリューンの言葉を待った。

 沈黙。後、イリューンは決意を固め直すかのように、一言一言を区切りながら言った。

「…オヤジ、俺は…この戦いを最後に、もう一度記憶を棄てようと思う。」

 ふむ、とアンクルが頷く。予想していた言葉のようだった。

「二度の戦いで勝ち…それでも、夜毎うなされておったしな。まぁ、無理もなかろうて。」

「…そうじゃねぇ! …けどよ、バルガスを倒して…何度、倒しても…! もう、そうするしか無いんじゃねぇかって…思ってる。…決めたんだ。」

「…御主がそう決めたなら、それも良かろう。…ホワイトには話しておいてやる。心置き無く行ってくるがよい。」

 それだけを告げ、アンクルは背を向けた。イリューンは大きく頷き、手にした剣を振るうとゆっくりと部屋を出た。

 失われた島。絶海の孤島。その崖の上にイリューンは歩み出た。外気は凍てつく程に寒く、冬がすぐそこまで来ようとしていた。

 バルガスが立っていた。その目には、変わらぬ憎しみが宿っていた。

 イリューンの感情がジョージの胸に流れ込んでくる。

 親友だった。家族だった。そして…兄弟だった。幾度となく戦い、戦い、戦ってそれでも殺せなかった――殺したくなかった男。

(悪ィが…どう取り繕った所で、許しては貰えねぇだろうな。だが、俺は…俺の中の竜の血が、襲い来るオメェを倒しちまう。死にたくねぇだけなのかもしれねぇ。けれど、オメェを殺すことも出来やしねぇ。…だから…俺がこの竜族の力と記憶を無くせば、少しはオメェの望み通りになるんじゃねぇか? ただの独りよがりなのかもしれねぇが…もし、また因縁を断ち切れねぇのなら…俺は…!)

 瞬間、剣激が舞った。魔法が飛び交い、激突した。凄まじい戦いが繰り返された。


 世界が急速に収縮していった。


 再び場面は竜の神殿に変わった。

 ホワイトの前に出向いたイリューンは跪き、深々と首を垂れた。覚悟は出来ていた。

「二度目の記憶の封印じゃ。…次はないぞ?」

「解っている。…承知の上だ。」

 言い終える間も無く、光の矢が眉間を貫いた。

 倒れ込んだイリューンを前に、何者かがその場にやって来る。足音、空気、そして声。ジョージには、それが誰なのか解った。閉じられる視界の中、ホワイトは寂しげに言った。

「…頼む。こやつを…せめて人として過ごさせてやってくれ。」

「ワシと貴様の仲じゃしな。エレミアで成功したライムの所にでも連れてやるわい。」

「…ほう。鼻垂れ魔術士じゃったアイツが、そこまでになったのか。」

「今では魔術士ライム、略してマナ・ライだそうじゃよ。」

「…ふわっははは! そいつは良い! あやつなら、イリューンには良い教育じゃろう。…頼んだぞ、アンクル。」

 肩口に抱えられた。記憶が簿やけているのは、この時、イリューンが気を失っていたからだろう。揺られる感覚。次に気が付いた時、そこは白い部屋の中だった。

 辺りを見回す。と、そこに嗄れた声が響く。

「…気が付いたようじゃな。」

 振り向けば白髪の老人が立っていた。威厳のある顔つきは、ホワイトとはまた違う威圧感を醸し出している。イリューンは老人に訊いた。

「…ここは? 俺は一体…? 駄目だ…何も思い出せねぇ…!」

「慌てるでない。お前の名はイリューン。この魔術士ギルドの入門者よ。ワシは総責任者のマナ・ライ。御主の世話を親父さんに頼まれた者じゃ。」

「…んなッ!? き、聞いてねぇよッ!?」


 目の前で幾つもの場面がフラッシュする。次々と繰り返して蘇る記憶が、まるで津波のようにジョージの脳裏を駆け抜けていった。


 目の前に置かれた酒瓶をラッパ飲みし、赤い顔の男が上機嫌に言った。

「そうか、ギルドを抜け出してねぇ! そいつぁ、てぇしたもんだ。」

「…おうよ。よく判らねぇったらありゃしねぇ。あまりにも腹が立ったもんだから、高く売れそうなモンを片っ端から持ってきたんだが…生憎、助けて貰っても金が無ぇ。こいつで勘弁してくんねぇか?」

