第0話 序章 少年と少女は出会う
世界は、理不尽で満ちている。
「お、おと……お父さん……」
そう、何もかもが理不尽で満ちている。
「お……母さ……あ……ああああ……」
全てが理不尽で満ちていて、そして──
「お前を迎えに来た、悠真」
──時々隙間から、幸せが顔を出す。
※ ※ ※ ※ ※
「おはよう」
「……うん」
今まで少年は、その女の朝一番の挨拶をちゃんと返せたことが無い。照れ臭いのか、信用していないのか、そんなはっきりとした答えは気にした事が無い。
嶋内 悠真──17歳の誕生日の朝を迎えた彼は、いつも通りの空き家でゆっくり起き上がる。
西暦2079年、世界が荒廃してから59年が経ち、地球上に暮らす人類は億を切っていた。
原因不明のウイルスがアメリカのニューヨークから発現し、瞬く間に世界中へと蔓延した。あまりにも速い感染速度と発症すれば24時間以内に死ぬという高い致死性で、あらゆる国の機能は停止、誰にも手が打てないまま世界は荒廃した。
そのインターネットのような拡散力から〝Iウイルス〟と称され、正式名称が忘れ去られる程に人類を死滅させてしまう。
そのウイルスは僅か2ヶ月で自然消滅、生き残った人類は各地で結束し、各々が復興のために動き出していた。
そのウイルスにより消滅した元過疎化村の、どこの誰とも分からない家屋で、日本人らしい黒髪黒眼の悠真は10年近く住んでいた。
ある不老不死の女と共に──
※ ※ ※ ※ ※
約10年前、東京のとあるマンションの24階に暮らしていた悠真は、その夜突然、両親を失った。
学校で同級生と喧嘩になり、入院が必要なほどの大怪我を負わせたと教師から聞いた両親は、1人息子から話を聞こうと質問攻めにするが、悠真の返答に両親は落胆した。
「そんな大怪我じゃなかった!! 確かに殴ったけど、アイツは口を切っただけで入院するような怪我じゃなかった!! 絶対にそうだ!!」
この期に及んで、そんな訳の分からない言い訳が通用する訳が無い。
悠真は紛れもない事実だけを叫び散らしたが、両親はそれを信じるどころか、ちゃんと反省していないと怒鳴りつける。
そもそも悠真が同級生を殴った理由は、その同級生が同じクラスの別の奴をいじめていたからだ。最初から助けようと話しかけてはいたが、いじめられていた奴が放っておいてと言ってきたため手が出せなかった。
しかし我慢の限界だった。彼の嫌いな虫を食べさせようとしてゲラゲラ笑う同級生の態度にいても立ってもいられず、正面から顔面を右拳で殴った。
見たところ同級生は口を切って口元に血が滲んでいたが、ただそれだけだ、入院するような怪我では絶対に無かった。
そこから先はいじめられていた奴を連れて学校から出て、一緒に帰ろうかと言うと「余計な事すんなよ!!」とキレられ、どこかへ走っていった。
この少年の父親は、いじめていた同級生の父親の上司であり、十分な証拠を押さえて父親に言い付け、ざまあみろと見下したかったらしい。
稚拙な計画を台無しにされた少年は、ただただ守られた弱者というレッテルを貼られたと思い、怒り狂ったのだ。
そんな都合を知る由も無い悠真は、正しい事をしたつもりだったのに違ったことを引きずってふて腐れていた。まさにその時に同級生が入院したと両親に言われた。
あの程度の傷で入院なんてあり得ない、あの後階段からずっこけて落ちたのを自分のせいだとでも偽ったに違いない。
そしてこの両親は自分の話を全然聞いてくれない、虚言だと思われている事実をどれだけ言ったところで、両親が望む言葉を言わない限り怒鳴ることをやめないのだろう。
そんな理不尽があるか。
少しでも信じようとは思ってくれないのか。
ただ目の前で傷付いていた彼を助けたかっただけなのに、何故自分ばかりがこうも傷付かなくてはならないのか。
「……いいから……話を……聞けよぉぉおおおッ!!!」
人生で初めて、自分の事を産んでくれた母の顔を殴った。人生で初めて、自分の事を大事に育ててくれている父の顔を殴った。世界で1番愛すべき親の顔を殴った。
ゴッ! と鈍い音が響き、悠真の右手はジリジリと痛む。
「な……何すんだ悠……」
血相を変えて自身の頬を叩こうと右手の平を振りかぶる父が、殴りつける直前に動きが止まる。
まるでUFOでも見つけたように硬直しながら目を見開き、実の子に殴られた鼻に触れた。
──鼻血が止まらない。
