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第四章 二幕 『夜空に舞う鴉』

 冷たい風が頬に吹き付ける。凍える程の強い風がジョージを包み、撫で、巻き込むようにして傍らを吹き抜けていく。

 一吹きごとに気温が下がるのが解った。体温を削り取られていく。ガタつく身体を抑える事も出来ず、ジョージはその代わりに大声を上げるしかなかった。

「…さ、寒っみぃぃぃっ! ジ、ジムぅっ! ど、どうにかなんねぇのかぁぁぁっ!?」

「――すぐに慣れるっす! 我慢するっすよぉッ!」

 高い高いマストの下、ジムが空を見上げて叫んだ。風に揺られ、ジョージは目の前のコントロールバーから手を離せず、芯から来る寒さにカチカチと歯を鳴らすばかり。

 上空数百メートル。最後尾のマストに繋がれた凧糸の役目をする黒い綱が張られ、背中には三角の布――風を受けているこれもまた漆黒色。ハンググライダーと凧を合わせて二で割ったような機体で、ジョージは空を舞っていた。

 既に辺りは夕闇に包まれている。下から見る姿は背景に溶け込み、殆ど黙視できない。まさに襲撃にはもってこいの様子だった。

「もうすぐ、クラメシア領っす! 領地沿岸に入り次第、ロープを切り離しやすんで、ジョージの兄貴はグライダーを操作してイリューンの兄貴を救出してくだせぇッ! あっし達は商船のフリをして速やかに接岸、魔術師様を救い出しながら馬車を調達しやす! 首尾良く成功したら、そのまま馬車に乗り換えて脱出って寸法っすよ! 準備はいいっすかッ!?」

「じゅ、準備もクソもっ! こ、こちとら空を飛ぶ事自体初めてなんだぞッ!? ぶっつけ本番だぞ、おいっ!?」

 すると、今度は更に上空から低い声が轟いた。

「だぁらしないのぅ! そのグライダーは理力を込めた塗料で塗っておる。ある程度はお前さんの思いのままに動かせるわい。…自信を持たんかぁッ!」

 見上げれば、アンクルがジョージの上空を飛んでいた。同じ機体に同じ色。徐々に近付くクラメシアの灯を見つめながら、二人は並んで空を舞っていた。

 緊張感が高まっていく。心臓の音が高鳴るのが耳に喧しい。ふと、ジョージは訊いた。

「…ところでこんなグライダー、よく流刑地なんかにあったよな…?」

 アンクルはそれを耳にするや、即答で、

「あるわけなかろう? …作ったんじゃ。塗料は昔、旅の絵描きから貰った物じゃがの。」

「つ、作ったって…いつ…?」

「ついぞ前じゃ。お前さんが寝取る間にのう! そこの盗賊に頼まれて、片手間にやったもんじゃが、思うたより良くできたわい! かっかっか!」

 冷や汗がジョージの額から頬へと伝っていく。それを知ってか知らずか、アンクルは再び高らかに嗤うと、

「そうそう、今は風を受けて飛んでおるから心配はいらんが、ロープが切り離された後は時間との戦いじゃぞ! 塗料に込められた理力は十分程度しか保たんからな! ええな!」

 そう一方的に言い切った。流石はイリューンの育ての親というべきか。言葉ではなく、心でそれが理解できた瞬間だった。

「…ちょ、…やっぱ、俺、パス……」

 そうジョージが呟いた瞬間、ジムが大声を上げて宣言する。

「クラメシア領突入! ロープ切断、五秒前!」

「ま、ま、ちょっと待っ……!」

 その言葉を口にしたと同時に、バツンという激しい衝撃。いきなりジョージの体はとてつもない浮遊感に捕らわれた。

 凄まじい後方牽引力。言葉さえ出せぬまま、空中をキリモミ状に吹き飛ばされ、ジョージの目の前が七百二十度回転する。

 パニックに陥りながらも、掴んだコントロールバーに力を込める。とにかく、必死だった。

(…おおお落ち着けぇッ! 操作、操作、操作ぁぁッ!)

