第3話 姉妹
「あ! お姉ちゃ……誰?」
「こ、こんにちは~……」
「知らない人に話しかけちゃダメだよ~?」
「事実だから何も言えねぇ……」
ハモった「はあっ!!??」から会話が弾むことなど微塵も無く、水希が乗り込んだエレベーターの中は常時監視している人すらも気まずくなりそうな異様な空気が漂う。
再会の衝撃で思わず降りるタイミングを逃してしまった悠真は、終始ボタンの前で無言で立ち尽くしながら後悔していた。
そして完全に降りるための1歩を踏み出していたのを目撃した水希は、気まずくなった要因である悠真の優柔不断さに小さく舌打ちをした。
小さくとはいえ悠真にはちゃんと聞こえているし、本人も聞こえるように舌打ちしたので双方のイライラが少しずつ蓄積していく。
幸い2階から1階へ下るだけだったため密閉された空間での2人きりはすぐに終わった。
そしてエレベーターの扉が開いた瞬間、目の前のベンチに腰掛けていた5歳くらいの幼女が水希に抱きつこうと駆け出した時、幼女と悠真と目が合って現在に至る。
「宮木さん、これは……」
幼女と同伴していた女性が、悠真の捜していた「宮木さん」だったのも衝撃だった。
相変わらず白地のTシャツに〝1+1=味噌スープ〟という謎の言葉がプリントされたシリーズを愛着している。
最後に会った入学前は、可愛らしいブタのイラストに〝I LOVE BEEF〟という言葉がプリントされており、腹を抱えて笑った。
「うん、アタシが迷ってたらこの子が助けてくれたの~♪」
「迷うって……」
ちなみに宮木さん──宮木 弥海は、この第5研究所に勤めて5年は経つ。27歳の結婚生活2年目だ。
「この子偉いね~♪ あ、そうだ! 悠ちゃんも行こうよ!」
「え?」
※ ※ ※ ※ ※
ここ第5に問わず、九里ヶ崎区内にある全14箇所の異能力研究所には託児所がある。
研究所は防音対策や断熱性能は完備、また託児所を設置する土地問題の解決、さらにテロ対策として世界最高峰のセキュリティを誇るため、条件としては最適解だ。
……というのは表向きの体で、本来の目的は異能力の遺伝的要因の研究である。
異能力が発現した者の血縁には、遺伝的要因で異能力の発現の可能性があるのか。
未だその根拠は無いが、兄弟や親子で似た系列の異能力を発現させた例も世界中でごく稀にあるため、絶えず研究は続けられている。
ちなみにここで言う血縁とは、配偶者の家系を除く2親等までを意味する。
もちろん異能力とは無縁な児童も受け入れているが、血縁に異能力者がいる場合は優遇される。
日本政府もこれを容認しており、さらに児童当人が既に異能力者である場合は各研究所が受け入れる事を争うほどだ。
第5研究所の託児所は、1階の出入り口から最も遠い位置にある。
悠真は約1年間研究所を訪れているが、全く用が無かったので近くにすら立ち寄った事が無い。
「おお……思った以上に幼稚園って感じだな」
無機質な廊下を抜けて自動ドアが開けば、そこはあの研究所と同じ建物内とは思えない程に、想像の容易い幼稚園の風景だった。
フローリングの廊下にサイズの小さな物、各部屋に1台ピアノが置かれ、様々な感情を孕んだ子供達の声が木霊する温かな空間。
「可愛い~!!」
自分の職務を完全に忘れている宮木は、目をキラキラと輝かせて子供ばりにはしゃいでいた。
どこかふわふわとしている不思議ちゃんな宮木は、既婚者となった今でも第5研究所内ではアイドル並の人気がある。
彼女の唯一の悩みは、同性からは親の敵のように嫌われている事で、会話をすれば皆友達だと信じているために敬語を使っている様子は悠真も見たことが無い。
「何なのあの女……」
そして既に水希に引かれている。
「で、あんたは何でここにいんの?」
「ちと野暮用でな……お前は?」
「こっちも野暮用よ」
「あっそう」
そして会話が終了し、とてつもなく変な空気が漂い出す。
悠真はコミュニケーションが得意な方ではない。人格を形成する成長過程をクレアとだけで過ごしたため、基本的にクレア以外の者とは心を開かない。
カウンセリングの際はコミュ力お化けの宮木が終始自分のペースで話し(ちゃんと必要な話はしている)、黒サンタも勝手に喋って勝手にナイーブになるため、そこまで苦では無かった。
だが水希はその2人とは違って同年代であり、さらに異性。
高校では何かと喧嘩になり、クラスメイトはその様子を温かい目で見守り止める者が教師しかいない。
