第0話 急章 魔女狩り
「……もう完璧だな」
「そりゃあな」
力のコントロールの訓練。
力が暴発しない、体中の力の流れをコントロールするイメージを無意識にするまでに毎日続けている。
しかし3年前には既にそこに至っているため、ただの準備運動として繰り返していた。
方法は簡単、クレアの全身を両手で触れるだけだ。
完成された美に限りなく近いと思えるクレアの解き放たれた全身の素肌を、部位に限らず触れる事で感情の抑制も同時に行う。
初めの頃はどうしてもクレアの体の触れた部分が消え、悠真の精神にかなり堪える訓練だった。それでも悠真は何度挫けても諦める事はなかった。
その理由は、ただ1つ。
「あれだけ泣いていたのに、成長したなぁ」
「……出来たらお前が喜んでくれるから、褒められて嬉しいのもあるけど、それよりも……お前が笑ってくれる方が俺も嬉しいから」
悠真にしては珍しく心から思っている事が口からこぼれ、ハッとした瞬間に顔を隠して言葉にならない声を出す。
悠真がそう思ってくれていたことを知っていても、やはり言葉にしてくれた事が嬉しくてクレアはボロボロに泣いた。
「うええぇぇぇええん、悠真が良い子に育ってくれたぁぁああああぁぁ!」
「う、うるせぇな恥ずかしいからやめろ!!」
桜が五分咲きほどの早春、身長はとうに越された少年の成長に胸打たれ、少年は不本意な思春期を謳歌する。
※ ※ ※ ※ ※
「発見しました、001です」
その夜、東京のあるビルの屋上にて、黒い背広を着崩した男は左耳に装着したワイヤレスイヤホンで通話をしていた。
『殺せるんだろうな』
「もちろんです、あの魔女を殺すために我々は存在しているのですから」
『期待している』
通話が切れると、同じ背広を着た男女3人が男の背後に現れた。
「行くぞお前ら、仕事だ」
瞬間、屋上には最初から誰もいなかったかのように4人の男女は消えて無くなり、冷たい春風が吹き抜けるだけだった。
※ ※ ※ ※ ※
「速いな」
クレアが不意に呟いた言葉の意味を問う前に、悠真の目の前に突如眩い光が広がっていき──
──ドッゴォォオオオオオオ!!!!!!
平家を覆うほどに膨れ上がった光が、テレビの特撮でしか見たことの無いようなエネルギー波となって家を破壊する。
抉れた地面は焼け焦げ、平家はおろかその奥にある数百メートルの山までもを消し飛ばした。
「何だ!?」
伏せて身を守ろうとした悠真の前に立つクレアは、バリアを右手から発動させて自身と悠真をエネルギー波から守り抜く。
「いずれ来るとは思っていたが、あと1日待てなかったのか──〝魔女狩り〟」
「こちとらその1日が来ることを信用してないもんで」
〝魔女狩り〟。
クレア=ブラッドフォルランスという存在が最悪の魔女として認知された時期、異能力者だけで結成された、クレアを殺すためだけに存在する組織。
異能力者で形成された組織の中では最古の歴史を持ち、数百年に渡ってクレアを追い続けてきた。
クレアはことあるごとに命を狙ってくる〝魔女狩り〟を軽く捻り潰し続けていたが、年月を重ねるごとに強力になってきたため、悠真以外でクレアを殺す可能性を持つ存在となっている。
Iウイルス蔓延以降はなりを潜めていたが、近い内に再び現れる事を知っていたクレアは難無く奇襲に対応した。
「つえああッ!!」
クレアの目測りで150センチほどの女は、自身の身長を超える槍をクレアに対して振り抜く。
ガッ!! と音はするものの手応えは皆無であり、案の定その場にクレアはおらず槍は地面を斬り裂く。
「はああッ!!」
背後に回ったクレアに対して、軸足を踏み込み半回転して槍を薙ぐが、槍の刀身を掴んだクレアは女を睨み付ける。
「私に接近戦で勝ちたいなら、とりあえず音速程度は超えないと」
ガギン! と槍の刀身を握り潰したクレアだが、女の無力化には至れず、あっさりと槍を手放した女は右拳を握り締めて果敢に攻める。
「……おぉ」
クレアとの距離数センチのところで女と男が入れ替わり、エネルギーを集めていつでも発射出来る状態の右手をゼロ距離でクレアにかざした。
「死ねぇええッ!!!!」
ドッバァァアアアッッ!!!!!! と発射されたエネルギー波は、一瞬でクレアの上半身を吹き飛ばす。
足を震わせて立ちすくむ悠真は、そんなクレアを目の当たりにしても動じない。
たかだか上半身が消し飛んだところで死ぬような女ではない。そんなことを考えている間にも一張羅のドレスと共に再生を始めていた。
(今だ!!)
