第9話 お姫様は部長に会いたくない
割と好き放題に動いている姫様だが、学生の身分となったことで自然と大人しくなる時間が増えた。席に着き、じっとしながら授業を聞いている姫様の姿はたいへん麗しい。傍から見れば気品あふれる令嬢といったところなのだろう。周囲の男女を問わない生徒たちも見惚れてしまっているぐらいだ。
「アリシア様……たいへん麗しい……そのままのお顔で罵られたい……」
…………今は学院の制服に身を包んでいる拗らせメイドことマリアもいるが、それはそれとして(というかせめて授業を聴く姿勢ぐらいは見せろよお前は)。
俺は知っている。
姫様が今、何を思っているのかを。
――――この授業、つまらないわ。
こんなところだろう。間違いない。授業内容は姫様にとって児戯にも等しいものだろうし、退屈を抱いてしまうのは仕方のないことだ。
とはいえさしもの姫様も、授業を行っているナイジェル先生を前にしてそんなことを口にはしないが。
「今日はここまで」
鐘が鳴り、授業の時間が終わりを告げる。ナイジェル先生は足早に教室を去っていった。
「つまらない授業だったわ」
先生がいなくなった途端にこれである。やはり俺の考えは当たっていたか。
どことなく不満そうに、子供らしくぷくっと頬を膨らませる姫様。「ああ、アリシア様。なんて愛らしい……」お前もうちょっと落ち着いてくれない?
「あのナイジェルって先生。優秀なのは分かるのだけれど、もうちょっと授業の方はどうにかならないのかしら」
「優秀な人が教えるのが上手いというわけではないですからね。それに姫様からすれば学院の授業が退屈に感じてしまうのも仕方がないですよ」
「あのね、リオン。わたしは別に授業内容に対してどうこう言っているわけじゃないの。他の先生の授業にはこういうこと、言ってないでしょ?」
「…………それは確かに」
既に学院生活が始まってから数日が経ったが、姫様がハッキリ「つまらない」と言い切ったのはナイジェル先生の授業だけだ。
「他の先生方の授業は素晴らしいわ。確かにわたしはどれもこれもが既に知識として得ていることばかりで退屈かもしれないけれど、学生に学びを授け、成長を願う意志を感じるわ。だから、わたしは退屈だけどつまらないとは思わない」
「ナイジェル先生の授業は違うと?」
「ただ意志なく淡々と情報を流しているだけっていうか…………なんていうか……とても……とても、煩わしそうにしているのよ。みんな真剣に聞いているのに。その熱意に対して、冷めた目で返してる。だからつまらないって感じるのよ。まあ、それが一概に悪いとは言わないけれどね。教師もお仕事だし」
これも姫様の勘のようなものか。こういう時、人間である自分が悔しく思う。魔族だったら姫様の感覚を理解することも出来たかもしれないのに。
「確かにあまり熱心に授業してるって感じじゃあないですけどね……もしかして、マリアも姫様と同じようなことを感じていたりするのか? だからあんまり真剣に聞いていなかったのか」
「いえ。私は単純にあの教師が嫌いなだけです」
「おい」
「見てるとなぜかイライラします。このイライラを収めるにはもう、高貴で麗しくて気品溢れる魔界の姫に踏まれることでしか収まりそうにありません」
「ちょっとは自重しような?」
というか、マリアがこんなにもヤバいヤツだとは思わなかった。
寡黙なる暗殺者こと黒マント時代の片鱗が少しもない。俺はこんな変態と戦ってたのか……。
「良いものですね、自由に言の葉を紡ぐことが出来るというものは。抑圧からの開放……思わず己の欲望を曝け出してしまいますアリシア様に踏んで欲しい」
ダメだこいつ……あまりにも姫様の教育に悪い。メイドとしてこれほど不適切な少女もいないだろう。むしろ他にいてほしくない。
「リオン」
呼びかけながら、姫様がきゅっと俺の制服の袖をつまんできた。
「わたしも混ぜなさい。二人だけで楽しそうにお話しないで。寂しいじゃない」
「姫様は絶対に混ざらないでください。教育に悪いので……って不満げにほっぺた膨らませないでください。そんな顔してもダメですよ。ほら、今日は『鍵』集めを始めるんでしょう? 早く行きましょう」
姫様を宥めながら教室を出る。今日は既に獣人族側の『島主』にはアポをとってあるので、遅れるわけにはいかないのだ。変態メイドに付き合っている時間はないとも言える。
「その前に治安部に顔を出すわよ。一応これ、治安部としての活動ってことになってるし。わたしたちは新人なんだから、顔を出すぐらいのことはしておかないと」
なんだかんだとこういうところはきっちりしてる姫様。そんな彼女の顔は、治安部本部に入った瞬間に「後悔」の二文字で埋め尽くされた。
「おや。期待の一年生ではありませんか」
「…………お疲れ様です本日は鍵集めの任務に向かいますのでそれでは失礼します」
「そう慌てないでください」
早口で言うべきことを叩きつけてそのまま部屋を出ていこうとする姫様を、ノア様はくすくすと笑いながら呼び止める。対する姫様は渋々といった様子で足を止めた。
