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前世と今世の幸せ  作者: 夕香里
彼女の今世
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episode68

 クリス様に連れられて路地裏の怪しげなドアを叩けば、中から男が姿を現す。


「これはこれはアーベル伯爵。今夜もご参加でよろしいですか?」


「ああ」


 すっと招待状を胸元から取りだし、男に渡した。


「ではこちらに」


 ざっと中身を確認し、男は中へ入るよう私たちを促す。気を引き締めてはぐれぬよう繋ぐ手に力を込め、警戒しながら足を踏み入れると何やら酒臭い。


(…………この匂い苦手)


 室内は暗く、明かりが点っていない。まばらに置かれた椅子や机はホコリを被っており、直近で使われた形跡はなく、何なら脚が折れていたり、亀裂が入ってたりする。


 男は魔法を使って奥にある、場にそぐわない重厚な作りの扉を開けた。


「さあどうぞ」


 先には見える限り延々と続く階段。一定間隔でランプが石壁にかけられているが足元は暗く踏み外してしまいそうだった。


「──想定外だな」


「え?」


 ボソッとクリス様が呟いた言葉を拾ってしまい、思わず反応してしまう。


「伯爵、なにか仰いました?」


「あー、以前来た時より会場が地下深くだなと」


 言えば、男は声を潜める。


「近頃監視の目が厳しくてですね。頭が固い魔術師の目を掻い潜るためにこうなりました。アイツらはこんな地下深くだなんて思わないですから」

 

(その魔術師、ここにいますけどね)


「……そうか」


 クリス様の目付きがよりいっそう鋭くなったのは気のせいではないだろう。


「入口はここしかないのか? 万が一、発覚したら封鎖されて終わりじゃないか」


「まさか! 袋のネズミになるのは勘弁です。ご安心ください。逃げ道はほかにもありますので」


「それは安心だな」


 クリス様は含み笑いをしながら相槌を打ち、他にも様々な情報を男から聞き出していた。

 

 階段を下りること十分ほど。ようやく開けた場所に着き、目の前にはこれまた豪勢な造りの扉が待ち構えていた。


 男が開けるとグラスがぶつかり合う音や談笑の声、楽器の奏でる音色が耳に入ってくる。

 

 一瞬酒場かと錯覚してしまう空間だが、正面には舞台があった。


 その上にあるのは今宵、オークションにかける品物となる宝石や精霊達だ。動物の姿をしたものもいるが、やはり目を引くのは身を寄せ合って鳥籠の中で震えている妖精達だろう。


 だが、まだ舞台上に置くものではなかったのか、慌てた様子の人々によって布ですぐ覆われてしまい、舞台外に移動させようとして────


「ルルっ」


 不意に雑音に紛れこんだ声。ぎょっとしてポケットを見ると、ルーチェが頭を出して舞台を凝視していた。慌ててグッと押さえ込む。


 幸い男には聞こえてなかったようで、クリス様と話を続けている。これ幸いに私は後ろを向いてしゃがみ込んだ。


「ルーチェ、出てきちゃダメっ。見つかっちゃうわ」


 着ていた雨風を避けるローブで前を覆い、その中で小声で叱る。すると彼女は項垂れた。


「ごめんなさい。ちらっと覗くだけなら……って」


「気持ちは分かるけど、それで貴方が見られたら元も子もな……」


「──ナターリア様?」


 びくんっと肩が動き、息が止まった。


「何をなさっているのですか」


 振り返ればクリス様と男がこちらを不思議そうに見ているではないか。

 ありえないのに男の視線がポケットの中身を見抜いているように思えて。ゴクリと唾を飲み込んだ。


(よ、よし。昨日の成果を見せる時だわ)


 私は下ろしていた髪を大袈裟なほどカッコつけて後ろに流し立ち上がる。


「靴紐が解けていたので結んだんですの。まったくめんどくさいったら仕方ありませんわ」


 足を前に出し、きっちり結ばれた紐をアピールする。


(ごまかせたかな……)


 こんな大根演技で大丈夫なのだろうか。心臓が口からとび出てしまいそうなほどうるさい。バレてないかヒヤヒヤする。


「そうでしたか。伯爵、いつもの席でよろしいですか」


 男は私の足元を一瞥し、興味を失ったのかクリス様との話に戻る。


「そうだな。ナターリアおいで」


「はいお父様」


 案内された長椅子に腰掛けると、給仕係が現れる。クリス様にはワインを、私には果実を搾ったジュースがテーブルの上に置かれた。


「これはこれは伯爵様ではありませんか。今宵は何をご所望で?」


 ごまをすりにきたのはここまで案内した男よりも小綺麗な男性だった。パリッとのりの効いたシャツに赤いネクタイを結び、上に黒のジャケットを羽織っている。


(ここの支配人かしら)


 そんな印象を抱いていると、クリス様がにこやかに返す。


「久しぶりだなオールポート支配人。他大陸の珍しい宝石があると聞いてね。是非ともそれを手に入れたいと思っている」


 テーブルに置かれていたオークションにかけられる品物の目録をパラパラと眺め、一点で止まる。


「流石伯爵様お目が高い。それは深い海の底に眠っていたビックジュエリーです。我が部下が何年もかけてようやく手に入れた代物ですよ」


「ほお、それは楽しみだ」


 目を眇め、口の端を持ち上げたクリス様は悪役伯爵に成りきっていた。凄い。


 私も足を引っ張らぬよう頑張らなければと気を引き締めた途端、出番はやってくる。


「ナターリア様もやはり宝石でしょうか。それとも────」


 オールポートの視線の先は鳥籠の中の妖精。私は扇を取りだし広げると、軽く扇ぎながら足を組んだ。

 

