episode30
「お嬢様、今日はいよいよ学園の始まりですね」
「うん。アナベル、とーっても楽しみよ」
魔力測定から一週間。今日は前世では通ったことがない学園の入学日。本の中では知っているけれど、きっと色々なことがあって楽しいはずだ。昨日は楽しみすぎてベッドに入ってからも中々寝付けなかった。
「お嬢様、リボンは何色に致しましょう?」
「そうね、白色がいいわ」
「お嬢様、リボンの色は花瓶に生けてある百合の花からでしょうか?」
「うん。綺麗で目に止まったから」
寝台に腰かけて髪をとかしてもらっていた私は視線を窓の方へずらす。そこには玻璃で作られた黄色透明の硝子花瓶。太陽の光に当たると、反射して星屑の欠片のように光が散らばる。
そんな美しい花瓶に生けられている真っ白な百合は優艷で儚い印象を与える。
それはお母様が毎日庭で摘んだ花。毎朝私を起こしに部屋まで来る際、アナベルがお母様から受け取って、水を新しくして生けるのだ。
「さあ出来ましたよ。とっても可愛らしいです!」
「ありがとう」
私は寝台から弾みをかけて立ち上がると、くるりとその場で回る。すると、膝より少し上の長さのチェック柄のスカートが空気を含んでふわりと広がり、胸元で交差するチェーンの付いた赤いフード付きローブマントが靡き、白リボンで結われた一つ結びが揺れる。
「お嬢様、いつも着けていらっしゃるブレスレットはどうされました?」
「え? あぁ今日は着けないわその代わりイヤリング着けてるから」
耳を傾けてキラキラと光るイヤリングを見やすいようにアナベルに見せる。
「……お嬢様、そのような物お持ちでした?」
「うっうん。持ってたわよ。大切な物だから盗まれないように皆には内緒にしてたけど」
(めっ目敏い)
勿論これはノルン様とモルス様から賜ったものだから大切な物ではあるけど、それを馬鹿正直に答えるわけにはいけないし、アナベルがイヤリングとブレスレットが同じであることを知る訳もない。
嘘は言っていないけど、何だか後ろめたく感じてしまい、変な汗をかいてしまう。
だがアナベルは納得したようで、何も言わなかった。彼女はそのまま私の鞄を持ち、扉を開ける。
「そうですか。では、階下で旦那様と奥様がお待ちですので行きましょう」
私は笑顔で大きく頷いた。
◇◇◇
「えーと……私は……あった! よかった最上位クラスだわ」
この学園は最初の筆記試験、魔力測定、爵位でクラスが決まる。
クラスは上位クラス、中級クラス、下級クラスとなっている。
爵位と魔力測定の時点で最上位から落ちることはないと思っていたが、やはり自分の名前を見るまでは不安になってしまうもの。ちゃんと最上位クラスに入っていることを確認できて一安心だ。
「リティちゃん自分のクラス見つけた?」
「見つけましたお母様。アクィラでした」
クラス編成が掲示されている場所から人の間を縫ってお母様とお父様の所まで来ると、少し表情が強ばっているお母様が尋ねてきた。
「本当? よかったわ〜これで一安心ね。まぁこんなに立派なリティちゃんがアクィラから落ちるなんてお母様は思ってなかったけど」
ほっと胸を撫で下ろし、柔らかい笑顔を浮かべるお母様。こちらも釣られて笑みがこぼれる。
お父様も満面の笑みで私を優しく撫でてくれた。
「よくやったなリティ。筆記試験の順位、二番みたいだぞ」
「やりました! お父さ……え?」
今、二番って言った? ちょっと待ってどういうことだろうか。
目立ちたくない自分にとって聞き捨てならない事を耳に挟んだ私は目を見開き、筆記試験の順位が書いてある掲示板に目を凝らす。
自身の名前を探すこと僅か一秒。いとも簡単に私は自身の名前を見つけてしまう。
──リーティア・アリリエット、筆記試験第二位。
「なっなんで……!?」
「リティちゃん? どうかしたの?」
唖然とする私に理解できなく、困惑したらしいお母様はお父様と一瞬目を合わせた後、私に尋ねてくる。しかし答えている場合じゃない。
(こんな……高い順位取るつもりなかったのに!!!)
