第7話 お姫様は目の前の人を助けたい
この『楽園島』という特殊な場所にある魔法学院だけあって、侵入者に対する防御策はかなり高性能なものを実現している。数千種類以上の魔法効果を折り重ねた結界。俺も資料だけでなく実際に目で見て一通り確認したが、特に問題は見当たらなかった。流石は兄貴たちだと舌を巻き、尊敬の念を新たにしたのは記憶に新しい。
だが事実として、目の前の黒マントはこうして学院の敷地内に入り込み、姫様の命を狙った。絡繰りがあることは間違いない。そしてその絡繰りを解明しておかないと、今後も姫様は危険に晒される可能性が高い。
問題はコイツの裏にいる何者かだ。黒マントがどこの誰かは分からないが、確実に裏に誰かがいる。姫様を殺せと命じた何者かが。相手の結界を『支配』して逃げ場を失くし、閉じ込めることは出来た。あとはコイツを叩き潰して黒幕の名前を吐かせるだけだ。
本来ならば姫様の安全を優先して、姫様が傍に居る状態で戦闘に入るべきではないのだろう。だが、ここは四天王の方々がいる魔界でも魔王城でもない。ましてや相手の情報が何一つ掴めていない。この状態で取り逃がせば、今度はいつ何処で襲ってくるのかも分からない状況で警戒し続けなければならない。そうなればもうこちらが消耗するだけだ。何より、姫様にいつどこで誰が襲い掛かってくるかもしれない恐怖を与え続けることになる。そんなことは俺が許さない。
「…………」
こちらの動きを警戒してか、黒マントは一向に動こうとしない。
俺の背後には護衛対象である姫様がいる。迂闊に飛び込むことは出来ない――――と、考えているのだろう。実際それは当たっている。それでも不利なのは相手だ。この膠着状態が長く続いても相手に良いことなんて一つもない。人が集まれば都合が悪いのは向こうだ。
「…………――――ッ」
先に動き出したのは黒マント。下手に魔法を使うと俺に『支配』されると考えたのだろう。
地面を蹴り、一瞬で距離を詰めてきた。体術の方も相当な腕を持っているらしい。動きが鮮やかだ。
「っと」
マントの隙間から数本の短剣が一気に飛び出してきた。軌道上に姫様はいないことを確認しているので、上半身を捻ってかわす。だが間髪入れずに今度もまたどこにしまってあったのかも分からない刀を振るってきた。
「暗器使いってやつか?」
「……………………」
答えは返ってこない。ただ無言のままに刃が振るわれるが、俺は相手の手元を蹴り上げて刀を弾く。その後も流れるようにマントの隙間から様々な刃が飛び出してくるが、俺はそれを今度は紙一重、できるだけ最小限の動きで回避していく。
「………………ッ!?」
「驚いているところ悪いけど、アンタの動きは遅すぎるんだよ。イストール兄貴に比べればな」
俺を鍛えてくれた師匠は魔王軍四天王だ。あの方々に比べれば、目の前の暗器使いはあまりにも遅い。この速度でどれだけの武器を出してこようとも、いくらでも避けられる。
「……………………ッ!」
繰り出されたのは、隙と称するに相応しい大振りの一撃。
俺は待ってましたとばかりに地面を蹴って跳び、軽やかにその一撃を躱すと同時に体を捻り、回転を加える。そのまま一気に脚を振り下ろし、黒マントの首元に叩きつけた。
「………………ッッッ!」
かくん、と糸が切れた人形のように倒れ込む黒マント。
意識を失っていないだけ大したもんだ。しかし、これ以上動くことは出来ないらしい。身体を動かそうと必死にもがいているが、全身が僅かにピクピクと震えているだけだ。
勝負あり、といったところか。
「終わったようね」
「ええ。……姫様、お怪我はありませんでしたか?」
「おかげ様でね。ありがと、リオン。むしろあなたの方に怪我はないの?」
「おかげさまで怪我一つありませんよ」
事実、俺が持つ『魔法を支配する』権能は姫様から与えられたものだ。
この圧勝も姫様や四天王の方々のおかげといっても過言ではない。
「さて……では、この黒マントの正体を拝んでやりましょう」
魔力で構築した鎖を生み出し、黒マントの全身を拘束する。そのまま地面に転がした状態で、慎重に顔を覆っているフードを引っぺがした。
「……ッ。これは…………」
顔を見ると……見た目は俺たちとそう歳の変わらない妖精族……エルフの少女、であることは尖った耳を見てかろうじて分かった。というのも、彼女の顔の下半分は、夥しい数の呪符が張り付けられていたからだ。無口な奴だと思ったが、違った。そもそもコイツは、発言そのものを封じられていたんだ。喋れば即座に命を奪うような術式が刻まれている。
