序章 『馬車』
輝きとは一瞬のもの。
それは青春であれ、人生であれ、恋愛であれ。
だが――もしも、その中で心を通わせることの出来る人と出会えたならば。
きっと、輝きを永遠にしてくれるに違いない。
この物語は、そんな輝きの物語。
――――
辺りに漂う霧は濃さを増す。目の前、一メートルも認識できぬ程のそれは、身体にまとわりつき、すぐには離れようとはしなかった。
一台の幌馬車が走り続けている。もの凄いスピードで暗闇を疾走するそれは、今まさに釣り上げられようとしているカジキの如く、時に蛇行し、時に力強く幌を揺らしながら、迫り来る驚異を振り解かんと画策する。
「――早く、早く進めぇぇッッ! ――こ、今度は右から来やがるぅぅッッ!」
焦った男の声が闇夜に轟いた。同時に、物凄い衝撃が再び馬車全体を揺らした。車輪が激しく揺らぎ、十センチほど車体が宙に浮かび上がった。
(…ど、どうして俺は、こんな所にいるんだ…っ!?)
幌の中には、一人の騎士の姿があった。男は疲れ切った表情を見せていた。身体が震えている。今、自分が置かれている状況を理解しきれないのか、それとも理解したくないのか。
男は立ち上がろうともせず、その場でブツブツと現実逃避の呪文を唱えるばかりだった。
「ジョージッ! ヤツらが飛び移るッ! なんとかしろぉッッ!」
外から、先程と同じく男の怒声。同時に、幌を切り裂くや、数体の異形がその中に飛び込んでくる。
肉のない人の形をしたモノ。白い物が覗く手には朽ち果てた剣が握られ、虚ろなその目には眼球の代わりに黒い穴がポッカリと空いている。骸骨戦士、スケルトンウォーリアーだ。
「う、うわぁぁぁッッッ! き、きたきたきたぁぁぁっっ!」
莫迦みたいに叫声を発し、ジョージと呼ばれた男は床を這いずると、どうにかこうにか腰元の剣を引き抜いた。だが、脅えきったその眼同様、カタカタとどうにも切っ先が定まらない。
突如、幌の中に飛び込んできた炎の塊が、二体のスケルトンを勢いよく吹き飛ばした。
馬車の操舵席に座る金髪の美少年。女と見紛うほどの美しい顔。その手には、撃ち放った理力の炎が微かに燃え残っていた。
「た、た、た、助かったぜ、ディアーダ…」
「礼はいりません。ですが、これで終わりではないようですね。」
ディアーダと呼ばれた少年の言うとおり、外からは濃霧と共に凄まじいまでの邪気が流れ込んでくる。
やがて風圧に負けた幌が、傷口からビリビリと音を立てて破け始めた。
完全に馬車の外が見渡せるほどに穴が拡がるや、併走する『何か』の正体が遂に明らかになる。
朽ち果てた、中世ローマ時代を思わせる戦車の姿。それを引くのは、生きている馬ではない。骨だけになった馬が、猛然と唸り声を上げながら疾走し続けている。
荷台には、残り三体の骸骨戦士の姿。目が合うや『奴ら』は奇声を発し、馬車に向かって次々と乗り移ってきた。
「ひ、ひぃぃぃぃ……ッ! じ、冗談だろぉッ!?」
同時に、岩にでも乗り上げたのか、大きく馬車が飛び跳ねる。
ガコンッッッ!