 ゴトン、ゴトン、と大振りの剣やナイフ、小さな小瓶などを机の上に並べる。泥だらけの頭を掻き上げながら、イリューンはそう言って男を見つめた。男は笑いながら言った。

「ははは! ま、気にすんな! おめぇさんを見てると、ワシも若い頃を思い返しちまうぜ。…名前以外、思い出せないって言ってたな。だったらオメェさん、今日からアレクセイと名乗れや。」

「アレクセイ…?」

「ワシの名前よ。ゴードン・アレクセイ。んま、養子みてぇなもんだわな! イリューン・アレクセイ、良い名前じゃねぇか? よぅし、メリア! 今日は祝杯だ! おめぇに兄貴が出来たぞ! ワッははははッ!」

「もうっ、お父さん! いい加減にしてよねっ!」

 カウンターの向こう側で、白いエプロンドレスを着た金髪の少女が膨れっ面をするのが見える。が、そんな娘の様子に構うことなく、ゴードンは呂律の回らない口調で言った。

「まぁ、そう固ぇこと言うな! あぁ、メイさん。明日、コイツを赤鯱の所に連れて行ってくれないか? 早ぇとこ仕事を世話してやんないといけねぇしよ。」

 同時に、メリアの隣で黒髪の女がこちらを一瞥。二人の座る席へと近付いて来た。呆れ顔をしていたがその表情は柔らかく、くすりとした微笑を浮かべていた。

「解ったわ、オヤジさん。…よろしくね。私は、メイ・ラヴェルナ。小さいけれど、ここから少し離れたアーコン島で宿屋を開いてるの。記憶が戻るまでウチの一室を使わせてあげる。ガルガライズはいい所だから、きっとすぐに慣れるわ。…ね? ふふっ…」

 美しいと思った。それは、今までにない感覚。暖かく穏やかな気持ちが、胸の奥底に流れ込んでくるかのようだった。


 ――暗闇。


 ガツン、と後頭部を殴られるような感覚。

 気付けば、ジョージは元の世界へと戻ってきた。

 目の前に腰掛ける老人は、紛れもなく伝説の竜――ホワイト。そして、イリューンの姿もまたそこにあった。

「見てきたか? 記憶の渦を。」

 イリューンは頭を抱えていた。両膝を付き、脂汗を流し、青い顔を見せていた。

 今までで最悪の表情だった。ジョージも初めて見るような顔をイリューンは浮かべていた。

 一言も発せず――よく見れば、その唇は震えていた。如何な言葉とて、今のイリューンの気持ちを表現する事は出来ないに違いなかった。

 ホワイトは続けた。

「だから言ったんじゃ。…後悔するとな。」

 イリューンは何も答えない。その様子が逆に、どれだけ衝撃を受けたのかを端的に表していた。

 ジョージは言葉も無い。今まで、自分は割と不幸なのでは、などと考えたのも一度や二度ではなかった。しかし、そんなものは不幸でも何でもなかった。今のイリューンは罪悪感と後悔で一杯だろう。そんな彼に掛けられる言葉を、ジョージは持ち合わせてはいなかった。

 静寂が辺りを包む。誰も言葉を発しない。否、発せなかった。

 その時だった。

「…で、このままバルガスを放っておくんですか?」

 冷静な声。顔を上げた視線のその先に、ディアーダが立っていた。

「我々が行うダイブよりも強力でしたからね…良く解りました。兄弟と、家族と戦うのはそれは辛い事だったでしょう。」

「………」

「…ですが、もう一つの家族はどうするんです? 武闘会で乱入してきた…ゴードンさんは貴方にとって家族ではないんですか? 彼がバルガスに…そして邪教によって苦しめられているのはどうするんですか?」