「そうねぇ、わたくし、今宵も美しくて珍しい妖精が欲しいので、……だわ!」


 危うくいつもの口調になりそうだった。


 ぱっとクリス様を見れば、彼は真顔を貫いていると思いきや、口元がプルプル震えている。絶対笑いそうになっている。


「今宵も上質な物達を集めていますよ。ナターリア様のお眼鏡に適えばよろしいのですが」


「──楽しみにしているわ」


 パチンと扇を閉じて艶やかに笑えば、オールポートは眼鏡の位置を直し、話は終わった。


「先ほどのリーティア嬢、お上手でした」


 オールポートが他の者に挨拶に行った後、こっそり褒めてくれるが、クリス様の口元は未だ震えていて私は恥ずかしくなってしまう。


「……バレてないでしょうか」


「ええ、もっと自信を持ってください。昨日より断然上手くなってます」


 そう言ってクリス様は私の手に巾着を握らせた。


「これは?」


 紐を解いて中身を確認する。出てきたのは金色のインクで魔法陣の描かれた横長の厚紙。


「居場所が分かる物です。対になるのをウィオレスに渡してあります。始まったら彼が貴女を外に連れ出す算段ですので」


 こそりと耳打ちし、「ではそろそろ動きますね」と言い残してクリス様は席を立った。


 聞かされていた計画ではこの後、オークションに皆が熱中し始めた頃合を見計らって出入口を全封鎖し、魔術師様達が転移してくる……らしい。


(上手くいくといいけれど)


 理論上完璧な計画を立案できても、いざ実行してみると大きな問題が発生することはままある。クリス様達はそのようなことも想定して動いているだろうけれども。


 私はマントの内側で指を組んで事がうまく運ぶよう祈った。


 下手に動くと計画の邪魔になってしまうので、これ以降、私はずっと座っているつもりだ。中に入って着席した時点でお役御免だし。


 目の前のテーブルに置かれたジュースは、何か薬物が入っている可能性もあるので手を付けず、オークションの開始をひたすら待つ。


 ようやく始まったオークションでは、多種多様なものがせり落とされていく。


 目玉となる妖精たちは最後の最後で登場する代物らしく、最初らへんは比較的価格の低い──とはいえ、正規ルートでは手に入らないような物達が出品されていた。


 例えば禁止薬物とか毒物、盗品等である。


 これくらいならコネがあれば表でも足が付かず手に入る。なので、周りに漂う雰囲気もそこまで熱くなかった。


 しかし、中盤に差し掛かり、そろそろ終盤も見えてくる頃になると、見たことも無い珍しいものが出品され始め、異様な熱気が辺りを支配し始めていた。


 四方八方から札が上がり、出品された商品の値段がどんどん釣り上がる。皆、どこまで落札額が高くなるのか、誰が落札するのかと、お酒が入ってるのも相俟って騒がしい。


(もうそろそろかな)


 彼らを一網打尽にするには頃合もよさげだ。そう思っていると、肩を叩かれ私は飛び上がった。


「だっ誰!?」


 半ば叫ぶように振り返る。


「おおっと驚かせてしまいました」


「オールポート支配人……」


 心臓を服の上から押さえつけながら名前を呼べば、彼は私の狼狽を気にせず笑顔を浮かべている。


「……何の用でしょう? お父様は席を外しておりますわ」


 この時、口調を忘れなかった私を誰か褒めて欲しい。


「ああ、伯爵ではなく、ナターリア様に用がありまして」


「わたくしに?」


「はい」


 オールポートは頬に手を当てて壁をつくり、声を潜める。


「──オークションにかける妖精を見に行きませんか」


 目を見開く。


「なぜ、そのような提案を?」


 想定外の状況に、表情から困惑を読まれぬよう、咄嗟に扇を広げ顔を隠す。


(……急すぎる)


 何か裏があるとしか思えず、そう簡単には頷けない。顔から何か読み取れないだろうかと、オールポートを凝視するが怖いほど表情は変わらない。


 むしろ私の視線に気づいて笑みを深くしたように見えた。


「いつも懇意にして頂いていますので。今宵の妖精は妖精の中でも特別なのですよ」


(……胸騒ぎがする)


 行くな、と頭の中で警告が鳴り響いているが、今演じているナターリアならばきっとついて行くだろう。


 だって、誰であっても法外な値段で落札する品物はじっくり見極めたいに決まっているから。嗜虐を好む者ならなおさら、好みに合う妖精を選びたいはず。


 それに、妖精達に近づけば彼女たちの状態もこの目で確認できる。ルーチェでさえあんなにもぼろぼろだったのだから、彼女たちも同じくらい怪我を負っているだろう。


「ナターリア様だからご案内するのです」


 揺れる私に、オールポートは畳み掛けてくる。


「……へえ、そう。そんなこと言われてしまったら、行くしかないわね」


(クリス様ごめんなさい)


 心の中でめいいっぱい謝罪して、私は危険を承知で彼の提案に乗ることにした。

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