第65話 ワガママを
メイナードさんは語る。
「あの頃の私は愚かだった。力に溺れ、力に焦がれ。何者にも目を向けぬ獣も当然だった。しかし……そんな私をセルマは諫めてくれた」
懐かしそうに、慈しむように。セルマさんという人の存在を。
「彼女は力だけでは意味がないことを教えてくれた。優しき強さを教えてくれた。そして……愛する強さを教えてくれた」
☆
ルシンダに叩き伏せられてから、メイナードは幾度も戦いを挑んだ。
その度に赤子を捻るかのような容易さでいなされ、叩き伏せられては医務室のベッドに運び込まれた。
何度も海底の砂利を口に含み、その度に睨み上げるばかりで。
セルマはルシンダの傍でその光景を眺め続けていた。
そのたびにセルマが介抱しており、目を覚ますたびに顔を突き合わせる仲となった。
「毎日毎日飽きませんね」
それは、いつだったか。
何十回目かの敗北から目を覚ました時。もうすっかり医務室の一角がメイナード専用になっていた頃。
セルマからの何気ない言葉に、メイナードは珍しく口を開いた。
「……飽きる飽きないの問題ではない」
「ではどんな?」
「己の力を証明するためだ。そして……神々が我らに『権能』を授けなかったのが間違いだったということを、証明する」
「それを証明してどうするのですか?」
その何気ない返答に口を噤む。胸を衝かれた思いだった。
証明して、その先は。
面と向かって問われて何も言えない自分と、答えを持ち合わせていない自分に気づいた。
「メイナード様は不器用なんですね」
「……なに?」
「手の届かぬほど彼方。久遠の先にある古の時代に定まった定め。多くの者がそれを受け入れています。そういったものだと、流されています。しかしメイナード様は、それに納得できなかった。仕方がないことだと、どうしようもないことだと折り合いをつけることだって出来たはずなのに、そうしなかった。だから……戦い続けているのですね。自分の納得がいくまで。愚直に、まっすぐに、がむしゃらに」
セルマは笑う。その華やかな笑みにどこか惹かれた。
「不器用なひと。でも、私は嫌いじゃないですよ」
そんな言葉をかけられたのは初めてだった。
いや、それどころかこうして向き合ってくれたことさえ初めてで。
「よいではありませんか。思う存分、気のすむままに戦い続ければ。戦って、戦って、納得するまで戦って。そうすればいつかきっと、メイナード様なりの答えを手にすることが出来ます。傷つくことも多いでしょう。度重なる敗北を積み重ねることもあるでしょう。私でよければ、その度にお手当てをさせて頂きますから」
「……お前は、ルシンダの侍女だろう」
「ルシンダ様からは貴方の面倒をみてやってくれと仰せつかっていますし。そもそも放ってはおけませんよ。貴方のように不器用な人は。医務室で顔を合わせ続けた仲です。こうなったらとことんお付き合いいたしますよ」
周りの者たちは止めるばかりだった。ついてはいけないと見放すばかりだった。
しかしセルマはそれでいいと言ってくれた。この背中を見守ってくれると。
不思議な感覚だった。冷たい海の底で、温かな光に包まれたような。
それからしばらくして。
メイナードは遂にルシンダに膝をつかせた。『権能』を使わせた上で。
たった一回の勝利だった。この一回に焦がれ、求め続けていた。
「…………」
証明できたという達成感はない。それよりも先に心を占めたのは、戦いを見届けてくれたセルマの笑顔で。
この時、憑き物が落ちたような気がした。同時に気づいた。己の気持ちに。
世界。神の選択を呪う己が執念よりも、一人の女性に対する愛が勝った瞬間だった。
やがてメイナードとセルマは恋人となった。
海底都市に伝わる宝玉を指輪に加工して贈った。
よそ者のエルフ族が婚約者であることに周囲からは反対や不満も噴出したが、周囲を納得させるために精力的に王子としての活動を行った。
武功を立て、周囲からの信頼を勝ち取り。
ただ愚直に為すべきことを成し遂げていき……やがて周囲に、二人の婚約について反対を示す者はいなくなった。
☆
「私はセルマに救われた。たとえ種族が違えども、この命に代えても彼女を幸せにすると誓った。近いうちに式も挙げる予定だった。だが……」
ローガンによる襲撃が起きた。
幸せにすると誓った人。それが今も尚、敵に占領された都市にいる。
「本当ならすぐにでも駆け出して、すぐにでも助けに行きたいんですよね。立場も何もかをかなぐり捨ててでも向かいたいんですよね。……分かりますよ。その気持ち。俺だって同じです」
「……君も?」
「はい。前に姫様が攫われたことがあったんです。その時は目の前が真っ暗になって、胸の中に大きな穴が空いたような気がして……心がぐちゃぐちゃになって。だから分かります。大切な人がいなくなった、貴方の気持ちが」
「その時、君はどうした」
「がむしゃらに探し回って、それで落ち込んで……俺だけだったら、それで終わってました。でも助けてくれる人たちがいたんです。そうして、俺は大切な人を取り戻せました」
「…………」
「だからメイナードさんも俺たちを頼ってください」
「しかし……それは私のエゴだ。私の都合で、他の者たちを危険に曝すわけにはいかない」
「その都合を、皆が待ってるんじゃないですか」
ああ、本当に不器用だ。この人は。
まっすぐにしか進めないのに、無理に回り道をしようとする。
「良いじゃないですか。多少のワガママぐらい。貴方が歩んできた道、示してきた背中はそれを許してくれますよ」
確かに昔は獣だったのかもしれない。己だけを見ていたのかもしれない。
だが今は違うはずだ。昔のままだったのなら、ここまで人がついてくるわけがない。
「王族なんてのはちょっとワガママなぐらいが丁度いいんです。いざって時は周りが助けます。だから貴方は堂々としていてください。己のエゴを肯定し、己の道を進んでください」
伊達に日頃から姫様と一緒にいるわけじゃない。
振り回されることもあるけれど、俺はその背中が好きだ。今は背中じゃなくて、隣を歩いているけれど。その気持ちは変わらない。
メイナードさんだってそうだ。
やがて王となる者としての背中を示し続けてきたはずだ。民のために身を粉にしてきたはずだ。
ならいいじゃないか。少しぐらい、たった一度のワガママぐらい。
「周りを頼って――――信じてください」
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