episode83
学園に通うのも五年目となると勝手知ったるもの。授業の難易度が上がって予習と復習は大変だが、それ以外の面では落ち着いた学園生活がゆるりと続く。
基本お昼はエレン様達と共に。時々そこにセシルやルートヴィヒ様が加わることもある。あとは月に1回ほど婚約者候補者全員で昼食会だったり、午後の授業後にティータイムを開いたり。
比較的穏やかな日々が過ぎ去っていくとはいえ、新学期が始まって三週間ほどが経過した週末。今日は以前から決まっていた、定例の婚約者候補とアルバート殿下とのお茶会だった。
アナベルが手際よく支度を整えてくれるので、私は身を任せていればいい。今日は淡いピンク色のドレスだった。胸元と腕を包むように施された繊細な刺繍によって、上品な装いに仕上がっている。
「これでいいわ。それは戻してちょうだい」
耳飾りと髪飾り以外にも、衣装部屋から宝飾品類を取り出そうとするアナベルを慌てて止める。
「お嬢様、それでは胸元が寂しいですよ」
「いいのよ。これで十分だわ」
「ですが……」
食い下がるアナベルにきっぱりと告げる。
「ドレスの色は譲ったわ。だからここは譲らない」
春の装いに合わせ、明るい色のドレスを……というアナベルの提案を受け入れたのだ。最近は暗めのドレス以外も時々着用していたので、少しずつ明るめの服装にも慣れてきた。
それでも、殿下のいる場所に飾り立てて向かうのは、前世の自分を思い出してあまり良い気分にならない。
(無礼にならない程度でいいの)
そう思っていたが、アナベルの「胸元が寂しい」という言葉にも一理ある。何より、しょんぼりしている彼女が可哀想なので、華美ではない首飾りをひとつ選ぶ。
その後、何故か「絶対に付いていく」と言って聞かないアリアを魔法で拘束し、ルーチェにお目付け役をお願いして皇宮へ向かうことになった。
◇◇◇
今日は天気が曇りで少し肌寒いからか、茶会の場所として案内されたのは宮内に設えられた貴賓室だった。皇宮には同時に応対できるよう複数の部屋が準備されているが、その中でも広めで豪奢な部屋に通される。
(いつもの部屋と異なるわ)
これまでの茶会は、暖かい季節は庭園、寒い季節は室内という割り振りだった。室内といってもこぢんまりとした貴賓室を使用していた。
案内人に礼を述べ、ドアをノックする。
「どうぞ」
低いけれども柔らかでどこか懐かしい。耳慣れたお声。
不意に聞こえたこの場にいるはずのない人物の声に、私は大きく目を見開いた。一瞬、ドアにかけようとした手が止まる。
「失礼します」
ゆっくりとドアを開ける。最初に目に入った長机には向かい合ってフローレンス様とクリスティーナ様が着席している。彼女たちの顔も心做しか強ばっていて、その要因、上座に座っている人物は────
(ルーファス陛下)
陛下と目が合う。アルバート殿下と似ているけれど似ていない。朗らかな柔らかい表情に、ぎゅっと胸が締めつけられる。
今世でも何度か一方的に目にする機会はあった。しかしながら対面については幼少の砌にお父様に連れられて一度ご挨拶に伺った以外は、婚約者候補に選ばれた最初の頃の茶会でお目通りしたきり。
ここ数年は接点もなく、懐かしさから表情を崩せば、陛下からしたら奇妙な娘に映るだろう。溢れそうな感情はそっと蓋をしておかなければ。
一呼吸置いて気持ちを切り替え、ドレスの裾を持って片足を下げる。
「帝国の太陽にお目にかかります。リーティア・アリリエットです」
「そのようにかしこまらず、かけなさい」
「ありがとうございます。失礼いたします」
茶会が何度も開催されるうちに、私たち婚約者候補の中では自然とそれぞれの定位置というものが決まっていた。
私は上座に腰を下ろすアルバート殿下から一番遠い席に座るのが常だったり今回も同じようにドアに近い端の方に座ろうとしたのだけれど。
「そんな端に座らずに。こちらはどうかな」