「私も嫌われたものですねぇ。一年生には慕われていたいものです」
「別に嫌いじゃないわよ? わたしのリオンを取ろうとしなければね」
「これは手厳しい」
余裕あるノア様の言葉に納得がいかないのだろう。姫様はやりにくそうに視線を逸らした。こんな風に露骨な「逃げ」を行う姫様はかなり珍しい。ノア様はよほど苦手な相手なのだろう。
「というか貴方、どうしてここにいるの? 忙しいんじゃなかったのかしら」
「今日はたまたま予定が空きましてね。休憩をとっていたのですよ」
「…………だったら自分の家で休憩しなさいよ」
「私はここが落ち着くのですよ。新たに入ってきた後輩たちのことも気になりますしね」
ニコニコ笑顔のノア様に対し、姫様は防戦一方といった感じだ。
次にノア様はマリアに視線を向ける。
「今は『マリア』さんでしたか。どうですか調子は。日々は楽しいですか?」
「おかげさまで楽しく過ごせています。アリシア様とノア様の寛大な処置には感謝しております」
「そうですか。楽しく過ごせているのならよかった。今は貴方もこの学院の生徒です。学生生活を存分に謳歌してください」
「それは……はい」
ノア様の言葉に、さしものマリアも面喰っているようだ。彼女のしでかしたことはあまりにも大きい。だというのに、ノア様は彼女をただの一生徒として扱い、接しているのだから。
「ですが申し訳ありません。私に首輪をかけた者に関する記憶は未だ戻らずで」
「それは仕方のないことです。首輪の魔法契約はかなり強力なものです。時間をかけてゆっくりと思いだせば良いですし、無理に思いだそうとする必要もありません。貴方にとっては、あまり良い思い出ともいえないでしょうから」
マリアの消された記憶は俺の『支配』でもどうにもできなかった。
一度消されたものはいくら権能といえども復元できるものではない。首輪が起動した時点で記憶の忘却は行われており、俺が『支配』した時点では手遅れだったことも悔やまれる。
「リオンくん」
「あ、はい」
「今日、よろしければ私の屋敷でディナーでもどうですか?」
「結構よ」
ノア様の誘いに対して俺が何か言う前に姫様がバッサリと切って捨てた。
「安心してくださいアリシア姫。当然、リオン君だけでなく貴方やマリアさんにも誘いをかけるつもりでしたよ」
「白々しい嘘を重ねるのは止めなさい。というか、言ったわよね? わたしのリオンは渡さないって。いい加減にしないとその眼鏡ごと魔界の果てまでぶっ飛ばすわよ」
「残念です。君のご主人様のガードはなかなか堅い。せっかくですので、私の護衛にも会って頂きたかったのですがね……『島主』の護衛同士、お互いに意見交換も出来たかもしれません」
ノア様の護衛か。どんな人が担っているのだろう。当然、俺と同じように『権能』も与えられているだろうし興味あるな。こういう機会でもなければ意見交換なんてゆっくり出来ないだろうし、気になる。
「くっ……卑怯よ! そんな、リオンの興味を引きそうな話題を引っ張り出すなんて!」
「フフフ……アリシア姫。やはり貴方はまだまだ甘い。情報とはこう使うのです」
「甘いのはリオンが作ってくれるお菓子で間に合ってるのよ」
「おや。リオンくんはお菓子も作れるのですか? 是非とも味わってみたいものですね」
その後もあーだこーだと言い合いを続ける姫様とノア様。
時間にはまだ若干の余裕があるけど、いつになったら終わるんだろうなこれ。
姫様はまるでフシャー! と鳴きながら威嚇する猫のようでちょっとかわいいけど。
「ああ、もうっ。こうなるからノアには会いたくなかったのよ……」
「ははは。私は楽しいのですがね。とはいえ、ディナーの件はひとまず置いておきましょう。今日はこれから貴方たちは仕事があるわけですからね」
「……そうね。こんなところで言い争っている場合じゃなかったわ。それじゃあ治安部長さん。わたしたちはお仕事に行ってくるから」
「ええ。共に向かいましょうか。治安部のお仕事に」
「……………………やり方はわたしに任せるって言ったわよね?」
「任せますよ? しかし、相手は獣人族側の『島主』。そこに新入りだけというのもあまり格好がつきません。今回は部長たる私も同行します。なに、私は基本的には見ているだけですから安心してください」
「……………………あなた、お祭りに向けて色々と動いてるんじゃなかったのかしら?」
「先ほども言いましたが、今日はたまたま予定が空いたんですよ」
「…………………………………………」
「ははははは。そこまで露骨に嫌そうな顔をしなくてもよいではないですか」
ノア様がいると調子が狂うから嫌なんだろうなぁ……。
「いきましょ、リオン。マリア」
「それは構いませんが姫様。どうしていきなり俺の腕に抱き着くんですか」
「横取り目的の泥棒部長から、わたしのリオンを護るためよ」
いざという時に動きにくいから出来ればやめて欲しい、とは言いづらい雰囲気だなぁ。
でも無理やり引っぺがすと機嫌が悪くなるので姫様が満足するまでこうさせておこう……。