episode81
「──ウィオレス」
アルバート殿下が名を呼ぶと、ウィオレス様は肩で息をしながら入ってきた。
「殿下、お久しぶりです」
胸に手を当て、わざとらしいほど慇懃な礼をするので、アルバート殿下は冷ややかな眼差しを注いでいる。しかし、彼は気にも留めず逆にニコリと笑っている。
「もう少しお待ちいただけますか。身なりを整えたいので」
一体どこに行っていたのだろうか。そう言ったウィオレス様は確かにボロボロだった。
「ああ、待つよ。忙しい君に、急に約束を取り付けたのは私だから」
「では後ほど」
ウィオレス様は扉の先に消えていく。ちらりと見えた景色からして彼の私室だろう。
「やはりお注ぎしましょうか?」
アルバート殿下は不要と言ったが、あのようなボサボサの姿ではウィオレス様が着替えるまで少し時間がかかるだろうし、その後に何か話をするのであれば、飲み物は必要だろう。
「…………お願いしてもいいか?」
「はい」
(ウィオレス様の分も用意しよう)
アルバート殿下に断りを入れてから席を立つ。先程よりも一回り大きいポットを用意して、もう一度紅茶を淹れ直した。
ほわほわと白い湯気が立ち上る。茶葉を取り出したポットには保温魔法をかけておき、ウィオレス様が戻ってきたときにすぐ温かい紅茶を注げるようにしておいた。
アルバート殿下は律儀なもので、二度目の紅茶も口に含むと美味しいと仰ってくれた。
ほんの僅かな間だが、穏やかな時間が流れる。話すことは何も無くて双方ともに無言なのだけれど。
すると今度も口火を切ったのはアルバート殿下だった。
「この場で話す内容でもないが…………君と落ち着いてやり取りする機会もないので聞かせていただこう。リーティア嬢、次はあなたの番だ。どこか訪ねたい場所は考えてあるか」
一瞬、何のことを問われているのか分からなくて軽く首を傾げてしまった。
私の番ということは他にも順番に何かをしたということ。それが殿下に関係するとなれば……
(婚約者候補関連?)
そうなると一つだけ思い浮かぶ。今までは候補者全員での茶会が定期的に開催されていたのだが、ここ最近一人一人、彼と一日過ごす日が取られていた。
その順番がついに私に回ってきたらしい。
「忘れていたのか? 貴女は最後だったから仕方ないが」
呆けた顔をしていたからか、アルバート殿下は少し驚いている。
「……あの、誤解です。忘れていたわけではありません」
慌てて弁明する。彼とどこかに出掛けるなんてあまり自分事に思えず、実感が湧かずに直ぐに出てこなかっただけだ。
人はそれを忘れていたと言うのだろうけれど、さすがにアルバート殿下に面と向かって伝えられるはずがない。普通なら喉から手が出るほど彼と二人きり、ましてや出掛けるなんて天に昇るほどの心地だろうに。
(そっか。私なのか……)
全く回ってこなかったので、途中で途切れたのかな? だとしたら楽だな。とちょっぴり思っていたのは秘密だ。
「アルバート殿下とでしたらどこでも構いませんよ」
「そう言われてもな。場所を決めるのは候補者側だ。私が決めるのは厳禁だと陛下から命を下されている」
おそらく、殿下と出かける上で適切な場所を選べるかという面も見ているのだろう。皇后になるということは皇后としての資質はもちろんのこと、アルバート殿下の伴侶として彼との相性も必要だ。彼の好みを把握しているのか、関係性は良好であるかを把握したい意図があるからこそ、そのような制約がある。
(無難なものは、皇都で昼食をいただいて劇を鑑賞するとか?)