その教師も当たり外れがおり、普通に大声で止める教師、静かな威圧で止める教師、中にはニコニコしながら小声で「はよ付き合え」と呟く教師までいる多種多様な学校だ。
そういった周囲の謎の空気が余計に距離感を曖昧とし、入学して2週間足らずにもかかわらず、悠真と水希は喧嘩以外での会話に困っていた。
「あ、ああそうだ、何か……お遊戯会があるのか?」
気まずい空気を断ち切るべく適当に話しかけた悠真は、周りを見回して壁にお遊戯会のポスターを見つけて話のネタにするというファインプレーを見せる。
「う、うん……水玖のクラスは劇をやるんだよね~?」
でかした! と心の中でグッと親指を立てる水希は、この空気を保つべく自然な流れで妹の水玖に問いかけた。
「そう、だけど……?」
しかし5歳児に求めるハードルがやや高かったか、知ってるのに今さら何言ってるの? という視線を首を傾げながら姉に向ける妹。
「み、水玖は何の役やるんだっけ~?」
「お姫様だけど……?」
ややテンパりながらも悠真に繋げやすくするために、お遊戯会というネタの情報を自然な流れで提示していく必死な水希。
「お姫様かぁ~、何の劇やるの?」
「……えっと……」
つい数分前に姉から、知らない人に話しかけちゃダメ、と言われた妹は、悠真に話しかけられて困惑する。
とりあえず中腰になって目線の高さを合わせるが、悠真はそれ以前の問題だと気付けない。
「……あ! ああ水玖! この人は私のクラスメイトなの! 知らない人じゃないから大丈夫だよ!?」
ようやく自らの行いが災いした事に気が付き、無理矢理な暴論を並べて水玖に流れを断ち切らせないように仕向ける。
「……そうなの?」
「そうそう! ね!?」
「あ、うんうん! 俺は嶋内悠真って言います!」
より警戒心を解くべく、自己紹介をして少しずつ歩み寄る悠真。
「……玲成水玖です……5歳です」
困惑の表情はそのままに、広げた手の平を見せながら自己紹介を返す水玖。
「そっか、水玖ちゃんか……で、何の劇をやるの?」
「──〝キャメロンと魔女クレア〟」
「へ、へぇ~……そっかそっか……有名だよね……」
劇の題目を聞いた瞬間口元がピクッと動き、まばたきが少しだけ速くなった悠真は笑ったまま、どこかに行こうとしていた。
「ちょ、どこ行くの?」
「と、トイレに」
そう言って全力疾走で駆け出した悠真は、託児所の外に脱け出していった。
「ちょっと!!」
※ ※ ※ ※ ※
「はぁ、はぁ、はぁ……マジか……」
悠真はさっき水玖と宮木とばったり出会ったエレベーター前のベンチに腰掛け、俯いたまま1人で苦笑いした。
「何1人で笑ってんの、キモい」
「……えっと」
顔を上げると、そこにいたのはよく知る顔。
クラスメイト、玲成水希。
突然逃げるように走り去った悠真を心配して、1人で追いかけてきた。
「そんな、心配してくれなくても」
「はっ!? はぁ!? な、何であんたなんかっ……心配なんてしてるわけ無いでしょ!?」
「……お、おう」
素直になりきれない水希の言葉を真に受け、若干ヘコんだ悠真は立ち上がり、ベンチの横にある自動販売機の前に立つ。
「何か飲むか?」
「え? いや、いらない……けど……」
「じゃあミルクティーだな」
「じゃあって何?」
問答無用で悠真は自分の好きなミルクティーを水希の分と2つ買い、300ミリリットル程度のあったか~いペットボトルを投げ渡す。
「わっ! と……何故ミルクティー……」
「俺の好み、まあ紅茶はだいたい何でも好きだけど」
おつりを財布にしまうと、再びベンチに座った悠真はキャップを開けてミルクティーを少し口に含み、すぐに喉に通した。
「何円?」
「いいよ、お礼だから」
「……何のお礼?」
「ん~、追いかけてきてくれたお礼」
別にミルクティーは嫌いでは無いので普通に飲む水希は、立ったまま少し様子のおかしい悠真を見つめる。
「意味分かんないけど……役に立ったんならいいか」
「やっぱり払うって言ってきたら遠慮なくもらってたのに」
「ああ? あんたが奢るっつったんだろ」
「おー怖」
すると悠真はあったか~いミルクティーを飲み干し、自動販売機の隣のゴミ箱に捨てると、壁に背もたれて深く息を吐く。
「何で急にここに来たの? ミルクティー飲みたいからじゃないよね」
「……正直に言ってもいいっすか?」
「……いいっすよ?」
前屈みになった悠真は、強く握り締めた右拳を左手で握り潰すように覆い、俯いて額を両手につけた。
「──ほんの一瞬……水玖ちゃんを殺そうと思った」