それだけじゃない、鼻から顔全体へ、顔全体から上半身全体へ、上半身全体から下半身全体へ、やがて全身にゾワゾワゾワゾワッ!! と痛みが走る。
「あ……ぁう……」
瞬間、父の肉体が世界から抹消された。
「……は……」
何が起こったのか分からない。
たださっきまで目の前にいた父が消えて無くなり、着ていたスーツやワイシャツ、ズボンやベルトや下着や靴下が、抜け殻のように床に落ちる。
「お、おと……お父さん……」
パニックになりかける、それ以上の言葉が出ない、出せない、出したくない。
これは夢だと思い現実逃避をして何とか自我を保ち、そしてようやく母の方を振り向ける。やっと安心出来る。殴った事を謝って仲を戻そう。この際入院したアイツに謝ったっていい。とにかく今はその温もりが欲しくて、だから──
「お……母さ……あ……ああああ」
いない。
いてほしいところに、いなくてはならないところに、いない。
抜け殻のように床に落ちていた上着にシャツ、ジーパンに下着に靴下、父と同じように忽然と姿を消した。
刹那、プツリと頭の中の何かが切れ、7歳の少年は地獄を嘆く。
「ああああああああああ!!!!!! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
部屋中に響き渡る哀しき慟哭が木霊する。
何も分からないまま、何もかもが消えて無くなってしまった。
死──普段面白半分で何気なく使っていたその言葉、その重さを知った。
ガクンと、心の奥にある何かが決定的に崩れ、堕ちていく感覚に全身が苛まれた。
「見つけた」
誰も理解出来ない、説明のしようが無い現状を全て把握していたかのような笑み。
ふくらはぎまで伸びた黄金の長髪は、深紅のリボンでツーサイドアップに結ばれている。
そのリボンと同じくらいに深い紅の瞳は、絶望に嘆き慟哭する7歳の少年から視線を逸らさず、心の内までを見透かしているように、その先の未来すらも見透かしているかのように正鵠を射る。
夜よりも深い漆黒のドレス姿で、それ以外にはどこにも着衣しておらず、裸足でベランダに舞い降りた。
「かわいそうに、無知とは教育のなっていない親だな」
カーテンは閉めていなかったが、窓は間違いなく閉めていた。
まずマンションの24階のベランダにふわりと蝶のように舞い降りた事からおかしいのだが、悠真はその様子を見ていないので驚けなかった。
だがそれ以上にあり得ない出来事が、2度と絶える事の無いと思われた慟哭を止める。
──窓をすり抜けて、部屋の中に女は入ってきた。
ただ歩いてガラスをすり抜けた。そうとしか言いようが無い。
信じてきた世界が180度覆された悠真は、死が目の前に現れた恐怖と、未知という漠然とした恐怖に襲われて声が出ない。
体も動かない。開いた口が閉じない。まなじりに浮かんだ涙だけが頬を伝う。
女は歩み寄る。頭が真っ白になった少年へと、1歩1歩不敵な笑みを浮かべながら近づく。
踏みしめる度に少しギシッと鳴るフローリング、揺れる豊満な胸の谷間に黒い手袋が挟まっている、顔つきは女子高生と言っても誰も疑わない若々しさがある。
「私はクレア=ブラッドフォルランス、59年前に人類を滅ぼし損ねた不老不死の魔女だ」
自己紹介だって耳に入って来ない、今は何もかもが夢だと思いたい。
それを分かった上で女──クレアは真っ白な歯を光らせて悠真の右手を左手で取り、甘くとろけそうな声音で囁いた。
「お前を迎えに来た、悠真」
リーンリーンリーンリーン
母が好んで使っていた、スマホの呼び出しBGMだ。
クレアは悠真から手と視線を離し、姿だけが失われた悠真の母のスマホを手に取り、病院からの電話に勝手に出る。
「はい……そうですか……はい」
最低限の言葉を並べた後、クレアの方からブツンと一方的に切った。
そして再び悠真の顔を振り向き、未だ話など聞けるような精神状態では無い悠真に、それでも言葉を伝えた。
「お前の同級生、消えて無くなったそうだ」
世界は理不尽で満ちている。
そう、何もかもが理不尽で満ちている。
全てが理不尽で満ちていて、それで──
──時々隙間から、幸せが顔を出すとは限らない。
クレアが悠真に触れた左手の指は、消えて無くなっていた。
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