確かクリスティーナ様達はそのようなプランで一日過ごしたとエレン様が話していた。
(全ての候補者と同じ一日を計画して過ごすのも、疲れてしまうわよね)
場所を指定するのは候補者側だが、どのようなプランにするのかは全てアルバート殿下やその臣下の方が決めるのだ。きっと難儀だろう。
しばし思案して一つの案を口にする。
「──でしたらレイル湖はいかがでしょう」
前世の彼はレリーナが現れるまで物静かな人で、今世でも現状は穏やかな人だ。性格はかなり似ているはずだし、紅茶の好みも変わってないことを見ると、好みの面ではほとんど変化がない。
周りからせっつかれての義務的だったが、前世の彼は婚約者との仲を深める目的で湖に連れて行ってくれた。ならば今世の彼も気に入るまではいかなくとも外れにはならず、婚約者候補として及第点には届くだろう。
帝国にはいくつか湖があるが、レイル湖はその中でも皇都の中に存在する湖だ。観光地でもあり、道が整備されているから皇宮からは一時間もあれば着く。ちなみに神殿の敷地内にある湖とは別である。
「レイル湖、か……」
アルバート殿下は静かに呟くと、少し考えるように視線を落とした。
「構わない。では、そのようにしよう。仔細は追って連絡する」
「かしこまりました。よろしくお願いします」
取り決めたところで丁度ウィオレス様が戻ってきた。
ウィオレス様は先ほどとは打って変わり、魔法省所属のローブをきちんと羽織り、髪も整えていた。もともと整った容姿ではあるが、やはり身なりを整えるだけで印象が大きく変わるものだ。
「お待たせしました」
今度は先ほどよりも幾分か真面目な礼をする。とはいえ、やはりどこか軽妙な空気をまとっているのは変わらない。
「ずいぶんと時間がかかったな。魔法で着替えは短縮できないのか?」
アルバート殿下が目を細めると、ウィオレス様は肩を竦めて答えた。
「本日はこれ以上、魔法を使いたくなかったもので」
「…………まあ、いい」
呆れたアルバート殿下が視線を外した。
「ウィオレス様も戻ってきましたし、私はここら辺で失礼します」
ウィオレス様の分の紅茶を注いで机上に置いた私は、二人に軽く頭を下げて退出した。
◇◇◇
失礼しますと頭を下げて退出したリーティアを、アルバートとウィオレスは見送った。足音が遠ざかっていき、その音が聞こえなくなった頃、ウィオレスはアルバートに向き直る。
「彼女と何の話をしたのですか」
「お前には関係ないことだ。……彼女は帰ったのだからその口調はやめてくれ。私的な場でお前に敬語を使われるのはむず痒い」
少しからかい口調のウィオレスに、アルバートは淡々と答える。ひじ掛けに頬杖をつき、立っていたウィオレスを見上げた。
「ではお言葉に甘えようかな」
ウィオレスは軽い足取りで正面のソファに腰を下ろす。
「それと、あれはわざとだろう」
「なんのことやら」
またしても肩をすくめるウィオレスに、アルバートはティーカップの縁を何気なく指でなぞった。
「私が彼女と話ができるよう時間をかけたな」
「……理解しているなら、わざわざあのような質問を投げかけなくとも良いじゃないか」
それには答えず、アルバートは足を組んで睨みつけた。
「あのような気遣いを今後は一切するな。全て余計なお世話だ」
「余計なお世話と言われて……」
「──私よりもそばにいるお前が気づいていないとは言わせないぞ」
ウィオレスの言葉をアルバートは語気を強めて遮る。その瞳はひどく冷えきっていた。が、次の瞬間にはわずかに揺らぐ。
「彼女に避けられているのは知っている。本人が私との接触を持ちたくないと考えているのであればなおのこと、あのような世話焼きは止めろ。お膳立てされるのは不快だ」
「よくお分かりで」
ウィオレスはアルバートの怒りを絶賛買っている最中にも関わらず、飄々とした態度は変えない。リーティアのかけた保温魔法を解除して二杯目を注いでいる。
「関わりをあまり持たずとも、何年付き合いがあると思っているんだ」
アルバートは静かに言い放つ。その声音には僅かに感情の起伏が現れていた。
「そもそも、彼女は最初から私を嫌っている」
その言葉を、ウィオレスは聞き逃せなかった。
「それは違うはずだ。好きの反対は無関心。嫌いだとしたら殿下の好みを完璧に把握するわけがない。そのようなものに労力を割くのは無駄だし、嫌いな人間の好きな物を知ってどうする? 俺なら嫌なものを記憶してしまったと、記憶から抹消する。こんな丁寧にもてなしたりは絶対にしない」
二人の視線は机上に置かれたティーセットに向かう。共に用意されていた茶菓子も、アルバートの好みの物だ。ウィオレスは茶菓子をひとつ手に取った。
「紅茶だけならまだしも、茶菓子まで揃うならそれはまぐれではなく必然だ。何故、把握しているのかは謎だけど」
「…………」
皇族として──未来の皇帝の冠に最も近い皇位継承権を持つ者として、毒殺の危険が常に付きまとうアルバートの食の好みは、家族や側近以外は知りえないのだ。
婚約者候補の一人だとしても、その例外には該当しない。
「彼女には彼女なりの理由がある」
偶然とはいえ、避ける理由の一端を知ってしまったウィオレスはそれっきり口を閉ざす。
「…………初めて会ったその日でさえ、避けられていたのに?」
「緊張していたのでは? 誰しも、初めて皇子殿下に会うとなれば、普段とは異なる態度を取ってしまってもおかしくない。ましてや幼少期となれば尚更だ」
「違う。あれは……」
言いかけて口を噤む。アルバートはカップを揺らしながらぽつりと呟いた。
「──今なら……理由を教えてくれるのか?」
「何か言った?」
どうやら向かいに座ったウィオレスには届かなかったらしい。静かにカップに口をつけたアルバートは、頭を振った。
「ただの戯言だ。それよりも本題に入ろう」
話は終いとばかりにテーブルに置いた茶器がカチャンとよく響いた。