 考えるよりも早く、理力発動特有のぼんやりとした光が辺りを包んだ。すぐさま風は収まり、揺れていた機体が落ち着きを取り戻していく。息を二、三度吸って吐く。そうして、ようやくジョージは機体が自分の意のままに動かせることに気が付いた。

「…やれやれ、もう大丈夫そうじゃな?」

 見れば、すぐ隣を平走してアンクルが飛んでいた。まだ身体が震えている。口籠もりつつ、ジョージはアンクルに怒鳴り返した。

「じ、じ、ジィさん! じ、冗談じゃねぇっ! 生きてたからいいようなもののっ!」

「そういうな。結果的に飛べておるじゃろ? それよりここからじゃ。イリューンの処刑は恐らく今夜。昨日、中央広場に刑場が組まれたらしいからの。お前さんの話によると、一緒にギルドの魔術士も捕まっているそうじゃな?」

 頷くジョージ。それを確認し、

「先ずはその魔術士を救いだし、街に混乱を巻き起こしたほうが良かろうて。そちらはあの盗賊に任せておる。アジ・アダフに魔術師を繋げる牢は一ヶ所しか無いでな。ワシらは、イリューンを横合いからかっさらうのに集中するんじゃ。」

 雲が顔を撫で、やがてその切れ間から皇宮アジ・アダフが見えてくる。中央広場には既に刑場が組まれており、篝火と、多くの見物人とがその周りを取り囲んでいた。

「あ、あれが……ッ!」

「ざっと見る限り、弓兵は配備されておらんな…? 流石に奴等も、空から敵が来るなどとは思ってもみんことじゃろうしのぅ。」

 滑空しながら、辺りの様子を伺う二人。人々は一様に奇妙な興奮に包まれており、これが元で戦争に突入するのかという悲壮感をも僅かながら醸し出している。

 二度、三度と刑場上空を旋回する中、突然、銅鑼が鳴り響いた。

「これよりこの者! ギルドの名を騙り、我が国皇帝アムルド陛下の暗殺を企んだコーラス斥候の処刑を開始する! これは南国コーラスの重大な侵領行為であり、絶対に見過ごす事の出来ぬ重罪である! この処刑を持ち、我が国はコーラスへの宣戦を布告する!」

 巻き起こる大歓声。同じだけ、どよめきもあった。クラメシア領民にとっても、招かれざる客である事に間違いはなかった。

「…勝手なことばっか言いやがって…!」

 誰が見咎められようか、ジョージは上空で歯噛みする。次の瞬間、鎧を剥ぎ取られ、傷だらけの上半身を晒したイリューンが姿を現した。

 拷問で傷付いた身体。赤黒い鞭と血の跡。焦燥感溢れる顔。手枷足枷を填められ、鎖の擦れる音がジャラン、ジャランと歩く度に音を立てる。

「…い…ッ!」

 ジョージは思わず声を上げそうになった。しかし、襲撃前に気付かれては台無しと、必至にそれを飲み込んだ。

 ほぼ同時に、処刑人が刑場の袖から現れた。巨大な斧が篝火に照らされ、ギラリと鈍い輝きを見せる。響くクラメシア語の怒声。乱暴にイリューンを壇上へと上らせ、その後頭部を鷲掴みにし、目の前の首枷に押し付けた――まさにその瞬間だった。