前世の記憶と今世で本を読みふけていた私は筆記試験で問われる基礎知識だけはほぼ暗記していた。
だが、スラスラと埋まる私の解答用紙に対して周りの解答用紙の埋まり方は芳しくなく、わざと所々空白にしておきつつアクィラには入れるくらいで解答用紙を埋めておいたはずだった。
そうまでして点数を落としたかった理由は目立ちたくなかったから。
新入生の中で一番魔力があるはずの私。他のところでも高い順位を取るともっと目立ってしまう。ただでさえ、魔力測定の時に目立っていたのだ。これ以上は勘弁して欲しい。そう思って適度に手を抜いて、筆記試験だけでも平凡な結果にしたはずだったのに。
もしかしてもう少し空欄を増やした方が良かったのかしら? でも、これ以上増やすとどのくらい落ちるのか分からなかったし……。
「リティちゃん。アルバート殿下は筆記試験一位よ。やっぱり殿下は流石ね」
固まっていた私をトントンと優しく叩き、いつの間にか掲示板を見ていたらしいお母様は、アルバート殿下の順位を教えてくれる。
「それは……凄いですね」
私も掲示板を再び見ると、一番上にアルバート殿下の名前が書かれている。
魔力測定の日、私に君は私の婚約者になりたくないのだろう? と尋ねてきたアルバート殿下。聞かれた際は驚いてしまったが、今、私の言動を思い返してみると殿下がそう考えるのは当たり前のことだ。
だって、他の候補者様たちと違ってお茶会の際に自分から殿下に話しかけに行かないし、候補者というのを盾にしてアピールする訳でも、何か行動を起こしている訳でもない。
そりゃあアルバート殿下もこの人は……と不可解に思ってしまうだろう。
正式決定ではないけど、拒否するつもりもないので、私は学園卒業後魔法省に入ることが仮決定している。魔法省に籍を置く魔術師が、皇族との結婚はできない。よって、殿下の婚約者候補からは外れたのと同然の立ち位置。
これからの一番の不安要素は、今のところほぼ無くなったので、学園生活は思う存分楽しませてもらう予定だ。
『新入生の皆様、クラスの確認が終わり次第ホームルーム教室に集合して下さい。保護者の皆様は講堂にてお子様をお待ち下さい。繰り返します──』
アナウンスが校内に響き渡る。
「リティちゃん、行ってらっしゃい」
「リティ行ってきなさい」
「お母様、お父様行ってきます!」
私はローブを翻しながら両親に手を振ると、新入生の集団の中に紛れ込んだ。
「まあリーティア様、御機嫌よう」
新入生によって賑やかな廊下を歩いていると栗色の髪を緩く編み込み、空色のレースリボンで結んだエレン様に声をかけられた。
「エレン様! エレン様も教室に向かう途中ですか?」
「えぇ、リーティア様もですよね? 私もリーティア様とおなじアクィラでした! 一緒に行きましょう!」
「勿論です」
彼女の提案に頷くと端の方を歩き出す。
「ところでリーティア様は噂をご存知ですか?」
あと少しで教室に着くところで突然声を潜めて尋ねられる。声を潜めるということは誰かに聞かれたらあまりいい話ではないと思うけど、エレン様の瞳はキラキラと好奇心に満ち溢れていた。
何か面白いような噂あったかしら? 少しだけ頭の中の記憶を探るが何もエレン様が話しそうな噂は思い浮かばない。
「……存じ上げません。何かあるのですか?」
「えっ知らないのですか?」
目を見開かれても知らないものは知らないのだ。でも、このまま知らないままもモヤモヤする。
「エレン様がよかったら教えて下さいません?」
「いいですよ! 実は────」
◇◇◇
──どうしてこうなったの?
