episode58
(もふもふだ。可愛い)
夜になり、私は寝台の上に置かれた真っ白なうさぎのぬいぐるみと向き合っていた。
数分前、入浴を終えてフォルゼ公爵邸側に用意してもらったネグリジェに着替え、寝る場所となるここ──客室に案内された。
中に入ると人数分の寝台が設置されており、綺麗に整えられたシーツの上にはぬいぐるみが置かれていたのだった。
ぬいぐるみはエレン様から私達へのプレゼントらしい。家族以外の、しかも初めての友人からこのような素晴らしい物をもらえて、私は左胸がぽかぽかするのを感じつつ感謝の言葉を述べた。
ぎゅっとうさぎの手を握ってみる。中に綿が入っているのか弾力があり、遅れて反発が伝わってくる。
赤い宝石を使ったくりくりとした瞳に、焦げ茶の刺繍糸で口が縫われている。ピンッと立った耳を折り曲げると、これまた反発してすぐ元に戻った。
(邸宅にある大きなぬいぐるみとはまた違う手触りね)
私以外の二人も、それぞれ貰ったプレゼントと向き合っている。
私がセシルの頭を撫でるようにうさぎの頭部を撫でていると、エレン様が口を開いた。
「お泊まり会と言えば、恋バナするらしいです! お話ししましょ!!!」
ぴたりとうさぎを撫でる手が止まった私と違い、彼女の話に返答したのはティニア王女だった。
「あら、貴女達はアルバート殿下の婚約者候補でしょう? 殿下の話をするのかしら」
「違いますよ」
「じゃあ、何方の話を? 恋バナって好きな人のことを話すのでしょう?」
うさぎのぬいぐるみを胸に抱きながらきょとんとしている。
「……言っていいのか分からないんですけど、まあ知れ渡っているので教えますね」
エレン様はあっけらかんと言った。
「私、今のところ他に好きな人というか将来を約束した人がいるので、候補者に名を連ねてますが選ばれません」
次期皇后の座を狙っている貴族なら知っていることで、公然の秘密だった。フォルゼ公爵家を立てるために候補者にいるだけで、皇家側も認識している。
それでも一応候補者にいるので、エレン様は慕う人との交流を控えているらしい。とはいえ、相手方は彼女の小さい頃からの知り合いなので、世間一般の認識よりは頻繁に会っているらしいが。
そんな感じなので彼女は全くアルバート殿下に興味が無いのだった。
「では、リーンはどうなのかしら」
ティニア王女はきらきらした瞳をアイリーン様に向ける。
「私ですか?」
「ええ、そうよ」
うーんと頬に手を当ててアイリーン様は答えた。
「殿下は優秀な方です。顔立ちも整っていますし……でも、それだけですね。私もあまり興味無いです」
あっさりとした返答だ。落胆したティニア王女が肩を落とした。
「普通、皇子殿下の婚約者になりたい! ってなるものではないの?」
「尋ねる相手を間違えましたね。キャサリン様に質問すれば、きっとティニの求める答えをくれますよ」
「そうね。機会があれば尋ねてみるわ」
うさぎの耳を弄びながらティニア王女は言う。
「そういえば、リティはあれから少しは関心を持てました?」
アイリーン様から話を振られる。彼女が指すのは恋愛への心の持ちようだろう。入学してすぐに、話題に上がった私の「恋愛に対して冷めている」という件だ。
「分から、ないです。だけど」
こくりとつばを飲み込む。
「前よりは、興味無い……訳でもないかも……?」
この数ヶ月で。エレン様やアイリーン様、それにクラスメイトと生活する中でちょっとだけ。指先の爪の白い部分くらいだけ。
過去のように追い詰められても縋り付く恋ではなくて、対等で、想い合える恋ならば。
誰かをもう一度慕うのも、良いかなって。思えるようになったのだ。
そしてもし、婚約者ができるなら。優しく頭を撫でてくれて、怯えず、たわいもないことを共有できる人がいい。
朝露がたれる紫陽花のきらめきや窓際に現れる小鳥が可愛いとか、そういう日常の小さな思わず笑みがこぼれるような、そんな感じの。
今のところ候補にあがりそうな方はいないが、人生は長い。突然恋に落ちるように、知らぬ間にひょっこり現れるかも。
「ちょっと進歩してますね! なら、婚約者候補として殿下のことは……!?」