 激しい爆音。衝撃。


 振り返る民衆。見やるジョージとアンクル。

 アジ・アダフの四方を囲む尖塔のうち、一本から煙が上がった。次の瞬間、赤い炎が黒々と沸き立つ狼煙を上げ、更に激しい爆発が巻き起こった。

 慌てふためく民衆。処刑人までもがその手から斧を離し、大急ぎで直属の上司に伺いを立てるべくその場を離れ始めた。

 次の爆発。いよいよもって民衆は大パニック。凄まじい勢いで人の洪水が巻き起こる。

「始まったようじゃな…行くぞッ! 遅れるなよッ!」

「…お、おぅうッ!」

 急降下するジョージ、アンクル。滑空というよりは落下。刑場に突き刺されと言わんばかりに垂直に、黒いグライダーがイリューン目掛けて風を切った。

 空中から飛来する影にイリューンが気付いた。眼前で起こる出来事を理解出来ず、呆然としたその顔がジョージの瞳に飛び込んで来た。

「――掴まれぇぇッ! イリューぅぅンっッ!」

 片手をコントロールバーから離し、猛スピードの中で差し伸べる。反射的にイリューンはその手を掴んだ。刹那、燕の如く。一気に機体は急上昇し、ジョージはイリューンを上空高くかっさらった。

 と、手が滑る。ジョージの腕をすり抜け、イリューンがスローモーションで落下する。

「…し、しまったぁぁッ!?」

「――う、おぉぉぉいぃっ!?」

 その傍をもう一機! 落下するイリューンを脇で受け止め、アンクルは言った。

「ナイスキャッチ、じゃな? …久しいのぅ、イリューン!」

「…お、オヤジ!? な、なんでオヤジがここに!? それにジョージ、オメェ! ま、まさかオメェが助けに来るなんて、想像もしてなかったぜっ!?」

「…な、成り行きだッ!」

 正直、照れ臭かった。ジョージはぶっきらぼうにそう答え、傷だらけのイリューンから顔を逸らした。それを聞き「違ぇねぇ」とイリューンは鼻で笑う。口では互いにそんな風だったが、気持ちは通じあったような気がしてならなかった。

「…と、ところでディアーダは!?」

「おぅ、あれだ。」

 そう言い、イリューンは顎で後ろを指した。それが合図だったかの如く、燃え盛る尖塔が崩れ落ち、辺り一面に悲鳴が木霊する。ディアーダは魔術師用の牢に繋がれたのではなかったのか。その疑問に答えるように、イリューンは続けて言った。