エレン様と噂のことを話しながら教室に入った所までは良かった。問題はそこからで、中に入った途端一斉に人の目がこちらに向いた。憎悪、妬み、羨ましさ、好奇心等など向けられていい気持にはならない感情のオンパレード。
訳が分からないまま、エレン様に引っ張られて座席を確認すると目を疑った。いや、可能性を考えなかった訳では無い。
でも、アとルだ。名前順にするならば、絶対に近い席にはならないと思っていたのが間違いだったらしい。
一瞬本気で失神するかと思ったくらい、視界が白くなった。その原因は………左隣がアルバート殿下だったこと。幸いなことに前にエレン様、その前がアイリーン様の座席だったが、それも焼け石に水程度。
まだこれが真ん中くらいの席だったらまだマシだろう。だが、何と殿下は一番後ろの左端。
(どうして……)
わざとだとしか思えない席順。
誰だこんな席順作った先生は。普通、皇子殿下を端っこの席にするはずがないだろう。そう思っても私には何も出来ないので周りの視線を無視して席に着いた。
『何故アリリエット公爵令嬢がアルバート殿下の隣なのよ!』
誰かの声が聞こえる。そんなこと言うなら是非ともこの席変わって欲しい。こちらを睨んでくるあの令嬢………言ってくれさえすれば喜んで席を代わる。
「リーティア様? 如何なさいました?」
顔色が良くなかったのか、後ろを振り返ったエレン様に心配そうに覗き込まれる。
「えっあぁ何でもないです。ちょっと考え事を……」
「そうですか。それにしても、やはりアクィラは高位貴族しかいませんね」
周りを見渡すと、宰相の息子から騎士団長の息子、他にもこの国の根幹を担っている方々の子息令嬢。
今年は皇族であるアルバート殿下がいるので、殿下はまだかとチラチラ扉の方に視線を送る人が大勢目に付く。
「やはり皆さんアルバート殿下とお近付きになりたいようですね」
机の上に置かれていた予定表等の書類を仕分けながら、エレン様に話しかけると彼女はふふふと笑った。
「リーティア様はアルバート殿下に興味が無さげですね。お茶会の時も端に座るでしょう? お陰で隣に座れてお話ができるので嬉しいですけど」
婚約者候補に居たくないことは彼女には話していない。多分私のお茶会に対する姿勢や普段の態度で大方の察しは付いているだろうけれど。
書類を整えた私はゆっくりと顔を上げてエレン様を見る。
「そうですね。私はエレン様、アイリーン様とお話をする方が楽しいので。別になりたい訳でもありませんし、なりたい方がなればいいと思います」
嘘偽りのない本音だった。
「……リーティア様は恋愛に対して冷めていらっしゃいますね」
悲しげに憐れむような視線を向けられても困る。だって興味ないんだもの。
エレン様には慕う方がいてよくその方の話を聞くけれど、黄色い悲鳴を上げるアイリーン様とエレン様を見ても、自分は心が冷えていて二人のような感情は生まれない。
口には出さないけど結婚なんてしたくないし、婚約者もいらない。恋愛もしない。そんなこと言ったらお父様とお母様が心配するので言わないけど。
「そうですか……? 言われたことないですけど」
とりあえず否定も肯定もしなかった。
「ここ数年お付き合いさせてもらって思いましたけど、リーティア様はそういう類の話になると笑っているようで笑っていませんし、瞳の光が潰えます」
ビシッと私の瞳を指さしたエレン様は行儀悪いと思ったのか、慌てて咳払いしながら手を下ろす。
「とにかく、リーティア様は冷めています! もっと興味を持たなくては! 貴族令嬢は結婚しなければいけないのですよ? するからには御相手の人と良い関係築きたいと思いません? そのためには恋愛系統に対して冷めていてはいけないのです!」
ぐいっと顔を寄せてくるエレン様はいつにも増して積極的だ。思わず体を後ろに反らしてしまう。
「別に私は……」
「エレン様、そこまでにした方がいいですよ。リーティア様が困っていますので」
透き通るような声と鮮やかな紅葉色の髪が視界に入る。
「アイリーン様」
「御機嫌ようリーティア様、エレン様」
彼女は垂れてきた美しい髪を耳にかけながら、口元をほんの少し持ち上げて、微笑んだのだった。




