episode13
皇太后の葬儀が終わり、夏の兆しが出始めた頃にはリーティアの身体は病が全身を蝕み、長時間の執務が不可能になっていた。
彼女は身体の状態を悟られないよう必死に取り繕っていたが、共に度々仕事をすることがある文官達は、薄々皇妃殿下は病にかかっておられるのでは? と思い始めていた。
しかし誰も尋ねるものはいない。尋ねたところで誰も信用していない彼女に、はぐらかされるのは目に見えているからだ。
加えて皇妃殿下は皇帝陛下に冷遇され、いないもの扱いされているのを知っているのに、手を差し伸べるようなことをすれば自分の身が危ない。
いつも自分達を助けてくれる皇妃殿下に恩返しをしたいと思いながらも、出来ないことに葛藤している者は少なくなかった。
たとえリーティアが自分達から嫌われていると思われていても。
リーティアが知らないだけで、彼女は文官達(宰相もとい、皇帝側近以外)からは慕われているのだ。
そう今も自分達の書類の間違いを指摘し、ミスを裏でカバーしてくれている。
「貴方、ここの計算が違うわ。直してね」
「その政策はいいわね。それがちゃんと機能すれば民がもっと暮らしやすい国になるわ! 陛下に進言して見なさい。きっと採用、又は助言してくれる」
「良かったらみなさんこれをどうぞ。疲れを取るハーブティーなの。私もよく飲むから効果は保証するわよスーッとしていて美味しいの」
笑顔で侍女にやらせるのでなく、自ら紅茶を入れてくれる皇妃殿下。ひっそりと文官達の間ではいつの間にか聖母様と囁かれるようになっていた。
◇◇◇
今日も完璧に取り繕えたと思った私は少し早めに自室へ戻る。
何故か文官達から、
「今日は僕達で後の書類はこなせますので、皇妃殿下はお休みになってください!」
「えっ? でもまだこんなにあるのよ? 流石に貴方達だけでやらせるのは……負担が大きいでしょう?」
「………いいえっ! 出来ますっ! やらせてくださいっ!」
と皆が息を巻いて言ってくるのでそれなら……っと戻ることにしたのだ。
リーティアは知らないのだが、病を患わっているらしき皇妃殿下を休ませようとした文官達にとって、無意識の上目遣いと心配気に揺れる美しい瞳で放たれた気遣いの言葉は、やる気を出させるのに充分だった。
なんせ、リーティアは元々美人なのだ。彼女が気づいてないだけで、美人から放たれる言葉の破壊力は凄い。文官達はその後、物凄い速度で書類を捌ききったとかなんだとか。
私は自室へと歩いてる途中で、途中の部屋から話し声が聞こえてきた。恐る恐る近づいてみると、少しだけドアが開いている。
「何とまあ不用心な。重要な会議の場とかだったらどうするのかしら?」
ここは謁見の間でも、重要な会議をする場でもなく、普通の部屋だが扉が開いているのはよろしくない。親切心から音を立てないように慎重に閉めようとした時だった。
「あーあリティは遊んでくれないし、つまんなーい。それにあの子は私の言うとおりに動いてくれないし、優しくしてる意味が無いじゃない。私は聖女なのに……」
頬を膨らませ、隣にいる男性に話し掛けている女性はレリーナだ。
「まあまあリーナ。アイツはどうでもいいじゃないか。どうしたのだ? そんな不機嫌になって」
声を聞いた瞬間一緒にいる人物が分かり、顔から血の気が引いていく。
(陛下……だわ……早くこの場を辞さないとまた……)
嫌な予感がする。
「だって……あの子家族になったのに全然会ってくれないんだもの。私毎日暇なのよ? する事と言っても読書しかないし飽きちゃうわ」
「我慢してくれリーナ。そなたは今あまり動き回っては行けないんだ。安静にしててくれ」
優しくリーナを気遣う言葉。私には永遠にかけてくれる日は来ないだろう。
「分かってるわ。だって新しい家族がここにいるのだもの。私この子の為ならなんだってするわ。だってアルとの子だもの」
そう言って慈しむように優しくお腹に手を当てる彼女。
(あぁそうか。お腹に────子供がいるのね)
心にひびが入る音がした。それは徐々に確実にポキリポキリと音を立てながら折れていく。
(レリーナは私のことをそんな風に思っていたなんて)
私は会いに行かなかったのではない。行けなかったのだ。
宰相、皇后の仕事、そして自分の仕事。全て一人でこなしていたから。それを知らずに……陛下も教えずに……私はサボっていると……?
