第60話 会敵
水の中の景色が文字通り流れるように過ぎてゆく。
走るよりも早く、滑らかに。
それは今、俺が跨っている大きな魚のおかげだ。
美しい皮膚は目を惹きつけ、ヒレの部分は魔力の詰まった魔法石となっている。
「ローラ、リオン。宝石イルカの乗り心地はどうだ?」
「良好ですわ」
「馬と違って振動も無いですし、気持ちいいぐらいですね」
「初めて乗ったというのに大したものだ。これで意外とバランスをとるのが難しいものなのだがな」
狩り場で魔物が暴れているとの知らせを受け、俺たちはさっそく宝石イルカに乗り込んで狩り場に向かっていた。
宝石イルカとは魚人界において移動手段として重宝されている生物で、陸でいうところの馬に近いそうだ。
海底にある魔力を秘めた特別な珊瑚礁を主食とするようになったことで、身体に魔法石が生え、そこから生み出される魔力によって身体は強靭かつ体力がつき、乗り物として重宝されるようになったそうだ。
「それで、ルシンダお姉さま。例の培養魔物というのは一体どういうものなんですの?」
「あのローガンという小僧が『培養』属性の権能を有していることは知っているな?」
「ええ……ワタクシたちもこの魚人界に来た直後、あの者が造り出した骸の兵士に囲まれましたから」
「アレも培養魔物の一種ではあるが、あの骸の兵士は奴にとっては雑兵に過ぎん」
「アレで、ですか……」
ローラ様は複雑そうな表情をしている。無理もない。あの骸の兵士たちは単体でこそ脆弱ではあったが、統率による連携は厄介ではあったし、何より合体すれば戦闘力も向上していた。
「しかも奴は占拠した首都で何やら実験を行っているようでな。その副産物として現れるのが、これから討伐しに行く培養魔物だ。そいつは骸の雑兵共など比べものにならん力を秘めている」
「そ、それは大変ではありませんか……! そんなやつらが一度にたくさん出てきたら、ひとたまりもありませんわ!」
「いや。どうやらアレはそう安定して生み出せるものでもないらしくてな。あくまでも実験で生まれた副産物……現れるタイミングも不定期だし、形状も一定ですらない。少なくとも今のところは、現れても一度に一体だが…………」
「その実験とやらが気になりますね。奴は首都を占拠して一体何をしているんでしょうか」
「……さあな。しかし、我らは『海神』に関わる何かだと踏んでいる」
「『海神』?」
聞き慣れない言葉が出てきた。ネモイ姉さんに言っていた『守護神様』とは違う存在なのだろうか。
「この魚人界を創ったとされている海の神様だ。元々は首都にある神殿で眠りについているとされている。ヤツが攻め込んできた日……真っ先に狙い、占拠したのが神殿だった」
となると……ローガンがその神殿にいる可能性は高い。
攻め込むべき場所は既に判明しているということか。
「まったく! 無粋なことをしますわね! 魚人界の神殿といえば、恋人たちの聖地ではありませんか!」
「そうなんですか?」
「ええ。海神の神殿で愛を示した者は恋人と結ばれ、幸せになれるという言い伝えがありますのよ!」
ローラ様は興奮した様子で語っている。そういえばこの人、こういう話好きだったよな……でも、そうか。神殿にはそういう言い伝えがあるのか。たぶん伝説は伝説でも都市伝説ぐらいのものなんだろうけど……。
「フッ……そういえば、そんな言い伝えがあったな。まあ、メイナードの奴にとっては……」
ルシンダさんがその先の言葉を発することはなく、その理由は俺もローラさんもすぐに分かった。
「……二人とも構えろ」
言われるまでもなく俺とローラ様は既に戦闘態勢に入っている。
渦巻く膨大な魔力がその存在を肌で感じさせていた。
「来るぞ!」
眼前の珊瑚礁を派手に砕き、その巨体が姿を現した。
細長く蠢く巨大な胴体は蛇と髣髴させ、体表には鱗のようなものをビッシリと纏っている。
「ハッ! 今回は蛇か、斬り応えがある!」
宝石イルカから颯爽と飛び降りたルシンダさんは、その背中に収めていた大剣を抜き放つと、果敢に大蛇へと向かっていった。
「ワタクシたちも参りましょう」
「了解です」
拳に焔を灯す。
相手が何を企んでいるのかは分からないが、今は目の前の敵を駆逐するだけだ。
姫様もきっと……今いる場所で、自分にできることをしているはずだから。