促されたのは陛下の右隣だ。
「皆が集まるまで話もしたいし、声が届きやすいところに来なさい」
「……かしこまりました」
(……先にお越しになっていたクリスティーナ様達は隣ではないのね)
ぽっかりと空いていたルーファス陛下の左右。陛下の左隣、つまり私の正面は空席で、その隣にクリスティーナ様、私が座る座席の右隣にはフローレンス様が着席されていた。
(…………殿下が座られるのかしら)
いつもなら陛下の座席はアルバート殿下。今日は既に埋まっているので別の座席だと考えると、席順から私の前しかありえない。
そんなことを考えていると、また陛下に話しかけられる。
「皇后ではなく私がここに居て驚いたかな」
こくんと頷く。陛下は他の二人にも顔を向けた。
「成長した貴女方をもう一度見ておきたくてね。無理を言ってアデラインと交代してもらった。邪魔者になってしまうかな」
「そんなことございませんわ。お忙しい陛下が自らお越しくださり、お目にかかれて大変嬉しく存じます」
クリスティーナ様が軽く頭を下げた。
「そう言ってもらえると嬉しい……っ!」
クリスティーナ様へ笑いかけようとした陛下の顔が歪み、軽く咳き込まれた。
「ルーファス陛下っ!」
さぁっと血の気が引く。私は思わず身を乗り出した。
「すまない。少し噎せただけだ。埃でも吸ってしまったかな」
陛下はすぐに姿勢を正し、何事もなかったかのように紅茶の入ったカップを手に取った。その仕草は自然なもので、本当に噎せただけのように見える。
フローレンス様もクリスティーナ様も陛下の説明に納得して安心した様子を見せた。
だからソワソワと落ち着かないのは私だけだ。
ほんの一瞬、ほんの少しだけ、表情が強ばっていたのに気づいてしまった。
(ルーファス陛下は既に体調が優れないのかもしれないわ)
陛下の僅かな変化に気づいたのはきっと私だけだろう。皇宮に出入りする文官となる子息ならまだしも、令嬢となると陛下と顔を合わせるのは、皇家主催の舞踏会に参加したり、国家規模の式典に限られる。
ましてや皇族は常に他者に隙を見せぬよう、常に表情を管理している。体調不良のような重要な事柄が悟られるようなことはまずない。
今世のアルバート殿下でさえ、幼少期には会得済みだ。私が昔、彼の体調不良を見抜いたのも、長年彼に恋焦がれて少しの変化でも見逃さないよう殿下を見つめていたからだ。前世がなかったら、決して気づけなかっただろう。
長年ルーキアという大国の頂点に君臨する陛下であるならば、一層のこと、他者が見抜くのは難しい。
(…………私は陛下のこともよく眺めていたから)
さすが親子と言うべきか。殿下と陛下は似ているところが多数ある。カップの持ち方やパートナーをエスコートする際の癖だとか。そういう部分だけでなく、体調不良の際の僅かな変化も、二人はよく似ている。
今も、紅茶を口に運ぶふりをして陛下は軽く頭を下げる。その間だけ口がきゅっと強く結ばれていて、つーっと額から汗が垂れたような気がした。
(咳き込まれたということは、肺の具合がよろしくないのかしら)
とはいえ咳の症状はありふれたものだ。風邪を引いただけでも咳は出るし、埃っぽい部屋に入れば喉を刺激されることだってある。
(ほら、今もフローレンス様と学園でのアルバート殿下の様子について談笑されている。前世の記憶があるからって勘ぐりすぎなのよ。陛下のご体調ついては侍医が常に細心の注意を払っているはず。見過ごすわけがないもの)
軽率に体調不良だと決めつけるのは早計だ。元気なままでいてくださるのなら、それが一番なのだから。
(夏まではまだ時間もあるし)
きっと思い過ごしだと納得したいのに、小骨が喉に引っかかったような違和感は、私の胸に燻り続けた。
ほどなくしてアイリーン様、キャサリン様、エレン様方も合流される。最後にアルバート殿下が入室し、定例のお茶会が始まった。