「アイツの事だからな。幻術でも使って一般牢にでも入ったんだろうよ。まぁ、流石に俺はこれで終わりか、と覚悟したもんだがな。」

 もう一度、後ろを見返してみる。刑場では数人の衛兵達が、突如消えた罪人を探して右往左往。誰が見ても一目で分かる、大混乱状態だった。

「と、トンでもない事になってんな…」

「今更何を言っておる。やったのはお前さんじゃろうが。」

 冷静に返すアンクルの言葉が痛い。解ってはいたが、それでも認めたくない事実だった。

 既に二機は空中高く、クラメシア市街地を抜け郊外へ出ようとしている。予定の通りなら、ジムが既に馬車を走らせ、脱出の算段を整えているに違いない。


 空気を切る。闇夜のクラメシアを飛ぶ。丸い屋根と尖塔立ち並ぶ異国の街を上空から眺める気分は、追われる身となった重圧を差し引いても最高だった。

 遠くには炎。そして眼下には、街の光が下界の星の如く輝いている。

「すげぇな…こんな状況じゃなければ、もっと最高だったろうに…」

 呟くジョージに、アンクルとイリューンは顔を見合わせ「仕方ねぇさ」と同時に答えた。

 突如、ガクン、と機体が力無く降下を始めた。機体が浮遊感を無くし、徐々に高度を落としていく。理由はすぐに知れた。理力が切れかけているようだった。

「…い、いかんのぅ! こ、このままでは墜落するぞい!」

「え、えぇえッ!? は、早くないか!?」

「計算違いじゃ。…まずいのぅ。」

「――ま、まずいで済むかぁッ!」

 思わずジョージは罵声を浴びせた。イリューンはヤレヤレと疲れた顔を見せた。

 羽が左右にぶれ始める。操作が出来ない。動かそうとすれば少しはその方向を向くものの、それ以上はどうにもならなかった。

 イリューンを小脇に抱えるアンクルも同様、ぐらぐらと今にも墜落してしまいそうな程に機体を揺らしている。

 気付けば、目の前に殊更高い建造物が迫る。このままでは激突は免れない。

「…こ、こ、ンチクショおォォォッ!」

 ジョージは叫び、コントロールバーが外れんばかりの勢いで仰け反りながら舵を切った。間一髪、機体は建物スレスレを擦りながら左へと逸れて飛ぶ。

「…あ、あ、危ねぇぇッ! く、くそっ! ど、どうすりゃいいッ!?」

「落ち着けジョージっ! 最悪、海に向かって落ちりゃ、なんとかならぁなっ!」

 どさくさに紛れてイリューンがトンでもないことを口にする。正気かよ、とジョージは顔を引き吊らせるしかない。

 と、アンクルが行く手を指差し、高らかに叫んだ。

「間に合ったわ! あれじゃあッ!」

 風を切り、荷台を引くだけの見窄らしい馬車が、街並みの間を駆け抜けるのが見える。その上で此方に向かい手を振る影。

 遠目にも判るブロンドの少年、ディアーダだった。馬車を走らせるは、バンダナで髪を束ねたあどけなさの残る少年――盗賊ジムに間違いない。

「――ぁ兄貴ぃッ! 御無事っすかぁッ!?」

 首尾良くディアーダを救出し、予定通り逃走用の馬車を奪取したのだ。潜入についてはともかく、盗賊の資質はあるんだな、などと不謹慎にもジョージは思った。

「…な? 心配いらなかったべ? ってか、ジム! おめぇもかよ! はっはァ!」

 そう言い、イリューンが高らかに嗤った。ジョージ、アンクルは共に顔を見合わせると、釣られて口元を綻ばせるのだった。


 幾度も左右にブレながら、馬車と併走するように二機が飛ぶ。走る荷台へ転がるように、ジョージは辛うじて着地した。隣でアンクルとイリューンがすんなり舞い降りるのを見て、相変わらず自分はこんなか、と一人自嘲する。痛む肘と膝を擦り、片膝を抱えた格好でディアーダの顔を見上げつつジョージは言った。

「…無事で良かった。…でも、…ありゃ少しやり過ぎだったんじゃぁないか…?」

「無礼な態度には無礼でお返ししただけです。」

 いつも通りの冷静で尊大な態度。しかし、何故だかジョージは嬉しかった。頭に来る態度があまりにも懐かしく、無意識のうちに顔がニヤけてしまっていた。

「何が可笑しいんです?」

「い、いや、別に…」

 そう答えつつも、ジョージは唇の端を下ろす事が出来ない。自分でも、どうしてそんなに嬉しいのか理解できなかった。これで間違いなく、クラメシアから追われる身になったというのに。貴族生活の道が遠ざかっていくというのに。