彼女は聖女という冠があり、悠々自適に暮らしているのに? 何もかも私から奪い、面倒事は押し付けて? サボっているのは貴女の方じゃないか。
またしても私の心を黒いもやが包む。
「ふふふ。この子が生まれたらリティにはこの子の教育係をしてもらうのはどう? あの子、頭がいいのでしょう?」
「そうだな。それがいい。アイツは頭だけは使えるから」
「頭がいいはずなのに、どうして私に媚びを売ってこないのかしら? 他の人は私と仲良くしようとしてくるのに。ねえなんでリティと婚約してたの? 他にも器量が良くて心優しい令嬢ならいーっぱいいたのでは?」
「そうだな。なんで婚約してたか分からないよ。リーナみたいに美しくもない、愛嬌もない。今更だが皇妃じゃなくて婚約解消にすれば良かったな」
クスクスと笑い声が聞こえる。
この瞬間私は壊れた。いや、壊されたのだ。私の中の何かが音を立てて崩れていく。
衝動的に思いっきりバンッッッとドアを閉め、ふらつきながらも全速力で走り出す。
教育係? そんなもの拒否する。そもそも私がやる仕事ではない。
取り柄がない? 頭しか使えない? 愛嬌がない?
何とでも言え。
もういい。自分の仕事を放棄してやるわ。そんなに言うなら私は何もやらない。
してきたことが全否定されたようで苦しい。辛い。
(我慢しても、しても、追い打ちをかけてくる今世なんかいらない!)
部屋に戻りポケットから薔薇の栞を出す。不安になった時のお守りだった栞。
こんな物、もう必要ない。
ビリビリに引き裂いてゴミ箱に投げ捨てるが、入らなかった切れ端が宙を舞う。
そこまでして怒りよりも悲しみと笑いが込み上げてきて、涙が頬を伝う。
何故……何故ここまでされないといけないのだろう。私は何かしたのだろうか。今世ではなかったら前世で極悪人だったのだろうか。
分からない。もう嫌だ。
気が付くと笑っていた。自分は何をしてきたのだろうかと。私が必死に国のために執務を他の人の何十倍もこなし、体調が優れなくても頑張っているのに、誰も私のことを見てくれない。心配もしてくれない。
おまけには蹴られ、陰で悪口を言われ嘲笑われる。自分は生きてて価値があるのだろうかと。そう思ってしまったらもうダメだった。生きる希望が私の中には何も無い。
(女神様、ううん私の中に巣食う病──お願いだから死に誘って。地獄でも天国でもいい。ここよりはきっといい所だから)
「ゴホッゴホッ……」
咳が止まらなくなる。
ぽたぽたと口から溢れた血が床を汚していき、真っ赤なシミが徐々にドレスの色を変えていく。
それと共に自分の命も零れていくように感じる。
私はそれが嬉しい。
だって全て零れてしまったら私はこの世界から解放されるのだから。
力を振り絞って寝台へと向かう。
一度だけ閉じた瞳を開けてみると、周りにふわふわと煌めきが漂っていた。なんなのだろうか。それを考えることすら疲れてしまった。
全てに疲れきってしまった一人の娘は再び瞳を閉じ、夢は彼女を深いところに落としていく。
誰も来ない、周りから守るように暗いが優しい深い夢の中へと。
夢に誘われ彼女は眠りについた。先程とは打って変わって穏やかな寝息と微笑みを携えながら。




