episode46
避けてと言われても身体が動かない。恐怖から咄嗟に目を瞑り、頭を腕で覆うと、魔力が抜けていく感覚があった。
(痛く……ない?)
おそるおそる瞳を開ければ目の前に同じ年頃の令嬢がいる。その距離の近さに驚き、へたり込んだ。
「何これ」
可憐な声に反応してよく見れば、彼女と私の間に魔法陣が私を守るように発動していて、彼女の落下を真上で止めていた。
「貴女の魔法ですか?」
座り込みながら尋ねる。
「まさか、私には使えないもの」
そう言った彼女は空中に浮いていて、首を横に傾けながらにっこりと笑った。少しだけ威圧を感じる。
「この魔法、解除してくれませんか? 降りられないわ」
「言われてもどうやって解除するのか知らなくて……」
空から落ちて来た割に、彼女はとても落ち着いている。どうしてそんなに冷静でいられるのだろうか。自分は訳が分からなくて混乱しているのに。
「知らないで魔法を?」
「はい」
そもそも魔法を使った覚えがなかった。けれど魔力が抜けていく感覚と、彼女が自分は使っていないと言うのだから、私なのだろう。
「陣に触れて、消えてと言えば解除できるはず」
促されて陣に触れる。そして深呼吸をした。
「──消えて」
はっきりと口にすれば光の粒子となって空中に溶けていった。代わりに魔法を失ったことで落下が始まった彼女は、下に弱い風を起こして速度を弛め、綺麗に着地した。
無駄のない所作に思わず拍手する。
「ありがとう。留学早々大勢の前で失敗するところだったわ。魔法で失態を晒すなんて恥でしかないのに」
手を取られてお礼を言われる。そこでようやく私は彼女の正体に気がつくことになる。
蒼の瞳に亜麻色の髪、これは──
(前世で会ったことがあるわ。あの時はもう少し後だったけれど、面影がある)
「ティニア・アクティリオン王女殿下……?」
心の中で呟いたつもりが口に出ていたらしい。王女殿下の目が見開かれる。顔を寄せられ、まじまじと見つめられた。
「私のこと知っていらしたの?」
「……昔、一度だけお会いしたことがありましたので」
透き通った蒼の瞳は全てを見透かしているようで……後ろめたくなって目線をずらす。
「私は覚えがないけれど」
「ほんの少しだけだったので記憶に残らなくてもおかしくありません」
逆にあったら恐ろしい。
「ま、いいわ。貴女の名前を教えてちょうだい」
「リーティア・アリリエットと申します。お会いできて光栄です」
一度カーテシーをする。
「そんな畏まらないで。ここに来たからには私も一般生徒よ。普通に接して」
「はい」
頷くが、そう簡単にできることでは無い。ルーキアにとって彼女は要人なのだ。
「ところで王女殿下」
「──ティニア」
「え?」
「ティニアでいいわよ。王女殿下って言われるとむずむずするの」
ひらひらと手を振りながらティニア王女は言う。
「わ、分かりました。ではティニア様と」
流石に呼び捨てにはできない。敬称を付けるとティニア王女は眉間に皺を寄せた。
「…………様も慣れてきたら外して」
「善処します」
「では、リーティアのクラスは?」
「──アクィラですが」
それがどうかしたのだろうか。
「ああ、じゃあ知っているはずね。ルーイがいる場所を教えて欲しいの」
確かその愛称でクラスにいるのは……
「ルートヴィヒ様のことで?」
「黒髪なら多分合ってる。あの人の名前、ルートヴィヒだったっけ……その名前で呼ばないから忘れてしまうわ」
ティニア王女はパッパッとドレスについたホコリを払いながら、校舎の方へ歩き出す。
「ルートヴィヒ様と交流があるのですか?」
何度か王女殿下の話題で会話したことがあったが、彼にそんな素振りはなかった。むしろ興味が無さげだったのに。
「ルーイがアクティリオンに滞在していた時はほぼ毎日一緒に居たわ。ただ、令嬢達が好きそうなことは何も無い。だから噂のネタにならないわよ」
そう言ってティニア王女は手を大きく行く手に向かって振った。見れば、早足に向かってくるルートヴィヒ様の姿があった。
「お付の者は……なぜ正面から来ないでこちらにいるのですか!」
珍しく彼が怒っている。というかどうしてここにいるのだろうか。まるで示し合わせたかのような登場に驚いてしまう。
「みんな馬車の中。転移魔法でルーイの前に現れようとしたのだけれど、座標間違えてしまって」
「つまり、ルーキア内には来ているのですね。早く馬車に戻ってください。そもそも一学期に来る予定だったのでは?」
「道中少しやらかしたら、お父様に戻ってこいと言われて……」
ルートヴィヒ様はため息をついた。
「自業自得なので早く戻れ。他の人にバレたら大騒ぎになる」
口調が荒くなっている。けれどティニア王女には全く効いていないらしく、耳から耳へ聞き流していた。
「はいはい。ではまた近いうちに会いましょう。私、リーティアのこと気に入ったわ」
にこやかに笑ったと思ったら、次の瞬間には彼女の姿が消えていた。
残された私とルートヴィヒ様の間には気まずい空気が流れそうになったが、そうなる前に彼は口を開いた。
「王女に何もされてないかい?」
「ええ、特には」
「特に、以外になにかあった?」