するとエネルギー波を放った男と通話をしていた男の位置が瞬時に入れ替わり、男は左手でドレスの裾を掴む。
「っ!?」
クレアは嫌な気配を察知し、ドレスを捨てて生身のみで瞬間移動をして悠真の前に立つ。その頃には再生は終わっていた。
「……やはり一筋縄ではいかないか」
「いやいや良い連携だね、過去最大にヤバかった……けど……お遊びはここまでだ」
ドオオォォォオオッッ!!! と強大な衝撃波が突如4人の男女に襲いかかる。
しかし耐える。
クレアの経験上、この時点で大概の者達は肉片になるか遥か上空に飛んでいくかだったが、この4人は片腕を顔の前に出して防ぎ止めていた。
「次」
立て続けにクレアは足元から地面を凍り付けて、津波のように〝魔女狩り〟に氷結が向かっていく。
4人は跳んでかわすが、スケートリンクのように氷結させていった地面から突然、突き上げるような氷塊が無数に迫って来た。
だがこれも4人は、空中でありながら異能力を使うこと無くかわしていく。
「ちっ、ならば」
クレアが左手をグッと握り、そして開いた瞬間、世界の時は止まった。
この世界でただ1人だけ動く事が許されたクレアは、リーダー格と思われる背広を着崩した男に向かって光速に限りなく近い速度の蹴りを叩き込む。
当てる直前に時は動き出し、光速に近い速度の蹴りは男の側頭部に直撃した。
「がふぁっ!!」
「クレア!!」
悠真に名前を呼ばれた魔女は何事かと振り向いたその時、クレアの感情は急速に高ぶった。
槍使いだった女が手に持つ拳銃の銃口が、悠真の左側頭部に突き付けられていたのだ。
「動いたら撃つ」
地面に着地したクレアは1歩も動けなくなり、そしてそのスキにエネルギー波を撃つ男がクレアのうなじに謎の注射を打つ。
「っく……あ……」
瞬間、これまで味わった事の無いような脱力感に襲われ、クレアはうつぶせに倒れてしまった。
男はクレアに手錠と足枷を取り付け、右手で首を掴んで地面に押さえつけた。
「……くそ……」
「お前の長所は、異能力を400近く使える事だが……弱点はそれらを同時に使えない事だ」
これまで目立った動きを見せなかったメガネをかけた男はクレアの前に現れ、目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「そしてお前は弱味を自ら作った……孤独なお前では絶対に作れなかったであろう好機を、お前自身が呼び込んだ」
〝魔女狩り〟が言う弱味とは、悠真だ。
クレアが何故悠真と生活を始めたのかを男達は知らないが、間違いなく利用すれば勝利出来ると計画し、実行してみせた。
(……弱味……俺はあいつにとっての……弱味……お荷物でしか無い……のか……)
普通ではまず経験出来ない悲劇を経験した。この世で1番強い者から知識を得た。忌々しい力をこれも自分だと信じられた。
それでも悠真は、動けなかった。
実戦経験というモノが圧倒的に欠けている。状況に応じての判断が出来ない。だからクレアの戦闘で加勢出来なかった。
どこまでも無力なのだと、大切な人を助けられずに枷になるだなんて何て情けないのだと、悠真は心の中で嘆く。
奥底から湧き上がる悔しさに歯を食いしばり、握り締めた両拳をどうすることも出来ず、クレアから目を逸らしてしまう。
「──弱味な訳が無い」
「ほう、ならばお荷物と言い直すべきか?」
「喚くな豚野郎」
クレアの言葉に虫唾が走ったメガネ男は、感情を剥き出しにしてクレアの顔に蹴りを入れる。
「……悠真は私の弱味じゃない……恩人なんだ……どうしようも無くわがままな私を……慕ってくれて……救ってくれた……恩人なんだ」
喋り続けるクレアに何度も何度も蹴りを入れるメガネ男だが、クレアはそんなことに屈する事無く言葉を放ち続ける。
他の誰でもない、悠真にだけ。
「私の道を邪魔する奴は……誰であろうと許さない……だがそれ以上に……悠真を侮辱する事は絶対に許さない!!!」
声は、届いた。
どれだけ傷付いて、どれだけ背負って、どれだけ生きてきて、どれだけ何かを欲してきて。
最悪の魔女として君臨し続けたクレアは、自身の命よりも大切な存在と再び目を合わせる。
1度逸れた程度では切れない絆を、悠真はようやく身に染みて感じられた。だからこその涙に止める術は無かった。
「──悠真は……私の誇りだ!!!!」
バキィッ!!
何をも恐れず踏み出した勇気の1歩が、何のために自分は何をするべきかを自覚した覚悟の拳が、銃口を突き付けていた女の顔面に放たれた。
「あぐ……」
そして女は、10年前の父母のように、身に着けているモノだけを残してこの世から消え去った。
「なっ……んだと……」
クレアの蹴りで気を失っていたリーダー格の男が目にしたのは、どこの世界でも見たことの無い同胞の殺され方。
守られるだけの少年は、この世界で1番大切な人の恩人として、誇りとして立ち上がる。
パキンと、左手の薬指にはめられた指輪が砕け散った。
「お前ら全員、俺が1人残さずぶっ飛ばす!!」