episode84
陛下は最初の十数分程度滞在し、アルバート殿下の肩を叩いてから茶会の場を後にした。
その後はいつも通りの茶会だ。ひとつ普段と異なるのは、殿下が私の正面に座っていること。
そのため、いつにも増して彼と視線が合う気がする。返答を求められることも多くて、曖昧に笑ってお茶を濁すばかり。
(やっぱりアルバート殿下の近くに座るのは今後も避けよう)
何となく居心地が悪い。会話を繋げることはできるけれど、当たり障りない程度でそれ以上の会話はできない。他の人が話される方が場が盛り上がっている気がする。
なのに私が彼に近い場所に座っているというのが、どうしようもなく違和感が残る。
時間が過ぎ、ようやくお開きの時間となった。さっさと退出しようと腰を浮かす。
「待ってくれ」
「?」
「アリリエット公爵令嬢は残ってくれないか」
「……かしこまりました」
不意にアルバート殿下から声をかけられ、浮かしていた腰を下ろす。他の皆さんは不思議そうにしつつも、軽く会釈して貴賓室を退出していった。
(……置いていかないでほしかった)
私だけを残す理由は一体なんだろうか。話しかけられても曖昧な態度だったことが彼の気に触ったのだろうか。であれば謝罪するのだけれど。
「…………今日は端の席ではなかったのだな」
全く想像していなかった言葉に私は目を瞬かせる。どういう意図なのか理解が追いつかず、肩透かしを食らった気分だった。
「ええ、陛下にこちらの席を勧められまして」
「珍しいこともあるものだと思ったが、父上だったのか」
アルバート殿下はわずかに頷き、けれどそれっきり言葉が続かない。
彼は何かを言いかけて口を閉ざす。私は何を言われるのか不安で不安で仕方がなく、飲みかけの紅茶に手を伸ばす。
喉を潤しつつ彼の言葉を待っていたのだが、中々話を切り出さない。
(もしかして私がいつもと違う席だったことが気になって呼び止めたのかしら? であれば殿下の用件も終わった?)
「あの、座席の件のみでしたら退出してもよろしいでしょうか」
「いや、呼び止めた理由は他にある」
「他とは」
「──レイル湖を訪れる件だ」
そういえば来週だった。
「その反応、また忘れていたとかではあるまいな」
「そ、そんなことありません」
明らかに今思い出しました──みたいな反応を見せてしまった。眉間に皺を寄せるアルバート殿下に、冷や汗が背中を伝う。
正直なところ、前回同様忘れていたに片足を突っ込んでいた。日程については早々に調整がついたが、それ以外の仔細についてはあれから音沙汰が無く、新学期で忙しかったのも相まって頭の隅の隅に追いやられていたのだった。
(お忙しい身で日程を調整した上、候補者側が提案した場所に対してプランを考えなければならない殿下には申し訳ないけれど、私にとって殿下と過ごす一日は優先度が低い……)
殿下と二人きり。しかも一日中、誰にも邪魔されることなく独り占めだ。皇后を目指す他の婚約者候補にとっては、これ程殿下との距離を縮めるうってつけの機会はない。
そのために、色々と準備に時間を費やすだろう。
対して婚約者の座なんて不必要な私は可もなく不可もなく、粗相がないように一日を過ごす日だ。準備と言っても、出かける身支度を整える程度。事前に何か動くことはない。
そもそもレイル湖については義務感から来る提案だとしても、アルバート殿下と過ごせる一日が、誘っていただけたことが、泣きたくなるほど嬉しかった前世の私が、かなり細かいところまで調べ尽くしている。なので軽くおさらいしてもいいのだが、基本は覚えているのでまあ必要ないだろう。
「…………君は本当に」
彼の唇が動く。微かにその天色の──沈んだような瞳が揺れていた。
「殿下?」
どうしてそのような表情をするのか。どのようなことを感じているのか、見たこともない彼で私も戸惑う。
けれどもすぐに隠してしまった。
「観光地ということもあって、レイル湖の周りには色んなものがあるようだ。行ってみたいところはあるか?」
「殿下が良ければ小舟には乗ってみたいです」
前世は生憎の強風で、大型船ではないただの小舟では転覆する可能性があるからと乗れなかったのだ。
「かまわない。一番の見どころだと聞いている。それ以外では?」
「全てお任せします。殿下の望むままに」
小舟に乗りたいという提案を受け入れていただいたのだ。それだけで十分である。
(前回はあまりの強風に、湖の周りの散策を断念して湖畔での昼食だけに留めたのだわ)
数少ない殿下とのお出かけで、過去の私は短い時間でも彼と共にいられたことが嬉しかった。
思えば、あの頃は幸せだった。殿下を慕って、ただひたすら皇后になる努力をするだけでよかったのだから。
今はもう、傷だらけの記憶ばかり全面に出てきて、何も残っていない。胸に抱き温めていた恋情は、枯れ果てて散ってしまった。
「……本当に私に任せていいのか」
「はい」
「わかった。では、当日は屋敷に迎えに行く」
「えっ」
思わず声が裏返る。聞き間違いだろうか?
「すみません。殿下自ら、私を迎えに来てくださるのですか」
「ああ、その通りだが」
アルバート殿下の瞳は凪いでいる。静謐な眼差しに、こちらは酷く動揺してしまう。
(どうして、そんなことを? 婚約者の時も一度としてなかったのに)
ありがたいが、彼の負担になるだけだ。婚約者だった時期でさえ、殿下は省ける余分な時間を私のために割くことを好まなかった。だからこそ理解が追いつかない。義務とはいえ結び付きがあった前世でそれなのだから、避け続けている今世では絶対にありえないのに。
「……皇宮からは遠回りになってしまいます」
「そうではあるが、皇宮から公爵邸までさほど距離がある訳でもない。行先は同じなのだから、あちらで落ち合うよりも最初から共に行動した方が楽だろう」
淡々と告げられた理由は理屈としては通っていて、冷静さを取り戻す。
(一瞬、私に対する気遣いかと……そんなわけないのにね)
知っているアルバート殿下からは想像がつかない提案に、ついに私の頭もおかしくなってしまったらしい。
殿下は合理的に動かれる方だ。私情で判断を変える人ではない。今回も単に落ち合う際に想定される煩わしさよりも、迎えに行く負担が軽いだけ。
なのに馬鹿な考えが脳裏をよぎった己の愚かさに居た堪れない。
(──本当にありえない)
ぎゅっとテーブルの下でドレスの裾を握る。
「承知しました。当日の朝にお待ちしております」
そう答えるとアルバート殿下は軽く頷いて、彼との話も終わったのだった。