 それは恐らく、初めて自分の意思で選んだ道だったからなのだろう。例え、貴族の道から外れていようとも――今のジョージは、全く後悔していなかった。

「あぁ、そうだ。兄貴の武器と鎧も取り返しておいたっすよ。アイツら、適当に放り出していたから回収しただけっすけどね。」

 ジムが顎で荷台の片隅を指す。そちらを見れば、黒い鎧と巨大なハルバード。紛れもなくイリューンの持ち物だった。

「お、おぉッ! さ、サンキューだぜ! 流石は盗賊だな、えェおい!?」

 褒めているのか、判断に苦しむ言葉だがイリューンに他意は無い様子。ジョージはやれやれと首を振るばかり。

「えぇから、取り敢えずじっとしとれ。鎖が外せんじゃろうて。」

 呆れた声で、イリューンの手枷足枷を外しながらアンクルが呟く。ジャラン、と鎖が音を立てる。馬上からそれを放り捨て、身体中の傷をさすりながらイリューンは言った。

「しかしすまねぇな、オヤジにジョージ。…けどよ、これで間違いなく来るわな。」

「…来る、って何が…?」

「言うまでもねぇ。クラメシア暗殺団だ。昔、ブっ飛ばしてやった事があるが…トンでもなくヤりにくい奴らだぜ。…クソったれ。」

 その言葉に、今更ながらジョージは事の大きさを自覚した。後悔はしていない筈だったが、胃の奥が締め付けられるような不快感に、思わず頓狂な声が出かかった。

「ば――」

「そうじゃなぁ。じゃが、それも想定の内じゃろう?」

「全くです。」

「…ま、取り敢えずは、領地外まで突っ走るっすよッ!」

 言いかけた声を遮るように、アンクル、ディアーダ、ジムが続けざまに口を開く。機を逸してしまい、ジョージはそれ以上言葉にする事も叶わず、

「…わ、わぁッたよ! もう何が起こったって驚くもんかっ! 最後まで付き合ってやるよコンチクショオぉおッ!」

 そう自棄になって叫ぶしかなかった。

 やがて馬車は領地を出る。何もない荒野を突っ走る。遠離る街の灯。肩越しにそれを見つめながら、五人は来るべき脅威に身を震わせた。

「…完敗だったな。」

「ですね。」

「………」

 イリューンの呟きに、ディアーダが即答した。ジョージは何も言えなかった。

 船頭席のジムは前を向いたまま、聞いているのかいないのかも分からない様子で黙々と馬車を走らせる。アンクルは片膝を立て、荷台でウトウトと舟を漕ぐばかり。

 沈黙。誰も何も話さない。それは、ジョージも同じだった。

 まさかイリューンが負けるとは、ディアーダの魔法が通用しないとは思ってもいなかった。だからこそ、それを口になど出来なかった。そこまでデリカシーの無い男ではなかった。

「仕方がないじゃろ? 記憶を封じて弱くなったのは貴様自身なんじゃからな。」

 いつの間に起きていたのか、アンクルが核心を突く。イリューンが詰め寄り、その顔も間近に口角泡を飛ばした。

「オヤジ、知ってるのか!? 俺は何で記憶を無くしたんだ!? 何で弱くなったっていうんだッ!?」

「それを選択した当の本人が忘れとるんじゃから、笑い話にもならんわ。罪の意識から逃げようと、忘れる方法を聞いたのも貴様自身だったんじゃぞ?」

「…俺が? 罪の? 馬鹿言うんじゃねぇッ! バルガスなんざに負けてられっかよッ!」

 息巻くイリューンの口調は徐々に熱くなっていく。今にもアンクルに殴り掛からんばかりの勢いだった。アンクルもそれは解っているのか、ふぅ、と短く息を切り、

「そこまで言うのなら、記憶を取り戻してみるか?」

 と溜息混じりに言った。イリューンは目を丸くした。

「で…出来るのかぁっ!?」

「――竜の棲家。そこに貴様の記憶を封じた張本人が住んでおるわ。」

 そう言い、アンクルはまた目を瞑り、うたた寝を始めた。それ以上は話す気もない、という意思表示なのだろうか。完全に黙り込み、聞く耳さえ持とうとはしなかった。

 記憶を取り戻せる――その言葉がイリューンに与えた影響はどれ程のものだったのだろう。爛々と眼を輝かせ、鼻息も荒く、高揚していることは一目瞭然の様子。アンクルのそんな態度も、イリューンにとっては歯牙にも掛けなかった。

 しかし――ジョージは聞き逃さなかった。最後にアンクルが呟いた言葉を耳にしていた。


『…また同じ、か。』


 その言葉には重さがあった。何が同じなのか。問い詰めたい欲求が心の底から沸き上がるものの、浮かれきったイリューンを前に聞くに聞けず、ジョージはただ馬車の向かう先の闇を見つめるしかない。漆黒の中、それは棘の如く耳の奥に残り、漣のようにいつまでも繰り返される。まるで、暗雲立ち込める旅路を象徴しているかのようにさえ感じられた。

 馬車は一路、クラメシア領地を抜け、大陸北西に広がるキーエンス山岳部へと向かう。この旅の最果てが闇でないことを、ジョージはただ祈るばかりであった。

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