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前世と今世の幸せ  作者: 夕香里
彼女の今世
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episode43

「今回の茶会は長くなってしまったわね……解散にしましょう。来月、()()()が入らずに会えることを楽しみにしているわ」


(皇后陛下……さらりと毒を吐いた? 邪魔者ってエルニカ猊下のことよね? そんなぞんざいに扱っていいのかしら)


 喉元までせり上がってきて危うく言ってしまうところだった。お二人は噂で知己だと聞いたことがあるので、プライベートでは意外と気楽な関係なのかもしれない。でなければ邪魔者などと口が裂けても言えないだろう。


 どちらにせよ、私達の前で感情をあらわにした皇后陛下は珍しかった。普段は全て隠し通すのに……。それほど、突然の訪問は堪えたのだろうか。


「ではこのあとも所用がございますのでお先に失礼致しますね」


 一番最初に退席したのはフローレンス様だった。扉の前でこちらを向き、頭を下げて去っていく。後に続くように他の四人も退席して行った。


「リーティア嬢は帰らないのか?」


 いつもならそそくさと帰っていく私が、最後の一人になっているのが珍しいのか、アルバート殿下に奇妙そうに声をかけられる。


「……帰りますが。私は殿下に用事がありまして」


 対面するのは久方ぶりだ。今日は来る前に話すことを想定し、心を落ち着かせてきていたから普通に接することが出来る。


「わたしに?」


「はい。貴方様にです」


 バスケットを開けて、糊付けされたハンカチとお礼を一言書いたメッセージカードを取り出す。


「ずっとお借りしていて申し訳ございませんでした。お返しするタイミングを逃し過ぎて、こんなに遅くなってしまったこと、お許しください」


 両手で差し出し、頭を下げる。


「────正直貸したことを忘れていた」


 呟かれた言葉に、ですよね……と思いながらこの状態をキープする。

 数秒ほどで手からハンカチの感触が無くなる。どうやら受け取ってくれたようだ。


「役には立ったか?」


 ポケットにハンカチをしまいながらアルバート殿下は尋ねた。


「えっはい」


「そうか……ならよかった」


 アルバート殿下の表情が緩んだ。雰囲気が優しくなる。なんだか変な気分だ。私は彼の穏やかな表情をあまり……見たことがないし、これからも見ることはないだろうから。


「ではこれで失礼致しますね。また学校でお会いしましょう」


 よし、用事は済んだ。もう帰ってもいいだろう。バスケットを持って退出しようと踵をかえす。


「あっ」


 その声に振り返る。


「まだ何か……?」

 

「足は……もう大丈夫なのか」


「はい。元通りです。普通に歩けますし、走れます」


 走ることは滅多にないので分からないが、医師からは完全に骨がくっついたと聞いているので大丈夫なはずだ。


「後遺症は残ってないんだな」


 足元にアルバート殿下は目を向ける。彼が私を心配しているなんて奇妙に感じる。


「何も残っておりません」


 たわいもない会話だ。よかった。普通に話ができている。


 少しは私もトラウマを克服し、前に進めているだろうか。


「ん? リーティア嬢、君、リボンが──」


 何かに気がついたようで、不意に私に向かってアルバート殿下の手が伸びて来る。


 それを見て体が強ばった。頭が真っ白になった。


 ──叩かれる。


 皇室に嫁いでから彼が私に触る時は、ほとんど暴力関連だった。特に髪の毛を引っ張って、頬を平手で叩くのだ。それは時としてアザになるほど。その記憶と痛みは私の中に克明に刻み込まれていた。


 怖い。痛い。暴力は嫌だ。伸ばしてこないで。伸びてこないで。触ら……ないでっ!


 嫌な動悸がする。息が浅くなる。


 幻聴が──聞こえてきそうになる。


「……っ!!! いやっ!」


 前世の記憶が重なって、反射的に手を払い落とした。パシンと乾いた音が響き、髪の毛に伸びていた手が視界から外れる。同時に髪を結わえていたリボンがしゅるりと解け、自由になった髪が揺れた。


 目の前が白銀の髪で見えなくなる。次に襲いかかってくるだろう恐怖に目を瞑ってしまう。


「リーティア様! 大丈夫で────」


 違う人の声が聞こえる。女性ではなくて男性の。おそらくジョシュア様だろう。でも、混乱している私には区別がつかない。今は何をされても恐怖でしかない。


 伸びてくる手が怖い。思わずよろめきながら後ろに後退する。


「やめて、やめて、やめてっ! 触れないでっ! 何もしてこないで! イヤァッ!」


 はち切れんばかりに大声を出した。両手で耳を塞いでしゃがみ込んだ。

 