「そっそれはないですっ! 絶対に!」
エレン様に食い気味に尋ねられて、首がちぎれそうになるほど横に振る。
殿下は例外だ。ありえない。無理である。
だから、失礼にあたるが全力で否定させてもらう。
「残念です。リティは皇后に向いていそうなのに」
心底そう思っている声色で。チクリと痛む。
「……ありがとうございます。でも、私はきっとそこから一番遠い人ですよ」
かつて皇后になれず、皇妃となって死んだのだから。
「それに、自由に過ごしたいんです。皇后という地位はきっと素晴らしいでしょうが、その代わり様々なものを抱え込み、多忙を極めます」
ティニア王女が同意する。
「私のお母様は王妃だけれど、しなければならないことが多くてとってもお忙しいの。皇后陛下も目が回るほどでしょうね」
エレン様も想像したのか、険しい顔をしている。
「最後はティニですよ。私達全員に聞いておいて、一人だけ話さないのはナシです。ティニには婚約者がいますよね」
〝婚約者〟その単語にティニア王女は反応した。
「そう! いるの! 私の婚約者はとってもとーっても素敵な人よ!」
がっとエレン様の肩を掴む。目がらんらんと輝いていた。
「えっ、これどこまで話していいのかしら」
軽く寝台の上で跳ねながら、私達に確認する。
沢山話したいことがあるが、付き合ってくれるのか否かの確認のようだ。
「思う存分話してください」
エレン様が許可すると堰を切ったように饒舌になる。
「ほんと!? まずね、私が一目惚れして──……」
ティニア王女の婚約者自慢は留まることを知らなくて。いつの間にか夜は更けていった。
◇◇◇
「んっ」
沈んでいた意識が浮上する。
ぼやける視界に映るのは自室ではない天井。ドキリと心臓が跳ねる。
(まさか)
じわりと嫌な汗が浮かび、ガバッと上半身を起こす。
「…………ちが、う。ここは、エレン様の」
強ばっていた身体が弛緩した。
大きく息を吐く。ドクンドクンと音を立てる心臓を宥めるように左胸に手を置き、目を閉じる。
前世の──皇宮の自室なのかと。寝ぼけまなこな瞳は錯覚してしまったのだ。
どさくさに紛れ、表に出てこようとする記憶に蓋する。
(大丈夫。これは二度目よ、一度目の人生ではない)
落ち着いてからゆっくり瞳を開ける。
辺りは寝静まっていた。時計を見ると明け方とはまだ言い難い真夜中に近い時間だ。
どうやら想像以上に熱が入ったティニア王女の話に、途中で寝落ちしてしまったらしい。
皆がひとつの寝台の上で丸くなって寝ている。
(エレン様、落ちそうになってるわ)
片方の足がだらんと寝台からはみ出ていた。起こさないように慎重に寝台から降りて、そっと足を戻してあげる。
「んっうぅ……」
エレン様が身動ぎし、横で寝ていたティニア王女からシーツを奪い取った。
床に落ちていたシーツと私のかけていた物を交換し、ティニア王女の体にかける。
そうして元々割り当てられていた寝台に戻り、とりあえず横になった。
「楽しかったな」
今日はほとんどの時間を笑っていた。そんな経験は初めてだったように思う。
(今度、私の家にも招待しよう)
そう考えたのは最近、お母様が学校生活を頻繁に聞きたがるからだ。こっそり教えてくれたセシルが言うには、私のことが不安らしい。
『お母様はおねえさまが学校で何しているか、特に楽しんでいるのか知りたいのよ。おねえさまって良いことも、悪いことも、あまりお話ししないじゃない?』
ぎゅっと抱きついて。
『わたしももっと知りたいな。おねえさまの口から出てくる方達にもまた会いたいの』
そこで久しく、みんなを自邸に招待していないことに気づいた。入学する前は最低でも数ヶ月に一度、邸宅に招待していたのに。
普段からあまり自分のことを話さないのも相まって、不安にさせてしまったらしい。
(一緒に過ごす姿を見せればお母様は安心出来て、セシルのお願いも叶えられるわ)
きっと今日のように楽しい時間を過ごせるはずだ。
家に帰ったらお父様とお母様に友達を呼んでいいか聞いてみよう。
そう考えて目を閉じると、端の方から意識が溶けていった。




