暑さを取るか、透けるをとるか
「うーん……」
半袖になったセーラー服を着て鏡の前に立ちながら、明日夏は首をひねっていた。
明日から六月である。
女子にされたのは五月の連休明け。ずいぶん経っている気がするけれど、実際はまだ一ヶ月も経っていないのだ。
そのことを考えると気が遠くなるけれど、今は目の前のこと。
六月と言ったら、そう衣替えの季節である。
今までのセーラー服が半袖になり、上に着ていたカーディガンを脱がなくてはならない。別にそのままでもいいのかもしれないけれど、どのみち暑苦しいし。セーラー服自体も半袖になっただけじゃなく、心なしか生地も薄くなった気がする。
それはそれで涼しそうで良いんだけど、だがそうすると……
家でそれを試着しながら、明日夏は彩芽に聞いてみた。
「ねぇ、彩芽。これって、ブラ透けてないかな?」
「大丈夫。ちゃんと透けてるよ」
「そっか、良かっ……って、ぜんぜん大丈夫じゃないっ!」
「お兄ちゃんって、意外とそういうの気にするよねぇ」
彩芽が呆れた様子で言う。
女歴が長いせいか、彩芽はたまにこうやって悟りきっている面がある。
「彩芽は共学で、周りに同じような女子がいるから大丈夫かもしれないけれど、男子校の男どもの中に一人放り込まれるぼくの身になって考えてほしい」
「そんなに気になるなら、体操着かTシャツでも、下に着込めばいいじゃない」
「うーっ。真夏でそれだと暑そうだなぁ」
「だったら、キャミソールでも着とけば?」
「まぁ透けブラになるよりましかなぁ……。それにして男子に比べてこれって、不公平じゃない?」
「それは諦めなさい」
彩芽にきっぱりと言われて、明日夏は天を仰いだ。女の先輩の言葉は絶対だ。
なんで男のときは上半身裸でも平気なのに、女子は二枚どころか三枚も身につけないといけないのか。
そんな明日夏の様子を見て、女子の苦労を思い知ったかとばかりに彩芽が笑って付け加える。
「夏は夏で大変だけど。逆に冬は、スカートで生足だからね。覚悟しておいてね」
「うげぇっ」
「ま、どうしても寒いって言うのなら、スカートの下にジャージを着込んでおくっていう手もあるけれどね」
彩芽が笑って言う。
まだ冬の寒さに直面していないけれど、スカート姿で登下校しているので、そういう格好をしている女子の気持ちが、明日夏にも理解できた。
ーーとはいえ。
「うーん。でもあれって、端から見ると萎えるから、やりたくないなぁ」
「……そーいうところは、まだ男子なんだね」
彩芽の言葉に、明日夏は力強くうなずいた。
そう、まだ男子なのだ。だからこそ、透けブラは厳禁なのだ。
☆☆☆
「ブラが……す、透けていないっ、……だと」
「へへん。残念でしたっ」
そして六月初日の学校にて。
男子たちも半袖のワイシャツに替わって、一気に明るくなった校内で、予想通り明日夏の透けブラを期待していた男どもが、明日夏の背中を見て驚愕の声を上げていた。
対策はばっちりである。
だが崩れ落ちる男どもを尻目に、一樹が明日夏に尋ねる。
「ひとつ聞きたいんだが、制服の下に着込んでいるのはキャミソールだよな?」
「うん。そうだよ」
明日夏がしてやったりといった感じで答える。
だがそれを聞いた一樹は、なぜかぐっっと拳を握って満面の笑みを浮かべた。
「なるほど。つまり下着だな」
「え?」
「そもそもキャミソールとは下着。ブラも下着。つまりこれは、透けブラと同義と考えても間違いないはずだ!」
「うぉおぉぉぉっっ!」
「さすが、一樹。すげぇぜぃっ」
「えっ、ええぇぇっ。ちょ、ちょっとっ」
明日夏は慌てて両手を背中に伸ばした。
せっかくの防御が急に恥ずかしくなってきた。