加えて、首元には鈍色の首輪が装着されている。これは『奴隷の首輪』と呼ばれる魔道具であり、文字通りこれを着けられた者は魔法契約によって主の『奴隷』になってしまう。命令に背いた場合、その時点で首輪によって奴隷の首が弾け飛ぶ仕組みだ。
「…………センスないわ。こんなにもつまらないことをする下種がまだこの世にいたのね」
姫様が珍しく露骨に眉を寄せている。こういう仕打ちは、姫様がもっとも嫌うものの一つだ。俺もあまり好きなやり方ではない。
「…………ッ!」
黒マントの少女が身に着けていた首輪から、魔力が微かに弾けたことを察知する。
そのまま徐々に魔力が首輪全体に巡り始めた。
「首輪が起動したのか!」
おそらくこの起動用魔力が首輪全体に完全に行き渡った瞬間、この少女の首が潰れる仕組みとなっているのだろう。この術式を組んだヤツ、相当に質が悪い。あえて時間をかけることで首輪をつけた相手にじわじわと恐怖心を与えるつもりなのだろう。残り時間は数十秒。それを過ぎれば、彼女は――――、
「……………………!」
黒マントの少女はカタカタと身体を震えさせ始める。呪符で大半が見えないものの、その表情が――――涙を流したその表情が、恐怖に満ちていることは分かる。この首輪を着けさせた者の目論見通り、この少女は今、心を蝕まれているのだ。任務を果たせなかった者を容赦なく切り捨てる。そういう方法があるのは理解している。が、反吐が出るやり方だ。
「リオン」
姫様は、少女の手を握っていた。先ほどまで自身の命を断とうとしていた者の手を。俺も、黒マントの少女本人も、姫様のとった行動に目を見開く。
「姫様。コイツは」
「お願い。助けてあげて。あなたに与えた権能なら、それが出来るはずよ」
…………確かにこの少女にされた仕打ちは酷いものだ。命を絶つことを可能とする爆弾を二重に仕込み、恐怖の底に落として嘲笑うような首輪の仕掛け。あまりにも醜悪な行いだ。しかし、コイツは姫様の命を狙った者だ。仕方がなかったとはいえ、同情のできる境遇とはいえ。可哀想だと思う。でも、俺にはそう簡単に許すことは出来ないものだ。情報を引き出すために助けるなら分かるが、心から救いたいと思うことは出来ない。俺の大切な人の命を奪おうとした相手に。
それでも姫様は――――この人は、心の底から少女を救いたいと願っているのだ。
ほんの数分前まで自分の命を狙っていた相手を、救いたいと。心から。
「…………分かりました」
俺は彼女の護衛であり、彼女に仕える兵だ。
主の命令であれば従うのみ。
「姫様に感謝しろ」
ただ、それだけを告げ。
俺は姫様より与えられた『支配』の権能を発動させる。
呪符と首輪の術式に介入し、『死』の命令を削除し、魔法の『解除』を命令する。
「――――あ……」
小さな破砕音と共に首輪が砕け、彼女の顔の大半を追っていた呪符が剥がれ落ちる。
信じられないコトが……奇跡が起こったとでも言いたそうな。自分の首がついていること、生きていることを確かめた後、彼女はゆっくりと姫様に視線を移した。同時に姫様も、この黒マントの少女を見つめる。
「あら。ふふっ……カワイイ顔をしてるのね」
黒マントの少女の持つ淡い水色の髪を、姫様は優しく撫でる。慈愛に満ちた表情のまま、彼女の頬に手をそっと当てる。黒マントの少女の中に残る恐怖を、少しでも取り除いてあげたいのだと言わんばかりに。
「…………なぜ、助けたのですか?」
「だって仕方がないじゃない。あなた、泣いてたんだもの」
優しく語り掛ける姫様の指が、黒マントの少女の目元に残っていた涙を拭う。
「確かにアナタは喋ることが出来なかったけれど――――わたしには、「助けて」って言っているように見えたの。だからリオンにお願いしてアナタを助けてもらった。それだけよ」
「ですが、私は貴方の命を――――」
言葉を紡ごうとした黒マントの少女の唇を、姫様の指が止めた。
「もういいじゃない。アナタはわたしを殺せなかったんだから」
…………もういいじゃない、で済ませていい問題じゃないんだけどなぁ。
でもまあ、これがいつもの姫様といえば姫様だ。
「ちゃーんとリオンにお礼を言っておきなさいよ? アナタにかけられていた魔法を『支配』して解除させたのはリオンなんだから」
言いながら、姫様は黒マントの少女の頭を優しく撫でる。
