episode49
私は皇宮の中にある魔法省の塔を訪ねるため、馬車に揺られていた。
ちなみにアリアはお留守番。彼女はとても行きたそうにしていたが、何をしでかすか分からないので魔法で付いてくるのを禁じたのだ。
「どうもー、ご案内しますね」
馬車の扉が開けられ、一番始めに出会ったのはジョシュア様。迎えが待っているとは聞いていたが彼だとは思わず、一瞬固まるとクスリと笑われてしまった。
「あの、アルバート殿下の護衛は?」
皇太子が突然襲撃されるようなことはありえないが、側近兼護衛が抜けてしまっていいのだろうか。
「ご心配なく。今日の任務はアリリエット公爵令嬢を、筆頭魔術師様の所までご案内することなので」
胸に手を当てて一度会釈したジョシュア様は、馬車から降りる私に手を差し出した。
右手を乗せれば、軽く握られる。それを支えにしながら石畳に足を着けた。
少し色褪せ錆び付いた銀の門を抜け、世間話をしながら数分歩くと塔の入口が見えてくる。
今から入る塔は関係者以外立ち入りを制限されている。皇族であっても魔法省側の許可がなければ入ることは叶わない。
そうは言っても帝国の最高権力者は皇家なので、強制的に立ち入る権限はあるにはある。しかし、それを行使するとなれば魔法省との信頼が損なわれてしまうことから使われることはない。よって、魔法省は帝国の行政府の中でも特殊な位置付けにある。
当たり前だが前世では魔法という概念は存在しなかった。なので私が魔法省管轄の塔に入るのは初めてのこと。滅多に中に入るのは叶わないため、昨日は緊張で夜遅くまで眠れなかった。
「先に言いますが、中を見て驚かないでくださいね。忙しくて手が回ってないだけですから!」
真剣な顔をしたジョシュア様はそう前置きをして重そうな扉を開ける。ギィッと蝶番が軋む音がした。
中は外観から想像する面積よりも明らかに広かった。
中央にある螺旋階段を囲むように本棚が最上階まで置かれ、書籍が痛むのを防ぐために差し込む日光を最小限に抑えているのか仄暗い。
目を引くのは辺りに散らばった書類の数々だ。中には踏まれたのか、靴の足跡がついているものもある。
どうやら端の方まで同じような状態である。一番綺麗に見えるのは、今いる入口の前だけ。
「あの、掃除は……」
何も見なかったことにするのが正解なのだろうけれど、尋ねてしまった。
「しようと皆、思うんですよ。けれど、この空間だけは置かれている歴史的書物の保護のため、魔法の使用が禁止されているのです。なので人力が必要で……」
(だけど人手が足りないから掃除をする暇がないのね)
バタバタと一切の躊躇も見せずに書類を踏み、あちらこちらに走っていく魔術師様達。その度に床にある書類が擦れ合う。
粗雑な扱われ方に勝手に心配してしまうが、大丈夫……なのだろう。
「さあさあ、こんな汚い場所にいる必要は無いです。他のところは比較的綺麗ですから。一旦別の場所に移動しましょう」
ジョシュア様は一番近くにあった扉を開ける。くぐり抜けるとそこは上から光が降り注ぐ明るい温室だった。ふかふかそうな土壌には本の中でしか見たことがない薬草が植わっている。
「ここは薬草園兼研究室ですね。魔法薬の調合や新薬の開発とかをする場所です」
木のテーブルに置かれたガラス瓶。中には新緑を思わせる色の液体がこぽこぽと音を立て沸騰していた。隣では何かの種を秤で量っている。
「あの方達も魔術師様で?」
テーブルを挟んだ向かい側に、白い白衣を着た人達がいる。魔術師様達が白衣を着ているなんて珍しい。
「あれは宮廷の医師や薬師の方達です。魔術師は基本的に黒いローブを着るのがここの規則なので。着ていない者は全員外部の所属です」
「へぇ……ってあの、ウィザ様の所へは……」
感心している場合ではない。ここに来た目的は筆頭魔術師様に会うことなのだ。
「急がなくても大丈夫ですが……では鍵をお貸しください」
「か……ぎ?」
そんなものは持っていない。一応ポケットの中を探るがハンカチしか手に触れない。
「おかしいですね。筆頭魔術師様は公爵令嬢に渡したから大丈夫だと」
(ウィザ様から渡された物って……)
──まさか。
〝自分の所まで来るのに必要〟と言われたのを今の今まですっかり忘れていた。
閃いた私は首から下げていたあれを鎖ごとジョシュア様に見せる。
「これのことで?」
鈍く光る指輪はあの日、手紙と共に受け取った物だ。
「そう、それです! 公爵令嬢に渡されたのは指輪だったのですね。てっきりいつものように鍵を模した物だと思い込んでました」
貸して下さいと頼まれたので、ジョシュア様の手に指輪を載せた。彼は中指にはめて呪文を唱える。すると指輪が光を放ち始め、ジョシュア様は近くの扉を先程と同じように一度、ノックしてからドアノブに手をかけた。
「初めての方は酔ってしまうので、ダメそうなら教えてください。遠回りになりますが、指輪があれば違う行き方もありますから」
酔う? 何にだろう。
「分かりました」
よく分からないままこくりと頷く。
先程までの扉は繋がっている部屋の様子が見えたが、目の前にある扉の奥は漆黒の闇。
眩しいほどの輝きを放っていた指輪も今は闇に呑まれている。
「では通りますね」
そう言ってジョシュア様は闇の中に足を踏み入れたので私もそれに続く。すると扉の向こう側に足を着けた途端、地面がぐにゃりと曲がるような錯覚に陥り、ひっと悲鳴をあげそうになった。
思わず手を繋いでいたジョシュア様の腕に縋り付く。
「大丈夫ですよ、そのまま着いてきてください。怖がらないで」
そうはいっても、中々踏み出せない。泥濘に足を取られたかのような感触に、背筋に悪寒が走る。
勇気を出してもう一歩踏み出せばまた、足元と視界が歪む。
(これが酔うってこと?)