そんな明日夏に、とどめを刺すかのように、英治が何気なく告げた。
「どうでもいいですが、体育の体操着から、ちょいちょいブラが透けていましたよ」
「ーーえぇっ」
明日夏はショックで固まった。
すでに男どもの視姦に遭っていたとは、想像もしていなかった。普通は気づきそうなのにそれに気づかない、安定の明日夏クオリティである。
「まぁ、明日夏君が女子として学校生活を送っているのは、男子校の生徒たちに女子の刺激を慣れさせるためですからね。透けブラも披露してもらった方が、学校的には良いかと思いますよ」
「ううっ……」
明日夏はうなだれた。
「まぁ私としても、透けブラしてもらった方が有り難いのですが」
「えっ。英治も?」
明日夏は驚いて聞き返した。
英治は明日夏の身体には無関心だと思っていたのに。
そんな明日夏の疑問を感じ取ったのか、英治が補足を加えた。
「ええ。別に子供っぽい透けブラが見たいわけではありませんが、その方が好都合なんですよ、色々と。どうです? 少し試してみませんか」
英治はそう言うと、悪巧みを仲間に打ち明ける悪代官のような笑みを浮かべた。
☆☆☆
涼しさや楽を追求するか、恥ずかしさを選ぶか。
結局明日夏は、前者を選んだ。
英治に言われたからというよりは、単純に暑苦しいのはやだだったからである。
暑さは慣れなくても、恥ずかしさは慣れる。
こうやって女子は成長していくのだなと、明日夏はしみじみと思った。
そんな衣替えの出来事から一週間後。
明日夏は生徒会室に呼ばれていた。
中で待っていたのは英治。その机の前には、学校近くのケーキ屋で買ったと思われる洋菓子が置かれていた。
「どうぞ。生徒会の奢りです」
「ええっ、いいの?」
明日夏は目を丸くした。甘いものは女の子になる前から好物なのだ。
「はい。元々計上していた予算が、丸々浮いたおかげで、生徒会にもかなりのお金が入ったので、せっかくだから使ってしまいましょう」
「へー。予算って、何の?」
さっそくシュークリームにかじり付きながら、明日夏は何気なく聞き返す。
そんな明日夏に、英治はさらりと答えた。
「各教室へのクーラー設置の話ですよ」
「えっ?」
中途半端に古い武西高校では、建物内全ての部屋にクーラーが設置されているわけではない。生徒たちが普段使用している教室も、クーラーのない部屋の一つだ。
もっとも昨年の夏、生徒や授業を行う教師からも不平不満が続出し、昨今の熱中症対策もかねて、今年こそはクーラーが配備されると聞いていたが。
「それが撤回となりましてね」
「えーっ。なんで、どうして?」
「明日夏君のおかげですよ」
「……ぼくの?」
きょとんとする明日夏。少し間をおいて、その理由が思い当たった。
「まさかそれって、透け……」
「ええ。そうです。多数の生徒たちだけではなく、一部の教師からも意見が出ましてね。とりあえず先送りになりました」
「ううっ……馬鹿ばっかりだ……」
明日夏はうなだれた。
涼しい格好をしていたら、逆に暑いままになってしまった。
何という皮肉だろうか。
「そもそも、そんな単純に決めちゃっていいの?」
来年度の新入生から、男女問わず、冷房がなくて暑いというクレームは入らないのだろうか。
「まぁそのときはそのときでしょう。その声で工事することになっても、翌々年は私たちは卒業していますので関係ありませんので」
英治はすがすがしいほどしれっと言い切った。
ちなみに生徒会室は冷房完備なので涼しい。
「まぁ、そうだねー」
どのみちすぐに改善されないのなら、素直に買収されておいてもいいだろう。
明日夏は深く考えず、三個目のシュークリームに手を伸ばした。