 イリューンは答えない。ただ、じっと下を向いたまま唸っていた。そして、ゆっくりと――まるで言葉を噛み締めるように、低い声で呟いた。

「…お前に…俺の何が解る…!」

「わかりませんよ。貴方の苦しみは貴方だけの物です。ですが、多かれ少なかれ人は苦しみを背負って生きているんです。貴方だけが特別だなんて、甘えた考えは止めて下さい。」

 それを聞くや弾かれたように顔を上げ、イリューンは一直線にディアーダに殴り掛かった。

 ガツン、と鈍い音が響き渡る。ディアーダは仰け反り、唇の端から血を流して蹌踉めいた。

 唾と共に血を吐き出す。右の甲で口元を拭い、それでもディアーダは強い視線を崩そうとはしなかった。イリューンを見据えたまま、一歩も退かなかった。

 一方、殴った手を見つめ、イリューンは狼狽えた。自分の起こした行動が、信じられないといった様子だった。

 ジョージは目を見開き、固唾を飲む。意外だった。あのディアーダが、他人の為にここまでするのも、イリューンに喰って掛かったのも、初めての事だった。

 ディアーダの素性は、未だにジョージも詳しくは知らない。だが、家族に関係する理由で旅に出た事、その家族が邪教に関係しているかもしれない事、そして邪教とバルガスが繋がっているであろう事から、並々ならぬ過去だとは容易に想像できた。だからこそ、今のイリューンの姿が自身に重なって見えたのかもしれなかった。

 ホワイトも、ジョージも、見ていることしか出来なかった。解決するのは自分自身。それが解っているからこそ、誰も動けはしなかった。

 そうして暫く黙り込んでいたイリューンだったが、やがて大きく溜息を吐く。腰に手を当て、ゆっくりと向き直るとイリューンは力無く呟いた。

「…解ってたさ。ただ、仕方がなかったんだ。俺にだって、やってらんねぇ時ぐらい…たまにはあるもんだからよ。…すまねぇ。」

 その目は濁っていなかった。辛さ、苦しさを越えた先にある――透き通った顔をしていた。それを見て、ディアーダは首を左右に振り、続けて縦に小さく振った。

 頃合いを見計らい、ホワイトはイリューンに近付くと渋い顔を崩さずに問い掛けた。

「吹っ切れたか。いや、達観したのじゃな。…だが、それでいい。仮に貴様がバルガスと戦い、そして倒れたとて彼奴の憎しみは永遠に消えないじゃろう。…ならば、どうする。どうやってバルガスを救う?」

「…何となくは気付いていたさ。けれど、認めたくはなかった。ホワイトの親父、面倒を掛けたな。俺は…俺の記憶と向き合って生きる。もう会いに来る事も無いだろうよ。」

 答えになっていない答えだった。しかし、その言葉にホワイトは黙って頷いた。

 一瞬、ジョージの背中を嫌な予感が走り抜けた。が、何故そう感じたのかは解らず、どうしてもその不安を声に出すことは出来なかった。

 再び、イリューンはディアーダとジョージの顔を交互に見やり、本当に面目無さそうに頭を掻きながら首を垂れる。

「…情けねェ所を見せちまったな。だが、もう大丈夫だ。…すまなかった。」

「貴方が決めた道。進むも退くも、貴方の自由です。」

「イリューン…」

 図らずとも微妙な表情で見つめ合う三人。言葉に出来ない思いがその場にあるのを、恐らく全員が感じていた。

 イリューンは一度だけ後ろを振り向くと、立ち尽くすホワイトに一瞥し、唐突にジョージの身体をガシッと小脇に抱え込んだ。

「な、なな?」

「…掴まってろ。オヤジの所へ戻るぜ。」

 言うが早いか、イリューンの身体が光に包まれた。ジョージの体を浮遊感が支配した。追って、ディアーダも呪文を唱えていた。その身体が鳥のように宙を舞った。

 ホワイトは何も言わず、三人の後ろ姿を見守った。

 風を切り、洞窟を抜け――頭上高く切り立った崖を昇っていく。

 因縁、宿命、運命。ややもすれば陳腐になってしまいそうな言葉を、ジョージは何度も口中で咀嚼した。頬を撫でる風は、雨の匂いを孕み始めていた。


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