「怖かったわね。ほんの少しでも喋れば殺されてしまう。与えられた命令を達成できなければ殺されてしまう。……本当に、怖かったでしょうね。でも、大丈夫。あなたはもう大丈夫。安心していいの」
黒マントの少女が、胸の中に抑えていたものを吐き出したかのように涙を流し始めるのにそう時間はかからなかった。
幼い子供のような鳴き声が辺りに響き渡り、姫様は彼女が泣き止むまでずっと傍に居た。
☆
数日後。
朝。屋敷で姫様はソファーに座り、優雅にお茶を飲まれていた。
「結局、あの首輪や呪符からはなーんにも情報は得られなかったわね」
「そうですね。命令を出した者に繋がりそうな痕跡は一切見当たりませんでした」
「残念だけど、まあ仕方がないわ。気を取り直して、わたしたちはわたしたちの任務に集中しましょう」
「……………………」
「リオン。わたしのリオン。一体、どうしたの?」
「姫様。一つ質問してもいいでしょうか」
「ん。いいわよ?」
「…………なんでコイツを拾ったんですか?」
俺が向けた視線の先――――そこにいるのは、メイド服に身を包んだ一人のエルフ族の少女。
「私が何か?」
「何かじゃねーよ暗器使い」
「リオン。この子は暗器使いという名前じゃないわ。マリアっていうカワイイ名前があるんだから。カワイイでしょ? わたしがつけたのよ。えへん」
「いや、俺が言っているのはそういうことじゃなくてですね? なんで自分の命を狙ってきた暗殺者を自分の部下にしてるんですかってコトでしてね?」
「仕方がないじゃない。マリア、行くアテが無いって言うんだもの。実力もあることだし、丁度いいから部下にしちゃえって思って」
「めちゃくちゃノリが軽いですね!?」
――――あれから。黒マントの暗殺者ことマリアは身柄を治安部に確保され、『島主』のノア様が引き取った。マリアは何者かの命令で姫様を襲撃したが、首輪の効力によってマリアの記憶から『何者か』の記憶は忘却させられていた。
ただ覚えているのは、幼少の頃に『奴隷』の身分になったこと、『何者か』がマリアを買い、道具当然の扱いをしてきたということだけ。そんな名前すら与えられなかった彼女を姫様が引き取り、『マリア』という名を与えたというわけだ。
あろうことか自分の命を狙った者をメイドとして傍に置いておくなんて……普通では考えられない。というかありえない。また姫様のいつもの『ワガママ』が発動したというわけだ。……というか姫様、たまにこういうことするんだよなぁ。姫様に助けられたことがきっかけで魔王軍に入った者も実はそこそこいたりする。
「姫様。また命を狙われるかもしれないとは思わないんですか?」
「思わないわよ。だってもうマリアがわたしの命を狙うメリットってないし。あの時流した涙が本当だって、わたしは信じてるもの。……あと、勘ね」
……姫様の勘、よく当たるからなぁ。
「それに、何かあったとしてもリオンが護ってくれるんでしょう?」
「…………そりゃあ、そうですけど」
「ならいいじゃない」
ニコリと笑う姫様。ずるいと思わざるを得ない。そんなのは殺し文句みたいなものだ。
「マリアって歳はわたしやリオンと同じらしいのよ。ふふっ。わたし、同年代のお友達がほしかったから嬉しいわ。リオンも仲良くしなさい? 手続きはもう終わってるから、マリアもわたしと同じ学院の生徒になるんだから」
「えぇ…………まあ、ご命令とあらばそうしますが……」
チラリ、とメイド服に身を包んだ暗器使いことマリアに視線を送る。
「アリシア様……アリシア様……嗚呼、アリシア様…………この身は全て貴方に捧げます……アリシア様ぁ……」
助けられたことで姫様に心酔して忠誠を誓ったらしいけど、めちゃくちゃヘンな方向に拗らせてるぞコイツ!
「姫様。コイツは危険です。すぐにでも叩きだしましょう!」
「嫌よ。だから仲良くしなさいって。マリアはちゃんと出来るわよね?」
「勿論です。……リオン様、貴方が私を信用できないのは無理もありません。ですが、既にこの身、この心は全てアリシア様に捧げる覚悟でございます。アリシア様にはその麗しいおみ足で踏まれたって構いません。むしろ光栄なことです」
「踏んで欲しいの? わたしは別に構わないけれど……」
「マジでございますか!?」
「姫様やめてください! コイツ余計に拗らせますから!」
――――どうやら、これから屋敷の中は少しばかり騒がしくなるらしい。