確かに気持ち悪く……なるかもしれない。
「──ごめんなさい。早く行かないといけないのに」
慣れない足場に悪戦苦闘している私は、手を引いてくれるジョシュア様に対して申し訳なくなってきた。
「お構いなく。ここを通る者は魔術師でも、一般の方でも、魔力の波長上最初はこうなるのです。徐々に慣れてきますから。私が初めて通った時よりも早いですしね」
気にしないで下さいと言ってくださるが、待たせているのはジョシュア様だけではない。あのウィザ様も待たせてしまっているのだ。心苦しい。
(この、ぐにゃりとなるのが無くなればいいのだけれど)
視覚と触覚。どちらからも歪みを感じとってしまう。片方だけでも無くなれば、少しは歩きやすくなるのだろうか。
「ジョシュア様、私、目を瞑ってもいいですか? そうすれば歩きやすくなる気がします……」
思いついたことを口にすれば、彼は直ぐに了承してくれた。
「構いませんよ。では、先導しますね」
「ありがとうございます」
ジョシュア様が歩き始めたので私は目を瞑り、一歩進む。
(うん、さっきよりマシ。足だけなら立ち止まらずに歩けそう)
調子が出てきたのか、はたまたこの感触に慣れてきたのか、ペースを上げて進むことが出来た。
「お疲れ様です。着きましたよ」
言われて瞼を開けると、目の前には金に縁取られた木の扉。作られてから相当の年月が過ぎているのだろう。色褪せ湿気を吸って膨張している。
ジョシュア様は一回、二回、とノックする。すると扉がひとりでに開く。
「中に筆頭魔術師様はいらっしゃいますので」
囁くように耳打ちされ、先に入るよう促される。足を踏み入れれば部屋の中は独特な、だけど落ち着く匂いがした。
いきなり明るい場所に来たので目が慣れない。眩しさに目を細めつつ、数回瞬きをする。
「──よく来たね。待っていたよ」
突然、少し奥に初老の男性が現れた。黒いローブを纏い、長い艶やかな銀の髪をひとつに結んだその人は私に近づいてくる。
「こんにちはリーティア嬢」
それはお父様よりも低いが威圧さは感じない、小川のせせらぎのような穏やかな声だった。
挨拶を忘れて男性に魅入っていた私は慌ててスカートの裾を摘んで礼をする。
「こ、こんにちは。お初にお目にかかります。アリリエット公爵家のリーティア・アリリエットと申します。ウィザさ──あ、いえ、筆頭魔術師様に本日はお会い出来てとても光栄です」
「ウィザでいいよ。筆頭魔術師と呼ばれるのは他の魔術師からで聞き飽きている。そちらの方が新鮮で嬉しい」
さあ、こちらに──と部屋の奥に案内される。最初の部屋にはなかったが、案内された奥の部屋には窓があり、ちょうど鳥が横切った。
どうやら結構高い位置にこの部屋はあるらしい。
「外が気になるかい?」
「はい。これほどの高さから外を見ることは初めてなので」
「私の部屋は塔の最上階にあるからね。職権を思う存分行使して改造した場所だ。それとここのいいところは──」
ウィザ様は窓枠に手をかける。
鍵を外し、大きな窓を開け放てば秋風が室内を駆けていく。ちょっとだけ肌寒い。
「──地上より騒がしくないことだ」
ウィザ様は半分ほど窓を閉め、再び正面に立った。彼とは身長差があるので私が見上げる形になる。
「ああ、これは首が疲れてしまう。よくないね」
そう言ったヴィザ様は私の身長に合わせて屈み、シワの寄った手を目の前に出した。
「改めて、我が塔へようこそ。リーティア・アリリエット嬢」




