第2話 招かれざる者
4月20日。
普通ならまず協会や研究所から呼ばれる事は無いのだが、生きてきた境遇の特殊さからかなり頻繁に呼び出されている。
悠真はそれを特殊だと思った事は無いが、最悪の魔女が唯一心を開いた存在というのは、異能力界隈では天変地異の出来事に違いない。
悠真は高校入学以来では初めてとなる、行き着けの国立異能力研究機関〝九里ヶ崎第5研究所〟に向かう。
「やあ」
「どうも」
軽いやり取りだけで挨拶が済むほどに親密な関係性である高校生と、緑のワイシャツの上から白衣を着た天然パーマの縦にも横にも大きな男。
ちなみにクレアの規律正しい食事、睡眠、運動を続けてきた悠真は180センチ半ばあるが、この博士はそれより10センチほど大きい。
モジャモジャな黒髪と黒髭から、周囲からは「黒サンタ」と呼ばれている。
名を黒三 泰智、当人は黒サンタと呼ばれる事を大いに喜んでいるが、悠真の呼ぶ「クロさん」だけは何だか違和感を覚えるらしい。
仕事熱心でかつ温和な性格故に人々から愛されているが、異能力研究においては日本トップクラスの研究者である。
「で、本部ってどういうことですか」
悠真が年間パスポートと呼んでいる通行許可証を受付のお姉さんに見せ、スタッフ専用通路を通りエレベーターで5階に上がると、白く無機質で明るいいわゆるザ・研究所という廊下を歩いていく。
「まさかロンドンへ飛べと」
「はっはっは、そんなことしたらイギリス中から命を狙われるよ」
これが冗談じゃないから恐ろしい。
イギリスは世界中のどの国よりもクレア=ブラッドフォルランスを敵視し、そんな仇敵と10年間過ごしていた悠真もまたとてつもなく敵視されている。
悠真にクレアほどの脅威となる力が無い事と、東京が世界を代表して悠真を管理する事で、異能力界隈の老人達を黙らせていられているのだ。
本来は必要無いのだが、周囲の目を気にして常にカウンセリングや異能力制御テストを行っている。
だが高校に入った事により、研究所でのそれらのカリキュラムは必要無くなり、もうほとんど来なくなる予定だったのだが──
「本部から直接君に会いにきたんだよ、1年間どれだけ情報を無償で提供しても、自国の者しか信用出来ないんだよな……無償で」
どれほど権威を持っていても、一研究者の言葉なら協会本部の上層部で幾らでも操作出来る。
人類の危機かもしれないのに、無償でも任せてもらった事を光栄に思え。
国籍など関係無く、そういう理不尽な思惑のおかげで貧乏生活を余儀なくされた黒サンタは、さらに太っていった。
「大変すねー……」
「君がクレア=ブラッドフォルランスを殺したという明確な根拠を見せてくれたら、この極貧生活にも終止符を打てるのに」
「それはどうしようも無いですね、はい」
そんな風に喋りながら歩いていく内に、2人はロンドンにある協会本部からわざわざ出向いてきた者の待つ部屋の前に立つ。
黒サンタがノックをしてから扉を開け、続くように悠真が部屋に入った。
「遅いわよ」
ソファに座る露出多めのファッションの中学生のような体躯の少女は、足を組みながら出された紅茶をすすり、「あちっ」と口を離してからフーフーと湯気の立つ紅茶に息を吹きかける。
「中学生?」
「死にたいのかしら?」
ソファの後ろ、女の両サイドに立つ、サングラスをかけてスーツを着たボディガードらしき屈強な2人の男は微動だにしない。
立ち上がる様子も無いみたいなので、黒サンタと悠真は遠慮無く対面してソファに座った。
「コホン、それじゃあ話を始めましょうか──私はメアリー・ケイン、1年前までクレア=ブラッドフォルランス対策本部に属していました」
薄い胸に手を当てて自慢気な口ぶりで話すが、悠真はさっきの猫舌な瞬間が面白すぎて笑いをこらえるのに必死で話が耳に入って来ない。