 ドクドクと全力で走ったあとのように心臓が鼓動を打ち、呼吸が乱れて息が荒くなる。


 しばらくの間その姿勢になっていると段々落ち着いてきて、恐る恐る瞳を開ける。


 最初に見えたのは地面と髪の毛と手からずり落ちたらしいバスケット。


「すっすまない。リボンが解けそうだったから教えようと……」


 彼の手の中には結んでいたリボンがあった。どうやら嘘はついてないらしい。


 顔面蒼白と思われる私と、拒絶されたことに困惑しているらしく、少し挙動不審だ。


「……あっ……申し訳……ございません」


 声を出そうとして、全身が震えていることに気がつく。唇も、足も、手も、全て。


 しくじった。やってしまった。今日こそ何も起こさず、普通に終わらせようと……完璧に取り繕えたと……思ったのに。


 強く唇を噛み締めると血の味がする。


 こんな所でフラッシュバックするなんて。せめて……彼の前以外ならよかったのに。最悪の結果だ。


 ──やはり極力アルバート殿下には関わらない方がいい。何処でボロが出るか分からない。


「いや、急に手を伸ばしてすまなかった。これ……」


 差し出されるのは結んでいたリボン。


「──お捨て下さい」


 思っていたよりも淡々とした口調になった。

 考えるよりも先に口が開いた。

 手は間違っても受け取らないように、皺ができるほどスカートを握りしめていた。


「え」


「……お手間を取らせてしまいますが、そのリボンは捨てて下さい。もう要りません。私は帰りますので」


 無表情で矢継ぎ早に告げる。


 持ち帰った所で今後再び着ける日が来ない自信があった。見るだけできっと気分が悪くなる。自分を情けなく思ってしまう。


 似合うだろうからと見繕ってくれたアナベルには申し訳ないが、風に飛ばされたなどと理由をつけて無くしたことにしよう。そうすれば片方だけのリボンはお蔵入りだ。一生日の目を見ることはない。


 残っていたもう片方のリボンの端を手に取る。そして引っ張れば、いとも簡単に解けた。編み込まれていた髪は、緩くウェーブを描いて私に纏わりつく。


「そうか……ではジョシュア、馬車まで付き添ってあげてくれ」


「不要です。ここまでの道のりは()()知っているので」


 きっと私は婚約者候補者の中で一番庭園に詳しい。


 過去、泣きたくなると訪れていた場所だ。景色は変わっているが、面影や配置はよく覚えている。何処に花が咲いて、どの時間帯に庭師たちが仕事をしているか。彼らの休憩時間は何分か。騎士たちの見回り時間に、ルートまで。全て頭に入っていた。


 まあ今の彼が知っているわけないので、どう取られるかは分からないけれど。ここまで来る際に案内してくれた騎士様も、警備上の問題がなければ要らない。一人でここまで来れる。


 それよりも一刻も早く帰りたかった。帰って記憶から消し去りたい。


「……気分がすぐれぬようだから。途中で倒れたりしたら大変だろう。私では……怯えさせてしまうだけのようだから」


 数拍の間を置いて、アルバート殿下は口を開いた。


「お言葉に甘えさせていただきます。それでは今度こそ失礼致します」


 必要ないと再度言ってもよかったのだが、ここは素直に好意を受け取った方が拗れずに早く帰れる。


 後半の言葉は聞こえなかったふりをして、彼に背中を見せる。扉は既にジョシュア様が開けてくれていて、私が通ってジョシュア様も外に出るとすぐに閉められた。


「リーティア様すみません。かえって混乱させてしまったようで」


 やはりさっきの声はジョシュア様だったようだ。


「ジョシュア様の……せいではありません」


 沈んだ面持ち。ジョシュア様も傷付けてしまっただろうか。


 今回は全て私が悪い。不意打ちとはいえ、正面にいたのだから想定はできたはずだ。分かったはずだ。冷静になれたはずだ。

 それなのに叩き落としてしまった。取り乱してジョシュア様までも拒絶した。反省しないといけないことは山ほどある。


(公爵令嬢として……いや、人としてダメよね)


 彼らは私の置かれていた状況を知らないのだ。何も知らないのに、いきなりあんな反応をされて酷く驚いただろう。


 あとで謝罪の手紙を書かなければ。今度は菓子折りか何かをつけたほうがいいだろうか。


 アルバート殿下は何も言わず、逆に謝ってくださったが、本来であれば公爵家の方に抗議文が送られてきても仕方の無いことだ。お咎めは……なさそうだけど。


(いつも……違う人だと自分に言い聞かせながら、こういう時は同じ人だと思ってしまう)


 手に持ったままだったリボンを意味も無いのに睨みつけてしまう。


 籐のバスケットと日傘を強く握りながら、私はジョシュア様と一言も会話をしないまま馬車に乗り込んだ。


 車内から見える景色は日暮れで、いつもより結構遅い時間。


 気が抜けたのか体の重みが増して、頭が痛くなってきた。


(家に着くまで少し寝よう。疲れた)


 私は御者が起こしてくれるまで、壁にもたれかかりながら、つかの間の浅い眠りに入ったのだった。

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