凄まじい衝撃。転がるジョージ。そこに向かってスケルトンが剣を振り上げる。
一瞬、ジョージの眼の裏を死神が横切った。
「――どぉぉぉりゃぁぁぁぁぁッッッ!」
瞬間、ジョージの目の前を刃が通り過ぎた。同時に、枯れ枝の砕けるような音を立てるや、その場でスケルトンは上半身の全てを粉々に撒き散らした。
「やれやれ、アブねぇ、アブねぇ。」
霧散するスケルトンの体の向こうに、黒い鎧を着た銀髪の大男が立ちはだかっていた。大男は言いながら、その肩に斧と槍とを組み合わせた長尺武器――ハルバードを立てかけ、天をつくようなその髪を面倒くさそうにガリガリと掻きむしる。
助かったと思ったのも束の間、ジョージは気が付いたかのように声をあげた。
「い、イリューンッ!? お、おまえ馬車の操縦はッ!?」
「おっと、いけねぇ。忘れてたわ。…ま、ディアーダがうまくやっとくだろ。」
「わ、忘れてたって…!」
「さ、そんな事よりもオレ達にゃ、やんなきゃなんねぇ事が山ほどありやがるぜ?」
牽制するように、二人を取り囲むスケルトン達。緊張が馬車全体を包み込み、ピリピリとした感覚が肌を突く。
「――よっしゃ、ジョージ。オレが一体を潰すから、もう一体はオメェな?」
「な、な、な…ッ!?」
「よっしゃ、いくぜぇッッ!」
亡霊戦車を引く馬が、明らかに敵意を剥き出しに嘶いた。
爪先立ててイリューンと呼ばれた大男が駆け出す。否や、その手に握られたハルバードが横一線に薙ぎ払われた。
まるで木っ端を吹き飛ばすかの如く、勢いよくスケルトン達は纏めて砕き散らされる。勿論、ジョージの出る幕など微塵もない。
呆然と立ち尽くすジョージを余所に、併走する亡霊戦車が幅寄せを敢行した。
舗装されていない路面を走っていたが故の縦揺れに、今度は激しい横揺れが加わった。
二度、三度と、馬車の横っ面に亡霊戦車が体当たりを繰り返す。
四度目。メキメキと何かが潰れていくような音と共に、がきん、と車輪の一つが外れ落ちた。
途端、縦揺れは更に激しさを増した。いや、それはもはや縦揺れなどという生易しいモノではなかった。
荒波のうねりに呑まれる寸前の板切れ一枚。その上に、無理に二人が乗っているに等しい状況だ。
「ど、どどどど、どわぁぁッッ! な、ななな何とかしろ、イリューンッッ!」
「何とか、っつったてよぉッッ! どうしようもねぇだろッッッ!?」
言うが早いか、五度目の衝撃が走った。凄まじいまでの振動が馬車全体を包んだ。
尻餅を付き、倒れ込むジョージ。荷台の上をボールのように転がるイリューン。木屑が弾け跳び、残された後輪も今にも脱落しそうな雰囲気を醸し出す。
悲鳴のように馬がいななく。舵取りをしているディアーダも限界らしく、後ろのジョージ、イリューンをちらりと振り向き、
「…次が来たらマズイです…! 馬を押さえていられる自信がありません…!」
そう言った。それを聞くや、イリューンは揺れる荷台の上で立ち上がり、手にしたハルバードを肩口に担ぎ上げると、
「…クソッたれ…! なら、こっちからやってやらぁーなァッ!」
そう吐き捨てた。同時に、助走の為の距離を取り、ジョージが止めようとするのも間に合わず、併走する亡霊戦車へと駆け出して――
「――でぇぇぇりゃぁぁぁぁぁッッッ!!!」
宙を舞い、見事なまでの放物線を描き、黒い巨体が亡霊戦車へと飛び込んだ。
ずっだぁぁぁぁぁ―――――――んッッッ!
激突し、骨が砕ける。勿論、イリューンが、ではない。亡霊戦車の車体が歪み、白い破片が空中へと舞い散った。
そのまま、イリューンはまさに台風の如く、戦車の上でハルバードを振り回した。
振った。凪ぎ払った。そして、砕き散らした。
ガシャン、バキン、と連続で破砕音が鳴り響く中、車体はついに傾きかけ、ディアーダの声も悲鳴混じりに変わっていく。
「…も、もう持ちそうにありません!」
「だ、駄目だぁぁぁッッッ! こ、このままじゃぁッッッ!」
ジョージの叫び声と共に、イリューンが最後の一振をフルスイング。
そして、全てを終え、思い出したかのように馬車の荷台へと戻ると、駄目押しのように親指を下に向けた。
同時に、進行方向から光が射し込んできた。その光を浴びるや、砕けかけていた亡霊戦車は支えを無くしたかのように、パーツの一つ一つが崩れ、やがて崩壊を始めた。
スピードを落とし始めた三人の馬車にも追いつけず、後ろへ、後ろへと亡霊戦車が消えていく。視界の端にまでその姿が後退った後、朝日が完全に昇り、光が大地を照らし挙げた。
【――グギャアアアァァァァァッッッッ!!!】
刹那、亡霊戦車は凄まじい絶叫を挙げ――蒸発するかのように、固まった灰が砕け散るかのように、その場から完全に消滅した。
「あ、朝…か。た、助かった…!」
「ヘッ! ちょろいもんだぜ。」
「よく言いますね。もう少しでこちらも危なかったというのに。」
ディアーダの最後の突っ込みと同時に、またもガコン、と縦揺れが三人を襲った。
ジョージ、イリューンは勢い、その場ですっ転ぶ。それを見て、船頭席のディアーダは、小さく失笑を浮かべるばかりだった。
眩しい朝日を浴びながら、馬車を停め、三人は地平線の果てに目を向けた。
目的地――砂漠の帝国ダバイは、もう間もなくだった。