「職場を追われた訳では無さそうですが」
「当たり前でしょ、協会本部での出世街道に必須な経歴がクレア=ブラッドフォルランス対策本部と1度でも属する事なのよ、そんな私の首を切るバカ人事じゃないわ」
全然本題に入らないなぁと思いながら紅茶を飲む悠真は、眉をしかめてミルクと砂糖を追加した。
「異動よ異動、クレア=ブラッドフォルランスの死亡理由が判明するまで調査するように、っていうのでここへ」
「ん? ここへ?」
「そう、ここへ」
黒サンタは試しにもう1度確認しようとしたが、金髪少女が放つ青い眼光に恐れを成して理解することにした。
「……僕、何も聞いてないんだけど」
「今聞いたじゃない」
また黒サンタのストレスが溜まっていく。
メアリーはソファの壁に立て掛けていたギターケース(中身がギターとは言っていない)を背負い、ボディガードの2人を引き連れて部屋を出ようとする。
「どちらへ?」
「とりあえず消息を絶った村に行くわ、1週間は帰らないし連絡も緊急時以外こちらからは取らないから、諸々の書類仕事はよろしく」
そう言ってメアリーは本当に出て行ってしまった。
「……うあああ~~~~~~……」
ソファにボスンと座り、頭を両手で掻きむしって叫ぶようにため息をつく黒サンタ。
いくら国立施設とて、他国のしかも総本山から配属するとなると相応の手間がかかる。
特に各地へ提出すべき書類の仕事にはものすごく時間が食われるため、これ以上割に合わない仕事をしたくない黒サンタへの精神的ダメージは大きい。
しかもクレア=ブラッドフォルランスについて、とのことだったので、村の調査が終われば間違いなく悠真と関わる時間が来る。
悠真についての仕事という事は、またしても無償での仕事だ。
笑っていられない。年収5000万はある位置に付きながら、今や300万にも満たない。
基本的に税金や物価の高い東京29区内では本当に金に困り、食費を削って食生活がさらに乱れて太ることは確定だ。
「バイトしようかな……」
「国家公務員なんじゃないの?」
「誰か僕を養ってくれぇ……」
※ ※ ※ ※ ※
仕事があるからと自室に戻っていった黒サンタの足取りは、雪山遭難者が吹雪の中を歩いていくくらいフラフラに思えた。
そんな負のオーラ全開の黒サンタにかける言葉が見つからないまま、せっかく来たのだし他で世話になった人達にお礼を言いに行こうと悠真は廊下を歩く。
右手の異能力は消えた。
誰にも説明不能な力を得ていた右腕は、今やただの高校生の筋肉質な腕だ。
クレアを殺した瞬間に、クレアと同じタイミングで消えた感覚は今でも鮮明に覚えている。
説明出来ない力が説明出来ないまま消えて無くなったせいで、誰に言っても信用されずに結果責任者の黒サンタのストレスが溜まる。
左に宿っている異能力だって力はほんの僅かしか残っておらず、1日の使用制限まで在る始末だ。
文献も何も無い。誰も信じてくれない。異能力を中心とした社会は、嶋内悠真の言葉に耳を傾けない限りは永遠に歯車を元に戻せない。
「あ、エレベーター来た」
無人の下りのエレベーターに乗り込み、カウンセリングでお世話になった心理士の宮木さんが勤める2階を押す。
ドアが閉まり、ガコンと足場が揺れ、震度をほとんど感じさせないなめらかな滑車の動きで一気に2階まで下っていく。
土曜日の今日はそもそも人が平日より少なく、途中の3、4階で止まること無くエレベーターの画面の数字は2で止まった。
そして扉が開いた時、悠真の目が点になる。
それは扉の前でエレベーターを待っていた彼女もまた。
「「はあっ!!??」」
2つの想定外と言わんばかりの声が重なる。
嶋内悠真と玲成水希。
約半日ぶりの再会を果たす。