揚げ足を取る勢いで尋ねられる。
「王女殿下が真上から落ちてきて……それよりもルートヴィヒ様とティニア王女は交流があるのですね」
落ちてきたことを素直に話そうとしたらみるみるうちに眉間に皺を寄せたので、慌てて話題を方向転換させる。
だか、私が口にしたことも王女殿下関連で、寄った皺は直らなかった。
「ああ、腐れ縁みたいなものだよ。あの人と関わらない選択肢、自分の立場からして無いんだ」
ダーティアン公爵は外交官で、国々を飛び回っている。外交官は他国の王族と直に交渉する時もある。爵位を継いだらルートヴィヒ様も同じ道だから、そのことを指しているのだろうか。
再び大きくため息をついたルートヴィヒ様は、午前の授業が終わるから戻ろうと言い、私達は歩き始める。
「あ、ルートヴィヒ様はどれくらいスヴァータを見つけました?」
「ぼちぼちかな。ラトルは途中で飽きてしまったのかどこかに行ってしまったし」
ルートヴィヒ様はローブのポケットに両手を突っ込みながら苦笑した。
「リーティア嬢はどうだい? あくまで私の想像だけど、君は得意そうだ」
「私、と言うよりもアリアのおかげです。彼女のおかげでそこそこ見つけられました」
序盤で寝てしまったというのは彼女の名誉のために内緒にしておいた。それを悟ったのか分からないが、彼はチラリと膨らみのあるポケットを一瞥し、クスッと笑ったのだった。
校舎まであと少しのところで、木の下にいるエレン様と出会った。彼女は私を見つけると駆け寄ってきたので、ルートヴィヒ様と一旦別れる。
「リーティア様はスヴァータ見つけられました?」
「沢山見つけましたよ。ほら」
小物入れを取り出し、口を開けた。
「うわぁ! どうしたらこんなに見つけられるのですか? 私は全っ然見つけられなくて」
エレン様が手に乗せたのは葉の形をしたスヴァータ。薄い緑色は若葉を連想させる。
「このままでは最下位になってしまう……」
「──何個かあげます。私、一番を狙うつもりないので」
悲しそうにするエレン様をどうにかしたいと思い、小物入れに手を突っ込み、掴んだスヴァータを彼女の手に押し込めた。
「それに……ほら、ここにもありますよ」
先程から眩しかった果実を木からもぎ取った。その途端、果実──スヴァータの重みが増す。
「な、なんで!? 私にはさっぱり違いが分からないのですが!」
エレン様はまだ木に実っている果実と私が持っているスヴァータに交互に視線を動かした。
「アリアのおかげでスヴァータだけ光って見えるの」
今見つけた物も押し付ける。
「やっぱり精霊が鍵……なのですね。アーネは私のこと手伝ってくれなくて、なーにも役に立ってません」
そう言ってエレン様は自身のポケットを指す。私が覗き込んでみると、アーネが気持ちよさそうに寝ていた。羽を揺らし、寝言を言っている。
「妖精たちはみんな昼寝が好きなのかしら? アリアもポケットで寝ているの」
寝ているアリアとアーネの様子に面白さは少しもない。なのに何故だか可笑しくて、エレン様と声を上げて笑い始める。すると午前の授業終了のベルが鳴った。
教室に戻ると既にヘレナ先生が教壇の前にある椅子に座っていた。
「お疲れ様でした。小物入れにスヴァータを入れ、外側に氏名を書いて前に提出して下さい。結果発表は午後の授業の最初にします」
先生からペンを借りて名前を書く。そして提出すれば、待っていてくれたアイリーン様と合流してカフェテリアに移動する。
「──おいしい匂いがする」
食べ物には目ざといアリアが匂いにつられて目を覚ました。ひょっこりと頭だけを外に出し、キョロキョロと辺りを窺う。
「おはよう。お昼よ」
頭を撫でれば、はっとして、アリアは焦り始めた。
「おっ、終わっちゃった?」
「宝探しは終了したわ」
ガーンッと見ていて面白いくらいに表情が青ざめる。
「リーリー、あのね、魔法を使ってそのまま寝るつもりはなくて、手伝うつもりだったの」
「うん」
何も言ってないのに、悪い事をした後のようにしどろもどろに弁明するアリア。取り敢えず言い分を聞いてみようと思った。食べようとしていたサンドイッチをお皿に置いて、水を飲む。
「サボるつもり、なかったよ。なかったんだけど、日光気持ちいいし、何だか眠くて格闘しているうちについ」
(即行寝ていたとは言わないでおこう)
一分に満たない間に彼女は夢の中に落ちていた。格闘する時間はなかったはずだ。
「何とも思ってないから大丈夫よ。はい、これでも食べて」
クッキーを半分に割ってアリアの手に載せた。私自身も一枚口に運ぶ。
「リーリー、これおいしい」
もぐもぐと咀嚼して、口の中に何も無くなったアリアは感想を伝えてくれる。眠そうだった瞳もぱっちりと開いている。
「よかった。約束通り私も作るけれど、ここにあるのも食べていいわよ」
寝ても、寝ていなくても、彼女の魔法のおかげでスヴァータを見つけられた。そのお礼として昼食と一緒にお菓子を注文したのだ。
それにアリアのお菓子を食べている様子が好きで、見たかったのもある。
「ほんとに!? わー! ありがとう」
瞳を輝かせたアリアは満面の笑みでお菓子を手に取ったのだった。




