episode9
「私は宰相のルドルフ・ウィンダーと申します。以後お見知りおきを」
そう言って執務室に先に滞在していた宰相は、私に対して自己紹介をした。
「リーティアです。若輩者ですがどうぞよろしくお願いします」
私も自己紹介をし、カーテシーをする。
すると、宰相はすぐに執務に関しての説明を始める。
「それでは皇妃殿下、これが貴方様の執務です。右手にありますのが皇妃殿下が元々終わらせないといけない書類。左手にありますのが皇后陛下分の書類です。どちらも重要ですが、最初からこの量をこなすのは不可能だと思いますので、先に皇后陛下分のを終わらせていただければ」
彼の説明を聞きながら、書類の方に目を向けるとそこには天井に付きそうなほど高く積まれた紙の山があった。
(こっこれを……私ひとりで一日で捌くの……? どう考えても無理なのだけど)
書類の山を見て絶句している私に気づいたのか宰相は苦笑いをする。
「ははは……お恥ずかしいながら、これまで執務をこなしていたのが陛下だけでして。皇族にしか捌けない書類が溜まってしまったのです。陛下はこれ以外にも皇帝にしかできない書類などもありまして。殿下が才女だと兼ねてから聞いていたのでそれなら殿下にと……」
なるほど私に全てめんどくさい書類を押し付けようと。
結局陛下から冷遇されてる私なら、何をしようが押し付けようが、お咎めなんてないと思っているから押し付けるのだ。ため息が出るのを堪える。
「分かりました。全てを今日中に捌き切ることは出来ない可能性がありますが、最善を尽くします。終わった書類はどうすれば?」
頭が痛くなりそうだが、やるしかない。覚悟を決める。
「えっと……出来れば宰相室まで持ってきていただけると……」
申し訳なさそうに宰相は声を落として言う。
その返答を聞いた私は有り得ないと思った。皇妃とはいえ、仮にも皇族になったのだ。宰相だとしても臣下であるはずなのに私に持ってこいと?
(この量を捌き、挙句の果てには持ってこいなんて舐められたものね……)
私の考えていることを悟らせないように笑顔を顔に貼り付けて了承する。
「分かりました。ルドルフ様も大変ですものね。終わった書類はルドルフ様の執務室に私が持って行きます」
「…………よろしくお願いします。それでは失礼します」
宰相は早口に言って直ぐに執務室から出ていった。
最後の宰相の返答が少し遅れた気がする。もしかして〝私が〟を強調してしまったから……?
そうだとしたら感情を抑え付けられなかったこちらの落ち度だ。だが、そんなことは気にしていても仕方が無いので気にしないことにする。
「さてと。この書類の山を片付けますか……」
机に向かい、少しだけ腕をまくって万年筆をインクに浸したリーティアは、物凄い速さで書類を片付けて行った。
◇◇◇
半分ほど捌いた所だろうか、ふと手を止めると向かいにある机に昼食が置いてあった。
昼食と言っても昨夜と同じく冷たいスープと硬いパン二個である。
お腹はずっと空いている。あの量で足りるわけがないのだ。少しでも足しになればと紅茶を注いでは飲んでいるが気休めにしかならない。
(……生命維持に必要なものはお願いしても我儘と非難されないわよね?)
昨日はダメかと思ったが、やはり厨房に言付けをしよう。質素なものでいいからもう少し量を増やして欲しいと。
黙々と食べ、執務を再開する前に捌いた書類を宰相室に持っていこうと紙の束を纏める。
纏めると結構な厚さになった。まあ紙なので重くはないだろうと抱えて宰相室まで廊下を歩く。
部屋の配置をまだ覚えきれていない私は、あっちに行ったりこっちに行ったりしながらやっとの事で宰相室まで着く。
ドアノブを捻り、中に入ろうとしたら中から話し声が聞こえてきた。
「どうだった? 皇妃殿下は」
どうやら私のことを話しているらしい。ドアノブを捻る手が止まる。
「あぁみんなが言っていた通りだったよ。傲慢で私達のことを下に見ている」
今の声は宰相だ。どうやら私のことを嘲笑っているらしい。せせら笑いが聞こえてくる。心臓がギュッとなり、指先から熱が奪われていく。
「君も大変だな? これから毎日殿下に会うのだろう? 大量の書類を持って行くために」
もう一人の声が聞こえる。誰だろう……? 耳を澄ますが分からない。
「まあそうだが。実は私達の分も混ぜているんだお陰で自分が捌かないといけない書類が減って大助かりだよ」
「君の分も混ぜているのか? 殿下は皇后陛下の分も肩代わりしていたよな? 捌ききれるのか?」
「大丈夫そうだぞ。さっき覗いて見たら半分ほど終わらせていたからな。流石才女と言われる頭脳だ。仕事が早い」
なるほど。だから執務室のドアを閉めたはずなのに少しだけ開いていたのか。
それにしてもあの量はおかしいと思っていたが、まさか宰相やその部下の分まで押し付けられていたとは……ショックだ。
「流石だな。あの量を捌くなんて。だが、陛下に知られたらどうするんだ? 流石に陛下も黙ってないだろう」
〝陛下〟という単語を聞いて心臓が一際大きく飛び跳ねる。
「なぁに。心配はない。だってこれは陛下公認なんだからな! 皇妃殿下は頭だけは使える。だから酷使させろと私たちの前で昨日仰っていたよ」
手紙を読んだのだから分かっていたのに。他の人から知るのはまた、ぐさりと心に刺さった。
抱えていた書類の束を落とし、廊下に書類が舞う。
慌てて拾い集めるが如何せん量が多くて直ぐには集めきれない。
早く、早くしなくては。中にいる人が出てくるかもしれない。焦りが募り、かえって逆に集められない。
ようやく集め終わった瞬間、宰相室のドアが開いた。
(あっ)
中から出てきた人物は驚いたようだ。まさか噂をしていた本人がドアの外にいるなんて。
私は先程の会話のことを素知らぬ振りをして今来たかのように振る舞う。
「……これはこれは皇妃殿下。如何なさったのですか?」
動揺を隠そうとしているが全く隠せていない。まだまだね。と心の中で笑い、宰相と二人で私のことを嘲笑っていた人物を知ることになる。
「こんにちはアルフレッド様。この捌き終わった書類をルドルフ様の元に持ってくるよう言われたのでお持ちしました。彼は中にいらっしゃいますか?」
それは騎士団長のアルフレッド・コルトーだった。彼は陛下の腹心でもあり、側近でもある。確か私のことは良く思ってなかったはずだ。
いつも婚約者だからと陛下に付きまとうめんどくさい女だと言っていたのを聞いたことがある。
「ええ。ルドルフなら中にいますよ」
騎士団長はそう言ってドアを開けて入れるようにした。
それに対してぺこりと軽く頭を下げて中に入る。
「どうもありがとうございます。ルドルフ様、書類を持ってきました。どうぞ」
呆然とこちらを見ている宰相を見ると笑いが込み上げてきそうになった。が、ここで笑ってしまうと聞いていたことがバレてしまう。込み上げてくる笑いを押さえつけて、私は書類を机に置いてそそくさと自分の執務室に戻った。
そして先程のことを忘れようと残っていた書類を猛スピードで捌き、終わった頃には夜の帳はすっかり下りていた。
静まり返った皇宮は、昼間の賑やかだが物々しさがある宮とはうって変わり、静かな孤独さが漂っていた。